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隣の石田くん(仮)  作者: 北海
第一話:運命の出逢いは圧力鍋とともに
3/4

02

 圧力鍋を抱えてうたが帰宅すると、玄関には既に甥のスニーカーが並べられていた。

 空はとっくに夕暮れに赤く染まっていて、近くの小学校からは帰宅を促すメロディーが微かに聞こえてくる。

 やっぱり間に合わなかったかと肩を落としたところで、リビングからひょこりと甥が顔を出した。

「うたちゃん、お帰り。買い物行ってたの?」

「うん。ちょっと、圧力鍋を」

「圧力鍋? あれ、コンロの下に入ってなかった?」

 その言葉に、うたは生ぬるい笑みを浮かべる。

「お姉ちゃんの家事能力の凄まじさを、忘れかけた頃に思い知るよね……」

「……母さん、また壊してたんだ」

 しかも、見つからないように収納場所の奥深くに証拠物品を隠す念の入れようである。

 彼女が家事能力に著しく欠けていることは、妹であるうたはもちろん、夫や息子にまでとっくのとうに周知の事実であるというのに、当人だけが頑として認めていないのである。曰く、私はまだ本気出してないだけ。いったいどこのヒキニートのセリフだろうか。往生際が悪いにも程がある。

 結果として、同居しているわけでもないのに姉一家の家事を割と頻繁に手伝いに来るうたも、姉の自覚と自立という点から見れば悪いと言えば悪いのだが、そうしなければ育ちざかりの甥がうっかり体を壊しかねないのである。暗黒物質(ダークマター)としか表現しようのない姉の手料理を口にして五体満足でいられるのは、姉への愛という伝家の宝刀を持つ義兄くらいなものなのだから。

 とりあえず、掃除洗濯に関しては甥や義兄が率先して手伝うことでなんとかなっているが、炊事に関しては帰宅が深夜零時を過ぎることが珍しくない義兄に任せるわけにもいかず、かと言って日々部活動で汗を流しクタクタになって帰って来る甥任せにするのも酷で、二日に一度はこうしてうたが作りに来るのが定番になっていた。キャリアウーマンとして毎日八時過ぎまでバリバリ働く姉も、甥を夜遅くまで家にひとりきりにしなくて済むということで、これに関しては文句を言ったことはない。

 本当はもうひとり、なんと叔母であるうたよりも年上の甥もいるのだが、彼は今東京の大学に通っているため家を出てひとり暮らしを満喫中なのだ。

 どうして年上の甥などという存在がいるのかと言えば、何のことはない。ただ、うたが両親が年を取ってから出来た末っ子で、上の兄姉とかなり年齢が離れているというだけの話である。

 長女の姉とは、二十歳。兄とは十八歳離れていると言えば、うたがどれだけ遅くに生まれた子どもかわかるだろう。兄とですら、ひと回り以上離れているのだ。ちなみに、両親は再婚でも何でもない。子ども二人が完全に自分たちの手を離れた後、両親が久しぶりに新婚気分に浮かれた結果だ。

 その両親はと言えば、父親の定年退職を期に、兄姉からプレゼントされた世界一周の船旅に出かけているので、実質うたは実家でひとり暮らしの身。まだ未成年の彼女を置いて行くことを両親は散々渋ったのだが、結局うたが姉一家の住むマンションの隣に引っ越すこと、姉だけでなく、兄も頻繁にうたと連絡を取り合い様子を見ることを約束することでどうにか説得して出かけて行った。

 見送りの際、「もうこれ以上弟妹は増やしてくれるな」と据わった目で両親を脅しつけた姉やいたりいなかったりしたが、うたは行儀よく見なかったフリをした。多分、姉も妹には見られたくなかったと思うので。

 別に姉はうたを疎ましく思っているわけではなく、ただただ年甲斐もなく――とは、姉の言葉であるが――仲が良すぎる両親に頭を悩ませているだけなのだ。四十歳での出産は、まあ高齢出産で大変ねと言われるだけで済むが、六十手前での妊娠、出産となれば話は別だ。物見高い人間はどこにだっているし、そんな好奇の目に晒される子どもがそもそも可哀想だろうと、そういう心配をしているのである。

「そういえば、お祖父ちゃんたちからポストカードが届いてたよ。母さんと、うたちゃん宛てに」

「二通?」

「どっちもここの住所でね」

 なるほど、確かに最低でも二日に一度、うたはこっちに来ているのだから合理的ではある。

 リビングのローテーブルに並べられたポストカードには、東南アジアにある有名な仏教寺院の写真が印刷されていた。雲ひとつない空は、気のせいかこちらのものよりも青が鮮やかなように見える。

「この前電話来た時はインドに着いたって言ってたから、やっぱりちょっとズレがあるんだね」

「これ、どの国にある世界遺産だっけ」

「カンボジアじゃなかった?」

 話しながら、コートを脱いでハンガーに掛け、洗面所に手を洗いに行く。

 エプロンを着て髪をゴムで束ねれば、待ってましたとばかりに甥が台所までやって来た。

「今日の晩御飯、カレーでしょ」

「わかる?」

「そりゃあ、そこのまな板を見れば」

 買ってきたばかりの圧力鍋は、使う前に軽く洗う。

 水気を拭こうを布巾を探せば、甥が先に布巾を取って鍋を拭いてしまった。

「手伝うから、早くご飯にしよ。もう腹減り過ぎて痛い」

「それじゃ、お皿とスプーン出してその布巾で軽く拭いておいてもらえる?」

「おっけー」

 鼻歌を歌いながら、甥が食器棚に向かう。カレー皿はあまり頻繁に使わないので、棚の上の方に置いてある。うたには少し出し入れが難しいのだが、成長期が来てぐんと背が伸びた甥は軽く手を伸ばすだけで簡単に取り出してしまう。

 あんなに小さかったのに、とうたは感慨深い思いに駆られた。まったく、子どもの成長とは早いものである。顔立ちこそまだ幼さが残るものの、後姿だけならば立派に「男の子」だ。

 ふと、その背中を見てうたは先ほどまでいたホームセンターでのことを思い出した。綺麗な顔立ちの少年。咄嗟とはいえ、抱き付いてしまった相手を。

 途端、今更のように羞恥心が襲ってきて、うたは玉ねぎを油で炒めながらパタパタと手で自分を煽いだ。意外と硬く筋肉のついた体など、思い出さなくて良いと思えば思うほどはっきりと思い出してしまう。

 煽いだ風に、湿布独特の香りが混じる。案の定見事に青紫色の痣になってくれた怪我だが、こうして時間が経てば余程無理な動かし方をしない限り痛まなくなっていた。

 念のため病院に行くようにと、あの少年は言ってくれたけれど。うたは考える。今夜お風呂に入って、寝て起きて。明日何ともなかったら、行かなくても良いだろうと。

『そうは言っても、放置して痕が残ったら何とする。おなごが体に傷痕なぞ、残すものではないだろうに』

 ちろ、とうたは視線だけを左側に向けた。

 そこには誰も(・・)いない。だが、確かに彼女の頭の中には声らしきものが届いていたし、それは甥の声でも、口調でもなかった。

 そして、より正確には。そこには誰も(・・)いないが、ナニカ(・・・)――よくわからない、かろうじてヒト形に見える、黒いモヤモヤとしたものが、空調の風にも揺れずぼうっと佇んでいたのである。


               *


「背後霊?」

『そう呼ぶのが、恐らく一番正しいのだろうなあ』

 姉一家の部屋とは壁一枚隔てたお隣。両親が世界一周旅行から戻って来るまでの仮住まいで、うたはこてりと首を傾げた。

 ついでだからと姉のところでお風呂も済ませて、寝間着に着替えたうたは完全に後は寝るだけの状態である。普段なら、このまま少しテレビを見て、日付けが変わる前にベッドに入っているところだ。

 それが、今は丸い座卓を挟んで、黒いモヤモヤと向かい合って正座しているのだから、人生わからないものである。

「一応聞きますけど、それは私の背後霊というわけじゃなく……」

『お前さんが昼間会った、不愛想なおのこの背後霊だのう』

 不愛想なおのこ、と言われて思い当たるのは、ホームセンターでうたが図らずも押し倒し、挙句抱き付いたあの美少年くらいである。……こうして改めて自分の行動を振り返ってみると、字面だけならば完全痴女の行動であることが悲しい。

『まずは、すまなんだ。咄嗟のことで慌てていたとはいえ、儂が余計なことを言ったせいでおぬしに怪我をさせてしもうた。嫁入り前のおなごに傷をつけるなど、腹を掻っ捌いても許されん所業だ』

「ってことは、あの時聞いた気がした声も、あなただったの?」

 ――そのまま、後一歩踏み込め!

 あの、圧力鍋たちが落ちてきた時。体勢を崩して後ろにいた誰かにぶつかってしまい、どうにか転ぶことだけは免れようと踏ん張ったうたに聞こえた声。

 スローモーションに見えた世界で、落下する圧力鍋がこのままだとその誰かの頭に当たってしまいかねないことに気づけたのは、間違いなくその言葉のおかげである。

 結果としてうたはその誰かこと、美少年を押し倒す形になってしまったわけだが、あの声に気づけなかったらと考えるとゾッとする。うたは無意識に自分の左肩、痣のある場所を摩った。

『おぬしが気づいてくれて助かった。あのままでは、儂の宿主殿がぽっくり逝ってしまうところであったからな』

「う、やっぱりそうだったんだ」

 せめて落ちてきたのが軽いものだったならまだしも、よりによって圧力鍋である。

 ふわ、と黒い靄の一部が揺れる。

 なんとなく人型に見えるソレには目どころか顔自体がない。だが、何故だかうたには自分がソレからまじまじと見られているような気がした。

『……儂の宿主殿はな。昔からとんでもなく運が悪いのだ』

「宿主殿、って、あの男の子?」

『おぬし、春から高校生か?』

「うん、そうだよ」

『なら、宿主殿と同い年じゃな』

 ということは、あの少年は十五歳なのか。

 あの綺麗な顔を思い出して、なるほどなあとうたは納得した。言われてみれば、あのちょっと幼そうなところは、自分と同い年っぽいかもしれないな、と。

『たった十五年、されど十五年じゃ。毎年どころかほぼ毎日、毎週のように先ほどのような目に遭うのだよ、儂の宿主殿は』

「……それは、運が悪いなんてレベルじゃないねえ」

 きっと、自称背後霊に口があったらため息を吐いていたに違いない。どことなく、靄の黒さも増したように見える。

 腕に抱いた飼い猫のミイが、警戒を促すように髭をピンと立てている。威嚇こそしていないが、それも時間の問題だろうなと、逆立ち始めた毛に思う。

 よしよしと宥めるように頭を撫でて、うたは不思議に思ったことを尋ねた。

「背後霊さんが、あの子自身に直接注意を促したりとかってできないんですか?」

『そうできたら良いのだが。どうにも、宿主殿は儂が見えもしなければ言葉すら届かんようでな。霊感、と言うのか? そういう素質はからっきしのようだ』

「私も、背後霊さんに会うまで幽霊なんて見たことも聞いたこともなかったよ」

 なのに、どうして今、こうして自称背後霊なんぞと向かい合っているのか。

 飲めるかどうかわからないけれど、一応の礼儀として置いた湯呑みがあまりにも日常的過ぎて、この非日常な状況がさらに際立っている。そのことが、妙におかしかった。

『見たところ、おぬしには強い護りがあるようじゃから、見えぬでも無理はない。おぬしと儂には、きっと縁があったんじゃろう。そのおかげで宿主殿が助かったが……すまなんだなあ』

 どうやら、自称背後霊はうたの怪我に多大な責任を感じているようだ。黒い靄が、まるで人が頭を下げているかのような形に揺らぐ。

 それに、うたはいえいえと首を振った。

「そんな、これくらいの怪我。人が死んじゃうかもしれなかったんだから、かすり傷みたいなものだよ」

 そもそも、骨が折れたわけでもなくただ痣ができただけのことである。

 そこで、はた、とうたは思い当たった。

「私結構遠慮なくぶつかっちゃったから……あの子の方は、怪我とかしてなかった?」

『なに、おのこにとっておなごを庇った怪我は誉れ。ましておぬしは宿主殿の恩人だ。気にするようなことではない』

「ってことは、やっぱりどっか怪我してるの?」

 あちゃあ、とうたは額を押さえた。

 どうして今まで気づかなかったのか。いくら平気そうに見えても、せめてひと言、大丈夫ですかの言葉くらいかけておくべきだったのに。

 なあご、とミイが腕の中で鳴く。顎の下を撫でろという合図に素直に従いながら、小さくため息を吐いた。

(謝る、のも遅すぎるかな。あ、そもそもあの男の子の名前すら知らないや)

 手詰まりの予感に呻く。すると、自称背後霊が纏う空気が変わった。……ような気がした。

『おぬし、儂の宿主殿を心配してくれるのか』

「心配というか、単なる罪悪感というか……うーん、でも、やっぱり心配かな。運が悪いなんて話も聞いちゃったら、特に」

 もし次に「不運」がやって来た時に、今回痛めたどこかのせいで取り返しのつかない事態になったら。考えただけで恐ろしいが、自称背後霊の言い分を信じるなら、その想像は何も大げさなことではないのだ。

 正直、うたは少年に対して綺麗な顔をしていたことと、その割に口が悪い――口調が荒いという意味ではなく、言葉自体が辛辣だ、という印象くらいしか持っていない。だが、それでもまったく見知らぬ相手というわけではないからか、いつ死んでもおかしくない不運が頻繁にあると聞けば、心配になりもするのである。

 ふむ、と自称背後霊は考え事をするように揺らいだ。そして、うたの反応を窺うように尋ねる。

『……では、おぬし、儂と協力して宿主殿を守ってはくれぬか』

 きょとんと目を瞬かせるうたに、自称背後霊は慌てて付け足す。

『むろん、四六時中というわけではない。ただ、もし宿主殿が不運に見舞われて、そこにおぬしが居合わせておったら、さり気なく宿主殿を助けてやってほしいのだ。頼む、この通り』

「……ええと、それは頭を下げてるんだよね?」

 また、先ほどと同じような形になった黒い靄にそう尋ねれば、そう見えなんだか? と尋ね返される。

 頬をかいて、うたは気まずそうに笑った。

「実は、背後霊さんの姿が、私にはなんかよくわからない黒いモヤモヤにしか見えなくて」

『なんと。では、儂がどのような姿をしておるのかもわからんと?』

「ごめんなさい」

 聞かれなかったから言わなかっただけなのだが、驚いた様子の自称背後霊に素直に謝る。

 そして、どうやら自称背後霊は自分では黒いモヤモヤのつもりはなかったらしい。なるほどのう、と何やら勝手に納得を始めた。

『儂の姿に肝も潰さぬ、なんと根性のあるおなごかと思っていれば。いや、まさか儂の姿が見えておらなんだとは』

「いやいや、まったく見えないわけじゃなくて! なんて言うか、でもやっぱり黒いモヤモヤにしか見えないんだもん!」

『いやはや……』

 言って、自称背後霊は苦笑したようだった。

『責めておるわけではないのだ。だが、今まで会うてきた生者は、皆儂がさっぱり見えぬかはっきり見て取るかのどちらかしかおらなんでな。おぬしがしっかり受け答えしてくれるから、てっきり見えておるのだと、早とちりしておったのよ』

「やっぱり、見える人はいるんだ」

『多くはないがな』

 会話が途切れる。

 答えを待つ沈黙に、うたは腕を組んで真剣に考え始めた。

(まったく知らない誰か、じゃもうないんだし)

 人の命がかかっているのだ。あまりに無理な要求をされない限り、協力すること自体には別に問題はない。あるとすれば、それはまったく別のところだ。

「いいよ、協力する。知ってる人が死んじゃうのはもちろん、怪我するのだって寝覚めが悪いしね」

『まことか!』

「うん。でも、どうやって?」

 うたの住んでいる市は、それなりに広い。

 会ったことがなかったのだから小中は別の学校だったんだろうし、近くの学校だったとしてもあんなに綺麗な顔をしているのだ。噂になっていてもおかしくないが、それらしい噂も聞いたことがない。言ってみれば、接点がまったくないのだ。

 協力するに吝かではないけれど、そもそもその機会がないのではないかと。悩むうたに、自称背後霊はなあに、と明らかに弾んだ声で言った。

『案じずとも、縁がこうして結ばれたのじゃ。宿主殿とおぬしは、近い内必ずまた会うことになろうよ』

 遅くまですまなんだなあ。そう言い残して、黒い靄はまるで掻き消えるようにいなくなった。

 完全に去って行ったのがわかったのか、ミイがぴょんと腕から飛び出す。そのままするりとドアを抜けリビングの方に消えて行くのに、うたは狐につままれたような心地で、床に座ったままぼすりとベッドに背中を預けた。

「……おいでませ、心霊現象? 後で神野さんのところに相談に行こう……」

 疲れてるのかな、と眉間を揉みほぐす。今日はなるべく早く寝た方が良いかもしれない。

 いなくなったミイの代わりにクッションと自分の膝を抱え込んで、クローゼットの前に吊り下げた真新しい高校の制服を見上げた。

「まさか、ね」

 そのまさかであったことをうたが知るのは、月が替わった後のことである。


               *


「せんせー。俺、目悪いんで前の席移ってもいいっすか」

「前田か。お前、眼鏡はどうした。かけてないのか」

「コンタクトっす」

「校則ではコンタクトは禁止です。よし、後で職員室な」

「げ!」

 男子生徒と担任教師のやり取りに、くすくすと控えめな笑いが教室を満たす。

 やっべー、と頭をかく男子生徒をため息混じりに見やり、そういうことだから、と担任教諭は教室内を見回した。

「誰か、前田と替わっても良いってやついないかー」

 担任の問いかけに、けれど挙手する生徒はいない。

 もし前田という生徒の席が一番後ろなどであれば、もっと積極的に手を挙げる生徒がいたのだろうが、生憎彼の席はほとんど教室のど真ん中なのである。前後左右、どこも気を抜くことができない席に進んで移ろうという生徒はなかなかいないだろう。

 しょうがないな、と担任教師は名簿に目を落とした。四月初め、入学式直後の教室は、生徒の席が男女交互に出席番号順に並んでいるので座席表を見るよりも名簿を見た方が早いのである。

「そうだな……どうせなら一番前の方が良いか。石田、その眼鏡はちゃんと顔の一部だな?」

 冗談交じりの問いかけに、再び教室のあちこちで笑いが起こる。

 指名された男子生徒は不機嫌そうに目を細め、「度は合っています」と素っ気なく答えた。

「じゃあ、石田と前田は席交換。ほら、テキパキ動けー」

「せんせーおーぼー! せめて石田っちの意見くらい聞いてからにしたら?」

 な? と首を傾げるのは、席を移動したいと言い出した前田の方だ。

 だが、石田と呼ばれた生徒はさっさと荷物を鞄にまとめて席を立つ。特にこだわりがないのだろう。「別に」という言葉はほとんどひとり言のような大きさだったが、きちんと拾った前田は「サンキュ」と言って笑う。

「それじゃ、他に席移りたいやつは? いないな? もし授業が始まってから何かあったら、勝手に自分たちで交換しないでちゃんと先生に相談すること! いいな」

 はーい。揃った返事に満足げに頷いて、担任教師はようやく連絡事項の確認に入る。

 その教室で。新入生を示す花のコサージュを胸ポケットに付け、うたはあんぐりと口を開いてついさっき(・・・・・)お隣になった男子生徒を見つめていた。

 見る角度でイケメンがブスメンに、なんてテレビの文句を大いに裏切る、横顔でも真正面からでも変わらない端正な顔立ち。詰襟の学生服の袖をいじり、何が気に入らないのかむっすりとした唇は薄めだが大きすぎも小さすぎもしない。眉間に寄った皺ですら、クールビューティーの演出にしか見えないのだから凄い。

 パクパクと意味もなく口を開閉していたのが気に障ったのか。ちらりと鋭い一瞥が寄越される。

 すぐさま両手で口を押さえうろりと視線を彷徨わせたうたに、お隣さんは顔だけは正面を向いたまま、視線だけはしっかりとうたを捉え、ゆっくりと口を開く。

 ――間抜け面。

 声もなくそう言った瞳は、意地悪そうに細められていて。

 どうやら石田というらしい、三月某日、あのホームセンターで出会った少年。彼の後ろで、あの黒いモヤモヤが「どうだ」と言わんばかりに胸を張っているような気がした。

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