僕のこころ
久しぶりに帰った我が家はどこか変わっていて、自分の家だということを自然と体が覚えてくれるまで、少し時間がかかってしまった。実に二年ぶりの帰省になる。成人式に出席するために帰ってきた。
僕が帰ってきたとき、お母さんと妹は買い物に出ていて、出迎えてくれたのはお父さんだった。扉を開けたときにさらっと言った「千尋か、おかえり」という言葉はどこか懐かしくて、なんだかくすぐったかった。
今はもう妹の部屋と化した元僕の部屋に荷物を下ろした。僕が家を出るまで妹が使っていた向かいの部屋はもう物置になってしまっていて足の踏み場もない世界が広がっていた。
リビングではテレビの前に出しているこたつに足をいれ、コーヒーを片手にお父さんが本を読んでいた。僕がそばにいくと「何か飲むか?」と聞かれたので「いいよ。自分で紅茶いれるから」と答えた。インスタントのティーバッグを見つけてマグカップに入れた。お湯を注いで赤くなったのを確認してティーバッグを出した。体は自然と動いてくれる。二年経ってもティーバッグや食器の位置は変わってないことに気付いた。
紅茶を一口啜って窓から外を見た。ベランダか見える木はすべて葉を枯らしていた。同時に目に入った空は曇っていて、ひょっとしたら雪が降るかもしれない。なんてことを思った。
窓に歩み寄った。あぁ、そういえばこんな景色だったなと思う。ウチは十階建てマンションの五階だ。ベランダからは向かいの公園にある木々とか池の向こうに建つマンション群とか、遠くの方には通っていた中学校が見えた。年中通して何の色気もない景色だと思う。だけど今、僕はこの景色を見て、なんとなくだけど綺麗だと思っている。
お父さんの横に腰を下ろした。それを気に留めることもなく、お父さんは本のページをめくっていく。僕は紅茶をもう二、三口啜った。
「学校はどうだ?」
ふいにお父さんが聞いてきた。僕がしばらく黙っていると「楽しいのか?」と言葉を続けた。とりあえず僕は「うん」と口で言って、ついでに首を縦に振った。
「ならいいんだ。千尋が楽しければ」
そう言ってまた、本に目を落とした。
――千尋が楽しければ。
お父さんがこんな言葉を口にするなんて僕が家にいた頃は考えられなかった。
僕の目のまえにいるお父さんは、もうすっかり変わっていた。
僕は大学に進むにあたって家を出た。音楽がしたくて都会の音楽大学へと進学した。専攻はピアノだ。プロのピアニストになるのが僕の夢だ。音大に進路を向けるにあたって唯一反対をしたのがお父さんだった。
高校生の頃のお父さんのイメージというと「無口で頑固」といえば本人以外の家族は納得するはずだ。お父さんは家では絶対の君主だった。どんなことがあってもお父さんがそう言えばそれが我が家の意見になる。そんなお父さんとお母さんや妹はどうにか上手くやっていたけれど、僕とはほとんど意見が合わずお互い反発してばかりだった。音大へ行こうと決心したときも例外ではなかったわけだ。
やりたい音楽がジャズやポップスならとりたてて音大を出なくとも実力があればプロにはなれる。だけどクラシックはそうじゃない。音大を出て留学しなければプロとして活躍できない。
クラシックはスポーツ選手と一緒だ。小さい頃からの教育で将来が決まる。僕は五歳からピアノに触っているのでスタートの機は逃していない。可能性はある。音大に行って、腕を磨き、留学して、箔をつければ……。
お父さんには何回もそう説明した。「僕をピアノ教室にやったのはお父さんたちだろ!」と僕がいうと、お父さんは「教養の一環でプロにさせたいわけじゃない」と言う。
そんな言い争いが続いた。
お父さんは一向に首縦に振ろうとしない。そして、僕に言う。
――好きなことは、仕事にできない、と。
それでも僕は一歩も退かなかった。最終的には当時担任だった先生と、その時ついていたピアノの先生にも頭を下げてどうにか費用を出してもらえることになった。でも僕が家を出ていく日になってもお父さんは僕の進学を喜んだり、祝ったりはしてくれなかった。
僕は大学に行っている四年間は一度も帰るつもりはなかったし、お父さんと顔を合わせるつもりもなかった。正直、僕は大学に行くことを許してくれなかったお父さんが憎かった。「好きなことは仕事にできない」なんて言葉を吐いたお父さんが許せなかった。だから見返してやろうと思ったんだ。そうするにはどうすればいいのか考えた。好きなことを仕事にできることを証明すればいいのだ。
だから僕はひたすらピアノを弾き続けた。
二年生になりたての頃だったと思う。お母さんから僕にメールが入った。
――政夫おじいちゃんがお亡くなりになりました。
というものだった。あとは葬儀の日程とか当日の服装のこととかが事細かに書き綴られていた。享年八十。立派に生きた。
政夫じいちゃんは父方の祖父だ。小さい頃から僕はおじいちゃんのことが大好きで、いろいろよくしてもらっていた。音大に行くときも僕の応援をしてくれた。優しいおじいちゃんだった。
僕は葬儀場で約一年ぶりにお母さん、妹、そしてお父さんと再会した。一年ぶりに見たお父さんの姿は小さく、弱々しくて、何かが抜けてしまったような、そんな感じで、勝手で強引な、僕の頭の中にいたお父さんとはどこか別人のような気がしてならなかった。
葬儀の最中、お父さんはずっと泣いていた。僕のまえでは強かったお父さんが、体を震わせ、声を上げていた。それは生まれてはじめて見るお父さんの泣いている姿だった。結局お父さんは泣き通しで喪主の挨拶をこなすこともできず、代理で政夫じいちゃんの弟さんだと紹介された人が挨拶をした。
政夫じいちゃんの弟さん、昭義さんは一通りの決まり文句を言ったあと、じいちゃんがどんな人だったかを話した。
じいちゃんは車が好きで、田舎の整備工場で働いていたらしい。おばあちゃんと結婚して、お父さんが生まれた。だけど、じきに会社は潰れてしまって仕事を探しに都会の方へ出てくる。じいちゃんはそこで定年までバスの運転士をしていた。
昭義さんの挨拶は非常に短いものだった。けれどその短い時間に昭義さんが話したじいちゃんの僅かな人生でさえ、僕は初めて知ることばかりだった。そして思う。僕はじいちゃんの何を知っていたのだろう、って。それと同時に、おじいちゃんは好きなことを仕事にできた人なんだと思った。
通夜が終わったあと、お父さんは泣きながらじいちゃんのために集まってくれた人に一人一人言葉を交わしていた。
お父さんはこう言うっている。「いい思い出はありませんが、いい親父でした」と。
お父さんは僕の知らないじいちゃんを知っている、と思った。
トイレの扉をあけようとするとさっきお父さんに代わって挨拶をした、昭義さんに出くわした。「千尋くん?」と聞かれた。びっくりした。僕は昭義さんとは初対面だったからだ。じいちゃんとはいくつ離れているのだろう?ほとんど髪の毛がなかったじいちゃんに対して、昭義さんの髪の毛は違和感なく生えている。白髪がないのはただ単に染めているだけかもしれないけれど、それを差し引いても結構若くみえる。
僕は「はい」と答えた。昭義さんに「大きくなったな」と言われた。話を聞くと僕がまだものごころつくまえに会ったことがあるのだと言う。「そのときのお父さんのはしゃぎようといったらなかったんだ」と言っていた。そのくらいお父さんは僕と楽しそうに遊んでいたらしい。
出て行こうとする昭義さんを思わず呼び止めてしまった。
僕と昭義さんはロビーの隅っこの小さな椅子に腰掛けた。昭義さんは「いい?」と僕にタバコを見せた。僕は首を縦に振った。
昭義さんはタバコに火をつける。
僕は口を開いた。
「じいちゃんはいいおじいちゃんでした……お父さん、いい思い出ないって言うんですけど……」
目線は膝にそろえたこぶしに落としている。
昭義さんは煙を吐いて、
「千尋くんのお父さんの言うこともあながち間違ってないんだよ」
そう言った昭義さんの声は挨拶のときに聞いたしっかりした声ではなく、やわらかくて、それこそ生前のじいちゃんのようにあたたかく聞こえた。こんなことを思ってしまうのは、昭義さんがじいちゃんと歳が近いということよりも、この人がじいちゃんの兄弟だからなんだと思う。
昭義さんは話を続けた。
じいちゃんは車好きだった。そのことがたたって、お給料を自分の趣味優先に使い、家庭を顧みない部分もあったらしい。じぶんのことばっかりで、おばあちゃんやお父さんの意見も聞かなかったらしい。そういうことがあって、二人には辛い思いをさせたらしいのだ。じいちゃんには自分のことしか見えず、自分が父親であることを見失っていた時期もあった。そう、昭義さんは言った。
「なんかお父さんと似てる気がします」
「まぁ親子だからな」
ふと、お父さんの言葉を思い出した。
――好きなことは、仕事にできない。
だからこんなことを言ったのだろうか。
「でも千尋のお父さんは最後にいい親でしたって言ったんだ。親は最愛の子に泣いてもらって、子はその愛に感謝している。それはあの二人がいい親子だったという証拠だ。だから私は、にいちゃんは立派に親の務めを果たしたんだと思う」
僕はただうつむいていて、相槌を打つこともできなかった。
しばらく沈黙が続いた。タバコを吸い終わった昭義さんは「それじゃあ」と僕に言って、その場を後にした。
まだ僕はその場所を動けずにいた。頭の片隅で何かをぼうっと考えていた、いや、考えたかったのだ。
好きなことを仕事にしたじいちゃんの息子のお父さんは好きなことを仕事にすることができなかったのだと思う。それはお父さんの努力云々よりお金がなかったからとか、その頃のお父さんではどうしようもない壁が立ち塞がっていたからなのかもしれない。お父さんが何で今の仕事に就いたのか僕は知らない。たぶんこの先も知ることはないのだろう。でも冷静に考えてみれば幼い頃お父さんが何になりたかったかなんて僕にはわからない。僕にはわからないことだらけだった。
確かに僕はお父さんの息子だ。でも僕はお父さんのことをどれだけ知っているのだろう。僕の気持ちなんて知らず、頑なに進路を反対し続けていたお父さんと僕は本当は大して変わらないのかもしれない。思えば二人で話したことなんてほとんどないんだ。お互いのことを知る機会がそもそもなかったのだ。
言いたいことがある。だけど心の中を色んな思いが錯綜して僕の気持ちを代弁してくれる言葉が見つからない。
それからすぐに僕はまた下宿先に帰った。翌日の告別式はどうしても外せないコンサートが控えていたからだ。
その日から今日まで、僕は家族と会っていない。
今日、帰ってきたのは成人式に参加するためだと言ったけれど、それは建前であって本音ではない。誰でもない自分に言い聞かせた建前だ。
二年生になってから成績の順位が思うように上がらなくなった。一年の冬では上から数えたほうが早かったのに、先日の試験では最下位に近い順位まで一気に落ち込んでしまった。
先生と意見が合わない、指が思うように動いてくれない、自分の思う音楽が表現できない。
生まれて初めて、僕はピアノが嫌いになった。
――好きなことは、仕事にできない。
今の僕では声を大にしてそれは違うと言い返すことはできない。僕は大学に進学して、家を出て、じいちゃんが亡くなって、いろんなことがわからなくなった。いや、いろんなことを知らないことがわかったといった方がしっくりくるのかもしれない。
幼い頃、僕は大人になるということは色んなことを知ることだと思っていた。確かに、その頃より僕の知識は格段に増えたと思う。でも、その頃よりわからないこともそれ以上に増えたのだと思うのだ。
お母さんも妹もお父さんは変わったと言っていた。そしてそれは僕が家を出たのと、じいちゃんが亡くなってしまったせいだろうと話していた。
お父さんの子どもとして生まれてもう二十年が経とうとしている。僕はお父さんのことをどれだけ知っているのだろうか。
考えた。
考えて、お父さんに一言、話しかけた。それは本当に数年振りに、僕からお父さんへ投げかけた言葉で、素直な僕のこころでもあった。
「ねぇ、お父さんは幸せ?」
本に目を落としたまま、お父さんはゆっくり口を開いた。
「おまえが楽しく生きてるなら、それで幸せだ」
そう言ってまた、お父さんはコーヒーを静かに啜った。