5話
この屋敷に仕えて十日も経つと流石にあたしも嫌気が差してきた。てかよくもったなマジでって感じだよ。
とりあえず何がウザイってあのお局が終始見張るようにあたしに付いて回るようになった事だ。そしてここはこうだ、あれがどうだ、と口やかましく指図してくる。
あたしがその事で大分イライラが募り始めていた時だ。
――ガシャァァアン。
台所で掃除していたらつい手が荒くなって、調度品のカップを割ってしまった。
「マリヤ! 何してるの!」
メイド長が両目を吊り上げてやってくる。やれやれまた説教か。
「――マリヤ……あなたこれ」
割れたそのカップをみてメイド長の顔が青くなっていく。なんだカップ一つぐらいで。金持ちなんだからそれぐらいいいだろう。
「……貴方はこれをたかがカップと思ってるかもしれないけど……これはね今は亡きメルセルク様のお父上が大事にしていたカップなのよ……」
カップの破片を拾いながら悲しそうにいうメイド長。てかそんな大事なものならこんなところにおいておくなよな。
そしてなんであんたがそんなに悲しそうにしているんだ?
「どうした? 何かあったのか?」
このタイミングでメルセルクの馬鹿が台所を覗きこんできやがった。全くなんて間の悪さだこいつ。
「旦那様……実はこれを――」
そう言ってメイド長が割れたカップをメルセルクに見せる。すると奴の顔が少しだけ引き攣ったようにみえた。どうやら大事な品だったのは確かなようだ――そしてその時、ちょっとした考えがあたしの頭を擡げてくる。
「メルセルク様。申し訳ありません。このカップはわたしめが割ってしまいました。メイド長は悪くはありません。全て私の責任でございます」
そう言ってあたしは深々と頭を下げた。この男の、人の良さは判ってる。だからこそ寧ろこういうことには敏感なはずだ。
ちらりとその顔を覗き見る。眉を顰めているのが判った。
「メイド長! これはどういうことだ!」
メルセルクの語気が強まった。全く案の定単純な奴だ。
「お待ちくださいメルセルク様! これは本当に私がわるいのです! メイド長には色々お仕事の面でも良くしてもらっております……それなのにこのような……」
あたしは最後の言葉だけを弱々しい口調で悲しげな声音で奏でた。少なくともこいつの前ではあたしは真面目(にみえるように)にやってきた。それなりに信用もされてるはずである。
「申し訳ありませんメルセルク様。確かにこのカップはわたしめが割ってしまったものです」
……はぁ? 何だ突然。何いってんだこのばばぁ。
「……マリヤはとても心根の優しい娘です。流石メルセルク様がお見込みになっただけの事はあります。だからこそわたしめに気を使ってこのような事をいってしまったのでしょう――」
そう言ってメイド長はあたしに身体を向けてきた。
「ごめんなさいマリヤ。余計な気を使わせてしまって――」
メイド長はあたしに向かって深々と頭を下げた。そして再度メルセルクに向かって頭を下げ、どのような罰でもお受けいたします、等とのたまわりやがった。
「……いや。メイド長の働きは私も判っている。この程度のことで罰など与えないよ。だからもう頭を上げたまえ」
「しかし……」
「構わないと言っている。それに普段のメイド長の働きが良いからこそマリヤも庇ってくれたのだろう。私は寧ろその事が嬉しいよ。なーに。物はいずれは壊れるものさ。だからこそ美しいのだろ。それに思い出なんてものは心の中にしまっておけば十分だ」
メルセルクも相当な馬鹿でお人好しだな。笑顔まで浮かべてそのまま去っていってしまった。
てか何だ最後の台詞? かっこいいとでも思ってるのか? とんだナルシストだな。
「さぁマリヤ。ここを片付けてしまうわよ」
……こいつもこいつだな。結局この件はなにもいわずだ。何考えてんだ? 恩でも売ってるつもりか?
そう思いつつも片付けを終えその日の仕事も終えた。
だけどあたしはどうもモヤモヤして仕方ないからお局に言ってやることにした。
「なんで何も言わないんですか?」
「言わないってあの割れたカップの事かしら?」
どうやらあたしの一言ですぐに感づいたようだ。そしてそれに対し思わず、あぁ、そうだよ、と素で返してしまった。
「それが本来のあなたの姿ね。なんとなく判ってたわ。無理してるんじゃないかって」
はぁ? こいつ何言ってんだ?
「……あなたが両親を殺された事は聞いたわ。だからもしかしてって思っていたの。あなた確かに人の前では余所余所しくしてるけど、なんとなく闇を感じるもの――」
すげーなこいつ。闇を感じるとか魔法使いかよ。まぁ話によるとこの世界にはそういうのもあるらしいが。
「きっと……恨んでいるのよね? 賊に両親を殺されて……もっと早くになんとかできなかった領主様を――」
あたしの目の前のメイド長は何か目に涙さえ溜めてきた。
「でもこれだけは判って。メルセルク様も奥様も、とてもいい人なの。領民からも慕われている。他の領地だと重税に課す評判の悪い領主も多いんだけど」
そう言って一旦目を伏せた後、メイド長が再び顔を上げる。
「私は旦那様から貴方を任されました。私にはその責任があります。あのまま貴方のやった事をそのまま伝えることは簡単でした。貴方がどう考えていようと私がここで築いてきた信頼がそんな浅はかな行為で揺るぐとは思いません。でも……それでは貴方の心はきっと淀んだままでしょう」
憂いの表情から厳しいものに一変させ、メイド長は話を紡げた。そして――
「でもね……私は貴方には見込みがあると思ってるわ。貴方はきっと自分でも変わりたいと思ってる。その証拠に今日自分でやったことに罪悪感を覚えていたんでしょう? だからこそあえてその事を私に聞いてきた」
メイド長はそこで表情を柔らかくさせた。
そして再度、
「私が貴方を立派なメイドとして育て上げます。例え貴方に嫌われてもね」
と言い切った。
あたしはその話を最後まで聞き届けた後、ありがとうございました、と告げ頭を下げた。
◇◆◇
仕事を終え、あたしは自分の部屋に戻ってきていた。
この屋敷ではメイド用の宿舎がしっかり用意されており、一人一人に部屋が割り与えられている。
領主の伯爵様の性格が良いってのはその待遇一つとっても良く分かる。
なんでもここでは領主が積極的に奴隷を買い身分を与えたりといった活動もしているようだ。
全くどれだけ人がいいんだか。
まぁでもだからこそあのメイド長もメルセルク伯爵を慕い尊敬してるってわけなんだろうな……随分とヨイショしてたし。
正直もっと領主なんて悪徳なもんかと思ったがね。本当意外だよ。
メイド一人一人にもしっかり休みを与え給金を与え、妾もとらず正妻を心から愛しているって話だ。
あのメイド長……あたしなんかに一生懸命話しながら軽く涙もためてたな。
全くそろいも揃ってなんだかなぁ。
あたしは生まれた時から最低の家で育った。
処女を奪われたのはまだ八歳の頃。しかも無理矢理実の親父にだ。
最低の親父、そして母親だった。私がどんなに嫌がっても助けにもこなかった。
しかも金遣いが荒く典型的な破滅的な糞だ。
おかげでじつの親にウリまでやらされた。
まぁでもその経験もあってか身体の使いかたは色々教わった。その甲斐あって裏の人間も落とせるまでになった。
こんな娘に育ててくれた糞な両親はそのツテで始末してもらった。魚の餌ってやつだ。
……だからこそ、そんなあたしにとってこの世界の――この領地の伯爵様も奥様もメイド長も……そう。
馬鹿にしか見えねぇ。
マジでありえねぇ。何? 家族ゲーム? 馬鹿かそんなんテレビの中でだけやってればいいんだよ。
本当お人好しもいいとこだ。あのメイド長も貴方の為にって顔が腹立つ。親切の押し売り? 余計なお世話なんだよ。
もうね本当笑えるよ。くくぅ、やべぇ面白すぎて笑いがこみ上げちまう。
流石にこの時代そこまで防音に優れてるわけじゃねぇからあんま変な声も出せねぇしな。
まぁでもおかげで色々考えさせられたよ。本当はここに住みこみながら財宝売りさばけるツテでも探してみようと思ったけど、そんな事よりこっちの方が楽しそうかもね。だから先ずは――