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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第一章・彼方にて
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06.アサド

 

 目を開けると煌々と輝く星の川が雛菊を見下ろしていた。

 それは、シャナから与えられたロフトの天窓からの見慣れた光景だ。


「……うーん……」


 雛菊はゆっくりと体を起こした。体が窮屈だと感じ、腰を捻る。じっくり自分の姿を見ると、アサドに見立て貰った緑のドレスを着たままだった。


「私、着替えないで寝てたんだ」


 寝ぼけたまま髪を掻き上げる。買物の後はどうしたのか記憶があやふやで考えがまとまらない。


 一体いつ眠ったのだろう。

 今日、夕飯何を食べたっけ。

 そもそも、何時ぐらいに帰って来たのだろう。


 色々と思考を巡らせてロフト中を見回すと、いくつかの紙袋が隅に置いてある。中を確認すると買ったばかりのドレス数点に脱いだセーラー服。


「そうだ。アサド君に家の途中まで送って貰うってなって……でも、途中で雨が降って……それで……」


 それで……?


 自問自答を繰り返し、やっと覚醒した雛菊はバッと顔を上げて身を完全に起こす。


「シャナ!」


 その名を呼ぶ。しかし、返事はない。此処はシャナの家なのに家人の姿はなかった。まるで初めての留守番を任された子供のような心細さが雛菊を襲う。

 雛菊はランプに火を灯し、ロフトにかかる梯子に手をかける。セーラー服とは違い、丈の長いドレススカートに足を取られて苦戦した。

 そういえば、雨に降られた筈なのに、身に纏うドレスが太陽の下に出して乾かしたような匂いに不思議に思う。雨に濡れたのは記憶違いだったか。そんな筈はないと頭を降り、真下のリビングに下り立った。夜も更けて明かりも灯されていない室内は静寂さが際立ち、耳に痛くも感じる。

 シャナはどこにいるのか。あれからどうなったのか思い出そうとするが、何も記憶がなかった。

 俄かには信じられないが、いつも見知った少年とは違う青年の姿のシャナがいて、たまたま知り合ったアサドという青年がシャナを敵のように追い詰めていたこと。

 そこまでは自分の記憶がはっきりしていると、自身を持って言えた。問題はその後だ。シャナが雛菊の視界に手を当てた、その後の記憶がないのだ。

 シャナの特異性を考えれば、意識を奪うような術をかけられたと考えるのが妥当だが、それが気遣いだとしても余計なお世話だと言いたかった。何も教えられない方が気持ち悪いのに、シャナは説明能力に欠けていると改めて実感する。

 今が同日の夜なのかすら分からない上、時間の感覚もない状態で一人きりなんて不安を煽られるだけだ。


「シャナ?」


 雛菊は地下にあるシャナの書斎をノックする。シャナの寝室は別にあるのだが、昼夜問わず研究に更けるので、上にいない時は大概この部屋で一日を過ごすのだ。覚悟はしていたけどやはり返事はない。


「何処にいるんだろ……」


 更に心細くなり、雛菊はシャナの寝室の扉も叩く。そこも返事はない。もしかしたら単に寝ているのかもと、念の為に扉を開いて中をランプの明りで照らす。雛菊が掃除をしているにも関わらず、埃っぽい部屋は人が寝るにはあまりにも居心地悪く、陰気臭くてつい渋面で中を見渡す。だが、その顔もすぐに緩んだ。ベッドに膨らみを見つけたからだ。

 雛菊はほっと胸を撫で下ろして布団の中を覗いた。そして、息を飲む。


「ーーアサド君?」


 シャナのベッドで眠るのは、知り合ったばかりでシャナを襲った追手の姿だった。

 何故彼がこの家にいるのだろう。まさか彼が自分を此処まで連れ帰ったのだろうか。

 シャナは一体何処にいるのか。

 アサドはシャナの追手だ。もしかしたら、シャナを倒したまま路地裏に捨て置いているのかも知れない。否、シャナを掴まえる事が目的かも知れないから、何処かの機関に突き出しているのかも知れない。

 そんな不吉な想像ばかりを巡らせ、雛菊 青くなる。

 どうしたらいいのだろうか。今此処でアサドを叩き起こして問い詰めた方がいいだろうか。

 ランプ片手にアサドが眠るベッドの傍らを右往左往して、雛菊は途方に暮れる。


「ーーぷっ」


 肩を落としたところでなにやら息の漏れる音がした。なんの音だろうと顔を上げると、いつの間に起きていたのか。立てた腕を枕に、アサドがニヤニヤと雛菊の顔を見て笑みを浮かべていた。


「いつ夜這い掛けてくれるか楽しみに待ってたのに。何してんの?」

「何って、それはこっちの台詞だよっ」


 一人悩みもがく百面相を見られた羞恥から、たちまち赤くなる顔を必死に隠し、雛菊は一歩アサドから退いて睨む。

 ベッドの上で挑戦的に胡座をかき、雛菊を待ち構えるアサド。

 束ねていた長い稲穂色の輝く髪がほどけ、向きだしの上半身の輪郭をなぞるように流れる。凝縮せれたとでもいうのか、筋肉で引き締まった肉体美に目が行くがそれ以上に引き寄せられるものがあった。


「……その体……」


 ランプの僅かな明りで浮かび上がるそれを、雛菊は目で追う。深紅の刺青がアサドの両腕から鎖骨で印を結ぶように絡みあいながら刻まれている。シャナの描く魔法陣と酷似していた。


「この体で抱かれてみたい?」

「お馬鹿。刺青とか見慣れなかっただけだもん。不躾に見た事は謝るけど……」


 ふざけるアサドに咎める視線を送り、それとは別にすぐに謝罪を挟んだらアサドは優しく顔を緩ませる。シャナに見せた一面とは違う、最初に会った時と同じ、人懐っこい笑みに雛菊は戸惑う。

 シャナを憎むアサドと、雛菊に優しいアサド。どちらが彼の顔なのか。

 シャナを探しに行きたいのに、なんとなくこのままアサドを放ってもおけない。何処にも行けず佇む雛菊の右手をアサドは掴まえた。


「少し、話をしないか?」


 迷う雛菊の心を見透かしているのか、金色の瞳が雛菊を絡み取って捕らえる。


「私、シャナを探さなきゃ……」

「シャナとの話もしてやるよ」


 何処まで雛菊の気持を察するのか“シャナ”の一言に動きを止めるのを満足そうに眺め、アサドはとどめの一言を刺す。


「シャナはきっと話してくれねぇぞ」


 ニヤニヤと人の腹を探り見つめ、掴まえる手を振り払い、雛菊は恨みがましくアサドを睨んだ。


「その誘い文句はなんか狡い」


 手は振り払えたが、チェスト近くの安楽椅子に腰掛ける雛菊に、アサドは小さく吹き出して言った。


「女の子を射止める手には長けてんだ」


 笑みを含んだままアサドは、雛菊と向き合う形で姿勢を変えた。膝に肘をついて体を屈めると、ぐっと雛菊との目線は近付く。


「まず初めに聞きたいんだけど、此処はシャナの家でいいんだな?」


 薄暗い部屋を見回し、首を傾げるアサドの問いに雛菊は小さく頷いた。


「ご丁寧にぶちのめした相手の介抱の為にアジトに招き入れたわけか。相変わらず甘いねぇ」


 ニヤニヤと。だけど心なしか嬉しそうにゴチるアサドを訝しげに雛菊は見やった。


「シャナとは、どういった関係なのか聞いてもいい?」


 単なる恨みつらみの関係ではないような気がして、思った疑問が雛菊の口をついて出た。


「……悪友、かな」


 誤魔化しでもしそうな問いにあっさりと答えられたので、些か拍子抜けして雛菊はぽかんと口を開ける。


「友達、なの?」

「嘘ついてどうする。話すつってるからにはちゃんと話すって。分からない部分はそう言うし、言いたくない話は言いたくないと答える。だから、遠慮せずに聞いていいぞ」


 口を大きく開けて豪快に笑うアサドを見て、雛菊は安堵の息を零す。

 やっぱりこの人は良い人だ。

 優しく、少しお調子者で、初対面の雛菊の買い物に強引に付添ってしまうぐらい人懐っこい人。

 少なくとも、今、雛菊に危害を加える気配もないし、アサドの独り言から察するにシャナがこの家に招いたのだから信用して良いのかもしれない。そう考えた。


「納得したならお話しない? ヒナから特に質問がないなら、俺の武勇伝語っちゃうけど」

「あ、あるよ質問!」


 おちゃらけるアサドのペースに巻き込まれ、慌てて雛菊は椅子から身を乗り出して息巻く。


「なんでシャナを追っかけるの?」

「いきなりそこか」

「遠回しに聞くなんてまどろっこしいもん」


 雛菊は息継ぎをして、噛み締めるようにスカートをギュッと握り締めた。


「私、シャナのことなんにも知らないの。なんで追われているのかとか、なんで大人の姿になるのかとか、なんで独りなんだろうとか……。シャナが言いたくないなら待とうとか思ったけど、知らないままだったら、今日みたいなことがあると、不安になるよ……」


 思いを言葉にしていく内に、雛菊はどんどん自分が情けなくなって来た。

 シャナの力になりたかった筈なのに、シャナの事を何も知らない自分に腹が立って来た。

 助けたいなんて口先ばかり。

 シャナの事を何も知ろうとはしないで、ただのうのうと暮らしていただけの自分に嫌気が刺す。


「……要はシャナの素性が知りたいのな。おし、わかった!」


 頷くアサドに相槌打ち、雛菊は息を詰めた。

 呼吸の音すら耳障りなくらい、アサドの言葉に集中して耳を傾ける。


「シャナの出自については……正直、俺にも分からん」

「ーーは?」


 あっけらかんと答えるアサドに、雛菊は口を開けた間抜けな顔を晒してしまった。


「別にふざけてないからな。マジで俺もよく分かんねぇんだ、アイツの身元とか家族とか、話したがらないっつかそんな次元でもなかったーつーか。腕のいい精霊師でさ、宮廷の雇われ精霊師ウィッカとかして拾われたところを知り合ったんだよ俺。もう十年以上も昔の話だ」

「じゅっ……⁉︎」


 雛菊は一瞬言葉に詰まった。アサドの話が本当なら、気になる点がいくつも出て来る。


「十年も昔の知り合いなら、シャナって一体いくつなの?」

「……さぁ。誰もアイツの素性は知らないんだよ。アイツ、大人になったり子供になったりするから本人にだって年齢不詳だぜ?」

「大人に……。精霊師って、姿まで自由に変えられるの?」

「まさか」


 雛菊の問いにアサドは大袈裟に肩を竦めた。


「あんな事が出来るのはアイツぐらいだ。そんぐらい凄い能力者なんだよ」


 だから野放しだと厄介者扱いなんだよな。

 小さく、囁くように呟くアサドの声が聞こえた。

 シャナを憎んでいる筈なのに、心配する声音。伏せられている黄金色の瞳も何処か憂いを帯びていて、友人を案ずる顔だ。


「シャナの姿についてはどっちが本当の姿なのか分からない。ただ、アイツは特別なんだ」

「特別?」


 いまいちシャナの凄さに実感の湧かない雛菊が首を傾げたが、それよりも息を吐いてじわりと額に汗を滲ませるアサドが気になった。薄暗い中気づきにくかったが、顔色が悪くなっているのは気のせいではない。


「具合、悪いの?」

「少しな、大したことはない。加減してもらったんであばらにいくつか皸入れられたくらいだから」

「それ、シャナがやったの? 私が気を失ってる間に何があったの?」


 痛みに熱でも帯びているのか、時々顔を歪ませるアサドに近付き、雛菊は袖口で額の汗を拭き取る。


「氷枕持って来ようか?」

「いや、いい。大人しくしてりゃあすぐ治る」

「治らないよ! 病院行かなきゃ」

「いや、マジでいらないから」


 騒いで席を立つ雛菊の手を掴み、アサドが静かな声で懇願するように言う。


「大丈夫だから、いてくれ」


 金色の瞳が切なげな色に染まるので、雛菊は腑に落ちないながらも、従う。大人しく椅子に腰を落ち着けるとアサドはなだめすかすように握ったまま、雛菊の手の甲を親指で撫でた。


「あいつが家にいないんだろ。そんな時は大体外に出てその辺の薬草とか採ってるんだよ。痛み止めとか、傷薬とかな。聞いてんかったか? 精霊師ってのは医者稼業が多いんだ」


 だから安心しろと言われて、ようやく雛菊は納得の顔を見せる。シャナが医者なのなら待てばいいのだ。

 それにしても痛みによる苦悶の表情の中でも、シャナを知ったように笑うアサドを見て雛菊は不思議で堪らなかった。

 アサドはシャナを憎んでいると言っていた。理由は分からないが、シャナがアサドの“大切な何か”を奪ったからなのだろう。しかし一方では“悪友”だと言う。どれだけ親しかったのか、アサドの口振りを見ればまるで親友を語っているように聞こえた。

 だから雛菊は聞き出したかった。何故アサドがシャナを憎むのか。シャナが何故、どんな大切な物を奪ったのかとか。


「……俺のこと、知りたいって顔してる」


 何から聞けばいいのかと戸惑う雛菊の鼻先を、アサドは指先でつっついて目を細める。


「ヒナが気を失った後、何があったかは俺にも分からん。ただ、シャナが豹変して一瞬で俺に反撃したのは確かだな。お陰で気付けば俺までベッドインだ」


 唐突に話始めた話に雛菊は困惑の色を浮かべた。


「なんの話?」

「さっきの質問に対する答え。聞いたろ?」


 アサドは飄々とそう言うが、雛菊は少し不満そうに頬を膨らませた。思い返せばそんな質問をしたばかりではあるが、会話の流れは全然噛み合ってはいない。


「自分のペースで急に答えないでよ。反応に困るじゃない」

「悪りぃ。でもさ、聞きたい事ってそれだけじゃないだろ?」


 反省の色はなく、おどけて謝るアサド。その態度が引っかからないわけではないが、アサドの言葉は雛菊の意に沿っているので怒りは沸かない。だからと言って「はいどうぞ」と言われると、目の前にある沢山のアイスのフレーバーに迷う子供のようになってしまう。


「聞きたいことはいっぱいあるよ。でも何から聞けばいいか分からないの」


 正直に明かすと、アサドは「そんなことか」と笑い飛ばし、雛菊の手を取った。


「思い浮かんだ事から先に聞きゃいいんだよ。そうだな、たとえばーー……」

「ひゃっ」


 言葉を探し、迷うふりをしてアサドは雛菊の腕を掴み、引き寄せては自分の胸に引き込み優しく包み込んでしまった。


「ちょっ、アサド君っ⁉︎」

「ハグぐらいで焦る女の子ってどうしてこう男の嗜虐心煽るんだろなぁ」

「セ、セクハラだよ!」


 腕の中でもがく雛菊を怪我人とも思えない力で押さえ込むと、アサドはにやにやとさも楽しげに笑う。


「何かに気づかないか?」

「何に⁉︎」


 突然抱きしめられていったい何に気付けというのか。

 意地の悪い冗談としか思えないアサドの行動に雛菊は抵抗するが、暴れようが腕をつっぱねて離れようと試みようが、男の腕力には敵わず簡単に御される。

 そのうちしっかりと頭を抱えられ逞しい胸板に押し付けられると、雛菊の心拍数が跳ね上がった。耳をあてられた胸に自分の息遣いと昂まる鼓動がより反響して聞こえ、羞恥に耳を塞ぎたくなる。

 一人だけ早い自分の鼓動を聞かされるなんてタチの悪い嫌がらせだと息巻いて、雛菊はふとある事に気付き、抵抗する動きを止めてしまった。

 気付いた時は何かの勘違いかと思ったが、この際は恥じらいなど捨て置いて、改めて殿方の胸に手をあてて確かめる。

 思った通りと喜んでいいのか。勘違いでなく、やはり本来あるべき音が聞こえず、驚きのあまり自らアサドの胸に耳をぴっと付けて音を探る。

 その違和感の正体を掴んだ雛菊はゆっくりと体を離した。


「アサド君ーー……」


 半ば信じられないと動揺に目を泳がせ、雛菊は笑顔を取り繕うアサドをじっと見る。


「質問は? お嬢さん」


 髪の一本一本を撫でるように優しく指で触れ、アサドは困惑に染まる雛菊の言葉を待った。


「ーー……どうして、心臓の音が聞こえないの?」


 どんなに耳を澄ましても、生命ならば聞こえて当然の振動が全く伝わってこないアサドの身体。

 触れればそこに温もりはあるのに、その源である音の無い身体に雛菊は驚きを隠せないが確信を持って尋ねる。


「……シャナが奪った大切な物は“心臓”なんだね?」


 口に出しながら、なんて荒唐無稽な話なんだとは思うが、そもそも雛菊の存在も普通ではないので一蹴も出来ない。

 何度確認して脈打たないアサドの胸から手を離すと、引き戻されるように再び抱き締められた。


「アサ、アサド君……!」

「ごめん、少しそのまま……」


 こんな風に男の人に抱きしめられたことがない雛菊は身を強張らせるが、アサドが縋るように腕を回すものだから拒み切れない。それどころか無音の胸に寂しさを感じてしまう。


「……だから、シャナが憎いの?」


 悪友と言える友人なのに、許せない理由は、かけがえのない物を奪われたらというのなら納得がいく。


「どうしてシャナはそんなことをしたのかな」


 聞いてみたがアサドが苦い顔を見せたので、聞ける話ではないと追求はやめる。


「シャナが俺の身体をこうした理由は分かってんだ。ただ、簡単に割り切るのとは違うだろ。この身体は代償がデカ過ぎるんだ。年を重ねるにつれ、歪みが浮彫りになってくるし」


 意味深な言葉に雛菊が首を傾げると、アサドは簡単にやんわりと答えた。


「歳、取らないんだよね。十年前からこの姿なのよ、俺」


 あっさりと口にするのは、重く言って傷を抉りたくないように聞こえた。


「……俺はただ普通の“ヒト”ありたいんだ。そりゃあ、若いままってのは随分魅力的だけどな、歳食ってオッサンになった俺だって違う味が出て絶対魅力的だからな。そういう気遣いはやっぱいらねぇのよ」


 明るい声で、明るい顔で、暗い事実を語るアサドに雛菊の胸が痛む。

 心臓がない気持ちなんて分かりようもないし、歳を取らない感覚も分からない。それでも普通でない身体の負担は想像出来る。

 もし、雛菊が今のこのままの姿で、家族や友達だけ歳を重ねて行くのを見るだけなのはとても嫌な感じがした。この差が将来的にどれくらい広がるかなど、不安になっても無理はない。

 彼を苦しめているのがシャナという事実もまた、雛菊の胸を痛める要因だ。


「私から許してって言える立場じゃないのは分かってるけど、あまり憎んで欲しくもないよ。友達なんでしょ?」


 懇願する雛菊の黒い瞳を、アサドはくすぐったそうに見つめ、先程よりも無理なく微笑む。


「とりあえず、シャナを一発殴ったら落ち着いた。アイツ、挨拶もなしに消えたからかなりムカついたんだよな。あとは心臓返して貰うだけだが、簡単には行かないだろうってのも分かってるんだ。此処に居候でもしながら催促してみるさ」


 だから泣きそうな顔をするなとアサドは言った。


「実際に再会してみたら、思ったより憎くないもんなんだよ。だから、残りの問題としては居候を申し出る俺に渋りそうなアイツをどうやって頷かせるかなんだが……」


 言い淀むアサドに雛菊はそれなら問題ないと明るく言った。


「それなら私からも頼んでみる。アレで結構押しに弱いから、シャナ」

「違いない」


 喋りながら普段の調子が戻って来たのか、抱き締める腰に右手を回して来たので雛菊は慌ててアサドから距離を置く。


「話は終り! 聞きたいこととかまだあるけど、アサド君、シャナに喧嘩で負けた怪我人みたいだから遠慮しとく。アサド君はまずは静養しとくこと!」

「はいはい」


 雛菊に逃げられ、手持ち無沙汰になったアサドは仕方なくベッドで横になる。


「ところで、ヒナはシャナとどういう関係なんだ? 恋人?」


 毛布を被りながら大人しくなったアサドを子供を見る目付きで見届けると、雛菊は扉を開けながら肩を竦めた。


「私は単なる異世界からの観光客だよ。ほんと、もうただの居候です」


 少し自嘲気味に笑い、雛菊は扉を閉める。


「おやすみ」

 

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