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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第一章・彼方にて
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02.シャナ

 

 今は何時くらいなのだろう。

 陽の傾きから夕刻迫る時間帯だとは思いつつ、持っている携帯電話を確認する。すると時刻は数字のゼロを並べてエラーを起こしていた。待受画面は設定していた壁紙のままだが電波状態は圏外。しかしまだそれは想定の範囲内である。

 外を見た限り、電波塔や電柱の類など近代的なものは見当たらなった。森の中の一軒家で比較対象がないので確かなことは言えないが、少なくとも家の作りは日本風ではないのは分かる。

 家の外観は木組みに煉瓦の壁に、木製瓦の赤い屋根とドールハウスのような可愛らしい造りだ。庭……という敷地の区切りはなかったが、家の裏手にはには井戸もあり、その脇には薪を置く倉庫もある。しかし肝心の薪は湿り気を帯びていた。


「異世界というより、外国に来たみたい。海外旅行したことないけど」


 そんな感想をひとりごちる。


「ふむ……」


 本だらけの家内を眺めて雛菊は立ち上がった。勝手とは思いつつ部屋の動線を作りながら、部屋中を見回した。

 雛菊は改めて考え、此処は何処なのだろうと少し不安を覚える。

 この家には生活感がない。シャナ以外の人の気配もない。家の外は森。熊でも出るんじゃないかと思わせるくらい、木々に覆われた深い木々の中にある。

 緑豊かで落ち着いた場所だが、人が独り暮らすには淋しいと思った。


「あ、お湯」


 シュンシュンと蒸気を上げるポットをどかし、雛菊は慌てて火を掻き消す。

 家事仕事は得意で台所作業は好きだけどこの家にはシステムキッチンがない。

 石造りの炊事場に、小枝や木屑の点火台に火種を燃べて火を起こさなければいけない。火の調整は難しいが、ライターのような簡易の着火装置は見つかった。近代的な発展がないわけでもなさそうで、文明の水準は判断に困るところだ。

 それでもやはり不慣れもあって不便さが目立つ。そこがやはり今までと環境の違いを実感させられた。


「……起きたらお茶とか飲むかな」


 加湿も考えて沸かしていたポットのお湯をティーポットに注ぎ、戸棚で見付けた茶葉を入れる。缶に記載の文字は読めない。匂いからして大丈夫だろうと判断した。試しに注いで飲んでみると紅茶のような仄かな甘さがした。


「我ながら図々しいなぁ」


 カップの中のお茶の波紋を眺めて呟いたが、実際あまり気に留めていない自身がいた。そう思えるのは此処が元の住む場所とは全く異なり、普通なら有り得ない体験を経て此処にいるから肝も座って図太くなっているのかもしれない。気分はすっかり住人気取りだ。

 とりあえずカップ片手にまずはシャナの様子を見ようと振り返った瞬間、ベッド代わりのソファーから半身を起こしたシャナと目が合った。

 いつの間に意識を取り戻したのか、予想より早い目覚めに動揺して曖昧に笑みを浮かべるしか出来ない自分が歯痒い。

 水に赤い絵具を溶いた様な透き通る緋色の瞳が、訝しげに雛菊を見つめている。


「……君、誰?」


 簡素で簡潔な質問。

 小さな少年は、見知らぬ少女を警戒するように距離を置く。まだ体調は優れないだろうに、無理をして虚勢を張っているのが見え見えだ。


「ーー雛菊。私の名前は久遠雛菊くどうひなぎくだよ、シャナ君」

「は?」


 何故自分の名を知っているのだと言いたげな正直な表情に、雛菊も困ったと頭を掻く。


「私だってホントのところは分かってないんだけどね……呼ばれたんだよ。ほら、ファンタジーにある召喚って言うの?」

「呼ばれた……? 誰に」


「君」と無言で自身を指す雛菊を見て、シャナは眉間に縦皺を刻む。明らかに警戒の色を濃くして首を振った。


「僕は君を呼んでいない」

「呼んだよ! 君がずっと私の夢に出ていたんだから、絶対に君が呼んだんだよ。私は君に呼ばれるまま虹の麓の扉を通って来たんだから……!」

「そんなわけない。そもそも僕は君なんて名前すら知らなかったのに、どうやって呼びだせるんだ。だいたい僕が呼びたかったのはーー……」

「呼びたかったのは?」


 復唱し、首を傾げる雛菊にシャナはぐっと息を飲んだ。何かを言おうと口を開くが、吐き出さない。

 根気強くシャナの言葉を待ち、雛菊はひたすら視線で訴えて待った。沈黙の時間は長いのか短いのか、時計のないこの部屋では十秒も一分匹敵する。まるで根比べのような睨み合いの末、先に折れたのはシャナの方だった。


「ーーゴメン。間違えたんだ。僕は失敗したんだ……」


 やっと届いた言葉は、雛菊を失望させるには充分だった。先を促したのは確かに自分だが、こんな答えは期待していなかった。

 今にも始まりそうな舞台の幕が急に降ろされた、そんな感じだ。


「確かに僕は召喚術を試みた。だけど呼びたかったのは君じゃないんだ……だからーー」

「私、帰り方は分からないよ?」


 だから、とシャナがその後に続く言葉を遮り、雛菊は睨みを利かせる。


「“帰ってくれ”って言うつもりなら先に言うね。私、帰り方なんか分からない。現れた扉を通っただけで、どうやって来たのかなんて説明つかないし、その扉だってもうないんだから帰りようがないんだよ」


 シャナが困惑した情けない顔を浮かべるのを見て、畳み掛けるように早口で捲くし立てた。偉そうにふんぞり返って言う台詞ではないが、雛菊は強気で主張する。シャナの言葉には失望したが、帰り道がない今は起きてしまった状況を認めて貰わないと雛菊が大いに困るのだ。


「でも……僕も、帰す方法なんて知らない……」


 シャナも食い下がる。見知らぬ衣服に身を包んだ、見知らぬ少女に戸惑う気持ちは分からないでもない。逆の立場なら雛菊だってそう答えるだろう。


「だけど、間違いでもなんでも君が責任を取る必要はあるよね? 君が私ではない誰かを呼ぼうとしたのは事実なんだもの」


 それでも先に覚悟を決めていた雛菊の方が一枚上手で、有無も言わさぬ笑顔を必要以上にシャナに向けた。きっと相手には笑顔の脅迫に感じたに違いない。

 “まさか自分の失敗の尻拭いもせず、女の子を路頭に迷わせたりする気じゃないよね”と、雛菊の瞳は語りかける。


「…………」


 シャナの暫しの沈黙。何かを思案するように右手を顎に添え、押し黙る。時々チラリと雛菊に視線を送っては悩むように唸った。体感時間で数分間、やがて、重たい息が漏れ出した。


「仕方ない。まず君の事情を聞こう」


 その一言で雛菊の顔は明るくなり、いつ握りしめていたのか忘れた脅迫用の麺棒を放り投げた。床に転がる麺棒を見送り、シャナはまた一つ溜息。

 これは路頭に迷う少女を同情してではないのだとは自覚している。

 選択のない選択を迫られ、雛菊の存在を受け入れざるをえなかっただけなのだろう。それでも責任を放棄しないシャナが雛菊には嬉しかった。自分よりも年下の少年に頼るしかないのが情けなくもあったが。


「厄介な事になったなぁ」


 ポツリと零したシャナの声を、とりあえず居座ることに成功し浮かれる雛菊は聞かないふりをした。




 * * * * *


 掘り出した暖炉に薪を焼べ、パチパチとした音と炎の匂いを新鮮な気持で眺めながら、雛菊は飲み干した空のカップを本と文書が積まれたテーブルの隙間にゆっくり戻す。


「私の話はそれだけだよ。昔から同じ夢を見ていて、なんとなく予感を感じながらその日を待ってただけ。今朝になって突然扉が現れたから勢いに任せただけなんだ」

「ふーん……」


 聞いているのかいないのか分からないような返事をし、シャナは羊皮紙に羽ペンで何か書き綴っていく。何を書いているのか雛菊はこっそり覗くが、何処の国とも分からない文字だった。おそらく茶葉の缶に記載された文字と同じ言語だろう。

 どういった作用か、多分使っている言葉が異なるこの世界において、雛菊はシャナとの会話に不自由せずにいられている。それでも文字の翻訳までは対応されてはいないようだ。


「僕の夢を見続けるなんて気味が悪い話だ。君はその夢を十年以上も見てたんだよね、ヒナギク」

「そうなの! 最近の夢でシャナの名前も分かったんだよ」


 名前が呼ばれて嬉しかて、雛菊はつい椅子から身を乗り出して大きく頷いた。


「どうにも不思議な話だ」


 興奮する雛菊を一瞥し、シャナはいやに落ち着いた態度で机に肘をつき頬杖をかく。

 はしゃぐ十六歳の少女と、落ち着いた十二歳くらいの少年。なんともおかしな絵図である。一応シャナの年齢は聞くには聞いたが、微妙な顔で濁されてしまい、結局のところシャナの素性はよくわからないままだ。

 しかし、その疑問は相手にも言えた話だった。


「ーーところでさ、結局、君は何者なんだい?」


 話をまとめに来たか、真剣な面持ちでシャナは机に身を乗せた。

 シャナには真面目な質問かも知れない。だが、雛菊にとっては素頓狂な質問でしかなく、瞬きを何度となく繰り返し首を傾げる。


「何者って、そんな大袈裟なものじゃないよ。ちょっと不思議な夢を見ていた普通の女子高生だよ」


 普通、雛菊のいた世界、日本ではそんな時代錯誤的な質問は飛び交わない。それに着ているセーラー服を見れば誰だって学生だと分かってくれる。

 そこで雛菊は改めて気付くのだ。此処での自分は何も身分を証明するものがないことに。

 途端、少しだけ不安を覚えた。シャナはシャナで雛菊の‘女子高生’という単語に頭を捻っている。


「……私の存在って、危ういとかなるのかな」


 例えば不法滞在になるのだろうかと、そんな不安を抱いて雛菊は尋ねる。質問を投げ掛けられたシャナは、雛菊の入れた温くなったお茶を一口飲んで、悠長にカップを両手に包み、その中をじっと見つめてからゆっくりと口を開いた。


「……多分、それはないよ。君が普通のヒトなら、別に異世界から来ようが関係ない。たーー……」

「ただ?」


 途中で言葉を途切るシャナに、雛菊は続きを促す。


「君……精霊師ウィッカだったりする?」

「ウィッ……カ……?」


 聞いたことのない単語に雛菊は即答で首を横に振った。


「ウィッカって何?」

「精霊師も知らないのって、当然か。君がよその次元から来たなら色々法則が異なっても当然か……」


 ぶつぶつとシャナはひとりごちて、納得した顔をする。


「精霊師というのは、自然界のあらゆる精霊と契約を交わし、その力を引き出して現世に顕現させたり、力その物を道具に込めたり、時には精霊そのものの主となって使役する者の総称だ。君が僕の名前を夢の中で何者かから聞いたと言うから、精霊の力を借りる精霊師だと思っただけだよ。僕の勘違いなら別にどうでもいいんだけどね」


 それだけ確認したかったんだと言うと、シャナは椅子の背もたれと自分の背中に挟まる長い髪の毛を鬱陶しそうに掻き上げ、一気にお茶を飲み干した。


「ウィッカだとマズいの?」


 懸念して尋ねると、シャナはただ無表情にカップを机に置いて肩を竦める。


「別にまずくはないさ。でも、精霊師は誰でもなれるものじゃない。この世界に循環する精霊の声を聞き、理解し、交流が出来なければならないんだ。その度合いにより、薬師止まりの精霊師もいれば才能故に戦争に駆り出される精霊師もいるから……」


 もし知らない世界で戦争に駆り出されるなんて嫌だろ?

 最後にそう続けて、シャナはまた羊皮紙の文字と向き合うのだった。

 ーー戦争。

 雛菊にはこの二文字が重くのし掛かる。世界が違えど、それは存在するのだと思い知らされた。今、自分がいる世界はお伽の国ではなく、何処かに存在している“現実”なのだとも。


「シャナ、私も、一つ聞いていい?」


 羊皮紙に向かうシャナに聞くと、「何?」と視線も上げずに先を促される。人の話を文書を読みながら聞くシャナの態度は気に食わないが、雛菊は仕方なくその不満は飲み込んだ。


「私は、君のこの家にお邪魔してもいいのかな?」

「……間違いとはいえ結果的に僕が招いたんだ。責任は取らないといけないだろ?」


 凄く面倒だけどとつけ加え、シャナは視線を雛菊に移す。


「この家にある物は好きにして構わない。部屋も適当に空いてるのを使ってかまわない。生活資金は多分そこらにまとめておいてあると思うからそれでどうにかしてよ。僕は今からまた眠る。こんなに人と話したのは久しぶりで疲れた」


 さっさと処理を済ませたかったのだろう。一気に捲し立てると、シャナは羊皮紙と本を数冊抱えて席を立った。そのまま地下に潜るので、当然残されたのは雛菊一人だ。

 まるで初めて留守番を任されて置いて行かれた子供のように、心許無い不安が襲う。けれどそうも弱音を言ってられない。


「よし! じゃあ私は私でこの家の掃除からやりますかっ」


 気合を入れて立ち上がり、雛菊はとにかく目の前に積まれた本の山と対峙して睨みつけた。

 そもそも、好きに部屋を使っていいと言われても休める場所などこの家にはないのだ。

 表向き平屋のこの家は台所、浴室こそ区分けしてはいるがリビングが(本を除けば)広々と陣取っているワンルームの間取りである。地下には個室らしい扉がいくつかあったがそれも本で遮られ、現段階では不可侵の領域だ。


「ひとまず今夜はこのソファーで寝れるようにして、残りは明日にでも考えようかな」


 楽観的とも取れる前向きさが自分の長所だと思っている雛菊は、明るく呟く。

 何も考えず飛び込んだ見知らぬ世界。間違いだとは言われたけれど、何かの為に現れた扉に意味がないとは思えなかった。ならばどうして自分だけにしか開けられない扉だったのか。

 もしかしたら何かの役目があるのかも知れない。シャナも気付いていない理由があるのかも知れない。

 シャナには間違いで雛菊など単なる厄介者だろうと、雛菊にはシャナが始まりだ。


 会いたい。


 シャナの為に何かしたい。


 それが昔からの願いだった。

 雛菊を突き動かすものがどこから来ているのかは疑問だが、それに根拠などない。

 帰る方法が分からないのも不安だが、何もしないで帰りたくはない。かと言って何をしたらいいか分からない。何処を前に進めばいいのか分からない、八方塞がり。

 けれど雛菊は立ち止まらない。今、自分が出来る事をやるだけだ。そこにある道を前と信じて進むだけだった。

 さしあたっては掃除だ。所帯臭いと友達に笑われもする気質だが、これが唯一、今の雛菊が出来ることなのだ。

 現にシャナの家は立派な割りには荒れ果てている。とても人がまともに暮らせる状態ではない。

 今までどのように生活をしてきたのだろうか。シャナの家族はどうしているのだろうか。

 そんなことも考えるが、本人に聞かないことには分からない。聞いても年齢のように濁されるだけかもしれない。だが、そんな疑問より、やはり、この荒れた生活の改善が今の自分に出来ることだと雛菊は信じて動くことにする。


「箒……雑巾……」


 こんな荒れた部屋で掃除道具の存在も怪しいのだが、掃除機よりは期待出来る。

 洗剤や漂白剤はあるだろうか。当たり前にあった物が当たり前にあるとは思えない。こんな事もあろうかとおばあちゃんの知恵袋を頼りに生活の知恵を出来る限り学んでいた甲斐があるというもなだ。まさかすぐに生かされるとは想像していなかったが、一途に信じ続けて報われた気がする。


「あった。アレかな、箒」


 見つかったのが奇跡的だが、やはり使われた形跡はない。ゴミや蔵書、文書の山から突き出た木の棒を強引に引っ張り出して穂先を見て雛菊は溜息をこぼした。

 ふと、目線を落として気付いたのは箒を引き抜いた隙間から覗く、チカチカと光るもの。


「なんだろ」


 ついでに物の仕分けをしながら周りを広げていく。呆れるくらいの蔵書物。リビングの殆どの壁は本棚で埋まっているが、無事収まるだろうか。思い悩んだって仕方ないから、とりあえず怪しく光る場所の堆い本をまとめて数十冊、一気に手元に引き寄せる。


「ーー……んー?」

 そして、現れた光の正体。


「金貨……?」


 散らばるそれを一つつまみ上げてよく見る。

 誰かの横顔が刻まれた光るコイン。裏には読めない文字と何かの花が彫られていた。

 もしやこれがシャナの言っていた生活資金だろうか。

 見慣れないお金に少しわくわくしながら、雛菊はその金貨を握りしめる。


「ん?」


 一枚取ればまた一枚、床に落ちている金貨。本を除けば除くほどざくざく出てくる金貨。

 一体どれだけあるのだろう。昔話で埋蔵金を掘り当てたおじいさんもこんな驚愕を覚えたのだろうかと言うくらい、金貨が袋いっぱいに集まった。量にして雛菊の持つスクール鞄から溢れるほどだ。


「うわあ……」


 雛菊にはこの世界のお金の単位は分からない。だから、この金貨の山がおおよそ日本円でいくらと換算することも出来ないが、はした金額じゃないくらいはいくらなんでも分かった。


「……何者なんだろう」


 改めて抱く、シャナへの疑問。

 まだ始まったばかりの物語に雛菊は胸が高鳴るのを感じた。


 

 

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