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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第三章・玉響に咲く花
17/61

02.王と騎士

 

「アサド様、ですから私もご一緒に……! ああ、でも持女の案内の命も受けたし……」


 国王と王子から二つの命を受けたランフィーはどちらを優先させるか迷いながら右往左往していた。

 そう困るほどでもないだろうに、まだ城仕えを始めて日が浅いのかもしれない。歳相応の表情を垣間見たシャナは、仕方がないと年配者として判断に手助けを入れる。


「十年振りの親子の再会を優先すべきでは? あなたはワタシが勝手に城内を徘徊せぬよう言われた場所へ先導したらいいんじゃないですか」


 表向き少女の身分であるシャナの、女を演じる上で屈辱ではない程度に発せられた柔らかい言葉だった。そんな助言にランフィーは恥ずかしそうに眼鏡を人差し指で押し上げ、顔をしかめて頷いた。


「これから案内するのは我が国の騎士団元帥の総司令官室です。肩書きで堅苦しい印象を受けますが、まぁ……あまり緊張しないで下さい」


 なんとも言い難い表情を見せるランフィーの横顔にシャナはぼんやりと昔の記憶を引っ張り出す。

 ランフィーは宮廷精霊師だ。同じ宮仕えでも騎士団とは管轄は大きく違い、国防の要の元帥に一精霊師が直接取り次げる権限はまずない。たしか彼の姓はアル・キーバだとまで思い出し、一人納得した。

 十年の歳月は人の姿を大きく変えるものだと、今更の自然現象をすっかり忘れていた。



「――そんな訳で、同行したセラフィムの御付きというシャルーン嬢をアサド様の命によりご案内を差上げた次第でございます」


 事の経緯を不服そうに報告するランフィーを尻目に、老女は薄く色の付いた眼鏡のレンズ越しから修道女みたいな質素な濃紺のドレスに身を包んだ少女に目が釘付けだった。


「“はじめまして”。貴方がアーシェガルド国が誇る白荊騎士団の団長であり、参謀長官のチェリウフィー・ティール・アル・キーバ様でいらっしゃいますね」


 心なし“はじめまして”を強調して、シャナこと少女Aシャルーンは小さく頭を下げて目の前の女ににこやかに挨拶をした。

 シャナの隣りに立つランフィーには見えない。にこやかに挨拶をする彼女(彼)の瞳が凍り付いたように微塵も笑っていないことを。

 まるで殺気すら孕んでいる視線を正面から受けた老女――チェリウフィーは鬼気迫る状況を感知したか、一瞬引き吊った口端をすぐに引き締める。おそらく書斎の影で我が身の太股を思い切り抓って込み上がる笑いを回避したのだろう。白々しい態度にシャナは一層自分が情けなくなる。


「これはこれは、こちらこそ“はじめまして”。紹介に預かったばかりだがお宅の主が用を済ませて戻るまで私とお茶でもいかがですか? 可愛い“お嬢さん”」

「それではお言葉に甘えさせていただきます」


 チェリウフィーは目尻の皺を更に深く刻み、さも楽しげに笑い、その反応にシャナは笑顔を歪めて案内されるままソファーに腰掛けて足を組む。少女らしい体裁を細かに繕う気はなかった。


「おばあ様! 呑気にお茶する暇などあるのですか?」


 軽い咳払いでわざとらしく自分の存在を強調したランフィーが二人の間に割って入り、チェリウフィーが仰々しく手を広げる。


「ババアとお呼びでないよ、ラン。たく、これでもあたしゃアンタより遥かに偉い上司になるんだからね。これ以上口やかましいと、アンタの部下にベッドの中に隠しているぬいぐるみの秘密とかバラしちまうよ」

「そ、そんな物いつ見付けたんですかっ!」

「伊達にアンタを十七年も見てないさね。ほれ、分かったら此所は“女同士”に任せてお前はレオニス坊やにさっさと報告にでも行っちまいな! さもないと――」

「行きますよ! 言われなくとも行くところですっ」


 過去をよく知る厄介な身内ほどいない。

 ランフィーは苦虫を噛み潰したような顔をして、チェリウフィーが占拠する執務室から出て行った。

 足音が遠ざかり、人気がない事を確認したチェリウフィーは、さてと零して専用の安楽椅子に悠々と腰掛ける。

 長い紐が編み込まれた革製のロングブーツを履いた足を組み、肩に羽織った真紅のマントを背もたれにさらりと流す姿は実に優雅の一言。外見はとても軍部のトップに立つように見えないのだが、実年齢よりも遥かに下に見えるくらい若い生命力を放っていた。


「――で、お茶は出さないの?」

「飲みたいならそこにあるから勝手に入れな。ついでにあたしの分も」

「…………」


 言われて従う素直さを持ち合わせてはいないシャナは、だんまりと腕を組んでチェリウフィーを睨む。

 よくよく見れば皺の数は十年前より色濃くなっているが、彼女自身の活力ある生気は損なわれてはいない。シャナの記憶違いでなければ彼女は齢八十も達しているのだが、まだ騎士として現役を続けている彼女に感心を通り越して呆れを覚えた。


「さっさと引退して若い奴に席譲ればいいのに」

「イイ男と一緒じゃない限りあたしの死に場所はベッドじゃなく、戦場と決まってんのさ」


 シニカルに笑い、チェリウフィーは懐から出した葉巻に火を付ける。


「それにしても、まさか宴会芸を披露しに此所に舞い戻るとは思わなかったね。実は何だかんだでソッチの気があるのかい? シャルーンよ」

「誰がだよ。アサドと君以外にはこの姿で正体がバレないんだからやむをえずだよ。でなきゃ誰が好き好んでこんな屈辱……」

「へぇ。それじゃあ、アンタが誰の為にそこまでするんだい? まさかアサドの為じゃないだろう? 女かい?」

「別にチェリウの思うような艶やかなものじゃ……」


 チェリウフィーは瞬きをしてシャナを見た。まるで仰天したような視線にシャナは困惑する。否、彼女の方も驚いていたのだ。


「からかったつもりが否定しないなんて、まさかホントに女絡みだったのか?」

「だからそんな意味ないんだって!」


 思わず赤くなってシャナは反論をしたものだから、まるで説得力を持たない。それこそチェリウフィーは面白そうにからかう。


「なんだい、シャナ! アンタわざわざ女装までして嫁を紹介しに来たのかえ!?」

「だから君はどうしていつも人の話を聞かないんだ! 十年経っても何も変わらないんだなっ」

「なら――そういうアンタは変われたのかい?」


 戯れあいが一転、チェリウフィーは突然声音を低くした。

 真意を探るような厳しい眼差しを向け、チェリウフィーは葉巻の煙を吐き出す。ほんのり甘ったるい臭いがシャナの肺に落ちてやけに心地が悪かった。


「人の中身がそう簡単に変われると思うかい? 僕はただ僕が喚んだセラフィムを死なせない為に連いて来ただけなんだよ。成り行きだよ」


 自嘲気味にシャナは答える。

 チェリウフィーはその答えに少し眉をひそめ、その後何処か憐憫を持ってシャナを見た。


「馬鹿だねぇ。アンタら、ニタムの事件からおかしくなってるよ。あたしの知らないところで何があったんだい」


 チェリウフィーの問いにシャナは答えず、ただ肩を竦めた。


「僕のおかしいは今に始まった話じゃない。――ところで本題だけどプレヤードジオンが見付かった件なんだけど、一体何処で見付かったの?」


 これ以上は話す必要はないというわざとらしい話題転換にチェリウフィーも追求は諦める。ただ一息、物言いたげに最後の煙を吐き出して葉巻の火を潰し消した。


「……匿名であたしに届いたんだ。狙いが誰かは定かじゃない。アサドの消息が掴みたかったのか、それともその繋がりでアンタを狙ったのか分からないが挑発行為には違いないだろう」


 そう言うとチェリウフィーは席を立って机の引き出しから取り出した書状を粗雑にテーブルに投げ置く。それを手に取りシャナは中に目を通すが、送り主の名など何処にも記載はない。


「売られた喧嘩を買ったのか」

「あたしは仲介人さね。買うか買わないかはアサド次第だろう」

「そう言っといて、買って欲しいから孫を使って呼び寄せたくせに。ランフィー、大きくなったね。最初は気付かなかったよ」

「そんだけアンタらが勝手した時間が経ってんだ。あと正確にはひ孫だ」

「そうだったけ。ところで君が変わらないのはなんでなの。腰一つ曲がってもいない」

「こっちのセリフだ。何年経っても毛の生え揃わないガキのまんまのアンタ見てたらあたしなんか足元に及びやしない。ま、今更なんで驚きやしないがね」


 チェリウフィーの皮肉に開いた封書を丁寧に封筒に戻しながらシャナは微苦笑。


「言い訳もないよ」

「暇だったよ。アンタらのいない十年は」


 チェリウフィーが感慨に耽って言うものだからシャナは照れ臭そうに口を真一文字に結んでそっぽを向く。

 丁度その時、執務室の扉に渇いたノック音が響いた。


「チェリウ、入るぞ」

「――どうやらもう一人の勝手な人間が来たようだね」


 ドア越しに通る声を耳にチェリウフィーが腰を上げて言った。



 * * * * *


 チェリウフィー・ティール・アル・キーバという人物については、剣の師匠でシャナを含めた酒飲み仲間でシャルーンの正体を知る信頼の置ける人で、ランフィーの曾祖母だと事前にアサドから道すがら聞いていた。

 アサドの剣の師匠が女性というのにも(アサドが剣を使うこと、ランフィーの曾祖母という事を含めて)雛菊はまず驚いたが、なによりも彼女が齢八十にして現役の騎士団の長であることに驚いた。実際に会って目を丸くもした。

 チェリウフィーはとても老体とは思えぬ程背筋がぴんと真っ直ぐ伸びていて、髪も白髪混じりとなってはいるが背中に編んで流した灰色っぽい長い髪でさえも優雅に映える。皺が刻まれた顔からでも若い頃は美人だというのは想像に難くない。


「会うと驚くから覚悟決めときなよ」というアサドの前置きもあまり意味がなかった。

 執務室の扉を開けた瞬間、「この馬鹿弟子!」と叫んで躊躇なく投げナイフを眉間を狙って飛ばされ、それを寸でで避けて不様に尻餅ついたアサドを見て驚くなという方が無理な話だ。

 正直、その直後の彼女と目が合った時は寿命が五分が縮んだ気がした。


「おや、アンタが噂のセラフィムかね」


 けれど雛菊に向けられた笑顔があまりに女性的に柔和だったのですぐに丸め込められるのである。

 これが雛菊によるチェリウフィーとの出会いの話だ。


 そして今はその約十五分後。

 それぞれがその場に適当に腰掛け、雛菊が淹れたお茶を口にしている所である。

 皆一様に黙してお茶を飲み、出だしの勢いがまるでない。

 それぞれが適当に座る中、視線だけはテーブルの中心のソレにあった。

 チェリウフィーが見せた手紙と、一緒に同封されていたという指輪が蜜色の光沢を放つ。

 どこかで見たようなデザインの指輪だと首を傾げながら雛菊は他の面々の顔色を窺う。

 シャナとチェリウフィーは複雑な面持ちでそれを眺めるが、明らかに機嫌が悪くなるアサドが雛菊には珍しい光景だった。


「ふざけやがって。今更これを突っ返して何のつもりだ。俺に何か用でもあるのかよっ」

「みっともなく取り乱すんでないよ、馬鹿弟子が。相手の目的なんぞこの段階で知れる情報がないからアンタを呼び寄せたんじゃないか。シャナとセラフィムまで釣れたのは嬉しい想定外だがね」


 苛立たしげに貧乏揺すりをしながら声を荒げるアサドに、チェリウフィーは腰元からナイフをちらつかせて脅して宥める。


「目的が分からないなら探る。君の目的はプレヤード・ジオンを取り戻す事じゃない筈だろう?」


 シャナにも冷静に諭させるとこれ以上息巻く自分の方が本当にみっともなく思えたか、アサドは大人しく閉口した。


「今んとこ犯人の唯一の手掛りがこの手紙一通になる訳だが、そこであんたの特技を活かして欲しいんだよ」


 怪しく微笑うチェリウフィーを訝しげに見上げ、差し出された手紙をアサドはもそもそと鈍い動きで受け取る。


「あたしでも微かに感じたんだから、鼻の利くお前なら分かるだろう? ふみに残る匂い……何だと思う?」


 挑発する目付きでまるでアサドを試すようにチェリウフィーは言った。焚き付けているつもりなのだろう。

 アサドは少し拗ねた顔で手紙を手に取り、注意深く匂いを嗅ぐ。途端、記憶に覚えがあるのか目の色を変えてチェリウフィーを見据えた。


「リリィローサ」

「やはりか」


 チェリウフィーはほくそ笑む。その傍で気になって雛菊も自分で手紙を手に匂いを嗅いでみるが大分時間の経った手紙の残り香は全く嗅ぎ取れなかった。


「初め届いた時、微かに薫ったんだが間違いなかったか」


 ふん反り返り、椅子に深く座り直すと満足そうにお茶を飲む司令は首を傾げるだけの雛菊に目をやった。


「あぁ、リリィローサは貴族しか栽培を許されない花だよ。ま、一般階級には楽しめないように高尚な趣味として楽しみたい見栄っ張りが決めた因習さね」


 カップをソーサーに置いた丁寧な説明に雛菊は成程と頷く。話に取り残されて、余程退屈という顔をしていたのだろう。チェリウフィーは何かに気付いて眉を潜める。


「……ヒナって言ったかい嬢ちゃん。もしかしてあたしらの言ってる話、何も知らないとか?」


 話題に全くついて行けていない不満な様子に気付いたチェリウフィーが雛菊の相槌を見た後シャナとアサドを睨む。


「アンタら、まさか事情の一つも話さずこの子を連れて来たのかい」

「何も聞かずに此処に来ると決めたのはヒナギクだよ」

「それでもだ! 娘がホントにセラフィムなら何が起こるかはアンタ達なら分かるだろうにっ」

「だから僕がわざわざいるんだろ」


 剣幕を立てるチェリウフィーに対して真っ向からシャナはさも当然のように答えた。あまりに自信たっぷりに言うものだからチェリウフィーも切り返しに詰まる。


「それに、ヒナギクに話すかどうかはアサドに委ねるべきだと僕は思う」


 そしてシャナは何も言わない。何事もないように平然とお茶をすすった。


「――アサド君、私、アサド君の事情に何か関わる? 話、聞いてもいい?」


 シャナが事情を口にしないのはアサドの意思を優先するからだ。それならと雛菊はアサドの方を見る。アサドは一瞬顔を曇らせてチェリウフィーに視線を送るが、老婆は話せと視線で威圧して従わせる。


「……ヒナと二人で話させてくれ」


 観念したのか、息を漏らすような困り顔で答えてアサドは席を立つ。それから雛菊に向かい、顎でテラスに出るよう示唆した。


「すぐ行くから」


 先に外に出る雛菊にそう告げて、アサドはテーブルに置いていた琥珀色の石の指輪を手に取りチェリウフィーを見る。


「貰ってくぞ」

「好きにしな」


 チェリウフィーは煙管を取り出し女を待たせるんじゃない、と犬を払うように左手を振った。外では雛菊がテラスの柵に体を預けてアサドを待っている。セーラー服の短いスカートが風に揺られ、覗く太股ばかり思わず視線が行きそうになるが、そこは気を引き締めて軽く咳払いをするとアサドと目が合った。


「俺に委ねるってのは、そーゆー意味として捕らえるぞ」


 意味深な言葉にシャナは素知らぬ顔で軽く手を振り、早く行けと合図する。躱す反応にアサドはふんと鼻を一息鳴らしてテラスへと出た。

 その後ろ姿を見送り、チェリウフィーは悠然とお茶を飲むシャナを見る。


「あの娘はお前のジオンじゃないのかい?」


 チェリウフィーの問いにシャナはカップをソーサーに戻した。飲み干したお茶の底が渋くて、顔を若干しかめてしまう。それも逆に好都合だと、渋面をお茶の所為にしてしまう。


「アサドのジオンだ」


 端的にそれだけ答え、シャナはソファに身を埋めた。


「僕は長旅で疲れた。この後の事についてはアサドとヒナギクで決めて貰うよ。僕は少し、寝る」


 そう言って、シャナは伸びた長い髪を少し煩わしそうに顔を伏せ座ったまま寝に入る。まるで不貞寝の様にチェリウフィーは軽く舌打ちした。


「めんどくせー奴」


 そんな彼女の独白にシャナは聞かないふりをした。


 

 

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