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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第二章・一つ屋根の下
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04.泥かぶりの花

 

 もしかすると自分には秘められた力があるのかもしれない。

 まるで物語の主人公のように。

 そんな希望と期待に胸を膨らませて確認をしようと意気込むも、一向に私室から姿を見せないシャナに雛菊は頭を抱えた。

 元々引き籠もりがちではあるが、雛菊が得意のプリンを餌にしてもうんともすんとも言わず、その扉は天の岩戸よりも重い。返事を待たず強引に開けノブに手をかけるも固くて動かない。シャナの事だから不思議な力を施しているのだろうと嘆息ついた。

 そうこうしている内に話を聞けずじまいのまま日も暮れ、やる気は空回りした雛菊は無駄な疲労感で長椅子にくったりと伸びる。足元に無造作に転がっているドアノブが疲労の原因を物語っていた。


「二人きりの方が話易いだろ?」


 アサドはそう言って今夜は町に下りている。日暮れ前に明けた雨で閉じこもっていた憂さを晴らそうと飲みに出たのだ。いつもの調子ならそのまま外泊コースだろうと踏んでいる。多分、普通の外泊ではないことくらい薄々勘付いているが、詮索は野暮であると雛菊も承知だ。年子の兄を持つ身であるが故に、男の苦労に理解はある方だと自負していた。――流石に兄の大地は未成年故に赴かない場所ではあるが。


(それにしても立ち直りが早いことで)


 昼間しおらしかった人が、日が変わる前にはこの調子だ。

 雛菊はアサドの前向きさには感心すら覚えた。シャナも少しぐらい見習えばいいのにと思う。

 シャナがもう少し明るい性格であったなら、此処まで徹底して避けられることもなかった筈だ。

 アサドに聞いてもシャナが雛菊を避ける明確な理由は分からず、「セラフィムを前に緊張してんじゃねーの」と、適当な事しか述べない。全く役に立たない推測に雛菊はシャナに話を切り出すタイミングについても考えあぐねていた。正面から尋ねても答えてくれない可能性の方が高いからだ。


「皆、非協力的なんだから」


 少々不機嫌に零し、雛菊は淡い紅色のショールを掛け直す。

 一人だけの夕食も済ませ、ゆっくり湯船に浸かり、明日は焼きたてのパンを買いたいから夜明けとともに起きようと早い寝支度を済ませていた。

 白地に小薔薇の刺繍が施された清楚なガウンに赤いショールはよく映える。こうやってガウンにショールを纏うと寝る時もまるでお姫様のような気分が味わえて雛菊はお気に入りではあるのだが、単に気取りたくてショールを掛けている訳ではない。身に纏うガウンの殆どが購入時に同伴したアサドの趣味が反映されていて胸元が大きく開き、袖も短い型ばかりなのだ。いくら季節に沿った衣服でも森の奥の、それも霧も立ち込める場所であっては冷えるというもの。おまけに今夜は連日続く雨の所為かやけに肌寒い。

 雛菊は身震いして更にショールを深く羽織り直した。丁度沸かしていたポットが湯気を立て始め、慌てて釜戸へと冷える我が身を抱きながら歩く。

 釜戸の周辺は暖かく、雛菊はそこで暖を取りながらのんびりお茶を淹れた。葉っぱを蒸らしながらシャナと話すきっかけをまた考える。


「どうしよっかなあ」


 漆喰に板を敷いた壁にもたれてゴチた。

 しんとした家内では物音はなく、どこともなく視線があちこちと彷徨う。余計なものが少ないから何かを得ようと無意識にナニカを探そうとしてしまうのかも知れない。その所為か、変な形の染みとかを見付けるなどおかしな特技が身に付いてしまった。かと言って、視界の端で明滅しながら動く何かを視界の端に捕らえたのは無関係だ。窓際に立っていれば見逃すのが難しいくらいはっきりとした光なのだから。

 何だろうと雛菊は勝手口のはめ込み窓から外を覗く。森の中にひっそりと佇む場違いな家にご近所なんてお宅はない。人家の灯りでなければ、雨で泥濘んだ鬱蒼と茂る木々の間を灯り一つで道行く変わり者だ。

 聞いた話では森の中をわざわざ通る旅人もいないこともないが、道から外れているし抜け道があったとしても見通しの悪い場所を普通は選ばないと言う意識はどの世界でも相違はない。

 道を外れた旅人だろうか。迷いようもない街道を思い描いて雛菊は頭を振る。迷っているならこの家に道を尋ねるなり、一宿乞うたりしそうなものだ。

 人ではないのだろうか。虫の類かその他の自然現象か。自分の世界の常識だけでは測れないものもあるのだろうと念頭に置きながら注意はするが、昏い森の中を木々の間を縫って漂う白い光は深海の疑似餌のように雛菊の関心を強く引く。

 淡く白い光がゆらゆらと彷徨いながら鱗粉を振り撒く蝶のように光の粒が尾を引いて宙に弧を描く美しさには目を奪われた。

 あれはなんなのだろう。

 膨れ上がった好奇心から雛菊はとうとう外に出てしまった。全く未知なる物を前に不思議と畏れがなかったので足取りにも迷いはない。


「――あれ?」


 だが、扉を開けた瞬間、光を急に見失ってしまう。

 外は闇。欠けて来た月が頭上を照らしている時間ではあるが、生憎と厚い雲に隠されているようでいつもより深い闇だった。


「見間違い?」


 疲れでも溜まっているのだろうか。そんな筈はないと思うも、幻と言われれば仕方のない淡さでもあったので、思い直して家の中に戻ろうと踵を返そうとしたその時、再び謎の発光体が雛菊の目の前を横切った。


「あ、待って!」


 離れる光を雛菊はすぐに追い掛ける。

 長いスカートは走りにくく、裾を膝上まで持ち上げて光を追うが、濡れて滑りやすくなっている芝生の所為もあって追いつけそうでなかなか追いつけない。

 追い掛けながら、ふと小さい頃から好きだった絵本の白兎を追うアリスと自分を重ねていた。


(確かお姉さんとの読書に飽きたアリスは時計を持った白兎を追い掛けて――)


 違うことを考えながら、雛菊はハッと思い出す。

 兎を追い掛けたアリスはその後穴の中へと落っこちるのだ。

 それは不思議な連鎖だった。

 目の前の光に囚われて、足下を見落としていたのだ。

 雨で滑りやすい草の生えた道の先に急斜面。雛菊は踏ん張ることも出来ずに覚悟を決めた。


(また落ちるの――?)


 頭の隅でそんなことを思いながら、体が前方へと倒れる。


「馬鹿! ヒナギク、手をっ」


 聞き覚えのある声と共に雛菊は誰かに抱きすくめられながら斜面を転がり落ちた。目が回り、泥の匂いを顔に浴びて散々な目に遭っているのに、その中で雛菊は久々に彼に名前を呼んで貰えたという見当違いな喜びを噛み締めていた。



 易者にでも見て貰ったらきっと落下の相が出ていると診断されるのではないかと、体についた泥を払いながら雛菊は思った。

 急な斜面ではあったが土が雨でぬかるんでいたのと、しっかり誰かに庇って貰ったおかげで大事がないことを確認する。せっかくのガウンは泥だらけだが、無傷で済んだのと比べたらさして問題はなかった。目の前で雛菊以上に泥まみれの赤目の少年と比べたら自分の汚れなんて大したものではないように見えるのだ。


「全く、君はついこの間にも軽率さで足を痛めたくせにこんな真夜中、しかも長雨で地盤が緩んでいる時に出歩くなんてどうかしてるんじゃないのか」


 払える分の泥を払い、シャナが辛辣になじる。雛菊が「この間の捻挫と今のは別じゃない」と反論すれば軽く睨まれ、嫌味ったらしく嘆息を吐かれた。その態度にムッとしながら雛菊は唇を尖らせる。


「それで、どうしてこんな時間に出歩いてたんだい?」


 臍を曲げる雛菊など構いなしにシャナは尋ねた。シャナの不機嫌な言い方に素直に答えたくもなかったが、久しぶりに話せる嬉しさと、謎の発光体への疑問が彼女を温厚にさせる。


「あのね、白いぼやーっとした光がね、招くように飛んでたから気になって追い掛けたの。シャナは何か知ってる? ふわふわでキラキラしてとっても綺麗だったんだけど」

「白い光?」


 何故かそこでシャナは怪訝な顔をし、雛菊を不憫そうに見つめた。


「今時シェイドの悪戯に引掛かるなんて、酔い潰れた飲屋の奴等だって騙されないよ」


 その言い方が心底呆れた様だったので雛菊はムッとして眉間に皺を寄せる。


「言っておくけど、私はこの世界の人じゃないんだからもっと親切に教えてよ。シェイドって何? 私、そんなに呆れるようなことをしたわけ? 人になんも教えないでおきながら、そんな顔される覚えはないんだからねシャナ」


 腹を立てた雛菊に詰め寄られ、困ったシャナは自分の非を認めたのかやれやれと肩を竦めた。


「――シェイド。闇を使役する精霊。おそらく君が見たのはその眷属の末端だろうね。よく闇に紛れ、人を惑わして悪戯をするんだ。親が子供を叱る時、‘悪い子はシェイドに昏い底に連れて行かれるよ’ってのが常套句になるくらいだ」

「じゃあ、私は狐に化かされたようなもの?」


 自分なりの解釈で納得する雛菊の傍ら、今度は逆にシャナが‘狐に化かされた’という意味について首を傾げていた。逆にそれについて関心を持って聞きたそうな顔を見せたが、ふと、雛菊とばっちり目を合わせるとバツが悪そうに下を向く。


「シャナ、どうしたの?」


 シャナの様子が変わるのを雛菊は咎めるように詰問した。しかしここ数日顔を合わせずにこそこそしていた者が素直に応じる筈もなく、沈黙を守るその態度に雛菊は更にムカっ腹を立てた。そしてそのままシャナの胸ぐらを掴むと強引に詰め寄る。


「なにさ! わざとらしく人を無視し続けちゃってくれてさ。何が気に食わないわけ!? 私、何かした!? それともアサド君が言う通り、私がセラフィムだからなんか不都合があるんだ!? 言いたいことがあるならはっきり言って、言わないとその頬叩いて目を覚まさせるからねっ」


 脅しじゃないと言うように雛菊は拳に力を入れる。偽りのなさそうな意気込みにシャナは諦めたのか、渋々といった風に伏せていた顔を上げた。真紅の瞳が雛菊の握り締められた右拳を映す。


「……平手なら我慢する所だけど、拳で殴られるのは穏やかじゃないよね」


 それはシャナが観念したという意味なのか、雛菊が言葉の真意を要約しかねていると何事もなかったかのように驚くぐらい真っ直ぐに視線を向けていた。


「始めから、分かってはいたんだ。見知らぬ世界で人の家に強引に住むような君から、いつまでも逃げられないってことくらいさ」


 ぽつり、静かな口調で呟いた。

 雛菊は貶されている気分になり何か言い返そうとしたがシャナが口を開きかけたので慌てて言葉を飲み込む。


「結論から言えば、僕が喚ぼうとしていたのはセラフィムだ」


 シャナはきっぱりと断言した。今まで逃げていた分、腹を括ったのか、澱みがないくらいはっきりと通った声だった。そのよく通る声を一度区切り、尚もシャナは続ける。


「セラフィムがヒトの形をしている可能性も勿論考慮していた。けど、いざやって来た君は本当に……本当に普通の女の子に見えたから、俄かには信じがたかったんだ」

「それは私も同じだよ。未だに信じられない。だって体には何も変化は感じないし、シャナのように精霊が見えるとかだったら何かあるのかもとか思えたかも知れないけどそうでもないし……。だけどアサド君は私がセラフィムだと信じてる。シャナも認めるみたいに私を避けるから、よく分かんないけどそうなのかなって思えたりして……」

「君を避けたのは悪かったとは思う。けど、君がセラフィムであるとなれば君が感じるより事態は重くなるから、僕はその事実から目を背けたくなったんだ」


 そこで揺らぐシャナの視線。雛菊はシャナが再び口を噤みそうになるのを阻止しようと咄嗟に手を握った。両手で、体温が低いシャナの右手を包むように握り締める。雛菊の突然の行動にシャナは紅い瞳を瞬かせたが、振り払いはしなかった。


「どうして背けたかったの?」


 温もりに人を素直にさせる効果があるのだろうか、シャナはするりと答えてくれる。


「僕は、君に憎まれるのが怖かったのかもしれない」


 普段の歯切れの悪さと比べたら呆れる程に素直で饒舌だ。


「セラフィムは創世の女神の祝福を受けた至高の花で、手に入れればその人の願いはなんでも叶えるという。正体が知れれば誰もが君を望み、得ようとするだろう。僕が君を喚んだ所為で君を要らぬ危険に巻込んでしまうかもしれない。危険な目に遭うかもしれない。傷つくかもしれない。そうなれば呼び出した僕は憎まれたって当然だ。だけど、君に憎まれるのはなんだか嫌な気持になりそうだから……だから、僕は君をセラフィムだとは認めたくなくて逃げてたんだ――きっと」


 断定的な物言いではないのは、少年がその気持を正面から受け止められないからだろう。やや多弁なのも聞き逃して欲しい気持ちの現れか、何処か斜めを向き、恥を紛らせるように唇を尖らせ、頬はほんのりと赤く染まる。子供らしい見た目に沿う反応は雛菊には新鮮に映り、少年のそんな一面を垣間見た事を嬉しく思った。反面、とても寂しい気持にもなった。

 雛菊は握っていたシャナの手を開放する。変わりに、その手をそのままシャナの両頬へとあてがった。

 油断すればすぐ逃げる視線を、自分の元へ向けて掴まえる。


「シャナは私のことを分かってないね」


 その時、何故か、言いながら雛菊の目からは知らず涙が零れていた。

 この世界で初めて落とした涙にシャナは少なからず動揺を見せる。それでも溢れる気持を声に出す夢中の雛菊は涙も拭わず言葉を紡ぎ続ける。


「初めて会った時も言ったでしょ? 私は、小さい頃から君の夢を見続けていて、君に会うことずっとを願い続けていたの。シャナが出した扉を拒否することだって出来た筈なんだよ? それをしなかったのは私。扉を開けたのは私。私が決めたことなの。自分で決めた道を、私は人の所為にして責めたりはしない。もし、シャナが私をそういう人に見ていたなら、それは見当違いだって言ってあげる」


 所々鼻を啜りながら訴える。


「私が本当にセラフィムなら、喜んで花を咲かせる。願いだって叶える。お願いだから私からもう逃げないでよ……私、シャナがいなくなったらこの世界で頑張れる自信がないんだから」

「ごめん……」


 聞けると思わなかったシャナの謝罪に目を丸くすれば、少年はつまらなさそうに雛菊の涙を拭ってくれたので、たまには泣いてみるものだと思った。シャナはこの世界において、雛菊に身寄りがないことを忘れてはいないのだ。



 * * * * *


 いつも笑っている少女が泣き出すものだから狼狽えてしまった。思うほど強くないのは不思議ではないのに、何故か大丈夫だと過信してしまったのを、シャナは今頃になって悔やむ。

 己の罪悪と向き合えない弱さをたった十六の女の子に負わせ、甘えていたのだと気付いて初めて申し訳なく思った。口に出せば彼女は随分あっさりと許してくれた。

 雛菊は不思議な女の子だった。

 どこから見ても普通の女の子なのに、妙に懐が深く調子が出なくなる。

 感情を口にするのは好きではないのに言わされてしまう。

 こうも真っ直ぐに見詰められると抗えなく気がするのだ。彼女は知っててやっているのだろうかとシャナは思う。夜空の色をした瞳が、どれだけ人を飲み込むかなど初めて知った。

 静謐の色をした瞳はささくれだった心を静め、人を素直にさせる威力があるなんてどの本にも記されていない。

 黒髪も黒い瞳も珍しくもないのに何故か特別な色に思えてくるから不思議だ。


 「ごめん……もう君の存在から目を背けないから……。――それと、これは個人的な僕の誓いだけれど、聞いてくれるかい?」


 シャナからの優しい言葉が珍しいのか、雛菊は戸惑いを誤魔化すようにはにかみ、ゆっくりと頷く。吸い込まれるように雛菊の濡れそぼった目を見つめると、黒い瞳に涙が浮かび、まるで星空のように綺麗だった。

 シャナはその了承を待ってから、誓いを言葉に乗せる。


「君が花なら、召喚した僕が君を咲かせる義務があるんだと思う。これで君を元の世界へ返すことは遅れてしまうけど、それまでは僕は君を守ると誓うよ」

「シャナが、私を……?」

「おかしいかい?」


 まるで騎士の誓いのような恥ずかしい台詞はアサドの領分だと自覚しながら、それをなんとか堪えて伝えたというのに、奇異の目で見られたら言わなきゃよかったと後悔もする。雛菊は「おかしくないよ」と慌てて首を横に振ったが、唇は「冗談でしょ」の「じょ」の口になっていたし。

 柄にない真似はすべきではないと学んだところで雛菊がごめんねと謝ったがもう遅い。


「怒んないでよ。気持ちは嬉しいんだから」

「顔は笑っているように見えるけど?」

「嬉しいからでしょ。でもね、私は守られてばかりなのは嫌だな。花はね、温室で育たなくても綺麗に咲けるんだよ?」

「へえ。今、泥を被ってるくせに。君は雑草にでもなる気かい?」


 得意げに胸を張る少女を一笑に伏し、シャナは雛菊の頬に手を伸ばす。そこで顔が強ばる雛菊をおかしく眺め、親指にぐっと力を込めた。


「知ってる? 聖典にはセラフィムは女神の姿で現れると記されているんだ。これを信者に切々と語っている司祭を思うと気の毒になると思わないかい。その女神のみすぼらしい姿を見たら――」


 そう言って、シャナは親指で雛菊の頬についていた泥を拭い取った。怪我を負わなかったとはいえ、ぬかるんだ斜面を転がれば泥くらい付くのは至極当然で、雛菊の身体は彼女自身が思うよりも汚れていたのだ。

 頬に泥が付いていたのだと知った雛菊は馬鹿にされたことにもやっと気付いたようで、察しの悪さを更に小馬鹿にしたシャナは目を細め、口の端を若干吊り上げた。


「――ちょっと、みすぼらしいってどういう意味!?」

「言葉のままだろ。寝巻で、しかも泥まみれの姿の女神を君は想像するとでも?」

「好んで泥を被ってないよ! そもそもシャナが引き籠もって私を避けるのがいけないんだからっ」

「待って。僕、引き籠もっていたつもりはないけど」

「は?」


 言い合いの最中、シャナの証言に雛菊はピタと息を飲む。


「あ、いや、確かに此処数日は雨で籠もってはいたけど昨夜、雨足が弱くなった頃合に外に出てこの辺一体の精霊の巡回をしてたんだ。君は眠ってたみたいだけどアサドがリビングにいたからてっきり君に伝わってたかと思ってた」

「じゃ、じゃあ、アサド君は無人のシャナの部屋の外を右往左往する私を見て――」

「アサドといい、シェイドといい……君は警戒というものを覚えるべきだよ」

「またからかわれた! もう、アサド君が朝帰りしてもご飯作ってやんないっ」


 一人憤る雛菊をチラリと流し見てわざと仰々しく嘆息つき、シャナは凝り固まった体をほぐすように大きく伸びをする。次に軽く足を踏み鳴らして転がり落ちた斜面に足を掛け、土を馴らしてしっかりと一歩を踏み出した。それに倣って雛菊も続こうとするのでシャナは手を差し出す。また一人転がり落ない為の予防だと自分に言い訳して。


「さ、帰ろっか! さっさと帰ってお風呂入ってこの泥も苛々も洗い流してやるっ」


 すっかりシャナと和解しあったと安堵感を得た彼女の感情の矛先は、相変わらず彼女をからかい続けるもう片割れの同居人に向かっている。

 どうも直情型傾向のある彼女は、悔しさに肩を震わせながらまだ気付いていないのだろう。

 胸元が大胆に開いたナイトガウンを着ているくせに、ショールの一枚も纏わずにいるから、その薄布の下で年頃の少女の中では豊かな膨らみが丸みを帯びて揺れているのを。

 それを斜面の上に立ち、いつもより視線の高いところからしっかり見下ろせる位置にいることで目のやり場に困る少年は、少女を振り返らないこおで自然とそこから意識を逸らそうとした。


「――だから、油断しすぎ」


 頬を赤らめ、少年は溜息を零した。もう一人の長身の同居人はこれを毎度堪能しているのかと思うと無性に腹が立った。

 己が召喚した少女を至高の花と認めたのはいいのだが、己の立場をわきまえず、どうにも色々な方面で警戒の足りない無垢な少女の行く末を考えるとどうにも頭が痛くなるシャナなのであった。


 


 

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