メルベ山の死神
一
「魔法――?」
「はい。そう、申されておりました」
「その、魔法とやらで、扉が、あのように吹き飛んだと?」
高科乙は、顔中に、「はてな」を浮かべた。
昨晩、乙は一人部屋に閉じ篭り、自刃の決意を固めたが、轟音とともに扉が吹き飛んだ事が、思い留まるきっかけとなった。
「デューク殿が、『扉を開ければ良いだけの話』と申された直後、シド殿が『それでは魔法で』と申され、何か、小さく呟かれて……右手を突き出されると同時に、その、扉が……」
乙に説明する若菜留伊も、よく解ってはいなかった。ただ、状況を話しているのに過ぎなかった。
「手妻の類であろうか」
「さあ……わたくしには、なんとも……」
乙は暫く考えを巡らしていたが、
「うむ。解らぬことをいつまでも考えていた所で、埒が明かぬな。ともかく、そのおかげで、わたしは志を見つける事が出来たのだ。シド殿に、一言、お礼申し上げねば」
さすがに、扉の残骸が残る部屋を続けて使わせる訳にも行かないからと、二人は、新たな部屋をあてがわれた。もっとも、今まで寝起きしていた部屋の、真向かいだが。
二人は身支度を整えて、客間へ降りた。賢者ガイエルと、シド・ミレイリア、デューク・ミレイリアの三人が、既に顔を揃えていた。
挨拶を済ませたのち、乙と留伊は、シドへ丁寧に礼を述べた。
「いや、そんな、僕の方もパニってたので……。お師匠に言って、鍵を借りれば善かったのに、その時間も惜しいと思って……。扉のすぐ向こうに、乙さんが居てたら、と後になって後悔しきりでした」
シドは、慌てたようにそう言って、反対に謝ってきた。
「ところで、梅雪軒からの言伝じゃ。お主ら四人、暫くは、なるべく外出しないように、との事じゃ」
「え? なんでですか? 僕、今日は、お二人と一緒に、観劇するプランを立てていたのに」
「……」
ガイエルは、シドの発言に呆れるでもなく、無視するでもなく、受け流した。
「どうやら、スピレインと教会が、繋がっておるらしいでな」
「……えっ!?」
シドは目を丸くし、デュークも眉を寄せた。
「ただ梅雪軒は詳しい事は何一つ言わんかった。まあ、ワシの憶測じゃ。じゃが、おそらくそうじゃろうて」
ガイエルは淡々と言った。
「梅雪が、わたしどもに、外出を控るよう言ったのは、畢竟、彼らが、わたしどもを探索しているから、という事ですか」
「そんなところじゃろう。奴らの使ってた剣も拾ってきちゃったし、しかも乙ちゃん、オドアケルに面と向かって注意しちゃったしのぅ」
ともかく、面が割れている、ということで、まず間違いの無い事であった。
「でも、僕たちは、向こうがどんな事をしているのか、全然把握していないんですよ?」
「だから、俺達の事を探しているんだろう。語るに落ちるとは言うが、この事だろうな。メルベ山には何か秘密が隠されているんだろう」
デュークは口辺に嘲笑を刷いた。
「それだけ判れば、充分じゃな。素質を疑われ、中々当主に就けぬ男と、多宗教国家にあってのマイナー教会。まず間違いなく、メルベ山は、両方の懐を潤わせておるんじゃろう。非合法な手段でな」
決め付けたガイエルだが、表情にも声にも、別段なんらの興味は持ち合わせていないようであった。乙が、それを指摘すると、ガイエルは、にこやかに一つ笑顔を見せた。
「残り短い老いぼれじゃからこその、処世術というもんじゃよ」
物言いは穏やかで冗談めかしていたが、それ以上訊ねるのを拒む気色があった。
「外出せんでも、この屋敷にお主らがいる事は、向こうもすぐ突き止めるじゃろう。まあ、梅雪軒の言うとおりにしておいた方が、無難じゃて」
二
日没とともに、木々の上から、地上に降り立った影は、若菜梅雪軒景勝であった。ここは、メルベ山の中腹であり、しかも獣すら通らぬ樹海の中であった。
アンドリュー教会で、オドアケルが出てくるのを目撃して、既に、一昼夜が経っていた。一旦、ガイエルの元へ戻り、言付けを頼み、その足で、メルベ山へ入ったのである。
メルベ山に入ってからの梅雪軒の行動は、慎重で、しかも強い緊張を強いられるものであったが、それに充分耐えられるだけの体力気力が、長年の修行と経験により、培われていた。
昼は、木の上に上り、索敵や望遠、地図の作成、そして、僅かな仮眠。そして夜は、本格的な行動の時間である。
目の前一寸先に手があっても見えぬ、暗い樹海の中を、梅雪軒は確かな足取りで歩く。梅雪軒には見えているのである。音も無く、気配も絶って、しかも、その歩く速度は、走るかの様に速い。
――このあたりにあったはずだが……。
オドアケルとベルヌーイの会話を盗み聴いて、梅雪軒は一つ、あたりをつけたのである。
十年前にメアリーを拾った、小さな山村である。
乙たちの話と摺り合わせてみて、山村を襲ったのは単なる賊ではなく、オドアケルの走狗共である可能性に、行き着いたのであった。
山村が襲われたのは、十年前である。メルベ山に賊が現れ、旅人達を襲うようになったのも、十年前。それは一見なんらの不思議も無いように見える。しかし、奇しくもデュークが指摘したように、人通りもまばらなメルベ山に、居座り続けているのである。オドアケルの手の者たちとしても、小遣い稼ぎには、高が知れていよう。
あの山村はおそらく、秘密の拠点となっているだろう予感が、梅雪軒にあった。
程なくして、梅雪軒の予感は当たることとなった。
梅雪軒の目は、数里先の、ごく小さな光源を捉えていた。近付くにつれ、大きく明るくなっていく。
やはり、例の山村であった。山の南側にあるその山村は、僅か二町四方の大きさしかない。しかし、様変わりしていた。家々が建て直され、かがり火が何本も灯り、数十を超える人間が、荷車や荷押し車とともに立ち動いていた。
梅雪軒は丁度良い処にあった木によじ登り、仔細に観察した。
人々の殆どが、粗末な法衣であった。その法衣の群れが、山村の端にある洞窟の穴に、入っては、出てくる。出てくる際、荷車には、石が積まれていた。
別に、軽装の革鎧を着て帯剣している者もいる。その者たちは、ある者は法衣の者を手伝ったりしているようだが、殆どは、周囲の警戒に努めているようであった。
――そうか!
積まれた石を見て、梅雪軒は合点した。
――メルベ山は、鉱山であったのか。オドアケルの資金は、ここからだな。なるほど、教会が何らかの形で信者を派遣し、採掘に当たらせる。そしてオドアケルの手の者が、警護と監視に当たっているのだ! だからこそ、余計な人間を山に近付けさせぬよう、山賊行為を続けていたわけだな。
梅雪軒は山村の様子を書き写すと、もう、ここには用は無かった。
――このこと、高科家再興に、利用出来ぬであろうか?
二里ほど歩いて、再び闇の中に身を沈めた梅雪軒は、その考えを巡らした。しかし、すぐに中断を余儀なくされた。梅雪軒は足を停めた。もとより、その音とて、立たぬ。
「……」
十間ほど前方に、男が、佇立していたのだ。いくら、あるじの為を考えていたとはいえ、この距離になるまで、気付けなかったのは、梅雪軒の不覚であったか、それとも、男の実力であったか……。
男は、この世界には珍しく、着流し姿であった。腰に二刀を帯びていた。
「どちらへ、行かれる」
男が、抑揚の無い声を発した。明らかに梅雪軒へ向けたものだった。しかし、梅雪軒は答えぬ。気付くと、この場所は周囲に、木が少なく、小さな舞台のように、ぽっかりと開けていた。刀を振るうに足る広さがあった。男と出くわしたのは、偶然では無いと見て取ってよかった。
「ま、どちらへ行かれようと、お手前の勝手だが、これより先は、俺が案内をいたす。もっとも、こちらとしては、冥途へ案内するより芸が無いと、思っておいて頂くしかないが……。六道銭を持ち合わせておらぬなら、合力してやるのも、やぶさかではない」
男は感情の無い声で、懐手のまま、静かに前に出てきた。端正な面貌をしているが、濃い陰惨をその眼から放射していた。梅雪軒より、やや、年嵩であろうと見えた。
「――何者」
やむなく、梅雪軒は誰何し、戦う覚悟を決めた。だが、明らかに強敵である。梅雪軒は対手の隙の無さに、懐の飛び道具を出す事が出来ぬ。
「死神心剣――」
「なにっ?」
「ふっ――お手前に取り憑かせて貰った死神よ」
死神心剣は懐から両手をゆっくりと出した。同時に梅雪軒は抜刀した。
抜き打ちの斬撃は、梅雪軒をして、愚手だ、との直感が働いた。
――居合い、抜刀の術ではなかろうが……そちらも相当の修行を積んでいるはずだ。
また、だからこそ、自ら死神などという、ふざけた名を名乗っているのであろう。
梅雪軒は、地摺り下段に構えた。
「守りに入っては、死神を払う事は出来ぬことだぞ。攻めねばな。果敢に攻めてこそ、俺という死神も恐れをなすというものだ」
心剣はまだ、抜かなかった。そしてやはり、その口調に感情は無い。それでいて、揶揄しているのが伝わる。奇妙な感覚であった。
「語るに落ちたな――。貴様の剣の苦手は下段だと見たぞ」
梅雪軒も落ち着いた声で答える。強敵だからといって、心気を乱しては、勝てぬものも勝てぬ。だが、本気でそう思って、言った訳ではなかった。
「無駄だ。俺に揺さ振りは効かぬ。だが、生に固執するその心根は健気だと、言っておこう」
心剣はむしろ緩慢な動作で、殆ど垂直に抜刀した。そのまま、右手一本で、右上段へとった。左手は、前に伸ばし、まるで、敵の首を掴まえんばかりであった。そしてその指は、一指一指が絶えず、ゆっくりと動いている。
――むっ!
心剣の奇妙な構えに、梅雪軒の背中に、冷たい汗が流れた。言うならば、梅雪軒のあるじ、高科乙の、嘴の構えと、同じであった。嘴の構えが、古鞍馬流の成形を、研鑽練磨した、独自剣であるのと同じで、心剣のこの刀法も、おそらくは、一流を極めた上での工夫であるのは、間違い無いと見て取れた。
下段の梅雪軒は、しかし、不利と解っていても、それを保持した。目付けをつければ、どうしても心剣の左手に吸い寄せられる。そこに構えを変えるは、愚の骨頂に思えた。
絵に入ったが如く、両者は四半刻を費やした。剣気殺気の応酬を打ち破ったのは、心気を整えて、じっと、汐合い極まるその秋まで、耐えねばならぬはずの、梅雪軒であった。
下から、掬い上げるように、梅雪軒は、心剣の邪魔な左小手を狙って、突き出した。いままさに刀尖が突き刺さらんとする一瞬――心剣は左手を引きながら、それを予備動作の如くに充てて、上段に構えていた刀を、振り落とした。
梅雪軒もそれは、予測していた。問題はお互い、次の太刀筋である。
突きは、刀体一致すれば、これほど柔軟性の高いものは無い。だからこそ、下段の一番の初手は突きであり、守勢の構えと言われる所以である。
宮本武蔵は五輪書に、第一の構えを正眼とし、第二を上段として、こう、説明している。
第三の構え、下段に持ち、ひっさげたる心にして、敵の打ちかくる所を、下より手をはる也。手をはる所を、また敵はる太刀を打ちおとさんとする所を、こす拍子にて、敵打ちたるあと、二の腕を横にきる心也。
つまり、敵の動きに応じて、受け流す、受け弾くのが肝心。または外すという事をしてのち、後の先、即ち、相手の死に体を誘い、敵の二の腕を斬る。これは、単純に、相手の戦意を拉ぐだけで良い、というこれである。
しかし、梅雪軒は、自らが、先の先を取らんとしたのであった。
梅雪軒は必殺の気構えを込め、この一突きに全てをかけたと見せて、そうではなかった。余力というのも可笑しいが、判断直感の余地を残しておいたのである。
そして梅雪軒はすばやく、横一文字に払った。こちらこそが、本命であった。
しかし……。
心剣は体を退き、梅雪軒の太刀を外すと、再び踏み込んだ。
「ぐ――っ!」
梅雪軒は横っ飛びに大きく距離を離したが、右わき腹に、傷を受けていた。しかし、浅手であった。
「ほう……。なかなか、やる。登龍落としを二の太刀までも外してみせたのは、お手前で二人目だ」
どこまでも、感情を見せぬ心剣であった。そこへ、梅雪軒は、懐から手裏剣を打つ。
闇の中にあって、常人であらば見えぬそれを、心剣は、刀で弾いた。
刹那――手裏剣が、カッ、と輝き弾けた。
火薬で作った手裏剣であった。衝撃が加われば、音光と共に炸裂する代物だ。
「――ぅぬっ!」
急の光に、心剣もさすがに目が眩んだようだ。しかし、梅雪軒はその隙に攻撃を出さず、反転して、走っていた。
あとには、うっそりと立つ心剣が残された。ここに到って、心剣の面に、微笑が刷かれていた。そして心剣の脇差も、その鞘だけを腰に残し、消えていた……。
三
メアリーから乙と留伊は、来客があると聞いて、首を捻ったが、会ってみれば、切羽拓郎であった。
「これは、切羽殿」
「また、お会いしましたな」
七日振りの対面であった。三人は、テーブルについた。
「お茶を頼みましょう」
留伊がそう言って、メアリーに振り返ったが、拓郎は、
「いや、お構いなく存ずる。すぐに辞退仕るつもりゆえ」
やんわりと、言った。
「切羽殿、いかがなされました」
「さ、その事。若菜梅雪軒と申される御仁に、頼まれましてな」
好々爺然とした顔つきを、拓郎は引き締めて、そう言った。
「梅雪から……」
梅雪軒は今だ、戻ってはいなかった。
「その御仁は、今、それがしの家にて、養生に努めておられる」
「梅雪に何かあったのですか!?」
乙たちは、慌てた。
「左様――」
拓郎は、重々しく頷いた。
「幸い命には、別状ござらぬし、口も充分に利け申す。ただ、あと二、三日は安静にされる必要がござろう」
それを聞いて、乙、留伊、メアリーの三人は、ほっと、胸を撫で下ろした。
拓郎が、手傷を負った梅雪軒を発見したのは、四日前の事であった。
「それがしの住処は、町の大門のすぐそばにありましてな。寺子屋まがいの事をして、近所の子供達に、字や算術を習わせ、その束修で口に糊をしてござる。家督、と言うのもおかしな話でござるが、今は息子に任せておるのですが――」
拓郎はそう前置きして、四日前の事をつぶさに説明し始めた。
早朝、日もまだ昇らぬ内に、拓郎は日課にしている散歩をしようと、大門が開く前に、城壁の外に出た。門番の勝俣一郎は、拓郎の教え子であったので、心安いものであった。
食に供せる山菜や、教室に飾る草花を見つける、という仕事も兼ねていた。少し、山に入って、山菜やきのこを探していると、そこに、背中の左肩口と、右わき腹に傷を負った、梅雪軒が現れたのであった。
苦悶の表情を成した顔面は蒼白で、足取りも覚束ない。今にも、倒れそうであった。
「慌てて、家へお連れし、手当てをして進ぜたが……ひどい熱でしてな。今日、やっと、気がつかれたのでござる。事情を聞けば、山中で斬り合いになり、傷を負われたが、相手の刀に、毒が塗られておったようなのでござる」
「そうでしたか。切羽殿にはわたしたちのみならず、梅雪までお助け頂いて、まこと、お礼の言葉も見つかりません」
乙主従は、深々と頭を下げた。
「とうの昔に捨てたとは言え、武士は相見互い。礼を言われるほどの事は何もしてござらぬ。今日は、動けぬ梅雪軒殿の代わりに、あなた方の周りで、何か変わった事が起きなんだか、訊ねに参った次第でござる」
「いえ――特に何も」
「左様でござるか。……では、拙者は、これにて」
拓郎は立ち上がり、一揖した。
「切羽殿、よろしければ、お宅まで、案内をお願いしたいのですが」
「申し訳ござらんが、梅雪軒殿から、あなた方を外出させぬようにと、言い付かっており申す。ですが、ご心配召されるな。三日ののちには、梅雪軒殿も恢復なされておろうと、存ずる」
再び一揖して、拓郎は帰っていった。
メアリーは心配げに、
「小父さん……大丈夫でしょうか」
乙に問うた。
「切羽殿も、あの様に申されたのですから、心配は要らぬでしょう」
乙は、励ますように答えたが、心中は不安であった。留伊の表情も浮かぬものであった。
「留伊も、そのような顔をするでない」
「申し訳ありません。ですが……」
「ともかく、この事は、ガイエル殿にもお伝えしておかなければ」
言って、乙は立ち上がる。留伊も続いた。
部屋を出て、ガイエルの元へと向かったが、生憎、ガイエルは外出しているようであった。
シドやデューク、他の者に訊ねても、ガイエルがどこへ向かったかは、分からなかった。
四
オドアケル・スピレインは、まず、戸惑った。賢者ガイエルが、面会を申し込んできたのである。
半月ほど前に、アンドリュー教会へ、屍体を持ち込んだ四人の居所は、既に調べがつき、ガイエル邸にいる事は判っていた。ビシュケ司教は醜くたるんだ頬を震わせたが、世間に興味の無い、老いぼれ故、心配するなとは、言ってある。その、興味の無いはずのガイエルが、やって来た、というのだ。
「通せ」
使用人にそう告げた時、オドアケルの表情から、戸惑いは消えていた。
しばし待ったのち、ガイエルが通されてきた。オドアケルは立ち上がり、もてなしの態度を見せる。
「これは、賢者様。ようこそおいでくださいました」
「いやいや、楽にしてくれていて、構わんぞい」
オドアケルが促したソファーへ、どっかと、ガイエルは座った。オドアケルは、小卓を挟んで正面に座る。
「して、今日はどのようなご用件で?」
ガイエルは大きく視線を動かし、部屋の調度を眺め回し、ニタリと笑った。
「いかがも何も、沙汰は、届いたのかの?」
「なんの、でしょう?」
「任命式の召喚状じゃよ」
「いいえ。まだですが、いずれ、届くでしょう」
オドアケルは余裕を持って、答えたが、内心、業腹であった。普通であれば、先代が隠居するか、死亡するかした場合、日にちを置かず、子が新領主に任命されるのである。子がまだ幼い場合は、成人するまで、しかるべき人間が、後見人となるなり、ショートリリーフを勤める場合もあるが、オドアケルは壮年である。
コルネリウス・スピレインの急死を、ひと月は隠すと言った、宰相のゼクス・セーティに反発したオドアケルは、強引に、自身が新領主である事を、宣言したのである。
もっとも、カディスと王都は、馬で飛ばしに飛ばして七日である。オドアケルの行為が、王都に届いたとして、いまだ召喚状が来ていないのも、当然ではあったが。
「それが、どうかしましたか」
「いや、何。それさえ届けば、お主は正式に領主となる訳じゃから、町に住んどるワシとしても、一言、挨拶しておかねばな、と思っただけじゃ。ほれ、パーティーとかすると、挨拶するにも、手順とか面倒じゃろ? じゃから、先に済ませとこうと、な」
「そうでしたか。それは、ありがとうございます」
「うむ。それだけじゃ。邪魔したのう」
結局、ガイエルがいた時間は、五分にも満たぬ、短いものだった。
オドアケルは、腕を組み、三十分ほど目を閉じて黙然としていた。
と――。
「御前――」
いつの間に、現れたのか、黒の着流し姿が、部屋にあった。扉の開く音も気配も無かった。死神心剣であった。
「貴様か……毎度の事ながら、驚かせてくれる。――しかし、何故、ここにいる?」
「メルベ山の秘密、知られたぞ」
心剣はさらりと言った。
「な――なにっ!」
「その者と立ち合ったが、逃げられた」
オドアケルは憤然として、心剣を詰った。
「貴様! それでいながら、俺の前に顔を見せたと言うのか!? よくもおめおめと現れる事が出来たな!」
心剣の顔は全く動じていないようである。
「傷は負わせた。毒が回って野垂れ死んだだろうとは、思うが、屍体は見つからなかった。まあ、生きていても、暫くは動けまい」
「生きている! 生きているだと!? 秘密が知られれば、せっかく見つけた資金源が、みすみす王都へ持っていかれるのだぞ! 俺の責任にもなる!」
「知らぬ存ぜぬで通せばよかろう。御前が関わったという、証拠は出ぬ」
オドアケルの事を、御前とは呼んでいるが、心剣の態度は、不遜なものであった。
「証拠は出ぬだと……どういうことだ」
「どうもこうも、そのままの意味だ。御前は、金山のことなど、何も知らなかったことに、なっている。そもそも、初めから金など、見つかっておらぬことにな」
「……なるほど、そう言うことか」
オドアケルは、ようやく合点した。
「剣や、鎧は、溶鉱炉で溶かした」
「――鉱夫たちはどうした? しっかり口止めしたか?」
鉱夫たちは、ウルミーヤ派の熱心な信者たちである。口止めさえしていれば、問題は無いと、オドアケルは考えた。
「御前のお仲間と共にな」
「そうか」
心剣は、どこまでも無表情であった。
「見回りの者も含めて、鉱内に入って貰った。入り口は一つしか無いゆえ、爆破させて貰った。じきに死ぬだろう」
「なんだと!? 貴様……皆殺しにしたのか!?」
「これは、十年前の事を考えれば、御前の言葉とも思えぬ。……村も焼き払って置いた。念には、念を入れたまでだ。ほとぼりが冷めたら、再開すればよかろう」
オドアケルは思わず、震えた。平然と、四十人もの命を奪ったと言うのだ。
だが、よくよく考えてみれば、心剣のしたことは、オドアケルを守っているのだ。秘密を探り当てた者が、再び舞い戻った所で、焼き払われた村しか無い。よしんば、鉱内への入り口が見つかっても、中には、物言わぬ屍体である。
あとは、無理やり罪を被せて、ビシュケなりベルヌーイなりを人身御供にすれば良い。金山は王都に持っていかれるが、地位の安泰が先決であった。
「ふ――ふふ……鬼だな、貴様という男は」
「俺は鬼ではないつもりだが」
「そうだったな。貴様は死神だ」
そう言って、オドアケルは静かに笑った。覚悟を決めた笑みであった。
ただし……。
「持ち去られた、一本……。あれを取り戻さない限り……」
「左様――御前は安穏としていられぬ」
「そうだ、その通りだ――何としても……。死神、ハンロンを呼べ」
「御意」
心剣は軽く一揖してのち、部屋を出て行った。