断絶高科家
一
ガイエルの部屋の中には、屋敷の主人であるガイエルと、若菜梅雪軒景勝、そしてメイド長のレイラの三人がいた。
すでに梅雪軒は、宰相ゼクス・セーティの命で動いている事と、ガイエル邸を調査拠点にさせてもらう許可を得ていた。
新ナエニア伯、オドアケル・スピレインの調査である。
「まだ、公表されてはおりませんが、コルネリウス殿が、十四日前、お亡くなりになられました」
梅雪軒が、秘匿情報をなんらの抵抗も無く、口にした。だが、ガイエルが返した言葉に、梅雪軒は驚かざるを得なかった。
「知っておる。二週間も前の事とは知らなんだが」
「――! そ、それはまことでござるか!?」
王家が、と言うより、宰相ゼクスが、少なくともひと月は、公表せぬことと、決めた情報であった。人の噂の広がるのは速いと言っても、たかだか半月で、ガイエルが知る事になるとは、梅雪軒には思いもよらなかった。
「いつ、お知りになられました?」
すぐに平静を取り戻して、梅雪軒は訊ねた。
「今日じゃ。シドから聞いた。つい、三時間ぐらい前か。町の大通りで、オドアケル本人が、声も高々に言っとったそうじゃぞ」
「……オドアケル殿が、ご自身で……」
ひと月は秘匿するという宰相の沙汰に、オドアケルが、明らかな不満を抱いていたのは、事実である。オドアケルは、強硬手段に出た、と言っても差し支えない事であった。
「そこで一悶着あっての、ハラハラしたと、シドが言うとったわ。メルベ山のならず者の事もあるしのう」
「メルベ山のならず者とは?」
「うむ。ま、本人らから話を聞くのが、いっちゃん早いとは思うが、メルベ山に巣食う賊達がの、スピレイン家の紋章の入った剣を所持しとった、ちゅう話じゃ」
レイラが動き、梅雪軒へ一振りのブロードソードを渡した。
「それは、デュークらが持ち帰って来たものじゃ」
「拝見いたします」
刀身のガード元近くに、たしかに、スピレイン家の紋章が、見事な技術で彫られていた。
「ふむ――」
剣の表裏に彫られた、スピレイン家の紋章を、穴の開くほど見つめながら、梅雪軒は考えを巡らせていたが、顔を上げた。
「確かに、彼らから話を聞くのが、早いですな」
梅雪軒のその言葉を待って、ガイエルはレイラへ頷いた。
二
「あっ。乙さま、留伊さま」
ガイエルの自室の扉は、閉められていた。その前に、メアリーが待っていた。
「噂に聞く、若菜梅雪軒殿のお顔を、一目拝見させて頂こうと、こうしてまかりこしました」
高科乙には珍しく、冗談めかした物言いであった。
「梅雪軒の小父さんは、今、ガイエル様と、秘密のお話中です」
「小父さん……?」
若菜留伊が訊くと、シド・ミレイリアが、メアリーが孤児院に来ることになった経緯を、ざっと、説明した。その間、デューク・ミレイリアは一言も口を挟まなかった。
「梅雪軒の小父さんに会うのは、半年振りです」
メアリーの目は、輝いていた。
と――、扉が開かれた。
「あら」
レイラの、少しビックリしたような顔が現れた。メアリーは当然だとしても、これから呼びに行こうとしていた四人が、顔を揃えていたのだから、当然と言えば当然と言えた。
レイラは体を回して、中の二人へ、
「みなさん、もうお揃いでしたわ」
言ったのち、五人を部屋の中へ通した。まず入って行ったのはメアリーであった。
「小父さん!」
「おおっ、メアリー。元気にしておったか」
「はい!」
という、微笑ましい会話を聞きながら、乙と留伊も部屋に入った。
乙と留伊が部屋に入るとすぐ、梅雪軒が二人を見止めて、その表情を固めた。
乙と留伊も、多少怪訝な面持ちであった。
――小監に似ている……。
三十に手が届くかどうか、日に焼けた精悍な体躯の持ち主であったが、その顔は、留伊の実父、若菜小監宗治に、そっくりなのである。
しばしの沈黙の間が、流れた。それを、奇妙なもののように、メアリー達は眺めていたが、
「小父さん……? 乙さまと、留伊さまが、どうかしたんですか?」
と、メアリーが梅雪軒を見上げて言った。
「な――なんと申したメアリー!」
その大きな声に、ビクッ、と、メアリーの肩が上がった。答えたのは、乙であった。
「わたしは、高科乙です。こちらは若菜留伊と申します」
梅雪軒は弾かれたように顔を乙に戻すと、矢庭に、床に諸手をついて、土下座をするような格好となった。
これには、さすがの乙と留伊も狼狽した。梅雪軒は構わず、言った。
「お分かりになられぬのも、無理はござらぬ! 拙者です! 景次郎にござる!」
――馬鹿な!
乙と留伊、二人がそう、肚裡に叫ぶほどの、梅雪軒、衝撃の発言であった。
信じろ、と言うのは、さすがに無理があった。
「わたしや留伊の知る景次郎は、七つになって素読を始めたばかり――。狐狸妖怪の類でなければ、どうして、わたしたちより、年を重ねられたのか、ご説明頂きたいものです」
些かの侮蔑を込めて、乙は問うた。
「はい。下野佐野を最後に、姫と姉上のお手紙が絶えたのは、まさしく、拙者が七つの時分でござった。これは、中道にお倒れになられたのだと、子供心に泣き濡れたものでござる。ならば拙者がと、修行に明け暮れ、そのあいだに、元服して梅雪軒景勝を名とし、そして、月日が巡る事十二年。お二人と、原口勘兵衛を探索する旅に出たのです。それに、仇討免許状をお持ちであったはずの姫ですから、無縁仏になられるはずも無く、国許へ免許状が舞い戻らぬのであれば、必ずや、どこかで生きておられるのでは無いかとも考えた次第。そして、このケリスオーヴァの地に迷い込んだのが、十年前の事でござる」
梅雪軒の告白には、些かの澱みも無かった。
「まこと――まことにそなたは景次郎なのですか?」
震える声で、留伊は膝を折った。
「はい! 姉上におぶられて、唄って頂いた子守唄を……この景次郎、けっして忘れてはおり申しませぬ!」
梅雪軒が、その子守唄を、披露するでもなく、口ずさむ。
「――! ……景次郎……大きくなって……」
留伊が、梅雪軒の手を取った。
乙も片膝をついた。留伊と景次郎にしか判らぬ、やりとりであった。それでも、勘繰れば、疑問の余地はあるにはあるが、事ここに到っては、梅雪軒が景次郎であることに、間違いの無いようであった。
「拙者は、この地に迷い込み、お二人に再び相まみえる事は、諦めており申した。それが……それがこのようなかたちで……」
梅雪軒の眸子に、涙が溢れた。
目を丸くして三人を眺めていたガイエルが、ポツリと呟いた。
「ほほぅ――。珍しいケースじゃな」
聞きとがめたのは、乙であった。
「珍しい?」
「うむ。つまり、アレじゃろ? 梅雪軒は留伊ちゃんの弟という事じゃろ?」
「いかにも、そのようです。驚くばかりですが……」
「前に、説明したが、ケリスオーヴァにゃ、ちょいちょい日本人が来ると、言ったじゃろ? その日本人はの、その者が生きとった時代を問わず、来るのじゃよ。じゃから、向こうでは乙ちゃんたちの方が、こっちに来たのが早い事になるが、こっちでは、梅雪軒の方が早く来た事になるっちゅう訳じゃ。しかし、姉弟で年齢が逆転してしまうとはの……。不っ思議じゃのー。ホンマ、どうなっとるんじゃろ?」
「お待ちください。そのお話では、わたしたちより、ずっと後に、生きておられる方が、明日、こちらに来る可能性も、あるという事でしょうか」
ガイエルは「うん。あるよ」と頷いた。その後、すぐ隣にいたシドに確認した。小声で、
「つーか、たった今、そう説明したよね? ワシ」
「クレバーに見えて、パニってるのでは? ……可愛いですね」
シドも小声で返した。乙には、聞こえていないはずである。仮に聞こえていても、乙には理解の出来ぬ単語であった。
「景次郎――いや、梅雪軒であったか。……――父上は、高科家は、どうなった?」
乙は、聞きたい様な、聞きたくない様な、複雑な心境であった。しかし、いずれは聞かなければならぬ。
「そ――それは……」
梅雪軒は言いにくそうであった。その態度だけで充分であったといえる。しかし、気丈にも、乙は促した。
「お二人が旅立たれて六年後、内匠頭様がお亡くなりあそばれ……御嫡子美濃守様も、僅か二年で、お亡くなりあそばれたのです。内匠頭様御次男であられた、正諶様が養嗣子となられ、丹後守さまとなられたその年の晦日、主膳様も……卒中でお倒れあそばれ……高科家は……断絶……致しました」
はらはらと涙を流しながら、梅雪軒は搾り出すよう言った。
――父上……! 兄上……! 申し訳ありませぬ……!
乙は、瞳を強く閉じねばならぬ努力を、強いられた。悲しさと悔しさで、胸が一杯になり、涙が溢れそうになったのだ。
しかし――駄目であった。
「――御免!」
乙は立ち上がり、踵を返すと、脱兎の如く、ガイエルの部屋を出た。
「姫さま!」
「姫!」
後ろから、留伊と梅雪軒の声がしたが、乙は振り向く事もしなかった。
三
自室に引き篭もって、乙は、留伊をも遠ざけた。扉には、鍵を掛けた。何度も扉を叩く音と、留伊と梅雪軒らの声がしていたが、乙は無視し続けた。
泣くだけ泣いて……涙は枯れたが、悲痛は、去ってはくれなかった。その頃には、扉の向こうも、とうに静かになっていた。
呆然自失として、壁に立てかけた、高科家家宝の弓を眺めていたが、いつしか、視線は動き、刀架けの大小に移っていた。
それから、じっ、と身じろぎもせず、どれほどの時間が経ったであろうか……。部屋が暮色に包まれ、茜に染まったのも、陽が隠れて、月明かりが射し込み始めたのも、乙は感覚していなかった。
――死んで、お詫びするか……? あの世で……。
不意に、その考えが去来した。途端、乙は強烈な死の誘惑に駆られた。
――そうだ……! それしかあるまい!
もし、ここで、轟音と共に、扉が吹き飛ばなければ、乙は脇差を手に取り、己が咽喉を突いていたであろう。
乙がのろのろと立ち上がったと同時に――
ゴオ――ンゥッ!
先ほどとはまた違った意味で、乙は呆然として、宙を舞う扉を、眺めたことであった。
「姫さま!」
舞い上がる埃を掻き分けるように、留伊が躍り出て、乙に抱きついてきた。
「る――留伊! こ――これは、一体、いかな事……」
「ご無事ですか!? お怪我はありませぬか!?」
乙に怪我一つ無いのを確認すると、留伊は、
「良うござりました……ほんに良うござりました」
涙を隠そうともしなかった。
「留伊さんは、あなたが自殺されるのではないかと、心配されていたんですよ」
遅れて、シドの声。
乙には一言も無い事であった。
「老師、俺は、ここまでしろと、言った訳じゃないですから。……一応、言っておきます」
「いや、もう、乙ちゃんが死んじゃうかと思たら、居ても立ってもおれんかったんじゃろ。さすが、ワシ譲りのフェミニスト」
「お師匠? お師匠はただの色魔です。そして僕が女性を信奉するのは、生まれつきです」
「ほーか。毎晩毎晩、この部屋に忍び込もうとしとるクセに」
「それは、お師匠の方でしょう? 僕はその阻止の為に見張っているだけですよ。なにせ、マスターキーを持ってるのは、お師匠なんですから」
「ピッキング道具持って見張りか」
「万が一、お師匠が先に入って、中から鍵を掛けた、という非常事態に備えて、です」
「口の減らん弟子じゃな。誰に似たのかの」
「そこに関しては間違いなく、お師匠でしょうね」
師弟の醜い口論を遮るように、梅雪軒が、乙の前に出てきた。
「姫。まことに失礼ながら申し上げ仕る。ご自害あそばれようとされたのであれば、浅慮短慮の極み。犬死でござる」
「何故だ。わたしは、己の務めも果たせず、高科の家を断絶させてしまったのだぞ! 本邦への帰還も叶わぬと聞いた! 咽喉を突く以外! 咽喉を突く以外、父上や兄上、ご先祖累代に、お詫びする方法はあるまい!?」
「姫がご自害あそばれれば、それこそ、まことの断絶でござる。なれば、御家再興も叶いますまい」
「戻れぬのだ! 高科家の再興など叶わぬ!」
「いかさま。戻れませぬ」
「ならば他に道は無いではないか!」
「いいえ! 御家の再興は可能でござる!」
梅雪軒は真っ直ぐに、乙の瞳を見ながら、ずばりと言ってのけた。
思いがけずの言葉に、乙は戸惑った。
絶対に不可能なことが、可能である! という梅雪軒の言葉は、死者を生き返らせる方法にも似た、謎であった。
「姫と姉上がケリスオーヴァにいらっしって、七日ほどである事は、先ほど、姉上から聞き申しました。もしやすれば、既に、お聞き及びの事かと存じますが、我らの世から、百数十年後には、徳川の天下が終わりを告げ、政を朝廷にお返しし、武家はその魂を取り上げられる事となり申す」
「……何!? まことか?」
「真偽の程は、判りませぬ。しかし、先ほど姫がご自身のお口で、ガイエル様にお問われあそばれたではありませぬか。拙者は、拙者よりもずっとずっと、のちの日本に生まれたという者たちを知っており申す。その者たちの語るところを、空虚迷妄とは、この梅雪軒、思えませなんだ」
乙が何も言えないのを、見て取ると、梅雪軒は更に続けた。
「政が朝廷に返されたのち、明治、大正、昭和、平成等々、神号が変わるとの事でござる。
明治の御代には、四民等しく町民となり、武士は刀を取り上げられるとの事。昭和の御代には、日の本瑞穂の国が、諸外国との合戦に負け、辛酸を舐めるとの事。
よろしいですか、姫! 肝心なのはここからでござる。
それがしが、高科家の再興を可能と申し上げたのは、ここは、百数十年後に、槍先の功名、弓馬の門の誉れが顧みられなくなり、惜しげもなく唾棄されることになろう日本ではなく! ここは! ケリスオーヴァなる地なのでござる!」
しかし、乙にはまだ解らぬ。
「姫。何度も申し上げますが、ここは――この世界は、日本ではござらぬのです。畢竟、御家の再興はこの地で、成し遂げられよ!」
「……この地で……?」
「いかにも!」
「しかし……わたしは、女の身……なのだぞ?」
「それが、いかがあそばれた。この地は、男も女もありませぬ。女の領主というのも、おり申す。そもそもが、このノールバックの国主からして、女性、なのでござる。人間青山いたる所にありと申すではありませんか。自刃あそばすのは、犬死にと申し上げた次第、お解かりになられましたでしょうか……」
梅雪軒の、必死の言葉に、乙は心が大きく揺れた。
「だが、稲葉様から蒙った御恩顧を、裏切る事にはならぬか?」
あとは、このことこそが、気がかりであった。
「御懸念御無用――。丹後守様は、高科家の代々の御忠孝をお讃えになり、こう、申されました。『断絶では無く、再び一国者になる故の、名誉の御役御免である。我が家中から、新たな国持ちが出る。この栄誉を高科は我が家中にもたらした。これこそ、最高の忠義である』と」
梅雪軒のこの言葉は、嘘であった。だが、嘘も方便、梅雪軒は何としても、乙の心を前向きにしたかったのである。
「まことか……。ああ……なんという、慈悲の深きお言葉……」
「ですから、姫におかれましては、かまえて御自害なりませぬぞ。この梅雪軒がついており申す。姉上もついており申すぞ」
うむ、うむ、と乙は何度も頷いた。
そんな乙を、デュークは冷ややかな目で眺めていたが、その内、無言で部屋を出て行った。
ようやく、乙に生きる気力が沸き、新たな大望が生まれた。高科家の再興は、この地において必ず成し遂げる事となった。
梅雪軒にはしかし、別に為さねばならぬ事があった。オドアケル・スピレインの調査である。
それを知った乙は、梅雪軒に言った。
「改めての家来の誓い、幸甚の至りであるが、御老中ともお申しすべきお方から、お役目を頂いておるのであろう? こうして再び、邂逅するとは考えも及ばぬ事だったとはいえ、問題なのではないか?」
梅雪軒はさわやかに歯を見せたものである。
「確かに、承った仕事は全うしなければなりませぬが、拙者の主家は高科家であると、御宰相にはつねづね、申し上げております」
「そうか。それは重畳」
四
乙と若菜姉弟、デュークとシド、そしてガイエルの姿は今、客間にあった。
「それで梅雪軒殿、わたくしどもに訊ねたき儀とは?」
まず口を開いたのは、留伊である。
「はい。過日の、メルベ山の、賊どもの事にござる。その事で、詳しい話をお聞かせ願いたく」
「わたくしと、姫さまが、こちらに迷い込んだ先が、その、メルベという山中でした」
「そうでしたか。これは奇遇。拙者も、初めてこちらへ足を踏み入れたのが、メルベ山でした。――それで、どうなされましたか?」
「うむ。人里を求めて歩いておるところ、五人ばかりの、その時は、ころんだ異人としか思わなかったが、賊に襲われたのだ。それを留伊が、斬り伏せた」
「蟷螂の斧とはよく言ったもの。姉上の薙刀の腕前も知らずに、愚かな者達ですな」
「梅雪軒殿。先ほどから、話が逸れてばかりですよ。しっかりなされませ」
留伊は注意したが、その目は細くなっていた。
「これは、失礼仕った。して、その後は?」
「うむ。一度に四人の屍体は運べぬので、やはり人里に出ようという事にした。そこで、ガイエル殿に出会えたのは僥倖であった」
「翌日、仏様を弔おうと、そちらのお二方とともに、今一度、戻ったのです」
梅雪軒は「なるほど」と、短く頷いたのち、デュークとシドに顔を向けた。促しと見て取ってか、シドが話し始めた。
「で、その途中、留伊さんがやっつけた方たちのお仲間が、大挙してやってきた訳です。いやあ、凄かったですよ。僕は慌てるばかりだったのですが、三人は落ち着いてましてね。留伊さんがあっという間に、また四人を気絶させると、乙さんも、目にも留まらない迅業で、撃退しちゃったんですから」
賊がそこでは一人も死んでおらず、乙が逃がした事も語った。
「そうか。デューク、お主はどうしていたな」
「ご助力無用と言われましたから。眺めていました」
「その後、僕と乙さん、留伊さんは、屍体を回収しに向かって、デュークは留伊さんの攻撃で気絶した四人から、話を聞く為にその場に残ったんです」
「不首尾でした。そいつらは何も知らず、スピレインの紋章の剣を持っていただけで。ただ、リーダーから言われるままに動いていただけのようです」
「ちなみに、最初のわたし達を襲った賊は、その得物を隠されておったぞ」
その後、梅雪軒は、運んだ四人の屍体は、アンドリュー教会に届けたことを聞き、しばし、黙然としていたが、やがて、
「姫、姉上、何は無くとも、ご無事で何より。デュークもシドも、大儀だった。私からも礼を言う。ガイエル様におかれては、またのちほど、改めて」
梅雪軒は全員に向けて一礼した。
半刻ののち――。
闇をまとって、梅雪軒はアンドリュー教会へと向かっていた。正確には、アンドリュー教会の地下安置場が目的地であった。乙たちが引き渡して六日。まだ、埋葬はしていないはずである。梅雪軒は、その屍体を一目見ようとしているのであった。
オルレイア教では、その派閥を問わず、死後十日程してから、やっと、埋葬するのが一般的であった。その間、屍体は安置され、毎日、司教が祈りを捧げてやるのだという。
雲に、月が遮られている夜であった。立ち並ぶ家々からの明かりも既に無く、森として、闇は深い。
一間先、一寸先に何かがあっても、常人には判らぬという夜道を、しかし、梅雪軒は明かりも持たず、また、足音もなく、まるで昼間であるかのように歩いている。
梅雪軒には、忍術の心得があった。
六無――即ち、無音・無声・無臭・無色・無息・無形。ケリスオーヴァに来訪した時は、その境地には至っていなかったが、今日までに完成させるに足る時間が、彼にはあった。
やがて、目的のアンドリュー教会に着いた。夜中、教会の正門は固く閉ざされているので、梅雪軒は裏手に回った。裏口があるはずである。
裏手には、楓や、銀杏などの、樹木が植えられていた。
梅雪軒は、扉の前に立ち、鍵穴と格闘する為の道具を取り出したが、何を思ったか、さっ、と反転すると、数間を走り、のち、音も無く跳躍して、楓の枝の上に隠れた。直後――
梅雪軒が破ろうとしていた扉が開いた。四人ほどの人間が出てきた。梅雪軒は盗み見て、
――オドアケル・スピレイン……!
出てきた四人の中に、その顔を見止めた。残る三人は、服装などから推しても、腰巾着のような手下達であろうと知れた。
「では、お気をつけて……」
教会の中から、低いが、よく通る、耳にさわりの好い、男の声がした。ベルヌーイであった。
「うむ。ビシュケにはもう一度、心配するなと伝えておけ。どうせ、掃いて捨てるほどいるからな。こっちも、確かに行き過ぎたが、なに、たかだかガキ四人。すぐに身元を突き止めて、消してやるわ。その後、剣を奪い返せばよいのだ」
どうやら、オドアケルは酔っているらしい。声が大きかった。
「お声が些か大きゅうございます。どこで、誰が聞いているか分からぬことです」
「お……そうだな。ともかく、メルベ山は今まで通りだ。それに、さっきお前が人相風体を言っていた内、女二人には、心当たりがある。ふふふ、どちらも佳い女だった。今日、俺の前に現れた。いや、葬るには勿体無さ過ぎる。先に話を聞いていれば、どんな手を使っても捕まえたのだがな」
――もしや、姫たちのことか?
確信はまだ持てぬが、オドアケルが得意げに話す言葉のいちいちが、符合した。
「くくっ、俺は女を見る目は確かだぞ。あの二人、男を知れば、乱れるぞ……ふふふ」
オドアケルの声量が徐々に戻ってきた。
「しかし……剣を持ち去るとはな。手の者を使って、必ず見つけ出してやる」
オドアケルがベルヌーイへ背中を向けた。
――間違い無い。姫たちの話だ。
それで、充分であった。
――だとすれば、姫たちが運んだ屍体を、わざわざ拝む必要は無い。
梅雪軒はほくそえんだ。そして、オドアケルが立ち去ったのちも彼は動かなかった。しばらくして、ベルヌーイはごくごく小さな独語を口の中で転がした。
「陋劣な似非信者と低能下劣な権力者ほど相性のよいものはない……か」
しかし、梅雪軒の耳は、それを捉えていた。