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嘴の構え

 一


 早朝から、ガイエル翁を訪ねる者が二人、あった。二人は、帯剣していた。

「おう、お主らか」

 ガイエルは、さも、つまらなそうにそう言っただけで、訪問客の二人を迎い入れた。

 訪問客の二人は、まだ若く、彼らが赤子の頃から、ガイエルの知っている少年たちであった。

 一人は名を、デューク・ミレイリアといい、もう一人は、シド・ミレイリアといった。

 二人揃って、同じ服装をしている。黒を基調とした銀ボタンのブレザー。これは、二人の通う士官学校の制服であった。

 黒い短髪のデュークに比べ、シドは銀髪を腰まで伸ばしていたのは、対象的であった。

「お師匠におかれましては、お変わり無いようで」

 シドは如才無さげに、挨拶を済ましたが、デュークに、その素振りは無かった。ガイエルはさして気にも留めずに、

「院の様子はどうじゃな? 最近また、孤児を多く預かっておると聞き及んどるぞ」

 そう、訊ねた。答えたのは、シドであった。

「噂なんですが、コーナイとの戦が、小競り合いレベルから、徐々に、本格化しているそうです。僕たちや一般の民にはその情報は降りて来ていないので、あくまで、噂ですが」

「じゃが、実際、孤児を引き取っとるんじゃろう?」

「ええ、まあ。でも、順調ですよ。院、自体は。今や、宰相直轄事業みたいなものですから」

「ほーか」

 ガイエルはそこで、少年二人を見つめ、十を数える時間、黙った。

「折角、ライジーアが苦労して作った孤児院が、兵士候補の家にならねば良いが」

「……」

 シドは答えず、苦笑を浮かべた。

 戦災孤児を引き取り、育て、長じてのち兵士にさせる。これは、国を任される者であれば、おそらく、誰でも思い付く話であろう。

 高科乙と、若菜留伊がこの場に居合わせていれば、戦国時代の武将、武田信玄の命を受けた望月千代女が、孤児となった少女たちを引き取り、女忍者に育てた話をここでしたであろう。

「老師が圧力をかければ、早い」

 ようやく、デュークが口を開いた。

「その懸念があるのか? お主ら二人以外にも」

 にわかに、ガイエルの表情が曇った。

「正直……この一年で、周囲の目口や状況は、一変しました。コーナイの被災児まで引き取る必要があるのか、という意見も出ています」

「何故じゃな? 別に税金投入しとる訳とちゃうじゃろ。宰相直轄みたいゆーたかて、もともと、セーティ家やリアス家の援助が続いとるだけじゃろ」

「老師は、ご自分で言われるように、世事に疎い。……戦争が無ければ、誰も何も言わない。問題無かった。宰相やリアス家が私財を投じる美談で済んだ。しかし、戦争が始まって、しかも、敵国の孤児まで引き取れば、美談では済まされなくなる。少なくとも、戦争で負担を強いられる民には」

 デュークの面には、憂いと皮肉と嘲笑がない交ぜになった、複雑な心理が表れていた。

「この二十年のカチュア女王の政で、王侯貴族は民にかしずくもの……その考えが、王都の民には根付いた。国の下に民があるのでは無く、民の下に国があるという言葉は、確かに至言だが、同時に妄言であった事を、俺は知った」

「デュークの言葉は少し、乱暴ですが、僕も、似た気持ちです。

 宰相を食わせているのは国民である我々だ。その宰相に食わせて貰っているあの孤児院はつまりは我々が食わせてやっているのだ。

 一部ですが、こういう事を言っちゃう人間が出てきました。悲しい事に、リボー卿がその意見に同調しています」

「リボー卿――オーギュストか。あやつは、民の機嫌を取って、二十年前に失った権勢を取り戻そうと、必死なんじゃろ。父親が馬鹿だったばかりに失ったというのに、やはり、息子も馬鹿じゃな」

「オルーエン子爵からお聞かせ頂いた話では、リボー卿は先ほどお師匠が口にされた兵士育成うんぬんのような事を、会議で提案なされたそうでよ。女王陛下は呆れてものも言えず、ゼクス宰相が卿を一喝する顛末になったそうなんですが……それが、新たな誤解を生みました」

 シドは一旦、ため息をついた。

「この話がどこでどう、尾ひれ背びれが付いたのか剥がされたのか。女王陛下が何も言わなかったのは、暗にリボー卿に賛成したからだ、となって、王都民に広がっています。二十年前は戦乱終結の立役者だった宰相も、今では、亡国への案内人などと言われている始末ですよ」

「なるほど……な」

 先ほどとは比べ物にならぬほど、重いため息をつくシド同様、ガイエルのそれも重いものであった。


 二


 やむを得ず、と言う他は無かろう。昨日は色々の事が立て続けに起き、慣れぬ寝具に横にならざるを得なかった高科乙、若菜留伊の二人は、いつもより、寝過ごした。

「僅かばかりとはいえ、狐狸に化かされているのではと、期待していたが……やはり、これが現実か」

 仰臥したままで、乙は細緻な模様の描かれた天蓋を見つめながら、独語した。

「お目覚めでございますか」

 乙よりも、今の時間にして二十分ほど早く目を覚ましていた留伊は、鏡台の前に座って、既にその髪を結い終わっていた。

「昨晩は、あまりお眠りになられておられませんでしょう。もう少し、お休みになられた方が……」

「それは、留伊も同じであろう? ……今、いくつ程であろう?」

 身を起こしながら、乙は問うた。つと立ち上がった留伊は、陽の差し込む窓へ寄り、手をかざして太陽の位置を確認した。

「……おそらく、五つ半頃かと、思われます」

「そんな時間まで、いぎたなくも寝ていたのか、わたしは」

 普段、どれほど遅くとも、七つ半――おおよそ、日の出の一時間前――には、目を覚ましていた二人であった。

「先ほど、メアリー殿が、洗濯の済まされた、我らの着物を持って来て下さいました。姫さま、おきかえを」

 目を廻らせるという程も無く、乙は、ベッドの傍のテーブルに置かれた、己の着物を見つけた。手に取ると、非常に心を尽くされたのが、すぐに分かった。そもそも、肌に着ける順に、たたまれていた。肌襦袢は、初めて求めた時と同じように白く、小袖、袴も、半年の旅で付いた汚れは全て、失われていて、かつ、色落ちは、いささかかも無いのである。

 手早く着替えを済ませて、乙と留伊の両名は、部屋を出た。

 階下、昨日、ガイエルの応対を受けた客間に向かってみると、老賢者の他に、少年が二人、この家の主人と話していた。

「おう」

 ガイエルは、にっこりと微笑んで、二人に手を上げた。

 が、

「あっ、お取り込み中でしたか。大変失礼致しました。後程、改めて」

 乙は一礼して、退室しようとしたが、ガイエルがそれを引き止めた。

「よいよい。話も終わったでの。だいたい、男の顔を見ているより、女の子の顔を見る方が、老い先短いワシの精神衛生上にも良いし」

「はあ……よろしいのですか?」

 乙は、ガイエルだけでなく、少年たち、即ち、デュークとシドにも確認を求めた。シドが、にこやかに、

「どうぞどうぞ。お座りになってください」

 自身の隣の椅子を勧めた。

「では、お言葉に甘えて……」

「どうじゃな? よく眠れたかの?」

 乙と留伊が座ると同時に、ガイエルはそう訊ねた。

「はい。一宿一飯の御厚意、まことに有難く存じます。この御恩は、決して忘れ申しません」

「右も左も分からぬ女の子達を、放っては置けぬからの。――昨夜、メアリーから聞いたが、お主ら、自分らを襲った山賊だか追い剥ぎだかを弔うんじゃったな」

 乙の隣のシドが、信じられないと言ったふうに、目を見開き、乙の横顔をのぞき見たが、彼女は頓着せずに頷いた。

「ええ。ただ、それにつきまして、甚だ厚かましいお願いであるとは、重々承知の上ではございますが、人手と、荷車があれば、お借り受けたく……」

「人手か。じゃったら、この二人を連れて行くとええ。教会には、話をつけておいてやろう」

 ガイエルは事も無げにそう口にした。

「あの、お師匠。その前に、彼女たちを、是非とも紹介して頂きたいのですが」

「高科乙ちゃんと、若菜留伊ちゃんじゃ。二人とも、こいつらはシドと、デュークじゃ」

「ガイエル殿――」

 『ちゃん』付けはさすがにやめて頂きたく、と言う暇も無く、

「僕が、シドです。シド・ミレイリア。よろしく。乙さん、留伊さん」

 シドが立ち上がって乙に対し一揖し、右手を差し出した。仕方なく乙も立ち上がり、一礼ののち、握手を返す。

「高科乙です。しかし、ご迷惑ではありませんか?」

「とんでもない。女性が困っているのを見過ごすのは、僕のプライドにかかわりますので」

「――? さ、左様ですか。……かたじけのうございます」

 乙には、プライド、という言葉の意味が分からなかったが、自分なりに想像して、そう、礼を述べてみた。あながち、間違っていなかったようで、シドは、次に留伊へまた一揖し、彼女へ握手を求めた。

「ガイエル殿。それと、もう一つ」

 椅子へ座り直して乙は、袖から、小判二十枚と、二両分の銀貨を取り出した。

「これは、日本での、金子です。この小判一枚――つまり一両で、米を、六斗ほど、求める事が出来るのですが……こちらでは、いかほどの値打ちになるのでしょう?」

 ガイエルは微笑んだ表情を変えずに、しかも、金子銀子を手に取るでも無く、即答した。

「さあ? ま、当然じゃが、こちらでは使えん。じゃがの、純度によっては、かなりの値打ちにはなろう。じゃが、ワシにその鑑定は無理じゃ」

 乙は気落ちしたが、それを面には表さなかった。

「左様ですか」

「すまんの」

「いえ……。こちらでの値打ちが、分からぬ事とはいえ、ガイエル殿、どうか、お納め下さいますよう、お願い申し上げます」

「はぁ?」

「少なくとも、小判、銀貨共に、金も銀も使われております。一文にもならぬという事は無いはず。わたしたちにかけて下さった御厚意と、わたしどもが、知らぬ事とは言え、働いた無礼への、寛大なお心に、いささかでも、これでお礼申し上げる事が出来れば、これに尽きる事はありません。どうか、お納め頂きたく」

 乙の言葉に対して、ガイエルは口をぽかんと開けて、奇妙なものを見るような顔つきであった。

「それで、お主ら、どうする気じゃな?」

「どうする、とは?」

「幾らになるかはワシには分からんが、持っとけば、イザっちゅう時、換金も出来ように、じゃのに全部ワシに渡してしまって、どうするんじゃ?」

「それは……」

 これには、乙も留伊も、はっとさせられたものであった。まずはガイエルに恩を返す事ばかりを考えて、己らの生活の事には、全く意識が行っていなかったのである。

「まあ、ともかく、礼なんぞいらんから、しばらくこの屋敷に留まるが良い。世話しちゃるから」

 ガイエルは、乙の差し出した小判には手を付けず、そう言ったものであった。


 三


 ガイエルとシドが、強く勧めたので、乙と留伊は、朝食を済ませてから動く事とした。和食であった。昨晩メアリーが言っていた通り、料理人の腕はかなり、良いものであった。

 食事中、シドやガイエルが話し掛けてくるのには、正直閉口したが、郷に入れば郷に従えの言葉を思って、耐えた。

 食後、一旦部屋へ引き取り、乙は二刀を腰に帯び、留伊は大薙刀を携えて、再び彼らの前へ姿を見せた。高階家伝来の弓は、部屋へ置いておくことにした。

 シドは、二人のその姿に、しばし呆気に取られたようであったが、デュークは初めて二人へ興味を示したらしい。小さく、微笑を口辺に浮かべた。

「高科さま! 若菜さま!」

 デュークとシドと共に、屋敷の敷地を出て、半町ほど行くと、後ろからメアリーが走って来た。

「メアリー。どうしたのです」

「わたしもお手伝い致します」

 軽く息を弾ませて、メアリーは言ったが、乙は出来るならば、遠慮したかった。

「それは……」

「駄目ですか……?」

「そう言う訳では……これから、屍体を運ぶのですよ?」

「え……」

「えっ!? そんな事聞いていませんよ!?」

 怯えるメアリーと、驚くシドであった。

「あっ! だから荷車……?」

 乙はシドに振り返って、頷いた。

「はい。ですから、今から、先ほどガイエル殿にお教え頂いた所から借り受けて来るのです」

「何に使うのかと思えば――そういう事だったんですか……」

 シドはげんなりした様に、肩を落とした。

「お嫌でしたら、無理にとは申しませんが……」

 シドとデュークに対して、乙は言った。やや、うわずった声音ながら、シドは答えた。

「い――いえっ! お手伝い致しますとも! ね? デューク?」

「面倒臭いが、老師に言われたからな」

 デュークは静かに言った。

乙はメアリーに向き直った。

「目には、悪い光景です。慣れぬ者では、気分も害します」

「悪い事は言いません、メアリー、お帰りなさい」

 留伊も乙を援護した。

「それに、また別の賊に襲われるやも知れません。危険です」

「この二人の言うとおりだ。お前は来ないほうがいい。足手まといだ」

 デュークですら、メアリーを説得しにかかった。

「お兄ちゃん……でも、あたしもお二人のお役に――」

「メアリー、よく聞いて下さい。わたしどもの役に立ちたいと思うのなら、わたしたちが帰って来た際の事を、考えて欲しいのです」

 メアリーは、乙と留伊、二人から説得されて、しょんぼりと屋敷に戻って行った。その背中に、僅かな疼痛を、乙は感じた。だが、連れて行く訳にも行くまい。

「デューク殿は、メアリーの兄上御でござられましたか」

「僕もだったりするんですよ。乙さん」

「シド殿もでしたか」

「はい。もっとも、血は繋がっていませんが。王都にある、同じ孤児院で育ったのです」

「左様でしたか。メアリーには、昨夜から、一方ならぬお世話を受けています」

「それがあいつの仕事だ。さ、行くぞ」


 四


 一刻後――。一番大きな荷車を借りて、四人は、メルベ山道を辿っていた。昨日襲撃を受けた場所は、杣道を抜けた後であったので、一本道である。

 昨日もそうであったが、全く人とすれ違わぬ。

「昔は、ここも往来盛んだったそうなんですが、十年ぐらい前から山賊が出るようになって、あまり使われなくなったそうです。それでも、オウアへ行く一番の近道ですから、護衛を雇った急ぎの商人たちが使ったりするそうですよ」

 荷車を一人で牽きながら、シドはよく喋った。

「ずっと気になっていたんだが……」

 と、久し振りにデュークが口を開いた。

「わかな、だったか?」

「わたくしに、何か?」

「どんな字を書く?」

「若い、菜の花の菜ですが……。漢字は、お分かりに?」

「ああ。そうか、若菜、か」

「それが、何か……?」

 留伊は怪訝な表情を作った。乙も、興味が魅かれた。

「あれ? そう言えば、梅雪軒(ばいせつけん)さんと同じ苗字ですね。あの人も、日本から来た方ですから、もしかしたら留伊さんと、関係のあるお人かも知れませんね」

 しかし、シドのこの言葉に、二人は、首を捻った。若菜梅雪軒という名に、心当たりが無かったのである。留伊には、景次郎という弟がいるが、今年七つになったばかりであるし、父、祖父共に、小監(しょうげん)を名乗っている。祖父は隠居の際に鳥白と号して、囲碁を愉しんでいる。親戚にも、梅雪軒なる名はいない。

「残念ですが、聞いた事の無い、お名前でございます」

「そうか。……姉と、あるじを探していると言っていたが、関係無いようだな」

「そのようですね――」

 急に、乙、留伊、デュークが、その表情をさっ、と硬いものに変えた。

 ざっと、十数の殺気が、近付いて来ているのであった。

「――? 皆さん? どうかしました?」

「多いな――、包囲されると面倒だ。走れるか?」

 デュークが素早く周囲に気を走らせた。留伊は、手早く鞘を引き払って、帯の背中に差した。

「いえ、その必要は無いでしょう」

 乙は拒否した。大きな殺気だが、人数の多さが、そう感じさせるだけであるのが、すぐに知れたのである。

「お前たちにその必要が無くても、シドにその必要がある」

 乙と留伊は、一瞬だけ顔を見合わせ、デュークに頷いた。デュークが叫ぶ。

「シド! 走れ!」

「えっ? えっ!?」

 同時に、留伊が、単独、身を翻した。ものの二十間を走り戻った所で、更に十間先に、四つの影が、留伊の行く手を遮ろうと両脇の木々の間から躍り出た。昨日より、やや、軽装か。

 その四人の内、二人が弩を手にしていた。それと見て取るや、留伊は、薙刀を両手で水平に構え、それでも、その足を停めない。

 ――愚かな! 弓があるなら姿を見せる必要も無かろうに!

 弩の二人は、慌てたように、狙いを定める為に、己の得物を構えたが、その時にはもう、留伊の間合いであった。

「おぉっ!?」

 別の二人は、その姿を見せた時点ですでに抜剣していたが、留伊が立ち止まるものと、考えていたようであった。

 留伊は、走りながら身体を一回転させると共に、姿勢を低くして薙刀を、弩の二人に見舞った。

 一動作で、二人を倒すと、そのまま、残り二人を、石突で強打した。

 短い悲鳴を残して、四人は倒れた。出血が無いのは、峰打ちだったからである。

「シド殿! お早く!」

 留伊が叱咤し、シドは必死に荷車を牽きながら、走る。

「わぁっ! し、失礼!」

 倒れた四人を過ぎ去るとき、荷車の車輪が、その内一人の身体の上を、通った。

 残った乙とデュークの前方には、優に十人を超える人間が、現れていた。

 デュークは、独語した。

「妙だな」

「妙――とは?」

「追い剥ぎや山賊の装備じゃない。そういう手合いは剣など持たない」

 ――昨日の者達……剣を確かに持っていたが……?

 当然の疑問が、乙の脳裏に浮かんだ。しかし、確実なのは、十を超える者達が、殺気を漲らせて、こちらを襲うつもりであることである。

 さらに、乙は敵の中に、昨日逃げた者の顔を、認めた。

「どうであれ、意趣返しに相違無いようです。で、あれば、わたしが相手をするよりありません。ご助力は無用です」

 デュークが片唇を上げた。

「あの人数をか。随分と自分を過大評価しているようだな」

「ふふ。ここまで、デューク殿がわたしと留伊へ発した殺気――あまりに微弱ゆえ、試されているものと、敢えて無視をしておりましたが、いかが?」

 デュークははっきりと、微笑を刷いた。

「あれだけの屍体を運ぶつもりは無いぞ。俺は」

「留伊も、そのつもりだったればこその、峰打ちだったのでしょう。わたしも、そのつもりです」

 二人は、敵の近寄るに任せていた。

「甘いな。殺せる奴は殺しておけ。さもないと後々面倒だ」

「無用の殺生は、好みませぬ。ですが、万やむを得ぬ時は――そう致しましょう」

 ――弩は、四人。まず、射ってくれば良いものを。

 乙の肚裡の呟きは、留伊のそれと、ほぼ、同じものであった。

「わたしたちは、昨日、幽明境を異にさせた四人を、弔うために来たのです。どうでもわたしたちを襲うつもりとあれば、この景色が、そなたたちの、この世の見納めと、思っておいて頂きましょうか」

 乙は、迫る敵に言い放ったものであった。しかし、それで止まったとすれば、昨日の今日で乙たちを襲わぬことであったろう。

「ざけんなっ! 仲間四人やられて、昨日の今日で姿見せられちゃな、コッチも黙ってるわけにゃいかねんだよ!」

 敵の一人が喚くように言った。

「野郎ども! やっちまいなぁーっ!」

 おおーぅっ! 鯨波よろしく、全員が剣を腰溜めに構えた。

 距離は、いまだ六間はあった。

「デューク殿、お下がりを」

 乙はむしろ鷹揚に言ったものだ。緩慢ともいえる動作で、乙は、静かに、刀を抜いた。

 まず、正眼に構えたのち、乙は、右手を返して、刀を寝かした。つ――と、更に右足を下げ、右入身になり、合わせて、刀も動いた。しかし、脇構え隠剣には取らない。刀の峰を敵に向け、水平に保つ。刀の長さを秘匿するのでは無く、晒し、敵に見せる……。

 (くちばし)の構え、という。

乙が鞍馬古流を研鑽し、独自に工夫した一手であった。

第一の敵が、走り寄りながら、剣を振りかぶった。大上段から振り下ろされるそれを、乙は僅かな動作で見切り躱し、その刹那には、敵の右手首を浅く斬り払っていた。

「ぐっ!」

 手の筋を損傷し、剣を落としたその敵を、乙は蹴り飛ばした。後続の敵がたたらを踏む一瞬の間隙を、見逃す乙では無かった。ぱっ、と一跳びするや、必要最小限の動きで、次々と、手首を狙っていった。

 秒にして二十を数える間に、八人までもが剣を取り落とした。

 乙は二間を跳び退り、再び、嘴の構えを取った。

「折角、それだけの弩がありながら、その機を逃したのは、失敗でしたね」

 思わず、そう嘲笑ってしまう乙であった。

 もとより、そう立ち回っていたのだが。

 残る敵は、弩の四人と、先ほど号を飛ばした一人であった。

「なにしてる! 撃て!」

 弩が構えられたが、乙は、微動もせずに、嘴の構えを保っていた。

 一斉に放たれた矢を、乙はただの一振りで弾き飛ばした。

自分に向けられた矢が、同時に発せられたのである。その事が、弾く事を容易にさせたといえた。同時では無く、時間差で放たれたのならば、乙の対処は、いささか困難であったろう。

「――んな……馬鹿な……」

 呆然として、敵は言った。戦意は、挫けていると見えた。

「まだ、続けますか?」


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