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神隠し

 一


 明和二年皐月。

 高科(たかしな)(おと)若菜(わかな)留伊(るい)両名の姿は今、野州下野国佐野にあった。

 故郷、山城国淀を旅立ってからすでに半年が経っている。仇討ちの旅であった。乙は兄の敵を追っているのであった。

 山城、淀、稲葉家家中、国家老筆頭・高科主膳(しゅぜん)正保(まさやす)の子である、掃部(かもん)成正(なりまさ)のその無残な骸。そして、当主・稲葉内匠頭(たくみのかみ)正益(まさよし)から敵討ちの許可を貰った日の事を、乙は思い出す。

 少々、気弱になっていたのであった。その度に、兄の死顔と、父の言葉を振り返っては、軟弱になりかかる己が心を、乙は、鼓舞するのであった。

『お前は女の身でありながら、家訓を尊び、若年ながらも、弓術を筆頭に、武芸天稟、優れたるものがある。見事本懐を遂げてくれるものと信じておる』

 主膳はそう言って、高科家に代々伝わる弓を、乙に授けた。その弓は高科家の象徴であった。

 敵討ちが許されれば、本懐を遂げるより他に帰る術は無い。遂げねば、家督の相続も出来ぬし、主膳は、養子を取る事も出来ぬ。もしも、主膳が没するまでに間に合わなければ、高科家は断絶となる。

 しかし、もう半年が過ぎていた……。兄の敵・原口勘兵衛の消息は、ここ、下野佐野を最後に、杳として知れなかった(この頃、佐野は幕府直轄地であった)。

 二日をかけて、訊きまわったが、手掛かりは、何一つとして、得られなかった。

 ――むかし、尼子家再興を悲願とした山中殿は、艱難辛苦を自ら望まれた。それは、耐え切れば、必ず、悲願成就の時が来ると、一途に信じておられたからだ。山中殿に比べれば、わたしの苦境など、たいしたものではない。

 乙はそうは思いながらも、やはり、暗澹たる気分であった。


 二


「姫さま――」

 留伊が乙へ、そっと声をかけた。宿場での情報収集も空振りに終わり、旅籠に戻る途中の事であった。

「あんな処に、お社が」

 乙が、留伊の示すほうに視線を移すと、確かに、宿場からそう離れておらぬ小山に、それらしい鳥居があった。だが、目測で、今の所より、四半里あると見える。山門は、文字通り、山の入り口であった。

 この二日、仇敵の情報ばかり集めるのに、躍起になっていて、景色風景は、二の次であった。故に、今まで、気が付かなかった。

 今の時間にして、およそ十分後。

 乙と留伊は鳥居をくぐって中に入ると、しかし、神社は荒れ放題に荒れて、参拝者も神主も居らぬのが一目で知れた。

 細い注連縄の巻かれた、立ち枯れた、椎の木があった。御神木であろう。

 それでも構わない。乙は、こじんまりと、風化されるままの本殿まで進んで、名も知らぬ社の、名も知らぬ神を呼び出し、一心に祈った。

 ――何卒この乙を勘兵衛殿のもとへとお導きくだされ。その為にはどのような苦難にも耐えまする。何卒、この乙の願いをお聞き入れくださいませ!

 乙は旅に出てからというもの、寺社に気付くと必ず、そればかりを願うのが習慣となっていた。


 旅籠に戻る道すがら、二人は、充分に、人目を引いたと言えた。

 乙は、長い総髪を若衆髷にして、薄桃色の小袖と羽織に黒の仙台平の馬乗り袴、弓袋と矢筒を背中に回し、腰には大小を差していた。身分ある武士の出で立ちであった。

 留伊はと言えば、島田髷に浅葱無地の振袖で、桜柄の帯を文庫にした、武家の娘らしいなりをしているものの、やはり、その手に持った静型の大薙刀が、偉容を醸し出していた。

「明日出立いたそうかと思う」

 乙は隣を歩く留伊にそう告げた。

「どちらへおいでになるのです?」

「人を隠すのなら人の中、と諺にもある。勘兵衛殿もきっとそのようにお考えやも知れぬ。だからこそ、ここでふつりと消息が絶えたのではないだろうか」

「では、江戸に?」

 乙は無言で頷いた。

 この二人、同い年である。数えで十七歳だから、現代で考えれば十六歳。きりりとした眉目も涼しく、瞳は理智に富み、意思も固そうに真一文字に結んだ唇の乙。幼さが多少残るものの、乙に引けを取らぬ器量の留伊。そのような二人が、かたや颯爽とした男装で弓袋を背に回し、かたや大薙刀を手にしているのだから、すれ違う者達に、興味の目を向けるな、というのは、土台、無理な話だった。

 もともと、高科家は三万六千石、譜代大名という大身であった。若菜家はその時代からの高科家家臣である。しかし高科家は、寛永十八年、将軍家光の勘気に触れた。

 浪人に没落する寸前、九百石もの厚遇で拾ってくれたのが稲葉家であった。百年以上前の話である。爾来、高科家は稲葉家への忠義一徹を家訓にしていた。

 何事かあらば、高科家一族郎党老若男女を問わずに主君を御守りせねばならぬ。為に常日頃から武芸勉学、士道、御奉公吟味、努々怠るべからず。

 高科家はこの言葉を守ってきた。無論、乙も、例外では無かった。


 三


 その夜、乙は昼に祈った社の話を、旅籠の老主人から聞いた。

「あのお社ですか……。なんでも遠い昔、何人か詣でた人が神隠しにあったそうなのです。みんな怖がりましてねぇ。近寄る者もおりません。元々は、ご利益のお高い神さま、だったそうなのですが……」

「どのようなご利益であったか、知っているか?」

 乙はそう訊ねてみたが、主人は首を横に振った。

「申し訳ございません。なにせ、手前が物心ついた時分にはもう、ああいう状態でしたから」

「そうか。――妙なことを訊いて済まぬな。許せよ」

 いえ、そんな、滅相もございません、と言って主人は立ち上がりかけたが、

「そうです、そうです。手前が小さなときのことを、思い出しました」

 またすぐに座った。

「御神名までは覚えてはおりませんが、この宿場の老爺が申しておりましたのは、旅の成功を御祈願していたとか」

「旅の成功? 旅の安全の間違いでは?」

 留伊が聞きとがめると、主人は頷いた。

「手前も、幼心に、それが気になったものですが、成功で、間違いないようなのでございます」

「ふむ。それは心強い。では、明日の出立前にもう一度、祈願いたそう」

 すると主人は渋い顔を作った。

「お言葉ですが、それは、お止しになられましたほうが――先ほども申し上げました通り、神隠しがあったそうでございますから」

 しかし、乙は頓着しなかった。

「しかし、もう、ずっと前の話なのであろう?」

「それはそうでございますが……」

「安全では無く、成功となれば、わたしたちにとって、願っても無いことなのだ」

「存じておりますとも。存じておりますゆえ、こうしてお止めしているのではございませんか。お武家さまの世界は、手前にはよくは解らぬ所でございますが、仇を討たれんとするお心掛けが、どれだけご立派な事かは、これは、手前にも解ります。ですから、もしも神隠しなんてことになられましたら……」

 そう言って、引き下がろうとしない、主人であったが、乙の意思が強固だと理解するや、しぶしぶといったように、頭を振った。

「やっぱり、お武家さまなのですねぇ……手前ではようよう近寄ることも致しませぬのに」

「あるじ済まぬな。わたしたちの身を案じてくれているのは、よく分かるし、ありがたい。だが、心配には及ばぬと思っておいて欲しい」

 主人はまだ何か言いたげであったが、何も言わずに一礼して、退室した。


 四


 明け六つ半。うら寂れた社は、昨日と何の変わりも見せずに、乙と留伊の二人を迎えた。

 旅籠の主人が気遣ってくれ、昼分の握り飯を用意してくれていた。

 昨日と同じように、乙は祈った。いや、昨日より強く祈ったと言ってよい。

「よし、では参ろうか」

「はい」

 祈願を終え、乙と留伊の二人は参道を引き返し、鳥居を、潜った、その、瞬間であった。

 仮に居たとして、二人を見ていた者からすれば、急に、忽然として、二人の姿が、消えたのであった。

 あとは、荒れるままの社が、その沈黙を保つのみであった……。


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