第一話 赤と白(4)
学生寮から五分ほど歩き、日和良は学園の中心にある広場にまで連れてこられた。
「どうしたのよ、こんなとこにまで引っ張って。月見酒にはちと時期外れじゃない?」
「いや、いいじゃんか。そんな日もあるって」
そう言って、響はベンチに腰を落とす。日和良もそれに続く。
「松浪とクリス。いい奴だよな」
「……そうね。クリスは気安く接してくれるし、松浪さんもいい人よね。二人、仲がいいのもわかるわ」
二人とも、これまでほとんど接触がなかったのが悔やまれるくらい、気の合う相手だ。あの二人を通じてほかの学生とも付き合いを重なれば、友達を増やしていくことも難しいことではないだろう。
今のところ評判こそ良くないが、学生同士での付き合いでも問題のある相手ではないとしれれば、それだけでも十分だ。
「なあ。あの二人を、本気で打算だけで仲良くしようと思ってたのか」
それはもはや質問ではなかった。響はこういう時遠慮なく問い詰めてくる。
「……わかってるわよ」
白い息を闇に溶かしながら、足元をみつめる。
こうやって、人との繋がりを作れば、居場所が出来ていく。逃げ出すはずのこの学校という場所で。
居心地のいい場所を作っているのだ。
矛盾しているのだ。私たちのやっていることは。
居心地の悪いはずの場所から逃げ出そうとしていたはずが、少しずつ慣れて、認めて、そうして当たり前になっていく。
オペレーション友達?それは本当か?
目指す場所は違っていても、結局は同じことをやっている。
ただただ以前は軽蔑していただけの、「ごく普通の」学生と。
ただただ何も考えず、毎日を謳歌する若者。
それとなんら、変わらない。
それに、と唾を呑みこんでから響は言った。
「おまえ、ひょっとして私らに罪悪感……あるんじゃないか」
響は言葉を噛みしめるようにして、日和良に話しかける。
「誘ったのは自分で、巻きこんじまったとか考えて……そんで、今私らをあっちに馴染ませようとしてるんじゃないか?」
「……あんたも、色々考える奴よね」
大森響の本質は、その態度や容姿とは裏腹だ。
繊細で心の機微に敏感で、そして傷つきやすい。だからこそ彼女は敵に対して冷ややかであり、仲間に対しての温情に厚い。友人でいたいと、思わせてくれる。
そんな彼女だからこそ、色々なものが見える。色々なことを、分かってくれる。
「買い被りすぎ。考えることはあるけれど、そこまで深い人間じゃないわよ、私は。何でも間でも他人の責任までひっかぶっるのも、失礼だって知ってるわ」
日和良は大仰に肩をすくめると、響に向かってはっきりといった。
「私はこれまでと同じ。こうしたいから、こうすべきだと思うから今行動している。それだけよ」
そうして相手の目を見据える。響はしばらくそのまま瞬きを繰り返すと、視線を外した。
「ならいいんだ」
響が隣に並ぶ。どこを見るともなしに、夜の山の向こうを見つめている。
二人は黙って、しばらくそうしていた。
「綺麗だな」響が呟く。あまりにも真っ直ぐな言葉。だから私も、思いついた言葉で返す。
「……こういうのも、青春かな」
「だろな。つまんない、当たり前の、何でもない毎日だよ」
「でも、悪くないと思える……のかな?」
友達とあれこれ騒いで、おしゃべりして、ぼんやりとあさっての方を見つめる。勉強もスポーツもしてないけど、多分こういうのがこの学校にいる生徒の正しい青春なんだろう。打ち込むモノがなくったって。みんなと一緒なら、なんとなくでも生きていける。
「ま、一人で歩いてるんじゃないってわかってりゃ、大丈夫だよ。みんなさ」
明確な目標や倒すべき敵。超えるべき壁。そんなものがなくっても、人は困らない。
「かもな。……てかお前寒くね?」
「寝間着のまま連れ出したのはアンタでしょーが!」
そう言って、二人笑いながら、肩を震わせながら、寮へ歩きだす。そうして、夜空を眺める。
星はきれいだけど私だけのものじゃない。友達はいるけど、私だけの友達じゃない。
特別なものは何一つない。何でもない一日。
でも悪くない。そう思える。
「明日は明日で、声掛けるわよ。それが、私らだから」
へいへい、と響は片手をひらひらさせながら答える。
まあいいさ。何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。それでいい。
自分は一人でないと、それだけを分かっていれば。
なんとなくいい気分になった日和良は、ふとその視覚のなかで、違和感を感じた。
そうして、じっと寮の四階を見つめる。
「……?」
隅の部屋のカーテンが揺れた気がした、のだが。
気のせいだろうか。いや……。
まあいいさ。大きな欠伸をしながら、日和良は寮まで歩いた。
*
橘夕の部屋として割り当てられたのは、最上階の奥にある一室だった。
元は物置代わりに使われていた部屋だが、掃除されており埃臭さは感じない。
何より、他よりも狭いため一人部屋なのがありがたかった。
窓の外に立つ人影から視線を外し、夕は簡素なベッドの上に座りこむ。
部屋の天井を見つめながら、今日一日を振り返る。
優しげな言葉をかけながら、迎えてくれた理事長。
人の良さそうな笑みで、自分を案内してくれた副会長。
才能にあふれ、青春を謳歌している学生。
食事しながら、おしゃべりに講じる者たち。
「くだらない」
そう一人ごちると、一度上着を脱ぐ。上半身裸になったまま、喉元につけていたチョーカーを外し、しばし手をはわせる。そこにあるしこりを確かめながら、自分の体を確かめる。
華奢な体に、整った顔だち。体の随所に擦過傷ややけどの跡さえなければ、十二分に魅力的な女性と間違えるかもしれない。加えて、ボクサーパンツを脱がなければの話だが。
そうして、机の上に置いたノートを見つめる。鍵をかけられるノート。自分だけが読めるような、自分にしか吐き出せない思いを書くノート。
杉村は何と言っていたか。「これは、みんながもらうノート。鳳凛の学生の証しみたいなもの」
夕はしばしそれを見つめると、ボストンバッグの底に手を突っ込む。そこから隠し入れてあったライターを取り出し、親指に力を込める。薄暗い部屋を小さな火が照らし出し、全てを明らかにする。
その火の中にノートの端を突っ込んだ。
火が、ノートを炙り形を変えながら、踊る。
その灯りを見つめながら、夕は今日図書室でした会話を思い出す。
長いまつ毛。人形めいた面持ち。人を測る様な視線。
「―――あの人は、殺されたのよ」あの女はそう言った。
そんなことは知っている。問題は、殺したのは誰か、だ。
「―――そうよ。学内の生徒がやったのよ。でも、誰かは分からない。それでも学園は揉み消した。ここはそういう場所なのよ」女の唇が、歪む。
そうだ。誰も傷つかず、誰も困らず、何もなかった。そういうことにされる。鳳凛学園は、そういう場所だ。
「クソ野郎どもめ」
楽しい学園生活?素晴らしい青春?学ぶ機会?
偽善者め。お前たちの悪行を、俺は知っている。
火が手元に迫る中、その半分燃えカスになったノートを、ゴミ箱の中に投げ込む。
頭の中に残った女の声が、耳朶を打つ。
「―――貴方が一体何をする気かは知らないけど、楽しみにしているわ」
好きにすればいいさ。
お前たちが何であれ、何者であれ、関係はない。俺のできることなど高が知れている。
死人はかえらない。だから、人間に出来るのは死人を増やし続けることだ。
深い闇の帳の中で、暫くその火は一人の少年の影法師を窓に投げかける。
そうしてやがて燃え尽きると、再び全ては闇の中に消えた。
第一話 了
次話からようやくゾンビの登場となります。お待たせしました。
が、その前に手記をちょっとだけやります。すいませんが、もうしばらくのご辛抱を。