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Journals of the Dead  作者: 数奇者星
第一部 学園監獄編
3/33

第一話 赤と白(1) 改

第一話ではゾンビが出てきません。舞台説明と登場人物紹介のみになっています。ゾンビが暴れまわるのがすぐに見たいという方は、流し読みでどうぞ。


遠くから、音が聞こえた気がした。


まどろみに浮かんでいた意識が、最も鋭敏な五感である聴覚にひきずりだされる。

薄ぼんやりと開かれた視線が、ガラス一枚隔てた世界を写しだす。

貧相な木々が立ち並び、鈍色の空を仰ぐ。うっすらと雪化粧を帯びた稜線は、延々と続いている。

冬の景色。山の中。

いつの間にか覚醒してた意識がとらえたのは、そんな夢とも現ともつかない退屈な風景だった。


「目が覚めましたか?」

前方からの声。視線を向けると、ルームミラーごしに目があった。

「お疲れのようですね。それとも昨日は緊張して眠れませんでしたか」

「すいません、お話の途中だったのに」かすれた声で、謝る。

鏡の向こうで、目じりが緩む。ほほ笑んだようだ。

「貴方もいろいろと都合が御有りなのでしょう。構いませんよ。それに年よりのお喋りは、若い人には退屈なものと相場が決まっていますからね」

「気を使ってもらって、すいません」

「そう、かしこまらないで。居眠りくらい、したい時はありますよ」

そう言って老女は鷹揚な笑みを浮かべる。なるほど、神に使える人間らしい寛容さだ。


適度な振動と、暖房で保たれた過ごしやすい室温。ワゴン車の中は、橘夕たちばなゆうがくつろぐには十分な空間だった。

おまけに変わり映えと刺激の少ない自然の景色なら、意識が途切れのも仕方がないだろう。

そう内心で言い訳しながら、つまらない景色から焦点をずらして、窓に映った自分の姿を眺める。

肩口まで伸ばした髪。ややきつめにつりあがった瞳に、うすい唇。

卸したての紺色のブレザーは汚れひとつなく、どことなくよそよそしい。

目を引くのは胸元にあるワッペン。「鳳凛」の二文字が大きく縫われている。

それを見て、夕は改めて気を引き締める。

自分はこれから、一人の女子転入生となるのだと。



「なにか、音がしませんでしたか?」

チョーカーをいじりながら、夕はそう尋ねた。

「私には何も。ただ、近頃は山から鹿が降りてくることも多くて。この季節でも、いろいろと数を減らす努力をしているみたいですね。猟師などを呼んで間引きさせているようです」

すると先ほどの音は、銃声だったかもしれないのか。なるほど、思わず目が覚めるわけだ。

理事長はそこから話を思わぬ方向へずらす。

「もともと、人が住むところや食べものを奪ったから人里に下りてこなくてはいけなくなった。彼らの領域を犯したから、彼らも我々の領域にやってこざるを得なくなってしまったというわけです」

「このあたりの森林開発は進んでいるんですか?これから行くところは、閑静な場所だと伺っていましたが」

「そんなことはありませんよ。先ほどのトンネルから先は、ほとんど手を入れられてないわ。」


在尾市は、山々に囲まれた地方都市だ。中心を流れる川によって北部と南部に二分されているのが特徴なくらいで、かわったところはない。

元はローカル線の端ということで、いかにも片田舎という有様だったらしい。が、最近の再開発によって電車の本数も増え、南部では駅を中心に再開発が進んでいるとのことだ。しかし川を挟んだ北部は、いかにも昔ながらの人間がすんできた長屋や、さびれた田舎の風景といったところ。その北部を抜けて、さらに国道からもはずれた道を、現在二人を乗せた車は進んでいた。


理事長がつけくわえた。

「山ごしに県をまたいで動物は移動してくるからですよ。人が勝手に決めた区分けなんて、関係なくね。彼らに罪はないというのに。痛ましいことです」

沈痛な面持ちからは、いかにも自然を愛する善人の顔がうかがえる。

なるほど、自然を愛し、俗世を嫌う。そんな人間でもなければ、こんな山奥にある学校の責任者なんていうものは、勤まらないだろう。

焦点のぼやけた思考の中で、シートに預けられた老女ーーー学園理事長の役職の女性、鳥養玲愛とりかいれあの背中を見つめる。


彼女は夕がこれから向う学園の理事長を務めている。

元は彼女の夫である鳥養勉なる人物が学園長を務めていたのだが、数年前になくなってそれ以降実質彼女

が学園を取り仕切っているらしい。学園長兼理事長というわけだ。

人当たりのいい老女で、実際現在も、三学期からの転入ということで学園に向かおうとした夕に、車での送迎を持ちかけてきてくれた。

新学期は二日後からだが、その前に転入手続きと、入寮の準備をするためだ。

とはいっても、夕自身の荷物は殆どないのだが。いや、荷物がないような暮らしだからこそ、さっさと入寮すると言うべきか。いずれにせよ理事長がこちらの荷物の量をみても何も言わなかったあたり、珍しいことではないのだろう。

電車を乗り継いでたどり着いた在尾市で待ち合わせて、今はその道中というわけだ。


しかしそれにしても、と風景を見やりながら思う。いったいいつまでこんな光景が続くのか、と。


ポケットから携帯電話を取り出す。

車に乗ってから、一時間たっていない。思っていたより、寝ていた時間は短かったようだ。

嫌な夢を見ていた気がした。ただ、それが何かは思い出せなかった。

それよりも、問題はここに至って完璧に山の中に自分がいることだ。


地図でその場所を確認した時は、とても人間が住まう場所ではないと疑いもした。しかしここに至って、その疑念は完璧に払しょくされた。これから向かう先は完璧な山奥、外部の人間を一切拒む場所であることは間違いない。


「普段は学生は全く街まで下りて行かないんですか?」

「いえいえ。素行が信用できるとされた生徒には、もちろん週末出かけることを許可していますよ。専用のバスがありますから。今は修理中ですが、来週末にはまた戻ってきます」

ずいぶんと面倒な仕組みだ。車を使ってしか戻れないなんて。それじゃあ、まるで……。

「ところで夕さん。あなたが先ほどからいじっているそれですけれど……」

此方が携帯をいじっているのを見てか、理事長が再び口を開いた。

「携帯電話は、後で預かります。構いませんね」

ええ、と頷いた。元より、電波も届かない場所というのが、これから行く場所の売りの一つだ。

すでに一本もたっていないアンテナを見つめながら、夕はこっそりとためいきをついた。



子供に健やかに育ってもらう。よかれと思ってか、親が勝手にあれこれ決めつけることは多い。この学園でも、同じようにある「考え」が尊ばれている。

即ち「無駄な電波の交換は子供に悪影響」であるというものだ。

なにも携帯の電波に日々さらされているから最近の子供は問題なんだ、というわけではない。メール文化やネット掲示板、SNSなどのウェブサービスが子供の人格に悪影響を与える、というのが彼らの言い分だ。

こういった「考え」を持つに至る気持ちがわからないわけではない。ほんの十年ほど前からは考えられないほどに人間の暮らしにコンピュータは入り込み、情報の伝達速度は信じられないほどになった。誰でもどこでもいつでも「繋がる」ことができるようになった世界で、一番弊害を受けるのは使い方がわからない年寄りだ。若者たちが柔らかい頭で次々と新しい技術に親しんでいくことができる一方で、彼らはその仕組みや使い方への不理解ばかりが募っていく。それはともすれば若者達自身への不理解にも繋がる。

得体のしれないものを使っている子供たち。そうした彼らへの恐怖を取り除く方法があるとすれば、それこそまさしくその文明の利器を取り上げてしまうしかないだろう。

「学内でけが人が出たときには、どうするんですか」

「保険医の万美先生がいますから、心配は無用です。職員寮の方で暮らしてもらっていますから、いつでもどうぞ。おかしな病気にもかからないように、月一回は存尾病院の先生もお呼びして、健康診断も実施しています。こちらで対処できないような病気を持っていらっしゃる方は、そもそも学園には入れないようになっていますしね」

「けど、重傷の人は病院に連れて行くしかないんじゃないですか。期せずして、ということもあるでしょう。不審人物が現れたらどうするんです?いきなり、刃物を振り回されたりしたら」

心配には及びませんよ、と理事長はにやりと笑う。

「電話は衛星電話で、すぐに市内の病院への搬送も可能なように、ホットラインがあります。最低限の処置が可能なだけの準備はありますし、先生も優秀な方よ。

ああ、おかしな人たちが来ることはまずありません。此方の道に入る前に監視カメラがありますから、不審車両がこの道を通ったなら、学園につく前に警察がやって来てくれます。念のために警備員もいますしね」

なるほど、準備は万端ということか。まったく人の住んでいる気配のない風景を見やりながら、夕は何とも言えない気持ちになった。

安心しましたか?笑みをたたえた唇で、そう尋ねてきた。

「わが校ではたとえネット環境などなくても大丈夫なように、設備が整えられていますから」

夕はふと、隣の座席に置いてある雑誌を手にとって、問いかける。

「でも、ニュースが入らないと不便なこともあるんじゃないですか?」

トートバッグにある週刊誌を指差しながら尋ねた。表紙には「有名俳優……に隠し子が」「……事件の裏金の行方」「漂流船の怪!!」「謎の奇病?」「グラビア特集・志門曜子」などの文字が踊っている。

「ニュースまで否定はしていません。ただ、ワイドショーの形態で見る必要はないでしょう。一日中テレビにかじりついて賢くなった子供がいるという話は私は聞いたことがありません。情報にどう触れるかというのも、子供の学習には重要です」

熱弁をふるう理事長に、曖昧に頷きを返す。

まあ実際、これから行く先―――電波もろくに届かない山奥でなければ、子供をそういう風に育てることが出来ないというのが既に妙なのかもしれないが。

そしてそれが出来るのが、ごく一部の金持ちだけだなんて。

「おかしな話ですね。何も持たなくなること、文明の利器から解放されることの方が贅沢だなんて」

ふとそう呟いた言葉に、老女は「慧眼ですね」と評した。

「まさしくそのとおり。持つことは、縛られること。貴方達の年ではまだ分からないかもしれないけれど、どう生きるかというのは非常に細かい部分で語られるべきなの。

だからこそ、貴方達にはのびのびと若い時間を使ってほしいのですよ。子供を食い物にする大人が、この国には多すぎます」

そこには何処か厭世家のような、遠いところに居る人間独特の声音があった。

「モノがあり、何でも手に入るのが自由ではありません。それを心にとどめておいてください」

はい、と熱弁をふるう年寄りに答えながら、夕は携帯電話を再び視線を手元に落とした。。

そしてストラップだけを外して、夕はそれを手の中に握り込んだ。

まあいい。郷に入っては郷に従え。

連絡なんて取りたい相手も、別にいない。


曲がりくねった道を抜けて、ようやく空が開けた場所に出た。

鏡の向こうの老女は、前を向いている。

「どちらにしても、貴方はまだ自由です。物事をどうとらえていくか、どう考えるかを自由に選べる。これから―――この学園で」


空が一気に開け、車の行き先がようやく見えた。大きな石造りの壁に、鋼鉄の門。


「いずれにせよ、ここはいいところよ。あなたがこれからの学園生活を、過ごすには」

守衛がこちらに気づいて、門を開ける。


「ようこそ、橘夕さん。ここが、あなたの新しい学び舎にして家。―――私立鳳凛学園です」


間もなく門が開き、その向こうにある堅牢な建屋がはっきりと見えた。

「願わくば、ここが貴方にとって楽園でありますように」



「ここは、監獄よ!こんなところ、一秒でも早く脱出すべきよ!」

どすん、と地面に恨みでもあるかのように踏みつけて少女はそう言い放った。


「こんな最低の学校に、私たちはいちゃいけないのよ!」


まるで世紀の大演説をぶったかのように胸を張る少女。後ろに括った長い髪を揺らしながら、きりりとした眉を立てていい放つ。


「今こそ我々は、立ち上がらなければいけないわ!」


彼女の強い決意を迎えたのは、小さな拍手だった。二つだけの。

「雰囲気だけなら、大したもんなんじゃないの?駅前でたすき掛けて話しててもスル―するけど」

ニット帽の位置をいじりながら、長身の少女はそう評した。

「でもなんだか、ひよちゃんかっこいい。革命家だね!」

前髪をヘアピンでとめた少女は、喜色満面の笑みを浮かべる。

「ふふん。今年の私一味違うのよ。まかせてちょうだい。今年こそ、私たちはやってやるわ。この学園から―――逃げ出して見せるのよ」

そう言ってうすい胸元を、少女―――小林日和良こばやしひよらは叩いた。


そう。こんなところにい続けてはいけないのだ。彼女は四方を睨みつけてから、決意を新たにする。

壁の向こうは、見渡す限りの山、山、山。自然に囲まれて、逃げ出すこともろくにできはしない。物理的に不可能なのだ。


私立鳳凛学園。

知る人ぞしる、良家のお嬢様専用全寮制名門ミッション系学校。

外部からはそうした評価が与えられているが、そんなものは間違いだと日和良たちは知っている。

つまるところは、隔離施設。それなりに裕福な家や訳ありの子供を人里離れた場所に押し込め、何事もなく少女時代を過ごさせてしまうための場所。

絵美などは「中世の修道院が、そのままよみがえったもの」と評している。

貴族や金持ちの娘だけが、口減らしや家の都合のために押し込められる場所。

それがこの学園だ。

彼女らに求められているのは、ただひとつ。

「なにもするな」。

ここは、大人の都合を押しつけられた子供たちが行き着く場所である。


そんな鳳凛学園からの脱出を目論むもの。それこそがこの三人だった。

いつものように、彼女たちは寒空の下で人気のない体育倉庫前にたむろっていた。


「とにかく、こんなところに押し込められるなんてごめんよ。逃げることが、戦いよ!」

「ポジティブなんだか、ネガティブなんだか」


「周りには何んにもなし。テレビも映らず、携帯の電波も通じない。トンネル抜けて、やっと一本立つか立たないか。あり得なくなくなくない?」

「否定型多いな」「数えきれなかったよ」

「まったく!何が悲しくって、こんなところに放り込まれて、青春をこんな薄ら寒いところで終わらせにゃならんのよ。女子高生が、聞いてあきれるわよ。なんの得にもならないわ」

まあまあ、と一人興奮する日和良を、絵美がなだめる。

「でも、ほら、ここは少なくとも安全だよ」

「絵美。どうせ私たちはここを卒業したら、社会に羽ばたかないといけないのよ。この高度情報化、グローバリゼーション、OPPが進む高度文明社会に」

「なんか変なの混じってたな」「横文字に弱いよね、ひよちゃん」

日和良の耳にはそんな突っ込みも入らない。

「だから、今自らの力で飛び立つのよ!タンポポの種子が飛び立つように、たとえアスファルトの上だろーが太陽の指さない樹の下だろうが、そっと静かに!力強く!」

「やかましいタンポポがいたもんだ」そっと響が呟く。「私なら踏みつぶすな」

こほん、と温まった空気を(主に日和良の演説で)落ち着けるために一息つくと、日和良は改まって言った。


「そろそろ私たちHDDは、改めて行動を見直すべきだと思うの」

鳳明脱走同盟ーーーHDDは、三名からなる軍団だ。ハードディスクドライブと間違えられるんじゃないだろうか、と日和良は常々どきどきしているが、今のところつっこんでくれる人間は誰もいない。

日和良がこの学園に転入してきてから、くすぶっていた絵美と響を誘う形で結成された。

「さて、私たちは昨年の十一月に、脱走を試みたわ」

日和良たちHDDがただ不満を持っているだけの学生と違うところ。それはまさしくその実行力につきた。

去年の十月に一度脱走を企てたのである。あのてこの手を使って、夜の間に彼女たちは山を越え、街までたどり着くことができたのだ。

「しかし、結果はあえなく、失敗」響が唇を曲げて続ける。

だが最後の最後でそのまま引き戻される運びとなってしまった。


日和良たちには苦々しい敗北の経験であり、鳳凛学園の影響力の大きさを改めて思い知らされる事件であった。

鳳凛の設立者でもある鳥養家は、地元の名士だ。このあたりの山はもちろんのこと、近くの町でもいまだその影響力を持っている。町の人たちに見つかり、指を刺されて追い回されたたときはまさしく恐怖の一言だった。駅は完全に封鎖され、町では青年団と警官が目を光らせていた。

そうして結局はこの学園に送り返されることになってしまった。

「散々だったね」

完璧と思われた計画は、思わぬアクシデントや自体が全ての苦労を泡にした。

その結果として彼女らは一ヶ月間の清掃活動や反省文数十ページ、聖書の書き取りなどの重いペナルティを科されることとなった。

「―――と、いうわけで改めて学園から逃げ出す方法を見直したいと思うわけよ。それが今回の議題」

しかしそんなものにへこたれる少女たちでなかったのは、学園側の誤算だった。



「ま、ここから抜け出ること自体は難しくないわな。警備だって、昔ほどきつくないみたいだし」

無駄に広い学園の敷地。ちょっとした大学のキャンパスくらいありそうだが、反面人の少なさが際だつ。

とくに礼拝堂などは、「趣を残す」という名目の下で、ほぼ当時のままぼろぼろのまま放置されている。

「馬鹿でかい学校だって言うのに、用務員もちょっとしかいない。教師の数だって、ぎりぎりだ」「ろくでもないのも、混じってるしね」

絵美の声がちょっと尖っているのに気付かないふりをして、日和良は響を見つめる。


「ま、本当なら車でもぱくれば、あっという間だけどな」

「それじゃあ、連れていかれる先が警察署になっちゃうよ」

冗談だよ、と響は言うが、彼女ならやりかねない。大森響は素行不良がたたってここに押し込められたことを公言している。日和良は嗜めるような視線を送るが、響はどこ吹く風で笑っていた。

「とにかく、この作戦の失敗には、根本的な欠陥があったのよ。私はこの休みの間に、それを考えていたわ」

「んなこと考えてたのか」「普通に言ってくれたらよかったのに。一緒にいたんだから」


そう。三人は冬休みの間ずっと一緒に行動していた。いや、せざるを得なかったと言ってもいい。

問題行動のペナルティーとして、長期休暇中にも関わらず三人は帰宅さえ禁止された。つまり学園でクリスマスも年も越さされた。ほとんど人もいない校舎で、ただただひたすらに罰としての清掃をやらされたり、やりたくもない聖書の書き写しをさせられたわけである。

しかし、そんなものにへこたれるHDDではなかった。

「私たちが考えなければならないのはね。―――私たちが、一体なにと戦っているかということなのよ」

日和良は腕を組みながら、二人にそう言い放った。



「何十年という歴史があって、その中で脱走に失敗した生徒は数知れず。しかし、地理的条件からいっても物理的事情からいっても、それは成功してこなかった。それだけ、相手の守りは堅牢だということよ。

つまり、相手の土俵で戦ったことが最大の失敗だったということ」

日和良はしかめっ面を作っていい放つ。しかし、聞き手の二人はきょとんとしたままだ。その反応に不満だったのか、渋面を深くして、続けた。

「だいたい、ニ三人が逃げたところで、向こうにしてみれば対して痛くもかゆくもないのよね。毎年そういう子供は出てくるし、すぐさま捕まえてしまえばそれ以上のことは何もない」

「まあ、そうだわな」「うんうん」

と、ここまでは同意を示す二人。

「つまり相手の手の内にあるってこと。けど、それじゃいけないのよ。私たちが」

しかしそこからがわからない。なにか日和良が抽象的なことを言っている、というのは感づいていたが、そこから先が問題だ。


「……んだから、どうやって逃げ出せばいいのか、が間違ってるってことか?」

響が渋面でそう絞り出すと、日和良は

「近いわね。けど、HOWだけじゃないの。問題は。WHOでもあるのよ。私が提案したいのは―――」

そこで、びしりと日和良は言い放った。

「―――何十人という数で逃げだせば、どうかしら」

これが会心の笑みだ、という表情で二人を交互に見つめる。

「そりゃ……まあ、慌てるんじゃないか?」

「どうして?」

「慌てるって……ええと」

なんとなくぼんやりと理解できているのだが、言葉にするのが難しい。自分たち三人が逃げ出しただけでも大変だが、何十人となったらもっと大変だ。それは、なぜか?

日和良はゆっくりと、言い聞かせるように二人に話しかけた。

「いい?子供たちを、安全に手間をかけさせることなく面倒を見てくれる。そういう場所であると謳っているからこそ、鳳凛学園は何十年も続いてきた。親にとっては便利な場所で、子どもにとってはここは監獄よ。けどね、それこそがこの場所の最大の弱点なのよ」

日和良は語りだした。



「奴らが私たちを捕まえようと奔走した時。連中が一番何を恐れていたか、知ってる?」

あ、と絵美が閃いた顔をする。

「救急車とかが、あらかじめ学園に呼び出されたりしてたんだよね。私たちに何かあった時のために」

ここから市内の病院までは、かなりの距離がある。あらかじめ連絡しておいて、学園は有事に備えたのである。

「そう。連中にしてみれば、脱走したと同時に、私たちが傷ついたり怪我をしたという事実こそ、恐れるべき事態だったの。もしも山中で死んでたりしたら、それこそ目も当てられなかったでしょうね」

「なるほど、ちょっと言いたいことが分かってきた。私ら自身が学園側にすればウィークポイントなわけか」響も頷く。

そのとおり。わが意を得たとばかりに、日和良は続ける。

「大事なのは、ただ逃げ出すということだけじゃない。その行動が相手にとってどういう意味があるのかを考えて、常に行動することなのよ」


「そして、だからこそ。だからこそなのよ。ここに至って、私たち自身の身柄の安全を、交渉材料にできるのよ。連中にしてみれば、ここから逃げ出すことが悪夢だなんて序の口。逃げ出されて、何かトラブルや危険に巻き込まれてしまった時。その時こそが本当に恐れるべき時なの」

「いや、でも、これまで学園がらみのトラブルは殆ど揉み消されてきた。私らが逃げまくった駅のホームでだって……」

地方新聞を念のため友人に調べてもらったのだが、案の定三人のことは何も書いていなかった。公共の駅で駅員やら青年団やらと追っかけっこをしたというのに。

それは日和良とて理解していた。だからこそ、こんな旧態依然とした化石のような学園が生き残っているのだ。それはわかっているわ、と日和良も首肯する。

「ニュースやテレビで取り上げられないってことは、それだけ私たちの両親の、さしずめ「金持ち」ネットワークが強いことを示しているわ。でもその横のつながりが強ければ強いほど、いざその中でのトラブルが積み重なれば、その影響は波及していく。学園は、無敵ではないわ」

日和良は続ける。

「私たちが戦うべきは、自分ひとりの自由ではないわ。不自由さを強要してくるシステムそれ自体なのよ

何十人もの脱走が可能で、その時に怪我でもしてみなさい。

その時鳳凛の権威は地に落ち、その存在意義すら疑われるようになる」


絵美と響は顔を見合わせる。そこにあったのは戸惑いと、驚きと、苦笑と―――感嘆の表情だった。

時折常人とは異なった次元での発想をする。

そういった意味で、まさに小林日和良はこのHDDのリーダーにふさわしい人材だった。


「それが私たちの、今年の戦いよ」



「つっても、そんなお仲間をどうやって集めるよ」

「そりゃ、ひとりひとり友達になって、説得していくしかないわよ」

うへえ、と響は舌を出した。

「お友達づくりか。そりゃ大変だ。こっちは筋金入りのおてんば娘たちだぜ。今でさえ敬遠されがちだってのに、いけるかねえ」

「大丈夫よ。女の子グループなんて、一人と仲良くなれば芋づる式に仲良くなれるわ」

響があごに手を当てる。

「とはいえ、ただ仲良し子よしになれただけじゃあ、意味はないんじゃないか」

「響、絵美。よーく、考えてもみて。この冬休みに、わざわざ学園にいる人間のことを」


言われてみて響は目線を宙にうかし、それからうなずいた。


「理由ありってことか」ザッツライト、と日和良は指をはじく。

「そうよ。高確率で、学園にむりくり押し込まれている生徒。彼女たちは家に帰るに帰らない、さまよえる女子高生たちなのよ」

今現在は冬休みの途中である。本来ならば始業式であるはずの日が土曜日だったため、やや遅れての三学期の開始となっている。にもかかわらず、こんなところにいるのなら。

それはきっと、何かしらの理由があるに違いないと日和良は推測を立てたのだ。

家に帰ることができない、そのうえで、学園に居るしかない生徒。それが今仲間にすべき相手だった。


「なるほど。反抗する理由は持っている人ってことなんだ……」

しかし絵美は首をかしげる。

「でも、別の理由できてる人もいるんじゃ……」

「勿論それもいるでしょう。でも私たちと同じ気持ちの人は必ずいるはず。学園そのものに不満がある人はね。これは抗議行動の一環なのよ。それなら、何かしらのアクションを学園から引き出すことも可能かもしれないでしょ」

「状況の改善を求めるってのは、それらしいな」

「そっか。娯楽を増やしたり、住み心地をよくしたいっていうのなら、賛成してくれる人も増えるかもね」

そうだ。あくまで、学園対生徒という図式に持ち込んでしまえばいいのだ。そうすれば大義名分を得ることもできるし、相手もこれまでとは違うアクションを返すはずだ。


「私たちはこれまで自分たちが逃げることだけを考えてきたわ。でもそれじゃあ通用しないのよ。相手はシステム。大人。ブランド。―――つまり、イメージよ」

それは形がないものだ。

「立ち向かうべきは、二つ。生徒が抱いているものと、その親が見ている虚像。学園にはびこる何をしても無駄だという絶望的なイメージと、そして学園が得ている信頼というイメージ。私たちが戦うべきは、その二つなのよ」

だが、戦えないというわけではない。自分たちも考え方を変えて、行動の意味を考え、為すべきことを見極める。

そうすれば、勝てない相手などないはずだ。

小林日和良は、そう信じていた。それこそがこの世の理なのだと。


「とにかく!私たちは、新たなメンバーを加えるべきよ。質より量で、今年は攻めていくわよ」

「48人くらい集めんのか」「一番人気が誰とかで、揉めそーだよね」

「さあてそうときまれば、レッツらゴ―よ!」


意気揚々と歩きだす日和良。そんな姿に苦笑しながら、二人も後を追う。

何かを変える力。人を引っ張る力。行動を未来に繋げる力。


それを持っているのが誰なのか、彼女たちは知っているからだ。


そうして校舎へと三人は歩き出す。しかし、はたと絵美が立ち止まった。

「げ。やなやつ見っけ」響が呟いた。それにつられて、日和良も彼女たちの視線を追った。

だが、その時一瞬、正門から一台の車が入ってくるのが見えた。理事長のワゴンだ。これまでの経験から、日和良の胸中に苦々しい気持ちが湧きあがってくる。

「さっさといこーぜ。説教くらうのは御免だ」響と絵美は早足になる。

だがそれよりも、気になるものを日和良の眼が捉えた。

後ろの席に、人の姿が映っていたのだ。見慣れない顔。


目が合った。ガラス玉のような、無機質な目。

こちらを人ともモノとも思っていない、そんな瞳だった。

吸いこまれるような、ではない。あくまでそれは人を人として見ない、無色透明な色をしていた。

時間にすれば三秒にも満たなかっただろう。だが日和良はその眼光から離せずに、車が奥の駐車場へと向かっていくのを眺めていた。


「おーい。何やってんだ」

やがてその車体が見えなくなってからようやく、日和良は現実に立ち返る。

すでに友人二人は校舎の陰に曲がろうとしていた。怪訝そうな視線を受けつつ、日和良は慌てて二人の方へ走って行く。


見知らぬ少女の視線の幻影を、背中に感じながら。

4/11改訂

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