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Journals of the Dead  作者: 数奇者星
第一部 学園監獄編
29/33

第五話 聖者は夜に去っていく(3)

一月もお待たせしてすいません。投稿前に大ミスに気づいて書き直しずるずると……。

なにはともあれ第五話は一気に終わらせられるようがんばります。


「おむすびって、これくらいのサイズでいいのかな」

「うん。自分が食べやすいサイズでいいと思うよ」

食堂で四人の生徒が、炊飯器の隣で調理をしていた。もっとも、調理と言っても作っているのはただのおむすびなのだが。

「ごめんね、杉ちゃん。忙しいのにこっちでも手伝わせちゃって」

「ううん。こういうのは、息抜きにちょうどいいわよ。楽しいしね」

そう言って杉村明里は松浪曜子と笑いあった。

もともとの発起人は、曜子である。

「今のうちに、皆が食べられるものを用意しておこう」

昼ごろには、人間の死を目の当たりにした大半の生徒に食欲がなかった。とはいっても身体は正直だ。疲れれば腹は減っているものだ。特に敷地内を動き回っている生徒たちならなおのことだ。

「でも、どうもありがとう。助かったよ」

赤く泣きはらした目をしながら松波がいう。

彼女も最初は大分混乱していた。目の前で凄惨な光景を目の当たりにしたらしい彼女の心が傷ついたことは見当がつくが、彼女はただそのままでいるほどやわな人間ではなかった。自分にできることで皆を手助けしようとしている。

職員達はいつ戻るともしれない。ならば自分たちで今のうちに夜に備えては、と考えた彼女が明里に提案してきたのだ。彼女のその意思を、明里は尊重して提案を受け入れたのだった。

「どう、かな。浜形さん。おいしい?」

「……」浜形は無言のまま、親指を突き立てる。それを見て曜子が顔をほころばせる。

「足りなかったら、もう少しあるから先に食べておいて」

こくこくと浜形は頷くと、再びおむすびを口に放り込んだ。それを見て明里も笑った。

一応霧生に割り当てられた場所を調べ終えた明里は、そこから手が開いているようなので浜形や他の生徒も伴って、一旦食堂へとやってきた。勿論安全は点検済みだ。

「夕飯にはちょっと足りないかな」

「皆にどうやって配るかが問題よね」

食堂と体育館では結構な距離がある。すべてを持っていくわけにもいくまい。

「とりあえず先におむすびを表にいる人たちに配って、それから体育館の中にいる人たちに、ってことにしておく?」

「うん。でも、中からみていた人が不打たれるかもしれないから、できるだけ人目に付かないところで渡してもらえるようにしましょう」

まだ大半の生徒には中に感染者がいるおそれについてははなしていない。無用なパニックや混乱を避けるためにそうすべきだと霧生とも合意が取れた。

特に今まとまっている間はいいが、お互いが疑心暗鬼になった時の方が怖い。

体育館に軟禁状態になっている生徒たちも、少しずつ活気を取り戻し始めている。表に出たいと言い出すのも時間の問題だろう。

「……まあ、問題はまだまだあるわよね」

「どこにいるんだろうね、その新家って人」

新家遙。消えた女生徒。感染している恐れがある少女。

事情をクリスから聞いたという曜子が、そう言ってあさっての方向を向く。

そちらには礼拝堂があった。

礼拝堂の付近は、もっとも感染者を帰投した場所だ。遺体の数も尋常ではない。

もちろんただ野外にそのまま置いてあるのではなく、ビニールシートはかかっている。それでもどこか薄布一枚隔てたところにある「死」そのものが放つ圧倒的な存在感と臭気は隠しようがない。

あちらを明里は探索したのだが、結局どこにも新家と言う生徒はいなかった。もっともあのあたりは最初に念入りに調べられた場所だから、いるとも思っていなかったが。

「まあ、じきに見つかるとは思うけどね。霧生さんたちなら大丈夫よ」

不意に訪れた沈黙。誰もがなにも言おうとしなかった。

今こうしている自分たちの直ぐ傍らに、あの感染者がいる。それを考えただけでも、身の毛がよだつ。

「あの……私も考えたんだけど」

ふと、黙り込んでいた曜子が口を開いた。明里は彼女の話に耳を傾ける。

「その、新家さんって人の話が本当なら、さ」

声を潜めながら、曜子が言う。

「うん」

「もしかしたらだけど、その人……新家さんだっけ。逃げ込んだのは、自分が助かる為じゃなくって。自分から……死のうとしたんじゃないかな。ひょっとして」

思わぬ言葉に、明里は驚きを隠せなかった。

一瞬沈黙に浸される空間を取り繕うように、曜子がつぶやく。

「その、私だったらって、そうするかも、しれないから」

顔を伏せる彼女の視線の先には、返り血で汚れた靴のつま先があった。

明里は何か声をかけるか悩んだが、結局自分自身の頭の整理を優先した。


自殺。確かに、それは選ぶことができる数少ない手段だ。あの連中と一緒にならないためとしては、有効な手段だ。

その可能性に重い至らなかったのが、意外な位だ。

いや、考えたくなかったのかもしれない。かまれた人間にできること、選べる道がただ一つーーー自らの命を絶つことしかないと言うことを。


ぎゅっと自らを守るように腕を抱きしめながら、明里は韜晦する。

「そのあたり、他のみんなにも相談してみるわ。曜子ちゃん、ありがとうね」

どこか弱々しいほほえみを浮かべる曜子の肩を抱くと、明里の胸元へ曜子は顔を埋めてきた。

「……みんながみんな、明里ちゃんたちみたいに、前だけを向いていられる訳じゃないと思う。後ろを向いて動けなくなったり、下を向いて前を向くのが怖くなったり……だから……」

彼女が何を言いたいのか、明里にもうすうすわかっていた。彼女もまた傷ついた一人で、現状を納得しきれていない一人なのだ。

自分や霧生は、この状況にすっかり毒されている。それを改めて明里は自覚した。

「それでも……」

明里は必死に言葉を探して、自分の中から彼女に言うべき言葉を絞り出す。

「私はそんな人たちの手を引いて進んでいきたいわ」

「……うん」

辛うじて、曜子はそう答えてくれた。

大丈夫。彼女は大丈夫だ、まだ。

みんな疲れているし、何かにすがりたい。だから、いまだけは。明里は胸の仲の温もりを感じながら目を閉じる。だが、頭だけは止まらない。

そうなると、いったい新家遙はどこへ隠れた?場所はどこだ。

自殺する場所。学園内で人目につきにくく、一人になれる場所。

死ぬ方法は。死ぬのに必要なものは。死ぬ心構えができる場所は。

そうなると、ひょっとしたらこんな風に礼拝堂などの場所ではなくて……。

「す、杉村!ちょ、ちょっときてくれ!」

しかしそんな思考は中断させられた。

「なんですか、先生。あわてて」曜子が胸元から離れるのを名残惜しく思いながら、明里は哀川をにらみつける。

しかし

「その、今、校門が……」哀川は骸骨じみた顔を青ざめさせながら言う。「まずいんだ。殺し合いになる!」



何かの冗談じゃないか?そう思いたくて響は、正門に並ぶ面々を見つめる。しかしそれらの顔はどれも能面のようなべっとりとした無表情が張り付いていて、感情を伺えない。

「悪いけど、本気やで」

かすかに残った火薬の匂いと、銃口から立ち上る煙。

本物の銃を構えたクリスティーナ・稲葉を前に、響たちは動けなかった。

「貴方達!なにをしているの!」

甲高い声を遠くから響かせてきたのは、杉村だった。後ろには哀川をひきつれている。

「霧生さん!どういうつもりなの。……正気なの?」

「クリス。なにがあったんだよ」

杉村と響による問いかけに、クリスは此方を見据えたまま答えた。

「感染者や。一人生徒が学園内でみつからん」

なんだと。車内にいた一同が息をのむ。響が思わずほかの教職員たちの顔を見やると、彼らも驚いていた。どうやら知らなかったらしい。

その反応に満足したのか、クリスは、一瞬、銃身を支えていた手を離して、こちらに掲げてみせる。

「それで、このざまや。うちは怖くてしゃあない。わかるやろ」

ふるえる指先の向こうで、クリスが被虐的に笑う。そうしてその手の震えをごまかすように開け閉めさせながら、再び猟銃にそえた。

「とにかく。これ以上、絶対に敷地内に感染者を入れるわけにはいかん。絶対にな。そのためには、これは必要やねん。……頼むわ。従ってや。先生等も」

クリスが今度こそ鬼気迫る表情で、銃口をこちらに向ける。そのどこか病的な視線に、響きは思わずたじろいだ。

どうかしている。追いつめられたような顔のクリスは、汗をたらしながらこちらをにらみつけている。

杉村も事情を知っていてか彼女にそれ以上問い詰めることはしない。

ただただきっ、と背後に佇む霧生を睨みつける。

「貴方が……」

「彼女が選んだのよ。私たちはあくまで同意見なだけ」

霧生の言葉にその意をくじかれたのか、杉村は皆の顔を見るのが精いっぱいだった。正門で立ちふさがる少女たちも、勤めて無表情のまま応じる気配はない。

だが響にもわかっていた。彼女も何かに追い込まれたのだ。

短い付き合いでも、クリスがこういうことをする人間でないことは彼女にもわかる。そうせざるを得ないように仕向けたのだ。大方霧生あたりが。

ほぞを噛みながら、響はクリスの青い瞳を見つめる。そして自然をずらした銃口の中は、吸い込まれるように深く暗い闇に、響には見えた。彼女はこれの持つ力と、そして責任に引きずられているだけだ。

「話はそれだけや。車から、降りてや」



古賀が後部座席から身を乗り出す。

「と、とにかく一旦降りましょう。別に私たちは問題ないでしょう……」

「そりゃそうだが……」

響としては、あまり身体をいちいち見せるようなまねをしたいとは思わない。見られて困るものもある。いやそれ以上に、こういう風に命令されること事態に違和感を覚えていた。

なにか、間違っている。そう感じる心はともかく、それをうまく響は言葉にできなかった。

どうしたものか。響がちらりと隣の席にいる柿谷に視線を寄越すと、ちょうどドアのロックが開かれるところだった。

そのまま柿谷は無言で車から降りて、ドアを閉める。

薄汚れたその姿に女生徒達は目を見張っていた。

「あっ……!!!」

見物だったのは、他の職員達だった。自分達が置き去りにした相手との思わぬ再会なのだから、当たり前か。唯一哀川だけが事情を知らないらしく、きょろきょろとしていた。

「……」

しかし柿谷はそちらに視線をよこさず、ただただ黙って前へ歩を進める。

「おい、先生!動くな」

そのつま先の向く先は、誰あらん銃を構えるクリスのいる場所だった。

クリスの制止の声も聞こえぬように、口を一文字に結びながら進む。その迫力に気圧されてか、武器を突きつけているはずのクリスがたじろいだ。

「動くな、いうてるやろが!」

しかし柿谷が立ち止まることはなかった。彼が立ち止まったのは、銃口のすぐ目の前にいたってのことだった。

柿谷は銃口と胸元を突きつけ合う図式となる。その場が緊張に包まれた。

クリスが荒い息をつきながら銃身を震えさせるのとは対照的に、あくまで柿谷は無表情のまままんじりともしない。

やがて柿谷がその手をあげたかと思うと、彼はその手をシャツのボタンにかけた。クリスが一歩を下がるのも我関せずとばかりに、ボタンをはずす手は一番下まで至り、シャツを脱ぎ捨てる。

中あらはインナーシャツに包まれたたくましい体が出てくる。彼はさらにそれに手をかけて、真冬の寒空にその裸体を露わにする。

鍛えられた身体だったが、その幾つかには生々しい傷痕や青じんだ部分が多く見てとれた。

「……このけがは、連中とつかみ合いになってできた傷だ」

不意に、柿谷は口を開いて

「こっちは、山の中でこけたときに、岩肌でこすったときにできた傷。これは、連中を殴ったときにできたものだ」

一つ一つの皆に傷を見せつけるようにして、大仰に柿谷はふるまう。

「それで。この中で、連中と取っ組み合ってけがや傷をしていない人間はどれくらいいる」

一同を見まわしてその多くが顔を見合わせたりしているのを確認してから、柿谷は目の前にいる少女に外語りかける。

「なるほど、な。それで、どうして俺にこういう傷ができているのかはわかるな。稲葉」

そういやクリスって稲葉って名字だったっけ。以外と地味だよな、などと考えてしまう響の内心とは裏腹に、柿谷のたけり狂った声が響いた。

「あいつらと、戦っていたからだ!」

皆がその怒気に身をすくませ、目を火身楽。

「いちいち服を脱がないと中に入れない、だと。ふざけるなよ!!!

いちいちそうやって味方に銃を突きつけるって言うんならな……もうこれ以上、誰も外へでなくなるぞ!!!危険を冒して、助けを呼びに行くこともしなくなる!!!銃を突き付けられたくないからな!」

五月の土砂降りのように、クリスの顔面めがけて怒声が浴びせかける。

「お前らがやってることはな、自分の都合しか考えてない人間の理屈だ。そんな風に疑いあうことが、自分で自分の首を絞めていることが、わからないのか!どうなんだ!」

「……」

クリスは顔を青ざめさせながら、銃身を揺らす。

そうしてにらみ合うこと数秒の後に、

「あかん。あかんわ……」

クリスが、つぶやきながら銃をおろした。

そうして膝から崩れ落ちるようにして、その場に経たりこんだ。

車内のみなが息を吐き出し、ほっとする。正門を警護していた生徒たちもばつの悪そうな顔をして、俯きがちに柿谷を窺っている。

「まあ、無事でよかったってことか」

こうして、響たちはようやく学園の中へと入ることが許された。

死と血と臓物の匂いが今でも漂う、学び舎に。



いちいち駐車場まで置くのも面倒だ、と言うことで正門の脇に車を止めることになった。

「ま、なにはともあれよかったよ」

ひと悶着あったものの、これで一応安全な場所へと戻れたわけだ。

「……別にやましいことなんかなかったのに」古賀がそう漏らすと、響は少し考えてから砂野と古賀を手招きした。

「まあ確かに、かまれたりした心配はないけどな。いちいち裸まで見せろだのと面倒くさいだろ。こっち外に出て働いてんのに、何で偉そうに命令されなきゃいけね~んだって話だし。それにな……やましいことなら、あるんだなこれが」

そういいながら、響は二人にだけ見えるように、胸元をさらす。いぶかしがりながらそれをのぞき込んだ二人の反応は正反対だった。

そこにある内出血を見ても砂野は困惑した表情のままだったが、古賀は目を見開き赤面していた。それを見てにやりと人懐っこくに笑って見せた響は、「誰にも言うなよ」と冗談めかす。

「まあ、こんな状況だ。なんかあったら、言いな。秘密を知り合った仲だしな」

服をなおしながら響がそういうと、古賀と砂野はそれぞれはっとした顔で頭を下げる。

「あ、ありがとうございました」「した!」

礼を言われるようなことをしたつもりはなかったのだが。じゃあな、と響は二人に手をあげて東校舎に向かう。

案の定砂野だけは、なにか言いたげにこちらを見つめていたが。まあ、いつか彼女にもわかるだろう。それまでは不思議のままにしておこう。

足取りも軽く響は保健室へと向かった。



その後、教職員と明里や霧生達で現状の把握と行動について話し合った。

結局ボディーチェックについてはそれぞれの言葉を信じるという事で禁止された。

実際、相互監視を強めすぎればお互いに対する不信感ばかりが募るようになる。柿谷の行動は、正解だと思えた。

霧生やその一派による行動は、改めて職員たちに咎められた。

個人的に明里はそのときだけ彼女たちの素顔を取り戻せた気がして、ほっとしていた。怒る先生と、起こられる生徒。それがまともな学校だ。

霧生だけはどこ吹く風といった体だったが、彼女は元々そんな感じなので気にはならない。

「どっちにしても、未だに問題は解決していないのは確かよ」

「それなんだけど……」

霧生が感染者の問題を取り上げた時、曜子が先ほど話したことを皆に伝えた。

「なるほど、確かにありそうな話だ」概ね皆も同意見だった。

「奴らになるくらいなら、か」

西浦がぼそりと呟いて、皆が一瞬視線を空に彷徨わせる。

それから柿谷が今後の行動の指針をまとめた。

生徒達を一旦寮に戻らせるべきだ、と柿谷は主張した。

「どっちにせよ、助けを求めにいくのも明日になるでしょう。今日は学園からでられそうもない。冷えてきたし、皆体育館に置いたままというのはまずいだろう。寮の方に戻したほうがいいと俺は思っています」

確かに、体育館にはストーブや毛布こそ運び込まれているが、一晩を過ごすには厳しいかもしれない。より荷物を運び込むにしても、労力もかかるし不平不満もでてくるだろう。それならいっそ改めて安全を確保した上で、寮に戻した方が面倒はないかもしれない。

「しかし、皆の目が届かない場所に置くというのは……」

他の職員はそう渋ったが、柿谷は首を振った。

「さっきの話が皆に伝われば、さっきみたいなことになりかねない。一度一人にさせて頭を冷やす時間が必要です」

感染者の話は体育館にいる生徒たちには伏せたままだが、いずれ誰かの口からもれるだろう。その時には、さっきみたいなことにならないとも限らない。

「私もそう思います。ただ、問題は寮にも死体が置き去りで……」

柿谷は一瞬額を押さえるような仕草をしたが、「運ぶか」と短く答える。

「どっちにしても、現場の保全なんてもう無理だ。遺体はどこかに運び込むしかないな」

「……ええ。わかりました」

死体を運ぶ。考えただけでも粟毛立つのがわかったが、文句を言ってる場合ではないだろう。

「それで感染者の捜索は、私たちに任せてもらえないんですか?」

「お前たちは皆を寮に戻すんだ。安全を確保したうえでな。感染者を探すのは、それからでいい」

感染者に対する捜索については、大人に任せるようにということになった。霧生達も大人たちもどこか不満そうだったが、それがあるべき姿だろう。生徒は生徒同士の面倒を見ることを任された。

「まあ学内に散らばっている皆を寮に戻すんだから、そっちの方が一苦労だと思うが。よろしく頼むぞ」

「ちなみに念のためお伺いしますが。見つけた場合は?」

霧生の言葉に、柿谷は逡巡するようなそぶりを見せたが、きっぱりと答えた。

「任せる。俺たちをよぶなり自分たちでどうにかするなり、必要だと思える対処を」

何人かが息をのんだ。それは生徒たちの手を任せるということに他ならなかった。

とにかく一応その場はそれでお開きになった。



その後も、子供と大人に別れた話しあいに移り、それぞれの役割を果たしに動き出した。

ただ明里だけは、大人たちと話しあいをしている柿谷をしばらく待っていた。

「先生、お疲れさまでした」

ほかの職員たちと険しい顔での話し合いを終えた柿谷を、明里は労った。

「ああ。おまえも、がんばったな」

不意に頭をつかまれ、手でわしゃわしゃとされる。「助かったよ。みんな、不安定になっている」

それで、どうかしたのか?そう問いかける柿谷に、明里は鞄からお弁当箱を取り出した。

「あの、先生。これ、お昼食べてなかったから……どうぞ」

明里はおずおずと作って置いた握り飯を差し出す。

不恰好でそっけないが、何も食べずに出て行った彼のために作っておいたものだった。

「ああ、ありがとう。……うまいな」

柿谷はそれだけいって、黙々と握り飯を口に運ぶ。特別な言葉はなかったが、渡せただけでも明里には満足だった。だから彼が食べ終わると同時に、事務的な話に移った。

「それで、どうするんですか?他にこちらでできることはありますか」

教職員だけで学内を点検するなど、実際は無理だろう。そう思って確認を取りに来たのだ。

明里の言葉を吟味するように、柿谷はしばし顎を上下に動かす。

しかし結局、柿谷は首を振った。

「そのあたりはこっちでやるよ。おまえは生徒たちをまとめる方の仕事をしておいてくれ」

こちらを伺う教職員たちに、ぎろりと血走った目で一瞥をくれる。

「厄介なことは、大人の仕事だ。お前らは、そこまでしてくれなくてもいい」

顔をそむける教職員たちの態度を見れば、彼らがそれに値するかどうかはわかる。だが少なくとも彼は。柿谷だけは、そうであろうとしている。そのことで明里の胸は熱くなった。

わかりました、と明里はうなずく。

「とにかく、さっき言ってた、食べ物の方を頼む。腹が減ってふらふらと表に出られてはかなわない。頼んだぞ」

はい。答えを待たずしてその場を去ろうとした柿谷に、明里は思わず声をかけていた。

「ちょっと、その、先生……」

ん?おっくうそうな目つきで振り返る柿谷。彼も忙しいのはわかっていた。

でも、明里はそれを伝えずにはいられった。

「その……先生がいて、よかったです。さっきの……かっこよかった。……失礼しますっ!!」

きょとんとする柿谷の反応を待たずして、、明里は食堂へと走っていった。自分の顔が赤くなったのを感じながら。



換気のため一部の窓が開けっぱなしのせいか、校舎の中は薄ら寒い。

ポケットに入れているバールのせいでズリ下がるジャケットを直しながら、響は階段をのぼっていた。

「絵美?いないのか、おーい」

家庭課室に誰もいなかったのを確認してから、響はそう声を張り上げる。保健室で草薙がいるはずだと言っていたのだが。

反応がないのに一瞬考えたのちに、響はトイレへと向かった。居場所としては一番オーソドクスなオチだろう。

「おーい、絵美ー。旦那さまが帰ったぞー」

「……響ちゃん?」

トイレの前で案の定返事を聞いた響だったが、その声音に嫌な予感を覚えた。

中に駆けこむと、地べたに座り込んだ絵美の姿があった。

「絵美!どうしたんだ!手に怪我を」

慌てて駆け寄ると、絵美が

「駄目!近づいたら、危ない!」

その両足で必死に個室のドアを抑えているのに気付いた瞬間、ドアから勢いよく人が飛び出してきた。

首に縄を巻きつけた血を吐き出す少女。感染者。そいつが床に転がるのを見て、即座に響は外ポケットに刺していたバールを取り出した。ふりかぶる。

逡巡する間もなく打ち払った後には、ぼこんという肉と骨がつぶれるいやな感触と、頭をへこませて痛む死体だけが残った。

さっきクリスたちが行っていた奴だ。こんなところに感染者が残っていたなんて。

肩で息をしながら、響は絵美が無事なのを確認する。いや、無事じゃない。

「絵美……その傷は……」

響は自分の予感が外れていることを心から祈りながら、彼女にそう尋ねた。

「……噛まれちゃった。ごめんね、響ちゃん」

涙を浮かべながら、絵美は響にその事実を告げたのだった。



しばらく、二人はまんじりともせずにその傷を眺めていた。ゾンビの地を受けた傷。感染のあかし。

絵美はとつとつとここに至る経緯を話し、響は茫然としながらそれを聞くしかなかった。

最悪の事態だった。

響はへたり込みそうになるのを必死にこらえながら、頭を回転させる。どうすべきだ。自分は今、なにをすべきなのか。

「響ちゃん……私」

「待て、絵美。いいから。まだ、まだだ。もう少し、様子を見よう」

絵美が言おうとした言葉を、響は遮る。彼女を知っているから、彼女が何を言おうとしているのかがわかったのだ。分かってしまったからだ。だから響はそれ以上を決して言わせない。

「とりあえず、部屋だ。おまえは今疲れてる。だから、部屋で休むんだ。いいな。絶対に、部屋から出るな。これが最善だ。私たちにとって、これが最善なんだ」

ゆっくり噛んで含むように言うが、絵美はそれでも迷った表情を見せた。

「でも、私は……」

「絵美。信じてくれ、私を」

卑怯な言葉。絵美の良心を無視して、自分の独善を押し通そうとしている。

だが。


先ほどの光景を思い出す。

殺気立った生徒たち。冷ややかに処分を言い放った霧生。そして対応を任せると認めた柿谷。

奴らの前に彼女を引っ張れば、どうなるか。想像は難くない。


「―――とにかく、ここをどうにかしよう。それから、部屋に戻って少し休む。それからだ。決めるのはそれからでも遅くない」

それでも、すでに響の腹は決まっていた。

絵美。アタシの親友。困っている時に何度も助けてくれた。人の優しさを教えてくれた。

(―――あなたは、絵美のそばにいてあげて)

日和良と絵美。最高の友達。


助ける。彼女だけは。

自分自身にそう誓いながら、響は遺体をロッカーに引っ張った。




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