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Journals of the Dead  作者: 数奇者星
第一部 学園監獄編
28/33

第五話 聖者は夜に去っていく(2)

日和良達を目的の場所に送り届けた後。


「……」

四人を降ろしたワゴンの車内は、沈黙に包まれていた。

ハンドルを握りながら、響はちらりとミラー越しに後部座席にいる二人の様子を窺う。

弓を斜めに肩がけつつ、二人は一番後ろと真ん中の座席をそれぞれ一人で占領している。

寒さの問題もあって胸当て自体は付けていないが、コートの裾からはアームガードが覗いている。

視線は窓の向こう。それぞれ担当するように言われた左右の方向をじっと見つめている。どちらも緊張しているのか、肩がしきりに上下しているように見えた。

それぞれが元々交友のある仲ではない。砂野と一年生―――古賀は同じ部活ではあるが、砂野の性格も相まって殆ど会話らしい会話は見られない。ましてや学内ではちょっとした問題児扱いされている自分とは。

求められた役割に沿って、集められただけにすぎない以上は、それもやむを得なかった。

「なあ、砂野」

しかしそうはいっても、このままでいいとは響も思っていなかった。

不意に声をかけられた砂野一与は、びくりと反応する。予想外のことだったらしい。

「ええと、その、大丈夫か」

「え、ええ。まあ、だ、大丈夫です」

唐突に掛けられた気遣いの言葉に、やや過剰なまでに頷く砂野。

挙動不審気味のリアクションに、響も思わず眉根を寄せてしまう。しかし彼女のそんな些細な変化にも、気分を害したのだと解釈したらしい砂野は慌てた。

「す、すいません、その、すいません!」

しきりに頭を下げる砂野を見て、自分の失敗を悟った響は、必死に作り笑いを浮かべる。

「ああ、いや、別にいい。落ち着け、砂野。謝らなくていいから」

もう一人の女生徒も困ったように黙り込んでいる。彼女にも頼ることはできなさそうだ。

自分の言葉で、きちんと伝える必要があると言うことを再認識した響は、ため息を腹にもどしてゆっくりと話し始める。

「ええと、そうじゃなくて。私が言いたいのは、その、なんだ。あのさ、砂野……」

バックミラー越しに時折視線を合わせながら、なだめるように響は話を続ける。

「今、私は結構頼りにされてる。車の運転ができるからな。だからみんなができないことをできるから、まあ仕方ないことだと思う。その役割を私は受け入れてる。ちょっとくらい危険かもしれないけど、それでもやる」

砂野は視線を自分の後頭部とミラーのなかの眼をいったりきたり、せわしなく動かしている。

「それで、今みんながアンタを頼りにしてる。化け者達と戦うのに、それを一番うまく使えるからな。そっちのアンタだって、そうだ。けど……たぶん、やらないといけないことの意味はアンタらの方が……きつい」

シートに掛けられた弓を見やりながら、響は続ける。

「だから、その……なんつーか、嫌なら嫌だって言ってみるのも、一つの手だと私は思うぞ」

これは、嘘偽りない響の本心だった。

自分自身がこうした仕事を押し付けられていることを窮屈に思っているからこそ、自分よりはるかに重い意味を持つ仕事を強要されている砂野達を、放ってはおけなかったのだ。

皆がいる場所ではとても言い出せる物ではなかったが、せめて彼女らに一言だけでも言わずには居られなかった。逃げ出しても責めない人間がいると言うことを。

「皆は困るかもしれないけど、無理なもんは無理だって言っちまえばいい。やりたい奴がやればいいってな。言えば分ってくれる奴はいるよ。頭ごなしに何でもやれって言われたって、従う義理はないしな」

ちょっとだけおどけたようにそういうと、意外な言葉におどろいたらしい二人も黙り込む。

そうしてしばらく運転に集中すべきか考え出した砂野の耳に、返答が返ってきた

「あ、あり、がとうございます。その、の、でも、私がお役に立てることは、これだけだから、その……だ、大丈夫です」

ちらりと古賀にも視線を送るが、彼女も迷いながら首を横に振った。

「私がやらないと、誰かが傷つくかもしれないから……やります」

静かではあるが決意を秘めた視線に、響は返す言葉もなかった。

「いらん気遣いだったな。悪い、忘れてくれ」

い、いえ、そんなことは。わたわたと視線を泳がせながら砂野は答える。もう一人の方も、目をふせながら拳を握ってうなずいてくれた。

このまま、出番もなにごともなく帰れたらいいが。

しかし、道の向こうに車体が見え始めて、響は思わずため息をついた。

運転手の青い顔は、、それがろくでもないことの前触れであると感じさせるに十分だったからだ。



響がクラクションを鳴らしながら車の速度を下げると、向こうも減速してきた。そのまますぐ横に留まる。

ウィンドウを下げながら向こうの様子を見ると、見知った顔が足りないことに真っ先に気づいた。

「どうしたんですか、いったい」

「あ、あなた達こそどうしたの、こんなところで」

職員のおばさん達が、驚きながらもどこか安堵した顔でこちらを見つめてくる。そう言えば元々は自分たちが出ているのも不測の事態の一環だったことを思い出す響だが、説明は適当に済ますことにする。

「トラブルがあったんで、迎えにきたんですよ。……柿谷先生は?」

車内の乗客は顔を見合わせた後で、事情をはなした、

響としては呆れるほかない。柿谷をほっぽって逃げ出すよりは、普通に車で感染者をひき殺してた方がなんぼかましだ。それくらいわからないのか。

「ねえ、私たち、どうしたらいいかしら」子供になにを聞いてやがる。響は頭の中に浮かんだ罵倒語を必死に抑えて、理性的と思える言葉を口にした。

「とりあえず、職員さん達は先にかえってください。柿谷先生がどうなったかは、これから確認してくるんで」

「で、でも、君たちだけじゃあ……」

年寄りの用務員の声は、途中で悲鳴にかき消された。声をとばした後部座席の職員の視線の先には、こちらへよたよたと走ってくる感染者の姿が合った。

「砂野。頼めるか」

後ろをむくと、砂野一代はぶんぶんと痛くなりそうなくらいに勢いよく首を振ってうなずいて見せてくれた。彼女はそのまま車を降りて、出しっぱなしにしてあった弓を構えてみせる。

そしてまもなく動かなくなった屍が一つ生まれた。

「まあ、そういうわけなんで……アタシらに任せてくれます?」

響が侮蔑と怒りの入り交じった声でそう告げると、わき目もふらずに車は走り出していった。

冷めた目で誰もが小さくなっていく車を見送る。響は

矢を回収して砂野を労い、響はシートベルトを締め直す。

「大人って奴は……」響は一人ごちた。「救えねえな」

だからこれから、自分は行かなければならない。一人の男を救いに。

いら立ちをぶつけるように押し込んだ足は、車を勢いよく発進させた。



行方が分からない生徒がいる。その事実は衝撃を以て学園にいる一部の生徒に伝えられ、その対策が急遽とられる事となった。

「状況を整理しましょうか」

霧生がそういうと、東校舎の一階の空き教室に再び集められた現在学園を取り仕切る面子は緊張した面持ちで彼女の言葉の続きを待った。

「行方がわからないのは、新家暦さん。一年生。バスに乗ってきた生徒の一人。教務棟に逃げ込んでいた。最後に確認されたのは、浜形さん達が脱出してきたあとに皆が合流したところ。そこで彼女は行方がわからなくなった」

ちらりと霧生が視線を寄越したので、明里は情報を捕捉する。

「周りにいた人の話では、それまでは噛まれたらしい気配はなかったらしいわ。ただ、ずっと顔を青くして調子が悪そうだったって言うのは確かだけど、もともとそんな感じだったらしいし」

だから、この時はまだかまれていなかっただろう。そう暗に示したのに満足して、再び霧生が口を開く。

「……けど、脱出した時が問題だった。聞いた話だと先にお友達と合流しようとして東棟へと向かっていったらしいわね。……そんな顔をしなくていいのよ、浜形さん。指示に従わなかった彼女が悪いわ」

浜形は無言のままほぞをかむ。彼女自身はなりいきで皆をまとめることになった以上、責任を感じる必要はないのだろうが。

「だが、問題なのは、この中間地点には佐志場先生がいたこと、か」

雨宮珠里あまみやじゅりが、そう呟く。

学園内での最初の感染者である佐志場は、足をひねっていたため感染状態になった後も、地べたをはいずり回っていた。鐘がなった後も、彼だけはほかの感染者達に置いて行かれて中央広場にいた。

「そう。おそらく、彼女はそこで噛まれた。それから自分も感染のおそれがあると理解した彼女は、単身でどこかに身を隠すことを決意した」

断言する霧生。ある程度の推測を重ねているとはいえ、仮にも皆が学園内は一通り捜索したのだ。

どこかに感染者がいるとすれば直ぐに気がついただろうし、どこか皆から隠れられるような場所にいると考えるのが妥当だろう。

「……ちょっとええか。質問」

それまで黙ってたクリスティーナが、手を挙げる。

「学園内にいるのは間違いないんか?」

「正門の守りの堅さは知っているでしょ。先生たちと小林さんたちの車以外に、ここをでた物はいない。塀を乗り越えられるって言うんなら話は別かもしれないけど」

自分たちを閉じこめるためにうず高く作られた塀を、単身乗り越えられるはずもない。

なるほど、とクリスは頷いた後で指を一本立ててきた。

「もう一個ええか。隠れたっていってるけど、なんかの事情があって動けへんとかはないんか。ほら、その、普通に寝込んでしもたとか、穴にはまったとか」

そのあたりは、霧生と明里の間でも意見が出ていた。しかしそれも含めて、どこかへ隠れている状態にある、という見方が大きいという形で二人の意見は一致していた。

「そうならいい、とは私達も思うけどね」

「ふふ、今彼女がどうしているのか。今のところ推測されている状況は二つよ。意識があって、どこかへ隠れている場合と、意識がなくて、どこかへ隠れている場合」

クリスが視線を上向かせながら、疑問を呈する。

「ええと、意識がなかったら、隠れるほどに頭まわらへんのと違う?」

「違うわ。どこか人目に付かない場所に閉じこもって、そこで発症して身動きがとれなくなっている可能性があるでしょう」

時間的な経過から考えても、この可能性が一番高いと霧生と明里はみていた。どこかの部屋で様子を見ているうちに発症し、そこで身動きがとれない状況になっている。あの状態……感染者にはドアノブを回す知恵や、鍵を開けるだけの理性が残っているとは思えない。

「それやったら、いっそこのまま放っておいた方が楽と言えば楽やけドな。……冗談やで」

場を和ませようとしたらしいクリスの言葉に、笑える余裕のいる人間はいない。

「とにかく、危険なことに変わりはないわ。彼女がどういう状況だったとしても、私たちは警戒を一切緩めることなく彼女を見つけ出さなければならない。分かるわね」

底でそれまで沈黙を守っていた浜形が、はじめて口を開いた。

「……発症している可能性は、どれくらいある」

浜形の言葉に、明里は思わず固まる。彼女が言わんとしていることは、それこそ最悪の状況を想定している故の言葉だろう。口を開こうとするが、明里の喉からはなにも出てこない。

「私が代わりに答える、だわさ」

それを見かねたのか、眼鏡を掛け直しながら鳴海聡子が前にでた。

「今のところ、噛まれてから感染するまでの期間は読み切れないだわさ。先生たちが発祥したのが、学園についてからというのとトンネルにさしかかったところということ。これはかなり時間的には開きがあるだわさ。これは個人差も含めて、かまれた箇所や傷の大きさに原因があるんじゃないかと私は思う。頭に近い方が起きあがるのが早かったり、足の方だったら時間的猶予があったり。それぞれで時間は十分から三十分ほど。傷が小さかったら、もっとかかるかも」

「つまり新家さんが発症する前にどこかに身を潜めるには、十分な時間があったということね」

「ふふ、そして今は発症しているのにも十分な時間があるっていうことよ」

明里と霧生がそう締めくくると、浜形はそのまま頷いて一歩を下がる。

「それで、問題はいよいよ本格的にやり合うとなったときに、自分たちの持つ武器を誰が使うのかって言うこと」

部屋の中央に置かれっぱなしだったそれを、皆が緊張した面持ちで見つめる。

猟銃。未だ使い手の決まらない現在最強の武器を。

この中で、銃をあつかったことのある人間は?」

しばらく、皆がお互いの顔を見合わせた。日本には銃はない。そんなものに触れられた人間なんて、限られているだろう。

そのうちの何人かが思い浮かべた人物が、間もなく手を挙げて前にでた。

そうして渡された猟銃と弾丸を受け取ると、鮮やかな手つきで弾丸を装填し、射撃できるように整えた。

「グランパん家でちょっとな。拳銃やったら確かにあるわ。けど、こういう中折れ式の銃は、グランパが使ってるのをみたことあるだけやで」

「ほとんどの人は銃と名の付く人にさわったこともない人がほとんどよ。十分だわ」

クリスは銃を任されることを渋ったが、最終的には引き受けてくれることに納得した。

クリスが金髪を揺らしながら、猟銃を肩に構えた。様になっているように、明里には見えた。

「洋弓部の連中みたいに遠くから当てられる分けちゃうで。近くから、一発でしとめるために使うだけや腕は砂野はんほどちゃうから、期待はせんといてな」

冗談めかしてそう言っているが、表情はまだすぐれない。それを察したらしい霧生が、彼女を諭した。

「撃つのが怖いのはわかるわ。でも、誰かがやらなくちゃいけないことよ。あなたが適任なの。わかってちょうだい」

クリスは唇をかみながら、うなずく。

「とにかく、パトロールの人数を増やして一刻も早く新家さんを見つけましょう。ただし、まだ他の生徒たちにはあまり知らせないように。余計な混乱を招きたくないから」

そう言いきって、明里はその場を解散しようとした。しかしそれを霧生が制止した。

「実は、もう一つ提案があるの」

何だ一体。霧生の予想外の行動に、明里は緊張する。

「これから、先生達が帰ってきたときのことよ」



「ええと、雨宮さん。ちょっといいかしら」

会議が終わった後の重苦しい沈黙と視線での互いの探り合い。それを乗り切った後に明里は思い切って一人の女生徒に声をかけた。

「一応念のために聞きたいんだけど、この建物の中はもう見たのよね」

「……そういったはずだけど」

不機嫌な顔を隠そうともしないで答える。杉村はため息をつきたくなる。

雨宮は、生徒会長選挙にもでたそれなりに人望のある子だ。実際頭も切れるし行動力もある。

しかしいささか他人への配慮に欠けるところがあり、そのせいで学内でもしばしばトラブルを起こしていた。そうした性格も手伝ってか、生徒会選挙では副会長の座を杉村に奪われる結果となった。

それ以来杉村や赤塚への敵意をむき出しにしてくる。杉村としては苦手この上ない相手だった。

「とにかく、私たちはもう一度念のために礼拝堂の方をみておくわ。だから、東校舎の方をみておいて。もう一度、厳重にね」

ため息を押し戻しながらそう告げると、さすがに相手も頷いてくれた。彼女に任せるのはいささか不安なところがあったが、今は人をまとめて動ける人の数自体が少ない。そういった意味ではガキ大将的な彼女は、今重宝すべき相手でもある。

とにかく、自分は自分でやるべきことをやらなければ。

礼拝堂の裏手や古井戸の中。

確認しなければならないところはまだまだ多い。




「よいしょ……っと」

一人そう呟きながら、階段を上りきった木中絵美は、一息ついた。

片足を捻ったすぐ後に階段を上り下りするのはよくないのかもしれない。けど保健室でずっと寝かされているよりは、はるかにいい気分だった。

保健室に運ばれた後。

先ほどまでの興奮がまだ体に残っている気がして、一度気を失うように眠った後は、ちっとも眠気は訪れてこなかった。それは日和良や響が訪れた後には一層強くなり、絵美はなにか自分だけ眠っていることにも罪悪感を感じ始めていた。

そんな風に身体を持て余している中で、保険医まがいのことを任されている草薙の呟きを聞いたのだ。

なんでもアルコール消毒剤がなくなってしまったのだという。皆が手を洗いたくなる気持ちも無理はないと絵美も納得していたが、なければないでよろしくないのは確かだ。

「それじゃあ、私が上からとって来るから」

押しとどめる彼女をなだめつつ、ようやく保健室からの脱出に絵美は成功した。ガラスが割れたせいで外気が流れてきているらしい廊下は薄寒く、身震いしながら階段を目指した。

絵美がすぐに消毒剤のある場所として思い浮かべたのは、三階の調理実習室だった。あそこなら予備も多く置いてあるし、ここから外に出ないでも取りに行ける。

そうして今こうして一人階段を上りきり、家庭科調理室のドアを開けた。

包丁の槍などはここで作っていたという話の通りに、調理台やロッカーは開け放たれ、テーブルの上にはひもやごみが散らばっている。

それらに足を取られないようにしながら奥の棚を開けて、お目当ての物を取り出す。トートバックの中に幾つか放り込むと、何事もなく調理実習室を出た。

しんと静まり返った廊下から、

がたん、と言う音が聞こえた。


「……まったく、あの連中ときたら!」

隣の席で怒りをあらわにする男を苦笑しながら、響は「まあまあ」と適当になだめた。

柿谷衡平は、あっさり見つけることが出来た。

教職員達と別れてから間もなく。感染者達へどういった対応をとるべきか響は悩んでいた。

いっそ車で弾き飛ばしてしまうか。汗ばむ手でハンドルを握っている響の前に飛び出してきたのは、誰あらん柿谷だった。

「早く!早く、乗せてくれ!」

山の斜面から飛び出してきた影―――泥をかぶり汗で張り付いたシャツをまとった柿谷を車内に入れると、まもなく感染者らしい影が現れた。

それらをどうするかで車内に緊張がはしったが、響は結局そのまま無視してUターンして戻ることにした。どうせ連中を仕留めても、他にどれだけいるかわからない。そう自分に言い聞かせながら。

ただ、砂野と古賀の顔は少しだけほっとしていたように思えた。それだけが救いだ。

その後は柿谷とお互いに事情を話して、現在に至る。

「けど、無事でよかったよ、先生もさ。いやほんと」

拍子抜けしたのは確かだが、それでよかったことに違いはない。砂野と古賀も今は荷物をおろして、気の抜けた顔で窓の外を眺めている。

「……無事なもんか。みてわかるだろ。それにいろいろ手荷物も落としてきたぞ」

シートに身体を預けながら一人ぼやく柿谷を、響は笑いながら見つめる。お堅い先生かと思っていたが、そういう顔もできるじゃないか。

「そのあたりの文句は、帰ってからたっぷり連中にぶつけてやれよ」

ああ。そうだな。怒気と疲れが入り混じった言葉を漏らすのを隣で効きながら、響は車内に響く声を挙げる。

「さあ、もうちょっとで到着だ。一仕事したら腹が減った。後で飯でも食おうぜ」

そう笑いながら言うと、少しだけ車内には明るい空気が流れた。無事自分たちは生きている。それだけでもめっけもんだろう。

しかし、その表情は学園に近づくにつれて萎んでいく。

正門には多くの生徒や職員がいた。しかし彼らは何か言い争っているようだった。

嫌な予感がするな。べたりとした汗が背中を伝うのを響は感じた。


何の音だ。絵美は咄嗟に先ほど拝借しておいた包丁を取り出し、周囲を見回した。あたりには誰もいない。それは間違いないはずだ。

いや、廊下での音ではない。何処かの部屋から聞こえた音だった。

音の出所を必死に考えるが、どこの扉もしまっている。いや、一か所だけ開けっぱなしの場所がある。トイレだ。

逃げるべきか。助けを呼ぶべきか。そんな考えが脳裏をよぎるが、そもそも感染者がここにいるはずはない。先ほど、この建物内は捜索が終えられたからと保健室が開けられたはずではなかったのか。

きっと何かが風で落ちたとか、そういう話じゃないのか。せめて一目だけでもそれがなにか確認すべきではないのか。

義務感と生真面目さからそう判断した絵美は、ひょこひょこと足を動かしながら、トイレの中に足を踏み入れる。

中に異常は見当たらない。そう思いつつ個室のドアを見ていると、何故か奥のトイレが閉まっているのを絵美は見つけた。

「……誰か、いるんですか」

喉がからからになりながら、そう声をかける。反応はない。

はやく、助けを呼ばないと。

そう思いながらも何故か足はトイレの中に吸い込まれて、問題のドアの前にまで絵美は導かれていた。トイレを開けようとするが、鍵がかかっている。中に誰かいることに間違いはない。

「……」どうすべきか。中に誰かいるとしたら、大丈夫なのか。

もしかしたら感染者かもしれない。そう思いながらふと天井を見ると、明里は思わぬ物をみつける。

天井のパイプが外れていた。

それを見た絵美は、すぐさまに包丁の歯を戸の間に差し込み、ロックを持ち上げて扉を開けた。

「……やっぱり」

そうだ。絵美は何か重いものを唾と共に飲み込みながら、便座の上の人物を見つめる。

少女の首にはロープが巻きついていた。



首つり自殺。

目の前の少女が行ったであろう行為を目の当たりにするのは、絵美にとっては二度目になる。

パイプはロープをかけていた少女の重さに耐えきれなかったらしい。そうして少女は部屋の中に落ちた。先ほど聞こえたのは、その音だったということか。

便座の上に横になるようになりながら、少女はだらんと動かない身体となっている。よく見ると足にはトイレットペーパーが執拗なまでに巻かれている。それが赤く染まっているのを見ても、状況は察しられた。

彼女もまた、多くの生徒と同じように噛まれたのだ。そしてあの化け物になることより―――自ら永遠の眠りに就くことを選んだ。

「……」

暗い個室の奥で、ひとり首つりを図った彼女のことを思うと、絵美はひどくいたたまれない気持ちになった。

いや、今は自分がこうしていても仕方がない。絵美は踵を返して、人を呼びに行こうとする・

だが、ふとその手に持っていたあるモノに、視線が釘付けになった。


「……な、なにか、へ、へんで、すよ」

テンパる砂野にお前が言うのか?などという野暮なことは言わずに、響はウィンドウを下げながらゆっくりと正門に近づいていく。異様な雰囲気の少女たちに、響は大声を開ける。

「おい、どうしたよ。さっさと入れてくれ」

しかし正門も置かれた車も動かされる気配はない。

「……だから、言っているだろう!そもそもなぜ君たちがこんなことをする権利が……」

「なぜ従ってくれないんですか。そっちの方がおかしいじゃないですか!」

中で言い争っている職員と生徒たちの話に耳を傾けていると、間もなく霧生が此方へ歩いてきた。

「おい、どうしたんだよ一体。ずいぶんなご歓迎だな」

「悪く思わないでね。念のためよ。外に出た人は、身体チェックを行うべきだっていう風に皆でまとまったのよ」

「身体チェック?」

「身体にかみ傷がないかどうか、確かめるってことか」

そういうこと。霧生の言葉に、響は鼻で笑う。

「それなら心配ない。アタシらはとりあえず噛まれてないし」

「なら、私たちにそれを証明してもらっても構わないわけね」

ひく気配の見えない霧生に従うべきか迷っていると、門の内側から声が飛んだ。

「従う必要はない!」

そう声を挙げてきたのは、中で揉めている西浦だった。

「そもそも君たちにそんなことを決める権利はない!人を何だと思っているんだ!」

アンタらこそ何様だよ。顔を真っ赤にさせる西浦に対して冷めた視線を向けながら、響は鼻で笑う。

「……ですから、一応身体を見せてもらえれば皆納得するんですから」

雨宮がそうなだめるが、西浦他の教職員はそんなことお構いなしだ。

「気にすんなよ、先生!じじいの裸を若い娘に見てもらえるんだから、金払ってもらってもいいくらいだろ。いっそそのままストリップでもすればいいんじゃないのか」

「黙れ!おい、口のきき方に気をつけろ!」

場を和ますための冗談だったのだが、どうやら火に油を注ぐ形となったらしい。雨宮がぎろりと睨みつけるので、響は肩をすくめるだけにとどめた。

「とにかく、君らは早く私たちを中に入れてくれれば……」

「……ええ加減にせえよ」

そんなつぶやきが聞こえた気がしたが、直ぐにそれはかき消された。

銃声が空に響いたからだ。



絵美が見つけたもの。

それは、財布だった。いや、正しくはその財布に貼られたシールの数々だった。

シールには彼女とその友人らしい少女達が写っている。どれも笑顔だ。

それを手に握りしめたまま、彼女は絶命した。きっと友達のことを思いながら、彼女はこの道を選んだのだ。

その想いに何か心打たれながら、それをよく見ようとして、思わず絵美は手を伸ばす。

その瞬間だった。

目の前の出来事でありながら、絵美はとっさの事で反応できなかった。自らの体重でだらりと延びた首が、飛びかかるように絵美の顔めがけて降りおろされる。

絵美にできたのは、ただ伸ばし掛けていた手をその前に突き出して相手の顔を留めることだけであり、そのままドアを閉めることだけだった。

「……!!!」

ばたん、と音を立てながら絵美はトイレの床に倒れ込んだ。

扉の向こうでは、ドアを掻き毟る様な音が聞こえてきていたが、あくことはない。足でとどめることには成功していた。

だが、問題はそんなことではない。

そんな、まさか。

絵美は信じられない思いで、心臓が張り裂けそうになりながら、その手を持ち上げた。

自らの血が、とくとくとこぼれ落ちるその手を。



「頼むから、動かんといて」

空に向けた銃をおろしながら、クリスティーナが此方へ歩いてきた。

「稲葉君。その物騒な者を置き……」

「動くな言うてるんや!」銃を構えながらそういうと、

響達の車にも視線を向ける。

頼むわ。本気の懇願を感じ取った響はそれ以上なにもいえずに、黙り込んでしまう。

苦渋の表情を浮かべるクリスから視線をはずし、霧生へと顔を向ける。

「いきなり方針転換とは、ずいぶんと偉くなったもんだな、ええ?」

「悪いけど、これは私たちみんなで決めたことなのよ」

よく言う。言い出しっぺには何の責任がないとでも言うのか。

「へえ。おもしろい。そんで、もしも私らが感染していたらどうするってんだ」

喧嘩腰の響に、砂野と古賀が目をむいた。

「決まっているでしょう」

霧生は何でもない風に、それを言ってのけた。


「感染者は、射殺する。それだけの話よ」




詠ちゃんの澄まし顔でまた次回に続きます。

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