表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Journals of the Dead  作者: 数奇者星
第一部 学園監獄編
27/33

第五話 聖者は夜に去っていく(1)

「信じられない……」

トンネルからあふれ出る熱気と黒い煙。タイヤの蛇行した跡。

学園から街へと脱出しようとしていた鳳凛学園教職員達にとってそれらの現状からなにが起こったのかを推測するのは容易だった。

「バスの事故だなんて」

狼狽える西浦をよそに、むしろ柿谷衡平は握った拳をハンドルに叩きつけていた。

突如として現れた理不尽を前に、憤らない方がおかしい。その音に後ろの座席にいた職員たちはびくりとしていた。

「……たぶん、中で病気が発祥したんでしょう。それで車内がパニックになって……」

その時に起きたであろう凄惨な光景が思い浮かべたのか、西浦は言葉をのどでつまらせる。そんなことはみんなわかってる。密閉された空間であんなモノが暴れれば、それこそなにが起こっても不思議ではない。

柿谷はふと思い起こしそうになる職員室での惨状を、必死に振り払いながら、これからどうすべきか考えようとした。。

隣を見ると、十字をきっていた西浦にならって、柿谷も手を合わせていた。

バスに乗っていた五十人近い人間はどうなったのか。考えるだに恐ろしい。

「……とにかく、一旦戻った方がいいでしょうね。なんとか、対策を立てないと……」

後ろの老齢の用務員がそう声をかけてきた。あの地獄を経験していないもの特有の冷静さと無思慮さに鼻白みながら、柿谷は車を一旦下がらせようとした。

だが彼の言うことが正しいのも確かだ。

ただならぬ出来事に自分達が巻き込まれているのは間違いない。トンネルが使えなくなった以上は、でることさえおぼつかない。

いや、むろん山を越えるという選択もある。自らの足で。だが、少なくとも今すぐは無理だ。一旦、対策をとりまとめなければ。

しかしUターンしようとしていた車の中で、食堂にいたおばさんがあることを口に出した。

「そうだ、携帯。携帯の電波が入るか、試したらどうですか」



鳳凛学園がもっとも文明から隔絶されていると感じさせることが、携帯の電波が入らないことだ。

これは山に囲まれているために電波が通らないだけでなく、中継局自体が殆どこの辺りにはないことも原因である。

そして基本的にはこちらのトンネルに入ると同時に、電波は入らなくなっているのが常だ。だが試したことこそないが、電波の通りが邪魔される障害物よりうえならば、入るのではないかということは皆の口端に上っていた。

もちろん試したものはそういない。なかばえぐり込むようにつくられたトンネルはその頭上を頑健な山肌に覆われていたし、やや下り坂になるようにして作られているこの道からは、周囲の山に登るのも容易ではない。

だがいずれにせよこのままただ帰ることよりも、なにか現状を打破し得る可能性があることは確かだった

。柿谷としても、否定材料は殆ど見つからなかった。

だが問題は、三十度以上の急傾斜をいったい誰が上って行くのかということだった。

そしてそのある種の予感は、見事的中した。

「おーい。どうですか、先生ー」

やせ細った木の幹をつかみながら、斜面を登っていく。

「まだダメですー」

大声を張り上げながら、柿谷は一人毒づく。こんなことだろうと思ったぜ、と。

案の上、山の上へと登っていく仕事は、最年少である柿谷が引き受けることとなった。後部座席にいた年より職員どもの熱い推薦がなされ、西浦も無言のままでいたために引き受けるほかなかったのであった。

片手に持った数個の契約会社が異なる携帯電話の画面に変化がないことにため息をつきながら、もう一度気合いを入れる。コートで汗をぬぐいながら、必死に足を前へと上へと運んだ。念のために運動靴を入れて正解だった。

しかし、こうした行動には裏があるんじゃないかと柿谷は思っていた。

職員達の間で、すぐに帰りたくないという意志が透けて見えた気がしたのだ。

いや、なにもおかしなことじゃあない。この連中のほとんどは事態の推移を隠れるだけで終えた連中だ。彼らにしてみれば、たとえ意識が失われていたとしても、正当防衛として感染者の相手をした人間たちは信じがたいというのが本音ではなかろうか。特に学園中に散らばっている遺体だけをみるならば。

しかし職員室での惨劇を目の当たりにした柿谷は違う。あれは何か底知れぬ悪意を秘めている相手だ。

感染者に理性はない。だがその本能と修正に従って、人間相手に襲いかかってくる。

こうした意識のずれが、自分を現状こんなはめに追い込んでいるのではないか。

「おーい、どうですかー、先生―」

などと冷静な分析をしたとしても、腹が立つものは腹が立つ。柿谷は掴んでいた木の枝をへし折りながら、いらつきを顔に出さずに振り返ろうとする。

しかしそこで、携帯の液晶画面に変化があったことに気づく。柿谷の形骸のアンテナが、一本立ったのだ。

やった。柿谷は息を切らせながら振り返り、両手で大きく丸のマークを作る。

それから自分の携帯電話を振り上げると、向こうにも意図が通じたらしく、「早く警察に!」と、声を挙げてきた。

しかし、腕をおろす途中で何か動くものが道路向こうの林に見つけた。黒っぽいそれが何かと目を凝らす。いや、その必要はなかった。その動きぶりからは間違いなく、自分がよく見知っている感染者特有のものだった。

「危ない!早く、車に!」

腕を振り回しながら大声を上げると、向こうもそれに気づいたらしく、慌てて車の中へと戻って行った。

その後に起きたことを、柿谷は信じられなかった。

「おい、嘘だろ……」我知らずに柿谷はつぶやいていた。

柿谷を置いて、車は道路を戻って行った。



柿谷達は、大丈夫だろうか。さっきから明里の頭には、そんな言葉ばかりかが思い浮かぶ。


感染からなる学園内のパニックは収束を迎えた。当初に計画していた一カ所に集めることで脱出する陽動作戦は、一カ所に集めて打破する線滅線へと様相を変えた。その結果について素直に喜ぶことこそできずとも、安堵できたのは確かだ。

改めて考えると、安全とはほど遠い作戦だったと言うことがわかって、明里は肝が冷える思いを覚える。

だが結果は結果だ。今無事に園内を闊歩できているだけでも、それは認めるべきだろう。それぞれが最善を尽くした結果、学園の大多数は生き残ることができたのだ。


その後柿谷達からなる教職員の生き残りたちは助けを呼びに、そして学園には生徒たちが取り残されることとなった。だが201バスの事故と生存者たちの存在を知らされて、学内は再び慌ただしくなった。

だがそれとは別に、自分たちは自分たちにできることをしなければならない。学園内のパトロールが今自分にできるそれだ。

一応の決着こそ付いたが、不安の根がすべて取り除かれたわけではないのだ。未だどこかに感染者がさまよっているかもしれない、という恐怖は誰もの心の隅にこびりついていた。それ故に事態が収束してからは皆を一カ所に集めて学園内の安全の確保につとめることが決まったのだ。

有志を集めて、それぞれの建物の中をチェックしていく中で問題なのは、もっとも犠牲者が多いとされる職員室だった。誰が行くべきかで揉めるかと思われたが、意外にもあっさりときまった。浜形が真っ先に挙手してくれたお陰だ。

惨劇が起きた時、彼女はそこからみんなを連れて離れることを決めた。ほとんど口を開くことのない浜形だが、いろいろと思うところがあるのだろう。


「……」

しかし先それよりも問題なのは、これから足を踏み入れる場所だ。

会議の終わった明里のもとに、一人の女生徒がやってきたことが発端だった。

「ちょっと、きてくれませんか?」

おびえた顔つきの女生徒が導いたのは、道場の奥の一室だった。

道場は特に被害を受けてはいないが、今は誰の立ち入りも許可していない。にもかかわらず建物から聞こえた物音に、異常を察知したらしい。

明里他数名の生徒は、それぞれが武器である長物を両手に室内へと足を踏み入れた。そこで声を張り上げる。

「誰かいるの!いるんなら、でてきなさい」

むろん、これは話が通じる相手にしか効果がない言葉だ。

のどの渇きを覚えながら、明里は土足のまま室内へと足を踏み入れた。

しかし間もなく、襖が動く音がして、一同は武器をこしだめに構える。

「誰!」

「待った。私です。落ち着いてください」

そういって襖の奥からでてきたのは、橘夕だった。

その姿を見て取って、明里以下の生徒たちは抱えていた武器を下ろした。

「……驚かせないで。橘さん」

橘は肩をすくめながら、頭を下げる。

「すいません。ちょっと奥でうとうとしていて、気づくのに遅れました。……みなさんこそ、こんなところでどうしたんですか?」

「パトロール。まだ全員の安否が分かった訳じゃないからね。どうしてこんなところにいたのよ、あなた一人で」

明里がいらだちの混ざった言葉を投げかけるが、橘は特に何でもないといったていで答える。

「人が大勢いるところが苦手で。あとは悪目立ちするのが嫌だったんで」

確かに、彼女の存在は好奇の視線の的だろう。窮地に現れ、颯爽と皆を率いて動いた謎の転校生。それが美貌の少女とあれば、なおのことだ。

明里はため息をつきながら、だらんと両手を下げる。

「まったく、あなたといい小林といい。どうしてじっとしていられないのかしらね」

「小林?先輩が何か?」

怪訝な顔を見せる橘が、現状をほとんど知らないことに明里は気づいた。

そこで明里は、彼女が休んでいる間に起きたことを教えた。201バスからの生存者。山の中で助けを求める生徒達。そして、日和良が山の方へ向かうつもりなのを教えた。

「本当なら、あなたにも話し合いに加わってほしかったんだけれどもね」

生存者を助けに行く。

小林日和良の行動を、誉め称えるべきか止めるべきなのかは明里にも判断が付かなかった。

赤塚のことは心配だし、柿谷の元へも行きたいと思う。だが明里には任されている職務があった。

学園をとりまとめるように指示を受けている以上、ここからでていくわけにはいかない。

明里には、彼女が体育館へ向かうことを見ていることしか出来なかった。そのことはわだかまりとして、今ここにいる時も何か明里のなかでくすぶり続けている。そんないら立ちを微かに込めた言葉に、橘は思わぬ反応を見せた。


「……そこに、生徒会長や、他の生存者がいるんですね」

その時一瞬、放たれた橘の気配に、明里は気押された。

「え、ええ。まあ、そうね。今のところは、だけれども」

無表情でありながらどこか鋭利な刃物のように眇められた眼には、どこか押し殺した感情が窺える。それこそさっきとでも言うべきそれは、眼の前にいる明里ではなく、遠くにいる誰かのものに向けられていた。

「それに、街の方に降りるんですね。……わかりました。教えてくれて、ありがとう」

そういうと、先ほどまでのどこかひょうひょうとした態度が嘘のようにすたすたと立ち去ろうとする。その背中を前にして、明里は思わず声を挙げていた。

「橘さん!」

おりしも駆けだそうとする彼女を止めた形になった明里に、胡乱な目つきが突き刺さる。

「ねえ。どうしたの。そんなにいったいどうして、あなたは……」

「……別に。副会長がおっしゃったとおりですよ。ただ、じっとしているのが苦手な性分なんですよ」

そっけなくそれだけを言って、彼女は立ち去ってしまった。

「……あの、どうします」

ついてきた女生徒がそう声をかけてきても、明里はなかなか動き出せなかった。

彼女は、いったい何を考えている。

明里の中に浮かんだ感慨は、何か自分がしでかしたことの意味を測りかねながら、くすぶっていた。



「ほらよ、これでいいんだろ」

大森響はエンジンを止めて、そのままキーを引っこ抜こうとする。

「鍵はそのままでいいわ。邪魔になった時に動かすから」

「うん?なんだよ、動かし方を知っている奴がいるのかよ」

鼻を鳴らしながら、響は車のドアを開ける。ドアから降り立った霧生詠に剣呑な視線を向けるが、彼女は腕を組みながら肩をすくめて見せるだけだ。

「だったらわざわざアタシを呼びつけなくっても、よかったんじゃねーの?」

「あら、無免許運転で捕まる人は好くない方がいいでしょう」

そういって悠然とほほえんでみせる。響は毒気を抜かれた気がして、眼を逸らした。

まったく。この女は苦手だ。

会議の後。霧生に手伝ってほしいと告げられ、響は車を動かすように頼まれたのだ。

普段ならば理由を付けて逃げ出しているところだが、今はそうもいかない。観念して駐車場にあった車の一台を、正門の近くでバリケード代わりに使えるようにと回してきたのだ。

二人しての学園内でのドライブは気づまりだったが、それも一瞬。後はまた自分がしたいようにすればいい、と響は意気揚々と車から降り立った。

「ところで、さっきまで橘さんと一緒にいたのよね」

しかしどうやらお話はまだ続くらしい。不意に投げかけられた問いに、観念して響は答える。

「まあね。なりいきで。なに考えてるかは知んないけど、腹が据わってるな。あいつ。何物だ?」

「それを私も知りたいと思っているのよ。直に話を聞きたいと思っていたんだけど、ね。逃げられちゃって。」

「あんたが嫌われてるだけだろ」

何気なく吐いた言葉だが、響はすぐに失言に気づいた。

「……悪い、今のはなし。ごめん。命の恩人に言う言葉じゃなかった。謝る」

響が手を合わして頭を下げるが、霧生は穏やかな表情のままでそれに答える。

「あなたのそういうところ、私は好きよ」

そりゃどうも。気のない返事で応答する響は、そのまま話を変える。

「それで、さっきの話だけど……間違いないのよね」

「ああ。屋敷でいろいろ調べてたんだけどね。霧生隊どもがきたらどこかへ姿を消したぜ」

霧生隊、というのは霧生が率いていったガブリエル女子寮の生徒たちのことを指している。霧生を中心とした兵隊となっている彼女らは、今の学園では一目置かれる存在だ。頼りになっている反面、こわがられてもいる。そういう感情を込めて、霧生隊という愛称で一部の生徒は呼んでいた。

あの時理事長宅の二階で橘と響はいた。しかし窓から入ってきた少女たちの姿を見て、橘は表情を変えたのだ。

「何か、うっとうしい虫でも寄ってきたみたいな表情だったぜ。それからさっさと他のところへ行くって言って出てった」

元々響が家捜ししようとしているところを見咎めて、そのままついてきただけの同行だった。それゆえ特に響はそれを止めることなく立ち去らせていったのだ。

「そう。わかったわ」

霧生はそれだけ言うと、車にもたれかかっていた身体を離して、歩きだそうとする。

「まあ、アンタが調べるんならいろいろ分かりはするんだろうが。機嫌を損ねるのは勘弁してくれよ。頼りになる相手なのは確かなんだからな」

事情は知らないが、それだけは釘をさしておく。霧生が他人に興味を持つなんて、珍しいにもほどがある。ろくなことにならない気がしてならなかった。

「ふふ、そうね。ただ、お友達になれたらと思っているだけよ。貴方と同じようにね」

そう言って霧生は去って行った。

お友達ね。霧生は鼻を鳴らす。それは私とあいつがか。それとも私とあんたがってことか?

「どっちもお断りだね」

霧生は誰ともなくそうつぶやき、時計を見やって西校舎へと向かうことにした。



保健室に入ると、すぐさまひまわりのような笑顔が彼女を出迎えてくれた。

「あ、響ちゃん。聞いたよ、お宝探しがうまくいったんだって?」

開口一番そう言われて、響は苦笑する。ベッドで身体を起こしていた木中絵美は、乱れているベッドのシーツを直している途中だった。どうやら殆どの人間は手当てを受けて、もう出て行ったあとらしい。

病室を訪れるのはこれが二度目だった。先ほどのグラウンドでのすぐあとの用事を終えた時に、すでに彼女の無事は確認している。

だからこれは見舞いと言うよりも、ただただ響が絵美に会いたかったという方が正しいだろう。自分の友人は、彼女と日和良くらいのものなのだから。

「ああ。飛び道具が二つ。大手柄だよ」

「他の物は、なにもとってないよね」

思わずカーテンで区切られた奥のベッドに目をやる。四回から植え込みに飛び降り、意識不明の理事長がいるはずだった。

「……まあ、今んところはなにも」

そう言って肩をすくめる響に苦笑しながら、絵美は再び問いかける。

「響ちゃんも、行くんだよね。準備はいいの?」

「アタシはただの運転手だからな。車から出る気はないよ。安全だ」

そう言いながらも、少しだけ胸の奥がちくりと痛んだ。日和良が助けにいく原因。武器を手渡すことになってしまったのが、ほかならぬ自分だからだ。

もしもあんなものを見つけることがなければ、日和良とて断念していたかもしれない。しかし彼女は行動を決意し、仲間を集めて今まさに危険のまっただ中へ向かう準備をしている。

「ひよちゃんを、無事に届けてあげてね」

しかし絵美はそれ以上そのことにふれることはしない。彼女はそういう響の胸中を知ったうえで、なにも触れないのが正解だと知っているからだ。

その微笑みから眼を逸らしたくなる気持ちを抑えながら、響は頷いた。

「……ああ。約束するよ」

今自分にできることは、それだけだ。そのことを改めて認めた響は胸の奥が少しだけ楽になった気がした。

「それから。危ないことはしないこと」

しかし、お小言はまだ続くらしかった。

「絵美がそれを言うのか?」

思わず笑いながら響がそうつっこむと、絵美も苦笑を見せた。

「ひよちゃんも響ちゃんも、私からしたらアクティブすぎるけどね」

「……あいつはすごい奴だよ。人をぐいぐい引っ張って、自分で道を切り開いていく。一人で行っても、絶対に一人じゃない。私らが一番それを知ってるだろ」

そうかもね。しばらく見つめあった後、こころなしか潤んだ瞳で、絵美もうなずいた。

「時々ね。不安になるんだ。ひよちゃんが、いつか遠くへ行ってしまうんじゃないか。私を置いてっちゃうんじゃないかって」

不意に吐き出された絵美の弱音に、響は狼狽える。

「取り越し苦労だよ、そんなの。それに、日和良が今行っても……私もいるだろ」

響は小さな手のひらを握りしめる。

「そうだよね。うん……あは、ごめんね。なんだかいろいろ不安になっちゃって」

「その、私は出遅れたりポカもするけどさ。仲間は絶対に守るから。それだけは本当だから。だから、絵美は……やすんでおきなって」

彼女も参っているのだ。身体だけでなく、心が。今は時間を置くしかそれを癒す方法は響に分からない。

うん。そういってそっと背中をベッドに預けると、絵美は眼をつむった。

「なんなら、子守歌でも歌おうか?」響は冗談めかしてそう提案するが、絵美は首を小さく振った。

「別にいいよ」

「遠慮すんなって。ほら。なにがいいよ」

「……響ちゃん、音痴じゃん」

おお。そう告げる絵美に、思わず二人して笑い声を挙げてしまった。



それから間もなく、学園を一台の車が立ち去って行った。

彼女たちが無事でありますように。杉村明里は見送りながらそう願わずには居られなかった。

車がその姿が見えなくなってから、そんな明里の直ぐ隣に霧生がやってきた。

「杉村さん。ちょっといいかしら」

どうしたの?小声でそう尋ね返した明里に、霧生は一言だけ告げる。

「名簿の件で話があるのよ」

それを効いて、明里は顔色を変えて、人気がない方へ向かった。

「それで、どうだったの」

「どうやら、悪い方の予想が当たったみたいね」

声音とは裏腹に、その表情は泰然自若としている。その態度に明里は胸の奥がささくれ立つのを感じた。

霧生は現在頼りになる生徒だ。多くの生徒を取りまとめ、適切な指示で皆を導いてくれている。

しかしその反面、抵抗があるのも確かだった。昨日までは何一つ干渉しない風に過ごしてきた相手が、いつのまにやら命令する立場にいるのだから、これまでやってきた明里としてはおもしろくない。

しかしそんな私情は今は関係ない。もったいぶる霧生に先を促すと、おもむろに話し始めた。

「体育館と職員室と礼拝堂前。それぞれの場所で顔と名前を調べさせたわ」

その言葉に、思わず明里はのどを鳴らした。

名簿には、現在学園内にいるはずの全生徒、そして全職員の名前がまとめられていた。

体育館にいた生徒と、学園内で動いている生徒。そして動かなくなった死体。それぞれの顔と名前を照合していくことを頼んでいき、学内にいる全生徒の把握に努めようとしたのだ。

そうすれば、本当の意味で安全を得られると信じて。

「バスの方は、誰かの勘違いってことはないの?」

「いえ。佐志場先生の鞄から、名簿が見つかったわ。バスに乗っていた全員の名前が書いてあった」

その事実を告げられて、明里は重く長いため息をつかざるを得なかった。

「つまり、まだ私たちは危機のなかにいるってこと、なの?」

つまりすべての事実をまとめると、導き出される答えは一つ。

その事実を、霧生詠はいつものように弧を描く笑みを浮かべて告げた。


「ーーーええ。この学園のどこかにはまだ、感染者がいる可能性があるわ」


あけましておめでとうございます。

今週こそ二回更新。すいません本当に。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ