第四話 ハイキング・デッド(4)
そういえばいまさらですが、キャラの数がやばい本作ではありますが、登場した回や集団で名前につながりがあるようにしています。今回の脱出組は色:赤、青、黄、茶、ピンクみたいに。よかったら目安にしてください。
「やり過ごすわよ。みんな、静かに。ドアの反対側へ行って」
よろよろと歩いている人影を必死で見つめる。言われるまでもなく、室内の全員は必死に息を殺していた。眠っていたはずの少女も異常な空気を察したのか、すでに目覚めて口を押さえている。体が震えているのは、寒さからではないだろう。
感染者か、人か?英子は目を凝らすが、ほとんど姿が見えない。相手の力のない動きからはどちらとも断ずることはできなかったし、そのまま先ほど風をしのぐために板でふさいだ正面のほうへと回ってしまった。
どちらにせよ、判断が付かなければこのままやり過ごす。武器になるものが50センチもない木の棒や十徳ナイフしかない以上、それが最前のはずだ。いや、いっそ隙を見せた瞬間に、此方から打って出るべきか?
だが、それがどういう行為か、わからない英子ではない。たとえ相手がもはや人間といえない、食人鬼であるということがわかっていても、躊躇無くそれができるという自信は無かった。山道に逃げたときに、さんざん人間を食い殺す姿を見せられてはいても、だ。
皆が玄関口から反対側へと回る。音をたてないように。英子だけが必死に壁に耳をあてて外の様子をうかがっていた。
ざく、ざくと薄くつもった雪を越えて、外の影は中央の道にまでやってきていた。自分たちの足跡の上を歩くようにしているのか?理性があるのか?かすかに得られる情報から、英子は必死に外に様子に思いを巡らせる。
「いきましたか?」耳元でささやいてきた桃園の言葉に、英子は答えなかった。そのまま黙るようにジェスチャすると、足音は平屋に近づくことなく、弧を描くように聞こえてきた。廃屋の方へ回ったのだろうか。
そうして再び動き出したとき、今度は平屋ではなく少し離れていくような動きを見せていた。今のうちに、様子を見るべきか?先ほどゴミやぼろ布で埋めた壁の穴を見やりながら、考えを巡らせる。
そうして廃屋らしいところの手前で、足をとめた。
こちらに誰かいる可能性があることを、考えているのか。
周囲の視線を集めているのを感じて、闇の中で声を出さずに「大丈夫よ」と笑みを作る。
しかし再び、がたん、という音がして、室内は再び緊張感で満ちる。
中の一人、浅黄が薪代わりの板を、落とした音だった。
涙目で彼女はかぶりを振る。ごめんなさい、と口が動く。だがそれに応えられる人間はいない。
全員が硬直していた。相手も、これで気付いただろう。だとしたら―――
「あのお!だ、誰かいませんか!?」
最悪の予想をしていた英子の耳に、甲高い声が外から響いてきた。。
「いたら、いたら返事をしてください!」
生きている人間の声だった。慌てて英子はドアを開ける。平屋の前には、怯えながら震えながら此方を見つめてくる、一人の女生徒がいるだけだった。
緊張感がピークに達していた室内の皆が、そのまま崩れ落ちるようにへたり込んだ。
「あー……。こっちの息の根が、先に止まるとこだったわね」
英子の冗談に、全員が疲れはてたため息で答えていた。
*
「だれか、いるの!?」
声が林の中に吸い込まれていく。
沈黙。泉が唾を飲み込む音が聞こえる。山林の中は、静かだ。
気のせいか。だが、続いて聞こえてきた何かの唸り声が、そんな薄い希望を打ち払った。
間もなく皆の視点が一つに集まり、その唸り声の主が林の中から姿を現した。
それは、既に人間の姿をしていなかった。
上半身がほとんど炭化している。むき出しになっている上半身の膨らみと、下半身にこびりついたようなスカートからかろうじて女生徒であることはわかった。だがそれ以上の情報は見あたらない。
黒く炭化した、感染者だった。
獣じみたうなり声があげられる。どこか車の排気音にも似た異様な音がする。肺に煙などを取り組んだせいだろうか。
そんな推測を巡らせながら、日和良はすでに荷物を落として、ボウガンをそれに向けていた。
他の三人も同じようにして、武器を準備している。
だが、まずは日和良が攻撃の役割を担わなければならない。
遠距離からの射撃。一番安全な方法での感染者への対処の役割が、日和良には与えられているのだから。
日和良はゆっくりと呼吸をしながら、先ほど軽く練習した通りにボウガン越しに相手を観察する。
茶谷の言っていたことが本当なら、燃え盛るトンネルから生者に向かって追いすがってきたその一人ということになるのだろう。
人間というのは皮膚の20パーセントを火傷すると死ぬ。そう、あれは生きているはずがないがないもの。それにもかからわず、襲い来るもの。
人間ではない。
それは分かっていたはずだが、しかし先ほどの会話がまだ頭からこびりついて離れない。
自分たちは、殺人者―――。
分かっていたはずなのに、言葉にして話しにして輪郭が鮮明になったその事実は、どこか日和良の頭の片隅で着々とその存在感を増していた。
くそ、落ち着け私。やるべきことを、見失うな。
近づいてくる感染者を見つめながら、必死に日和良は自分に言い聞かせる。
「は、はやく!先輩!」
挙げられた大声に、思わず体が反応する。引き金にかけられた指に、力がこもり、矢が放たれた。
意図と覚悟を持たず放たれた矢は狙いを過ち、左肩を貫通する。
「当たった!」興奮した口調で、再び泉が声を挙げる。
だが、日和良は視線をはずさない。
「やっぱり、頭じゃないとダメか……」
青川が呟くようにいいながら、槍を構える。橘も、そっと前に出ようとする。
しかし日和良は思わず声をとばす。
「ごめん。私が、やる」
まだもう一撃だけ。距離的に撃つ余裕がある。そう宣言すると、三人はそのまま身体を引いてくれた。
再び、一直線に日和良と感染者が並ぶ形となる。
今、ここで逃げたらだめなのは日和良にも分かっていた。
なにをやるべきなのかも。だから、やらなければ。
日和良は高なる心臓を落ち着けながら、必死に考えを巡らせる。
リュックの隣につけていた矢筒から新たな一本を取り付け、二つ目の矢をつがえる。
既に距離は十メートルを切っている。
「近づいてくるぞ。……おい、先輩、はやく、早く撃てって!」
砂野に言われたことを思い出す。ねらいを付け、体を引いて―――。
ゆっくり、ゆっくりと感染者は、近づいてきていた。
くそ、くるな。くるな。
橘がいつの間にかナイフを装着した杖を構えて、一歩を踏み出す。
彼女が冷徹な目で自分を見ているのを分かった。くそ、馬鹿にしやがって。
だが、そうしている間にも感染者は着々と近づいている。あと歩いて五歩のところにまで近づいてきた。
覚悟を、決めろ小林日和良。
「ッふっ」
日和良は大きく息を吸い込み、はききった瞬間にあわせて、ストックを肩に押しつけるようにして、引き金をひく。
狙いは今度こそ違わずに、感染者の頭に突き刺さった。
眉間を打ち抜かれ、相手は仰け反ってからゆっくりと倒れこんだ。
「……やったわ」
こうしてようやく、日和良は感染者を一体始末することに成功するのだった。
*
しばらくは日和良は動けなかった。しかし橘はそんな様にはお構いなく痛いに歩み寄ると、足で遺体を仰向けにする。
一切の生命活動を今更のように停止しているのを確認すると、頭を踏みつけながら、そこに突き刺さった矢を引き抜いた。
「まだ使えそうですね」しばし矢を四方八方から確認してからそういうと、もう一本の矢も拾って日和良の前に差し出してきた。
「……どうも」他の二人の視線を感じながら、日和良はそれらをおっかなびっくり受け取った。
人殺し。先ほどまで交わしていた会話で、明らかになっていく自分たちの罪。
その汚名を改めてかみしめるように、物言わぬそれを日和良は見つめる。
「その、先輩。さっきは……」
瞬間、痛いの腕が動いた。泉がおどろいて飛び上がるのをよそに、青川は自分の杖を思いっきり感染者の頭に打ちすえていた。何度も何度も。
そうして中身が飛び出してから、ようやくその動きを止めた。
死体は右頬から額にかけて大きく陥没した状態になり、遺体は一層元の顔が判別できない状態になった。
「……妹が、いるのよ」
不意に、青川が呟いた。
「逃げ出した人たちの間に、妹がいたかもしれないの。私に顔が似ているから、茶谷さんも見覚えがあるって言ってくれてた。その子が、この山の向こうにいるかもしれないのよ」
青川は一人息を荒げながら、独白する。
「だから私は、助けるためなら全力を尽くすわ。そのためなら、手だって汚す」
息を切らせ、髪を振り乱しながらそうつぶやく青川のその表情は鬼気迫るものがあった。
だがその声だけはどこか不思議と落ち着いていた。
気まずい雰囲気になった四人のなかで、突然泉が口を開いた。
「あの……さっきの話なんですけど」
彼女はややうつむきがちに、ためらいがちに再び話しだす。
「いやな気持にさせたんならすいません。ただ、その……なんか、嫌だったんす。その、なんか学園が、異様な雰囲気で。みんな声をひそめあってばらばらで。いろんなことをため込んでる気がしたから。その、なあなあで終わらせたくなかったっていうか、その」
「泉さん……」絞り出すように顔をゆがめて話す泉に、日和良はおどろいていた。
「でも、本当は……自分が何もできなかったのが、それが一番いやだったのかも、しれません。だから、今ここで誰かの役に立ちたくって……すいません、さっきは、いろいろ勝手なこと言って」
そうして頭を下げた泉の顔は、しかしどこかすっきりしていた。そんな彼女を見つめる青川の瞳も。
「わたしこそ、ごめん。なんだか、自分でもいろんなところが曖昧になっていたんだって、感じる」
胸の内を吐ききった泉に、青川も正直に応えようとしているのだと、日和良にはわかった。
「確かに、色々ごまかそうとしていたところはあったかもしれない、とは思うわね。私も……たぶん、みんなも。でも、多分、もう……綺麗事は言ってられないし、それに―――私たちは、やらなくちゃいけないわ」
最早動くことのない食人鬼を前にして、二人はどこか吹っ切れたような顔をしていた。
そんなどことなく弛緩した雰囲気を打ち破るように、どん、と橘が杖で音を立てる。
「勝手に悩むのは結構ですがね。いざというときに動けないで死ぬのは自分ですよ。そのあたり、お忘れなく」
彼女は特に思うところはないらしい。直ぐに荷物を拾って、先へ歩を進めようとする。
青川と泉も頷き合ってから、荷物に手をかけた。
色々と行き違いはあったが、一応、何らかのけりはついたのだろう。少なくとも二人の間では。
一行は再び歩き出そうとした。
だが、しかし。日和良は立ち止まってしまう。
感染者たちと真っ向から争った人間と、そうでない人間は違う。
この認識のずれが、いつか問題となってでてくるのではないか?
いや、こんなのは杞憂だ。どうしようもなく目の前に現れる不吉な予感を振り払いながら、日和良は学園のあるはずの方向を見つめる。
連綿と続く木々の向こうには、空が鈍色にたちこめていた。
*
平屋にやってきた、六人目の女生徒。
彼女は茜祥子と名乗った。
バスに乗っていた一人で、街へと逃げ出そうとした少女でもあった。
「ええと、夢中で逃げてたんだけど、みんなとはぐれちゃって……」
そうして道路なりに進んでいたのだが、目の前で聞こえてきた悲鳴を聞いて、引き返してきたらしい。
体をふるわせながら火に手をかざす少女。紫色の唇から漏れる声は弱々しい。
「誰かに遭ったりはしなかった?」青川が尋ねるが、茜はかぶりを振った。
「ううん、一人で心細くって……その、その途中で山に入ったら、矢印とかをみつけて、その後を折ってきたの」
ここに逃げてくるにあたり、英子は目印を付けてきた。木の枝を折って突き刺したり、石で矢印を作った。本来なら助けが来るときのマーキングだったが、そのおかげで助かった人間がいたんなら、なによりだろう。
「まあなんにせよ、本当によかったわ。無事で」そう言って、茜の肩をたたく。
彼女が何も持っていないというのは残念だったが、今は一人でも人手があると考えただけでも心強い。
「はい。その、みなさんも、無事で……ほんとうに、よかったです」
そうして弱弱しく微笑む姿を見て、皆がほっとした空気に包まれていた。
こんな時だが、それでもまだ終わりじゃない。お腹がすいていても、助けさえ来てくれれば―――
「ウソだ。その女は、ウソをついています」
不意に室内に響いた声。
視線がその人物に集まる。
根元碧が、凍てつく視線を茜に向けていた。
*
最初の感染者との遭遇以来、皆が自然と息を殺すようになっていた。
誰もが神経質に周囲に視線を走らせていたし、せわしなく首も動かしていた。
「少し、休憩しましょう」
一時間ほど歩いて、結局日和良はそう告げた。
泉が地面にシートを引いて、皆がそこに腰を下ろした。
結局、あれから一行は感染者たちと遭遇はしていなかった。物音に反応して何度か立ち止まりはしたものの、いずれも鳥の鳴き声や木が折れた音にすぎなかった。
だがそれでも、四人の疲れはたまっていた。
なにも山歩きのせいだけではない。
いつ感染者に襲われるかもしれない状況で、神経がみな張り詰められているせいだ。蓄積された疲労は頭と体を鈍らせ、そしていざという時に対処を遅らせる。
無理はしない。余力を残しつつ、赤塚達の元に向かう。その方針でこの任務にあたるよう日和良は決めていた。
人を助けるという行動の前に、自分たちの身を危険には晒せないからだ。
「あと、どれくらいかかる?」
栄養食をかじりながら、青川が言った。
「あと一時間かかるかどうかってところ。ただ、ここからはもうちょっと斜面がきつくなるから、そっちが問題ね」
橘から保温ポッドから入れたお茶を差し出される。例を言いながら受け取って、喉に流し込む。
身体の芯から温まる感覚がして、改めて一息ついたという感覚だった。
リュックの重さを改めて感じながら、中にある荷物を確認する。
橘と泉のリュックには、寝袋と毛布が入っている。全員分というわけにはいかないが、肩を寄せ合えばなんとかなるだろう。バッグにはチョコバーや保存食がいくつか入っている。腹を満たすには物足りないだろうが、動く馬力は確保できるはずだ。
まあ、今はどちらかというと自分たちの気力の方が問題かもしれないが。
青川がトイレに立ったのを見てから、不意に日和良は橘に尋ねた。
「ねえ。あなたはどうして、ここにきてくれたの?」
「別に。早く街に下りて、助けを呼びたいだけですよ」
「本当に?」
そう尋ねずにいられないのは、ひとえに橘の得体の知れなさゆえだ。
霧生の言葉が思いかうえされる「彼女は、隠し事をしている―――」。それがどうにも日和良の頭の片隅で残っているらしい。
しかし橘はそれ以上話す気もないとばかりに、話の矛先を逸らした。
「アナタこそ、いったいどうして脱走なんて考えたんです?」
思わず水を向けられた自分の事情に、一瞬日和良は言葉に詰まる。しかし、
「でもね。正直言えば、それ以上になにもしないのがいやだったの。なにもせずに、ただどうしようもない状況を前にしてさ。そういうときに、立ち向かってなにくそって、思ったりしちゃうのよ。私ってさ」
それから訪れた沈黙をごまかすように、日和良は肩をすくめた。「まあ、結局はそういう性格だからとしか言えないわね。大した理由なんて、ないわ」
結局は意地の問題だ。元より、割にあった勝負だとも思っていなかった。二年生の夏も過ぎて、本来ならば少しずつ卒業後のことも考えるべき年頃なのはわかっていた。けれどもそれでも。それでもなお立ち向かいたいと、彼女はそう思ってしまったのだった。
「でも、一体どこへ帰るつもりだったんですか?」
それは当然の疑問だった。
そう。誰だってそう思うだろう。鳳凛に来た女生徒の多く。殆どの性とたちは家の都合でこんなところに入れられた。だとしたら、ここから逃げ出して果たしてどこへ行くというのか。
「家に勝手に帰って、それでどうにかなる問題なんですか?」
一体どこに、自分の居場所があるというのか。
応えることのできない日和良は黙り込み、橘はそれをじっと見つめている。
そんな二人を不思議そうに泉が見ていたが、不意に顔をしかめる。
「あれ?ちょっと……呼んでるみたいっすね」
泉が腰を浮かせる。日和良と橘が視線を追うと、青川が手を振っているのが見えた。
*
突然声を挙げた根元に、平屋は騒然としていた。
「何?根元さん、落ち着いて……」
しかし英子のなだめる声を無視して、根元は茜を睨みつける。
「あなたは、逃げたでしょう。手を貸して、ってそうさけんだ会長の声を無視して。山の方へ逃げたでしょう」
一気に茜の顔が青ざめる。
「あのときは、無我夢中だったから、気付かなくて……」
「根元さん。落ち着いて。今はもう、そんなことを言っても仕方ないわ」
英子は根本を嗜めた。別に彼女を攻め立てたところで今更どうなるわけでもないし、それほどの体力を残している人間も平屋にはいない。そのまま英子はなあなあで済ますつもりだった。
だが、根元はまだ口を閉じるつもりはないらしかった。
「彼女はまだ、隠し事をしています」
続く根元の言葉で、再び場がざわめきだす。
「さっきからの行動。妙だと思いませんでした?」
「妙、っていうと?」
興味を引かれたのか、桃園が先を促す。
「声をかけてくるタイミングですよ。どうして、あんなに近づいた後で声をかけてきたんですか?」
「どうしてって……だから、言ったでしょ。ちゃんと生きている人のものかわからないから、確認してから……」
「嘘ですね。ちょっと考える頭があればわかることですよ。さっき見てきましたけど、足跡はわりとくっきり今でも残ってました。貴方が通った道のところに。あれだけの数の足跡が、一つ固まりになって跡をつけているのに、血の跡はほとんど見えていなかった」
「べ、べつに」
突然饒舌に話し始めた根元に、英子達は面喰っていた。
「それに、極めつけはもう一つ。あなたはでたときに、鞄を持っていたでしょう。馬鹿でかい、いつもお菓子を持っている鞄を。見ていたんですよ。貴方が一人で逃げ出す時、アレを抱えていたのを」
「それがなによ!あんなもの、逃げる途中でなくしたって、いったでしょう!」
「ウソですね。その、手に鞄の取っ手を持っていた後が残っている」
そう指摘されると、慌てて自分の両手をみつめる。しかし、そこにはなにもない。
そこでようやく周囲の視線が集まっているのに彼女は気づいた。
茜は唇をわななかせながら、自分がはめられたことを理解したようだった。
「すいませんこれもウソですよ。でも、貴方もウソをついたんだから、おあいこですよね?」
ぞっとするような猫なで声で、根元は告げる。
「隠したんでしょう。あの時、アナタは自分の食べ物を。自分と同じ生存者がいるのがわかって、貴方はほっとした。そこで近づこうとした。けれど気づいた。その大人数の足跡を見て、自分の食べものが、これからどうなるのか。状況が不明な上に、皆で分け合えば一瞬でなくなってしまうだろう。だから―――」
「てめえ、このネクラ野郎!!!」
最後まで根元が言いきる前に、茜がつかみかかっていった。根本はなされるままに畳に頭をぶつけられる。桃園と英子は必死になって茜を羽交い絞めにする。
「やめなさい。やめ、いい加減になさい!」
茜の顔に向かって平手を打つと、ようやく彼女は崩れ落ちるようにしてへたりこんだ。
そのあとの行動は、粛々とすすんだ。足跡を追って廃屋を調べると、根元の推測通りに制鞄がでてきた。
涙を浮かべなから、茜は必死に弁解の言葉を紡ぐ。いかに自分が不安だったか。いかに自分がおびえていたか。いかに自分がバカだったか、と。
それを英子たちは醒めた目で見ていた。別に同情する気にもなれなかった。ただし皆彼女に対して怒りを覚えるほどの気力はなかったし、そんなことより目の前にある食料の方が大事だった。
とにかく、六人は中に入っているスナック菓子に手を着けることにした。もちろん、なくなるのはあっと言う間だった。それでも、なにか食べ物を胃袋に入れたという事実は精神的に落ち着いたし、どこかが麻痺していた頭にも栄養が回ったようだった。
「とにかく、このまま今日はしのぎましょう。もうすぐ暗くなるわ」
ただ一人が、根元に恨みのこもった視線でにらみつけていることを除けば。
*
「どう思う?これ」
四人は額を突き合わせながら、地面におかれた石を見つめていた。
三つの、積み上げられた石。道端で用を足した後に、青川が見つけたものだった。
「生存者が、目印として残したのは間違いないわね」
その石が置かれた隣の樹の眼の高さの位置には、矢印らしい後が記されている。
どうやら、自分が向かう方向の後を残しているらしいというのは、幾つか残っている足跡からも推察された。
「問題は、これをどうするかですね」
日は傾き始めている。あまり猶予はないだろう。
予定にはなかったとはいえ、放置すれば命に関わる問題だ。なんとか保護しないと。
そう思う反面、それを口に出すのは憚れた。
原因は、その中の一人にあった。
「青川さん、その……」
しかしそれを察してか、青川はほほ笑んでくれた。
「気にしないで。橘さんが言ってたでしょ。目的は別にばらばらでもかまわないんだって。見捨てるってわけにも、いかないしね。……探しましょう」
妹が待っているであろう青川が、賛成してくれた。その事実と彼女の優しさを噛みしめながら、日和良はうなずいた。
「とにかく、印の後を追ってみましょう。ニ十分だけね。やっぱり見過ごせないわ。できれば合流して、せめて山小屋にまでは連れてってあげないと。時間を超えて、それで見つからなかったら……仕方ない」
日和良の決定に、皆が一応納得してくれた。
四人は再び荷物を背負い、歩きだした。
印に促されるまま、けもの道を。
*
それからニ十分後。
「……だめだな。どうにもここからはわからない」
しかし、印をつけた相手と巡り合うことは出来なかった。
間もなく印は途切れていた。石を置く余裕がなくなったのか、それとも意味を見失ったのか。
どちらにせよ、それジ以上は分からない。林の中を、四人は所在なく立ち止まっていた。。
既に夕闇が迫っており、林の中は急速に闇を蓄えつつあった。
夜の山道はただでさえ危ないというのに、今は人に仇なす相手がもう一種類増えた状態だ。迂闊な行動は避けるべきだった。
だが。
「……あと十五分。後十五分だけ、この辺りを探してみましょう」
日和良の提案に、他の面子もしぶしぶ頷いた。赤塚たちなら今夜を超すことはできるかもしれないが、今追っている相手は山中で夜を超すことは不可能だろう。
今この時に見つけられなければ、彼女を救うことは不可能に違いない。そのことが、日和良に苦渋の決断を迫った。
「……一旦、二手に分かれて捜しましょう。十五分たったら、急いで元来た道を戻ること。そんで何かまずいことがあったら、アラームを五秒ならして一旦停止、それからもう一度ならすこと。いいわね」
「了解。急いで駆けつけるわ。それでチーム分けだけど」
ちらりと、泉が橘に視線をよこす。
「私は、青川先輩と組みたいンスけど―――良いっすか?」
思わぬ提案に、一瞬青川の眉がつり上がるが、日和良はそれを見なかったことにした。
「ええ。そうね。泉さんの方が体力があるから、きっちりカバーしてあげて」
本来ならば、日和良と橘はそれぞれ別々のグループになった方がいいのだろう。
しかし橘と青川を組ませるのはまだ不安だし、泉も橘には何か警戒をしているらしい。
橘夕は、未だに謎の多い人物だ。先ほどの一件で気心が知れた青川の方が、信頼は出来るだろう。
「それじゃあ、ここからは手当たり次第にいきましょう。皆、気を引き締めて」
そうして二手に分かれようとしたところで、青川が不意に日和良を引きとめてきた。
「正直、妹がいたとしても、私一人だったらここまで来ようだなんて、思わなかったわ。あなたみたいな人は、苦手だけど……感謝してるわ。気をつけて」
促してくる橘についていくように、日和良はその場を後にした。小さくなった影を振り返ると、大きく手を振り返していた。
*
すでに日は落ちつつある。平屋にも、完全な闇が訪れようとしていた。
なにもないせいか、皆うつらうつらしながら平屋の中で身を寄せあっている。
「あの……トイレに」遠慮がちに浅黄がそう切り出してきた。
「それじゃあ私が」桃園が瞼をこすりながら、立ち上がってくれた。「肩を貸すから、行きましょう」
二人が建物を出てから、根元が目を覚ましているのに英子は気づいた。
「二人は、トイレに行ってるわ。あなたは、大丈夫?」
こくん、と頷いて根元は溶かした雪が入っているペットボトルに口を付ける。
英子は奥で茜達が眠っているのを確認した。
「さっきのことだけど」少し考えて、英子は声を潜めながら切り出した。「ああいう態度は、私はあまり賛成できないわ」
「どういう意味ですか?」
案の定、根元は訳がわからないという表情で応答してきた。
「状況が状況だし、あなたが怒るのも無理はないわ。でも、今こういう状況だったら、私たちは協力しなければならないの。だから、多少問題があっても、目をつぶってほしいのよ。個人的な感情に、ふたをしてね。……わかるわね」
根本の感情の見えない瞳をめがね越しに見つめつつ、英子は答えを待った。
「助けはきっとくるわ。だから、それまで……」
「それは嘘でしょう」
*
橘と日和良は、二人で斜面の下の方へ向かって歩いていた。
早くも十分が経っていた。滑らないように気を取られながら歩いていたおかげで、殆ど距離を移動することもできなかった。日和良には焦りばかりが募る。
しかし橘はあくまで落ち着いた表情だった。
「貴方は、青川さんの話をどう思いました?」
橘が、再び脈絡なく話を振ってきていた。
「つまり?」
「霧生さんの、やり方の話ですよ」
そのことか。どうにも気が乗らないのを意識しながらも、日和良は話に乗ることにした。このまま黙り込んでいるよりは気が紛れていいだろう。
「霧生さんのやり方は、あんまり好きじゃないのは確かね」
「なぜ?」間髪いれずに、橘が問う。
「人は、自分の頭で何をするかを考えないといけないわ。あの感じだと、なんだか……」
なんだか、なんだ?幾つか思いついた言葉のどれもが、何か嫌な感じのする言葉ばかりで、日和良は言葉に詰まった。それから必死に頭を絞るが、結局どれも自分の気持ちに適した言葉だと思えなかった。
「ごめん、うまく言えない。けれども、よくない、と思う」
そうとしか日和良には言えなかった。しかしその答えを掘り下げようとはせずに、橘は別の話を振ってきていた。
「……貴方は、自分が言ったことを、覚えていますか」
何のこと?日和良は聞き返した。
「礼拝堂で言ったことですよ。人間には勇気がある、と。怯えていても、負けたままではいないんだ、と。だから立ち向かうことができるんだって」
そう言っていたでしょう。橘が、背中を向けたまま言ってきた。
「あれが、本当にそうだったと思いますか?」
「……どういう意味かしら」
霧生さん達のことですよ。分かっているくせに、とでも言いたげに橘は言った。
「人間を凶行に突き動かすものがあるとしたら、一つだけですよ。恐怖。失われる恐怖によってのみ、人間は動く」
それは吐き捨てるようでもあり、言い聞かせるような物言いでもあった。
「貴方は間違っている。青川さん達の方が、正しい。やるか、やられるか。そういう単純な理屈の中でしか、人間は獣になれませんよ」
二人の間を、冷たい風が通り抜けて行く。
「自分の身を守ること。それだけが、人間に許された理性の使い道です」
どこか憎悪さえ感じる瞳の色を見せながら、橘は言い放つ。
彼女は、一体何を見ているのか?自分ではない、もっと遠く―――。彼女自身にしか見えない光景に向かって、そう言いはろうとしているように、日和良には思えた。
「あなたは―――」
何かを言いかけた時に、不意に日和良の視界に何かがきらめいた。
「待って。何か今光った」
目に飛び込んできたそれが何か、困惑する中で再び何かが林の奥で光った。
「カメラのフラッシュですね」橘が呟いた。
つまり、人間の合図か。日和良も納得した。声を挙げれば、感染者がよってくる。
それならば、と光を使って此方に合図をしてきたのだろう。
「行きましょう」
「しかし、声を上げられないってことは―――」橘が呟きながら、ナイフを杖にはめ込む。
「覚悟する必要が、あるってことですね」
日和良は生唾を飲み込んで、歩きだした。
*
突然きっぱりとそう言いきられて、英子は絶句する。
「きっと、助けはこない。わかるでしょう」
その半面、根元は先ほどと同じように、異様なまでの饒舌さを見せていた。
「あれが本当に、例の感染病だっていうんなら・・・・・・街の方が、ただですんでいるはずはない。学校だって、もう一台のバスが向かっています」
それは、ずっと考えないようにしていた可能性だった。
むしろ、自分たちがいるこここそ、一番安全であるという可能性。
最悪の事態を考えるならば、それは無事な場所などもうないということだ。
「滅多なことはいわないで」われ知らず誤気が荒くなるのをみとめつつ、英子は言った。
「今は考え過ぎても仕方がない。もしだれも助けがこなかったら、明日山を下りるわ。そのときに、また考えましょう」
話はこれで終わりとばかりに手を振って、英子は再び火の番に集中する。
「さっき、渡井がしでかしたことが何か、わかりますか」
だが、根元はまだ話し足りないらしい。なんのこと?と英子が不思議そうな顔をすると、根元は膝を抱え込みながら、うっすらと唇を曲げた。
「……さっき、あなたが言ったこと。ふたをしろといった感情のことですよ。……ついさっきに、私は初めていいたいことをいってやったんですよ。こんな時だから、自分に正直でいるべきだって」
それから火に照らされて陰影が濃く映える顔で、根元は言った。
「すっきり、しました」
どこかゆがんだ笑みを浮かべる少女に、薄ら寒いものを感じた。彼女は、まともじゃないかもしれない。
「そういえば、トイレ遅いわね」
効かなかったことにして、英子は話をそらした。
「その、私も、ちょっと様子を見てくるわ」
そう言って、英子は平屋から出た。
何か、まずい方向に自分たちがいるんじゃないか。
どうしようもなく何かを間違えたという、その焦りを覚えながら、英子は廃屋の方へ向かった。皆があちらにあいている穴をトイレ代わりに使うようにしているからだ。
「浅黄さん。桃園さーん。大丈夫ーーー」
だが。その光景を見て、思わず英子は絶句していた。
*
「おーい!カメラを持ってるんでしょ!助けに来たから、返事して頂戴!」
日和良と橘は、光に導かれる様に大声をあげていた。
もはや感染者を呼び寄せるリスクは関係ない。これ以上時間をかけることの方が危険だ。
そうしてやがて、反響する声に別のものが混じってきたのに気付いた。
「おーい!!こっちよ、がほ、こっち!」
相手からの応答だった。声はかすれて、むせ気味だが無事なのは間違いない。日和良は橘と顔を見合わせ、声のあった方へかけだした。
「どこ、どこにいるの!?」
「無事なら、返事をしてください!」
「上よ、上!」
上?首をやや上向きにして、再び周囲に視線を走らせる。
「いた」
橘が指さした方向へ、目を凝らす。少し太い木の上に、何か黒っぽいものが見えた。
そこへ駄目押しとばかりに、光が放たれた。
間違いない。二人は斜面を下りて、少女の姿を完全に捉えた。
「よかった。無事ね、待ってて。すぐに……」
「気をつけて!二匹、いるはずよ。そのあたりに、追っかけてきた奴が!」
風が木々の葉を揺らす。
さわさわと音を鳴らす森の音をいっさい漏らすまいと、日和良は耳に意識を集中させる。
どこだ。日和良と橘は自然と背中合わせになって、周囲に視線を走らせる。
相手は見当たらない。少女までまだ二十メートルはある。
二人とも息を殺しながら、女生徒の方へ歩を進める。
連中が烈火のごとく襲いかかる反面、静かになるときがあるのを二人は知っている。それこそ死んだみたいに。
木の根に足を取られぬよう、ゆだんなく、果断なく二人は歩を進めていく。
「相手の特徴は!?どこにけがをしている!?」
橘の問いに、一瞬遅れて答えが返ってきた。
「ええと、足、そう、足を引きずるみたいに走ってた!もう一人は、ええと……」
日和良は橘に肩をたたかれ、日和良は振り向く。指差した先には血痕。
「あなた、怪我はしているの?」
「え?いや、鼻血はさっきまで出てたし、膝はすりむいているけど・・・・・・」
「鼻血にしては、血痕が大きすぎる」橘がつぶやき、荷物を地面に捨て置く。「こっちだ」
先に感染者を片づける。どうやら橘はやる気らしい。日和良も荷物を捨てて、ボウガンを改めて構え直す。
橘の背中をゆっくりと追いかける。橘はそれこそ猟犬のように鼻先と杖を突き出しながら、血の跡を追う。
「ねえ、大丈夫?大丈夫なの!?」
こちらが黙り込んだのを不安に思った女生徒からの声。
「静かにして!そのまま、動かないでいて!」気が散る。
橘が一瞬こちらに手をあげて、制止の合図をする。そして指さした先には、人が隠れられるくらいの太さの木があった。血痕はあの裏へ伸びている。
日和良はうなずきを返して、橘とは逆の方向から回り込もうとする。
第一射は日和良が、それからはずした場合は動きを橘が封じて、さらにもう一撃。定めてある段取りを頭の中で確認しながら、かなり樹の近くまで来た。
橘が指を立てる。三、二、一。
日和良と橘は一気に、樹の裏側へ回り込んだ。
ボウガンの引き金に力を込めた日和良は、しかし
「何……これ」
それを見て、日和良は一瞬硬直した。
「駄目!気をつけて!」
女生徒の声が飛んできた。
意味がわからないまま、日和良の身体を衝撃が襲った。
次は短めになるので、ご安心を。