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Journals of the Dead  作者: 数奇者星
第一部 学園監獄編
23/33

第四話 ハイキング・デッド(3)

校舎の中は、いつもよりはるかに寒々しかった。

割れた窓にはビニールシートが張りつけられており、冬風をしのいでいる。所々血の跡があるが、これは感染者が流していた血液だろうか。ここでは死んだ人はいないはずだが、それでも不気味なことに違いはない。日和良は出来るだけ床面から目を離して、保健室まで廊下を歩いた。

ドアを開けると、大勢がこちらを見つめていた。みんなある程度事情は知っているらしい。簡単に会釈しながら首を巡らせると、「ひよちゃん」と呼びかけるお目当ての相手がいた。

カーテンで仕切られたベッドの一つに、木中絵美きなかえみは腰かけていた。

いつものようにどこか小動物を思わせる笑顔で、此方を見つめている。だから小林日和良こばやしひよらも、いつものように口角をクッと持ち上げて、力強い笑顔を返した。

ベッドの上に腰かけた形の絵美の、足首に巻かれた包帯は痛々しい。それから顔や手足に張られたバンドエイドをみると、改めていろんな気持ちが沸き上がってきた。

「聞いたよ。ひよちゃん。……あの小屋まで行くんだって?」

「そう。そのまま出来たら、助けを呼びに街まで下りるつもり」

絵美が不安げな顔をのぞかせるのに対して、日和良はあくまで堂々とうなずく。

「本気なんだ」

「……ええ」

少しの間、二人は言葉を探すようにして沈黙する。

先に言葉を見つけたのは日和良だった。

「絵美。私は、貴方のお陰で今こうしているわ」

「そんなの!私だって……」

「ううん、違う。そういうのじゃなくって。貴方が、私にしてくれたから、今の私がいるの」

胸に縋りつき、言葉を紡ぐ日和良。

そう。結局は自分のわがままなのかもしれない。危険の中に他人を連れて、突き進もうとしている今の自分の行動は。

けれども、それ以外の何か。行きたくないと叫ぶ自分の中の自分こそ、日和良は怖れた。

「怖いわ。私だって。……でも、それでも、貴方は来てくれた。だから、私は、信じれるのよ。他の人も、そう思えるんだって。そう、信じることが出来るんだって」

そうだ。絵美は、恐怖に立ち止まることなく、自分のところへ来てくれた。それを知って、なお何もしないのは、嫌なのだ。だから。

「やれるだけやってくるわ。だから、信じて待っていて」

「ひよちゃん……」

絵美はそっと、胸のなかの日和良を優しく抱きしめた。包み込むように、そっと。

「私こそ、ひよちゃんがいなかったら、今こうやって生きていないと思う。それくらい恩人なんだよ、ひよちゃんって」

絵美の心臓の音が聞こえる。人間の証し。生きている証し。

「私、分かってる。ひよちゃんは、みんなに勇気や元気をくれる人だから。先頭に立って、みんなを引っ張ることが出来る。……私は、わかってるから。だから、絶対会長たちを助けて、行ってあげて」

ありがとう。絵美のぬくもりを微かに残して、日和良は力強くうなずいた。



「本当に仲がいいのね、貴方達は」保健室から出ると、壁に寄り掛かった霧生詠きりゅうよみがいた。

どうやら、立ち聞きしていたらしい。気を使ったと見るべきか、悪趣味だと見るべきか。

ただそうした感情とは別に、日和良は言うべきことがあるのを忘れていなかった。

「そう言えば、お礼をいうのが遅れちゃったわね。貴方のおかげで、みんなが動いたんでしょう。ありがとう」

そう言って手を差し出す。霧生は手を握り返しながら、うすい笑みを作る。

「今生の別れじゃああるまいし……。お礼は生きて帰ってから、してもらうわ」

霧生はそう言って手を離すと、

「今でも、私のやることに反対?」

まさか、と手をひらひらとさせる。

「私に、何かを決める権利はないわあ。人の自由意思を、私は尊重する。それがどんな選択であっても、ね」

ただし。去り際に彼女はもう一言だけ付け加えた。

「橘さんを、あてにしすぎないほうがいいわ。彼女には、隠しごとがある」

「何か、根拠があるの?」

「ふふふ。決まってるでしょ。―――女の勘よ」

それだけ言い捨てるようにして、彼女は図書室へと降りて行った。

その背中から視線を外して、日和良は外に出た。

出発まであと二十分ほど。直ぐに準備をしなければ。




荷づくりには大勢の手を借りたため、すぐに必要なものはそろった。

防寒具と食料、医療品。そして武器。二十分ほどで各自が必要と思われる荷物が、駐車場に集まった。

たかだか数時間の登山としては、おそらく相当の数の荷物だろう。

だが仮にも冬の山の中に入るのだ。今年は暖冬で雪もほとんど降らないといってもここ、在尾の山は深い。油断は禁物だ。


持っていく武器としては、ボウガンを渡された。

「連中は、音に反応する習性があるわ。だから、山の中でアレと合うことがあったなら、そっちの方が何かと都合がいいと思うだわさ」

鳴海聡子なるみさとこから手渡されたそれを、最初日和良たちは橘に持たせようとした。しかし彼女はやんわりと持つことを拒否した。

「どうして?」

おそらく、現状もっとも強力な、誰にでも使える武器だろう。ならば自分が持つよりも、他の人間が持った方がいい。橘は、彼女の私物である巨大なナイフを着脱可能になった杖を地面に突き立てながら、答えた。

「いざとなったら、私がこいつで動きを封じます。止めの役割にボウガンを使った方がいい」

ほかの二人にも一応確認したが、結局交戦経験があるひよらが適任だという形で話はまとまった。

「ありがとね。信頼してくれて」

「あてにしてますよ。そいつの威力をね」

わざわざ「そいつ」を強調する橘に、一同は苦笑した。

とにもかくにも、慌ただしくはあったがこれで四人の役割が決まった。橘とひよらが戦闘を担う役として武器を持つことになり、あとの二人は救援先で必要になるであろう物資を運ぶことになった。一番大柄な泉が食べ物を、青川には救急道具を任せた。衣服はみんながそれぞれ余分に持つことになった。

「気をつけてね」

心配そうな杉村達に見送られながら、日和良たちを乗せたワゴンは出発した。

日はまだ高い。



「さて改めて、今回の作戦についてまとめておきましょうか」

乗り込んだ八人乗りのワゴンの中で、助手席からひよらが振り向いた。

車内には八人。響、日和良を筆頭に、橘、泉、青川が真ん中。それから砂野と洋弓部の一人が乗り込んでいた。

「私たちは、これから助けを呼びに行く。そのためには、ここ。このカーブのところで、車から降りて山に入るわ」

日和良は真ん中にいる救助隊メンバーに向けて、あたりの地図が見えるようにして説明する。

「でもこれ、トンネルの手前から行ったほうが早いんじゃないのかしら?」離れたときのため首にかけられたホイッスルの位置を正しながら、青川がたずねた。

「こっちから山道に入ったほうが、山を越えるには楽なのよ。トンネルからだと足場が悪かったり、斜面が急だったりするから。続けるわよ。その後私たちは二時間ほどで山を越えて、目的の小屋まで行く。そこで会長たちと合流し、最低限の手当てをしたのちに何人かで下山して、助けを呼びに行く。何人かは小屋の中でお留守番してもらうわ」

「その小屋というのは、一晩を過ごすには」

「大丈夫なはずよ。部屋に囲炉裏もあるから、火も起こせる。凍え死ぬことはないでしょうね。ただし」

そこで視線をボウガンに転じて、続ける。

「外から襲ってくる誰かがいなければ、の話。私たちの主な仕事は、そっちになると思っておいて」

泉が生唾を飲み込む音が聞こえた。青川は唇をかみしめていた。

「とにかく、危険が伴うから」

三人が頷くのを確認したのちに、響が目的地が近いことを告げた。



「ここまででいいわ」

日和良以下三名は、ゆっくりとあたりを窺うようにして、その場所で車を降りた。


目的地には、比較的にあっさりとたどり着いた。

同じようなバスからの脱出者や感染者とも遭遇することはなかった。


だがしかし問題なのは、教師陣との遭遇がなかったことだ。

時間から考えてみても、この一本道でまだ遭遇していないということは、Uターンをすぐにはしなかったということ。彼らの安否も考えなければならないという、悪いほうの想定が現実味を帯びてきた。

無論そのために、ワゴンには響のほかに、砂野ともう一人別の洋弓部員が乗り込んでいたのだが。

「先生達に会えたら、とにかく事情をはなして。いなかったりした場合は、悪いけど響がクラクションを鳴らしたりして向こうに呼びかけるわ。けど、来るのが普通の人間とは限らない」

洋弓部の二人は緊張した面持ちで、日和良の声に耳を傾ける。

「それで、もしも感染者が来たら……お願いね」

もちろん、教師たちが感染者だらけの山に入ったとも限らないし、トンネルの中を突っ切ろうと自殺行為を行ったとも限らない。ただ単に、救助者たちをたすけているなり奇跡的に携帯の電波が届いて、動かないようにと言われただけかもしれない。あるいはただガソリンが切れたとか。

先生たちに関しては、無事を祈るしかない。自分たちがやるべきことは、それではない。

二人に話し終えると、荷物をおろす手伝いをして、さっそく山に入る装備を整えようとした。

「来い、って言ってくれないんだな」

不意に、運転席にいる響が、前を向いたまま呟く。

むくれたその顔は、不機嫌な子供そのものだ。

「あなたは……絵美のそばにいてあげて」

響には、やるべきことをやれるだけの能力がある。それに、絵美を預けても大丈夫なだけの頼りがいも。

だからこそ、日和良は彼女を無理やり連れて行くという選択をしなかったし、それでいいと思っていた。

けど、響の内心にまで気が回らなかったのは確かだった。

残されるもの特有の気弱さが見える顔で、響は日和良に問いかける。

「帰ってくるんだよな」

「……ええ。あなたたちがいる場所にね」

響はしばらく日和良の顔を見つめていた。

と、突然ほっぺたを引っ張った。

「ひゃひふんほほー」直訳すれば、なにすんのよ、であった。

「や……うん、これでこそ、ってことで」

にたりと意地の悪い笑みを浮かべながら、響は手を離した。

「まったく……シリアスな空気だってのに」

「お前はちょっとくらい気が抜けてる方が、いい味してるぜ。コーラ娘」

「何がよ。うまいんだがぬるいんだかわかんないこと言うドクペ女が」

そうして、二人は笑いあう。今度は、お互いの頬をひっぱり合いながら。

「じゃあな。……せいぜい道中楽しんでこい。他のアンタらも、な」

なにを言っても無駄なときは、つまらない冗談でも交わすに限る。日和良は「お友達とおにぎりを食べたら、できるだけ早くに戻るわ」といって、手を振った。

「それじゃあ、行きましょう」

橘の一言を皮切りに、皆が歩きだす。

やがて車の走り去る音を後ろに聞きながら、四人は山の中へ入って行った。



最初のニ十分ほどは、皆無口になって神経をとがらせながら、歩いていた。

しかし人間の集中力などというものはそう長く持つものではない。

四人は比較的なだらかな道を歩んでいる中で、自然とお喋りをするようになっていた。

「しっかし改めてだけど、先生たちの許可もなく……よかったんすかねえ」

泉が、そんなことを呟く。「なにを今更」青川が答えた。

「いや、先生とかがなんもするなっつってたのに。いや、やっぱ抵抗あるじゃないっすか?」

「アレはあの時には有効な命令だったかもしれないけど、状況が変わったじゃない。無効よ無効」

今回道中を共にすることになった一年生の泉と、二年生の青川。二人は対照的な性格だった。

泉理阿いずみりあは、外見通りの活発な少女らしい。考えたことをほいほいと口にしていた。青川梢あおかわこずえは落ち着いた風貌らしく、年上らしい寛容さで泉の問いに答えていた。

どちらともあまり面識はなかったが、話を聞いている限りでは感触は悪くない。

もっとも、考えていることについては人それぞれのようだが。

報告連絡相談ほうれんそうも、する方法がないっすもんねえ今の状況じゃあ」

「まあ、もっとも行くなと言われても、小林さんがそれを聞くかどうかは知らないけどね」

皮肉気味にそう言って来るあたり、別に好かれているというわけでもないのかもしれない。

まあそれくらいの相手がいてくれた方が、バランスは取れるんだろうけど、と一人納得する。

「ああ。小林先輩って、確か脱走しようとしたんすよね。十月くらいに。ていうか、小屋っていうのは、一体全体なんのことなんすか?全然分かんないんすけど」

「あ、それは私も正直私も気になっていたのよ。教えてくれる?」

「まあ、道中まで黙りっぱなしっ手のもあれだしね」

と、ため息をつきながら話しだした。

「まあようするに、このルートはそのまんま脱走しようとした時に使ったルートなのよ」

どことなく居心地の悪さを感じながら、日和良は話した。

「私と響と絵美がここから逃げ出してやろうって時に、一番厄介なのは時間なのよ。夜に警備の目をかいくぐって逃げても、翌朝になるまでにばれちゃうのよね」

この辺りが鳳凛の警備のいやらしいところだ。ようは、学園から抜け出す隙があっても、そこから街に降り立つまでの時間的猶予がないということ。

大抵は事が露見して、すぐさま車で追いかけられればつかまってしまうのがセオリーだったわけだ。

「そんで、考えたのよ。いっそ丸一日どこかに姿を隠してから、街に降りたらどうかってね」

日和良はそうした事例を踏まえて、それまでにない方法で逃げ出そうとしたわけである。

「そりゃあ、また」泉が絶句する。「自殺行為っすね」

十月と言っても、夜の山は別世界だ。一晩過ごすのはまともな装備を整えていなければ、不可能と考えるだろう。ましてや殆ど物を持てない鳳凛なんかでなら。

「ところがそうでもなかったのよ。この辺りに昔村があったっていうのは聞いてたから。何処かに一晩を過ごせるような場所がないかって私たちは考えたの」

今でこそ専用のトンネルと化しているが、この辺りの道路が作られたのも、もとはその村の交通のためでもあったという。街に下りて郷土史を少し調べればわかることだ。

「でも、その村っていうのも、火事や土砂でなくなったんじゃあないの?」

しかし戦後間もなくして、その村は結局廃村となった。そうしてこの辺りの一帯は実質的に鳳凛学園のための土地となったのだ。

「まあね。でも、一人くらいは山奥に住もうとして、難を逃れた変わり者がいるかもしれない。そう思って、私は昔の地図とか調べてたのよ。それで、見つけたのよ。無事に休むことが出来る、山小屋をね」



自分がくしゃみをしたのにおどろいて、赤塚栄子あかつかえいこは目を覚ました。

囲炉裏に燃える火を目の前にして、横になっていた体を起こす。

「ごめん、眠ってた?」眼の前にいる女生徒に尋ねると、相手は嫌な顔一つせずに頷いた。

「ええ。おつかれみたいだったんで」

鼻をすすりながら、手をこすり合わせる。くしゃみとは、誰かに噂でもされたか、とふと思ったが、物理的な寒さのせいだと自嘲気味に結論づける。

なんせ自分たちが今いる場所ときたら、寒々しいことこの上ないのだから。

囲炉裏の前のたたみで、ぼろ布にくるまれて、寝息を建てる少女達を見ながら、栄子はため息をつく。


あの時のことを、思い返す。

トンネルから脱出した女生徒達の大半は、炎で燃えたまま追いかけてくる死者たちから逃れるべく、街に向かって逃げ出して行った。

しかし怪我人を連れた栄子達はそうもいかない。そこから一番近いとされている山小屋へと向かって、必死にわき道へと歩きだしたのだ。

幸いにもトンネルからはい出してきた化け物たちは、逃げまどう生徒たちの方へ向かってくれたので、ぎりぎりの逃避行にこそならなかった。それでも一時間ほど山の中をさまよい歩くのがつらかったことに違いはない。


そうして山奥に逃げ込んだ赤塚達がたどり着いたのは、雪が残った瓦屋根の家だった。白く変色した屋根瓦は何枚も剥離し、いたるところには穴が開いていた。

木の壁も日の光にやけ、日陰はこけ蒸していた。窓は辛うじて残っていたが、裏口の引き戸ははずれていた。これで家の形を保っているのは、奇跡ではないか、と赤塚達もさっきは感動したものだ。

部屋の奥半分に畳が敷かれ、入口のあたりはそのまま地べたというきわめてシンプルな内装。

入ってすぐのところには土間があり、すぐ隣には錆ついた手動ポンプの水場があった。ものがないせいか、かなり広く感じた。その分寒々しいわけでもあるが。

とにかく汚れも気にせずに、畳の上にたどり着いたついた皆はへたり込んだ。


埃と汚れが溜まった内部の空気を、必死に換気し、何か使えるモノがないか探した。

外部と連絡が取れそうなものも食料になりそうなものもなかった。

ただ空のペットボトルが転がっていたため、周囲の雪を使って簡単に洗い、喉を潤した。


それから部屋の中に転がしてあった古新聞紙や剥がれた床板を集めると、桃園がライターをとりだしたのだ。

「そんなもの、学生がどうして持ってるのかしら」という栄子の問いに、桃園は「乙女の秘密です」と言って笑いながら囲炉裏の中にくべた紙切れに点火して、暖をとり、いつの間にか気持ちよくなって眠ってしまったらしい。

とにもかくにも、ひと段落ついて気が抜けてしまったらしい。桃園がいてくれてよかった、と栄子は改めて思った。


「本当に、こんな山奥に小屋があるなんて初めて知りましたよ」

火の番を担当してくれていた桃園はそう言って、枯れ枝を火に投げ込む。

「私も、ついこの間まで知らなかったわ」膝を抱えながら、栄子は呟いた。

十月に起きた脱走事件。学園から山道を直接歩いて踏破するというとんでもないことを考え出したあの子。あの少女には感謝しなければならないだろう。地図にも載っていないこの場所を知る機会を与えてくれたのだから。

「ホント。何がどう転がるかは、わからないものね」



「ま、そんなわけで一応先生達の目をくらますことには成功したんだけど、結局下山したら街の人たちにつかまって、引き戻された、と」

日和良は大仰に手を挙げながら、言った。

「まあそんだけの話よ」

これまであまり話すことのなかった話をして、日和良は居心地の悪い感じだった。しかし聞いている方はそうでもなかったらしく、泉なんかは瞳を輝かせながら、

「いやほんと、すごいっすねえ。普通そこまでしませんよ」

「ほめてるの、それ?」小林も青川も苦笑気味だが、泉は至って真面目な顔で、

「いやいや、本気っすよ。やれるとわかっても、本当にやってやろうとするのは、ガッツがいるでしょ。それがあるっていうのが、すごいんすよ。橘さんも、そう思わないっすか?」

不意にそれまで黙りこんでいた橘に、泉が話を振ってみた。

「おかげで生徒会長たちが助かったと言うんなら、よかったですね」

そっけなくそう言い放つと、地図を手に再び歩を進めて行く。

三人は顔を見合せながら、肩をすくめた。

「それより道順はいいんですか?」

「え、ええ。このルートも、元々は脱走用のルートだったから。ばっちり頭に叩き込んであるわ」

そりゃよかった。なんとも味気ないコメントで答える橘。あまりおしゃべりする気はないということか。

しかし意外なことに、それから間もなく話題を斬りだしてきたのは、橘だった。


「ところで、聞かせてもらえませんか?青川先輩。あの時、寮で何があったのか。どうして―――あんな風に、貴方達が人を殺せたのか」



しかし、ここからどうするべきか。

小屋の中。赤塚は弱弱しく燃える火を眺めながら、考えを巡らせる。


現在、小屋にいるのは五名。

自分と、二年の風紀委員桃園かおりは比較的元気だ。精神的にも体力的にも、上部に出来ている。しかし二人で必死に此処まで肩を貸してきた、一年の浅黄静香あさぎしずか。彼女を連れて行くのはつらいところがある。

あとの二人。一年生の根元碧ねもとみどり青川和恵あおかわかずえという少女は、まだ余裕がありそうだ。しかし青川は感染者に対してひどく怯えているし、根元は感情の起伏がなくてよくわからない。


まあ他の生徒みたいに一目散に逃げずに、ここまで来るのを手助けしてくれたのだから、ありがたい話ではあるのだが。

他の生徒たちは、どうしているだろうか。感染者たちが出てくるなり、悲鳴を上げて我先にと逃げ出して行った生徒たち。彼女たちも無事街までたどり着けたならいいと思う。

それから―――そう、最後にバスから抜け出してきた子。あの子が、自分たちが小屋に向かったことを告げてくれていれば。そうすれば、学園から街の警察に連絡が行くはずだ。


やはり、ここは待つしかないな。赤塚は他の人間に悟られないように、ため息をついた。

疲れは着実にたまっている。

制服のまま、制靴で山道を走ったというのも辛い。赤塚他が靴を脱いでみてみると、やはり皆足に血豆ができていた。ここから山を越えるというのは、ぞっとしない。

それに、バスが横転した時に体全体が少なからずダメージを受けていた。頭を打ってタオルを巻いている桃園はもちろん、自分も体の節々が痛む。外傷こそ見あたらないが、無理は禁物だろう。も歩いているときしきりに腕を気にしていたし、皆ダメージがある。


「あの子、無事に学校に着いたんでしょうかね」

考えることは、皆同じか。そうつぶやいた桃園に、赤塚は素知らぬ顔で、うなずいて見せる。

「道に迷ってもいなければ、大丈夫でしょう。あちら側には、人もそれほどいなかったし」


「あの……」

不意に、眠っていたと思われていた少女の一人が尋ねてきた。

「あら、根元さんだったわね。どうかしたの?」

栄子は先輩らしく鷹揚に答える。しかし、上目がちに投げかけられた問いは予想外のものだった。

「先輩達は、どうしてあの子を助けようと思ったんですか?」

投げかけられた問いに、一瞬栄子と桃園が硬直する。

「あの子がいなかったら、先輩たちは普通に逃げられたんじゃないですか?なのに、どうしてわざわざ助けようとしたんです?」

純粋な好奇心で聞いている、というわけではなさそうだった。どこか人を試すような、傍から聞く者を不安にさせるような問いの仕方。

眠っているはずの少女をしり目に、栄子は答えを絞り出す。

「あなたの足の骨が折れても、私は見捨てないわ」

しばらくの間、根元の瞳を見つめる。

「……すいませんでした、忘れて下さい

先に根を挙げたのは、根元の方だった。彼女はそのまま再び横になって、此方には背中を向けた形になる。桃園は薄くため息をついて、此方に向かって頷いた。

なにも今のが彼女の本心だとは思わない。みんな参っているのだ。

今起こっている異常な事態。死ととなり合わせの状態で、まともなままでいられると思っていられる方がおかしい。

例のあれ。ほとんど死んだような状態だった生徒が、起き上がり襲ってきたあの出来事。あれが例の新型感染病、というやつなのだと英子は当たりをつけていた。そしてそれが世に知られている噂の中でも、もっともたちの悪い部類のものが、真実に近かったということも。


「とにかく、この夜よ。今晩こそ越えられれば、助けを呼びにいけばいい。みんな、気をしっかり持つのよ」

根元は室内にいる全員に聞こえるよう、言い聞かせるようにそう言い放った。

とにかく、希望を捨てず、恐怖には屈しないことだ。

だが、視界の外に何かが動くのを、栄子は見た。



「……そうして、霧生さんに皆ついて行ったのよ」

話のあらましを聞いた日和良達は、絶句していた。

寮で起きた、凄惨な殺人。そしてそこから皆を焚きつけた、霧生の演説。

最初こそ橘の物言いが癇に障ったのか、不機嫌そうに話していたが、一通りの流れを語る青川の口調は次第に熱を帯びていった。

「どう。これで満足?橘さん。これが、貴方達を救いに言った私たちの、事情ってやつよ」

彼女たちを狂奔へと駆り立てた、何か。その正体の一端を、日和良は理解した気がした。

「うまいですね」

「そりゃ、また……」予想外の返答に、泉が絶句する。「ずいぶんと、端的な意見すね」

「なんとなくですが、貴方達がああいう風に動けた理由。それは分かった気がします」

日和良は思わず立ち止り、橘に問いかけた。

「どういう風に、分かったのか。聞かせてくれない?」

泉と、青川も続いて立ち止まる。橘は此方を胡乱な目つきで見た後に、しぶしぶといった形で三人に向き直った。

「罪悪感ですよ、たぶん。彼女たちをつき動かさせたのは」

彼女の表情こそ何の色も映っていなかったが、その声が極めて淡々としていたのは確かだった。

「人間には正義とか、大義名分とか言うものが必要です。戦争だってそうでしょう。自分たちに危害を与える恐れがあるとか、悪辣非道な相手だからとか、そういう風にみんなを納得させないと、大勢の人間が殺しあうなんて状況には陥らない。陥れないんですよ。

霧生さんがしたのは、それと同じですよ。自分たちは正しいことをした。自分たちは誰かを救った。

そうやって、殺人を正当化したんですよ」

「そんな言い方って!!!」案の定青川が、噛みつく。しかし橘は素知らぬ顔で続ける。

「みんなが起こした、殺人。例え相手が残虐な相手といっても、みんなで人を殺したのは確かだ。あの時のみんなは、一種の連帯間のようなものが生まれていたと思います。その部屋の全員にはね。そのみんなが味わっていたおびえや恐怖といった感情を、ポジティブなものにすり替えた。学園を救う、というお題目にね。結局、霧生さんがうまく皆を引っ張って行ったってことですよ」

彼女の意見に、皆が言葉を失っていた。

「私も……」

不意に、それまで黙りこんでいた泉が話し出した。

「橘さんと、同意見っす。なんだかんだ言ったって、人殺しのはずだし、悲しいことのはずなのに。……みんないろんな感情がマヒしてる、とかだけじゃなくって、自分でもマヒさせてる、ごまかしてるんじゃないかってところがあって。なんか、そういうのって、ちょっと怖いなって思ったりするんすよ」



人殺しなのだ。自分たちがしたことは。



そう。それは誰もが知っている事実。

積み上げられた遺体。飛び散った血反吐。まき散らされた脳漿。

学園にあるそれらこそが、自分たちの罪行の、揺るがぬ証し。

自分たちが、それから目をそむけようとしていなかったと、言えるか?

涙一つ流さなかった、自分たちが。


そんな事実に愕然としている日和良をよそに、青川は一人感情を高ぶらせていた。

「なるほど。貴方達が私たちをどうみているのかは、わかったわ。別にどう思われようと、構わないわよ。けれどもね、結局言いたいことだけ言って何もしない人よりも、私たちはやるべきことをした。そうでしょ!」

激情の片鱗を見せる青川に、泉と小林は凍りつく。

「ほめてるんですよ?偶然とはいえ、そういった流れを理解して、皆を奮起させた霧生という人を」

涼しげな顔の橘に、青川は油を注がれる形となる

「いいえ。何さまか知らないけど、貴方は結局自分勝手な意見を言っているだけよ。私たちが動かなかったら、全員が……」

このままでは、まずい。嫌な流れになってきた、と日和良が顔をしかめる中で、日和良の耳は何かを捉えた。

「待って」

日和良が手を挙げながら呟いた言葉は、過熱しつつあった場の空気を冷えさせた。

「何か……聞こえない?」



「静かに」

赤塚がそう言うと、室内の全員が一瞬動きを止めた。

窓ガラスにかけより、栄子は外を目を凝らして外の様子を窺う。

汚れが溜まった窓ガラスに目を凝らして、林の中で草葉が揺れるのを確かに捉えた。

「火を消して!すぐに!」

慌てて青川が手元にためてあった雪水をかけると、皆が沈黙して耳を澄ます。

囲炉裏が余熱を吐き出す音だけが室内に響く。


「何かが、来るわ」

栄子の呟きが、室内の不気味な沈黙に溶けていった。

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