第四話 ハイキング・デッド(2)
お待たせしております。何気に最長記録更新です。
ドラマ「ウォーキング・デッド」のシーズン2放送開始記念ということで、どうぞ。
目が覚めたときは、闇の中だった。
頭がくらくらする。薄い暗闇。外からは赤い光が瞬いている。
「……きて。……がいた……」
ぐわんぐわんと頭の中が揺れている感覚。
「起……て。か、生きている人!」
そうしてようやっと起動した意識が捕まえた声は、悲鳴のような呼びかけだった。その高音に引きずられるようにしてまず意識が、ついで全身に五感が戻ってくる。
「ひっ」最初に取り戻したのは、触角だった。頬を伝うなま暖かい感触に、思わず悲鳴を上げる。
流れ落ちる液体。生臭い匂い。暗がりの中でもがきながら、嫌な感触がするそれから逃れようと、必死に身をよじって、座席から転がり落ちる。
そうして薄闇に目が慣れたころ、生理的嫌悪を催させたそれの正体が明らかになる。
鳳凛に入ってから一番の友人だった少女ーーー澤田慎子だ。おしゃべりで気分屋だけど、情に厚かった彼女。彼女は首を此方に此方に向けながら、頭部と口元から血をあふれさせていた。死因は何枚も頭に突き刺さったガラスのせいか。あるいは口からだらんと出されている舌が真っ赤に塗れているのを見ると、衝突の時に噛んでしまったせいかもしれない。
衝突。そうだ。さっき、突然下野先生が暴れだして、運転席のほうへ向かって。
そう、ここはバスの中のはずだ。取り戻し始めた記憶をたどりながら、改めて闇に慣れてきた目で、辺りを見回す。
車内は静かだった。
そう、今も耳朶に残る喧騒とは、無縁の沈黙。記憶の最後に焼きついた運転手の悲鳴と、それから蛇行するバスに揺られて車内に響く悲鳴。そして対向車からの甲高い音のあと―――。
トンネルの非常灯に照らされて見える生徒たちの顔は、どれも血で真っ赤に染まっていた。
そこに至って、茶谷加奈は、ようやく思い出した。自分が鳳凛学園から病院へ向かうバスの中にいて、救急車とぶつかる事故にあったことを。
*
バスの中では、大量の生徒が死んでいた。
状況を理解した加奈だったが、恐慌状態には陥らなかった。
動悸は痛いほどにその速度を強めているのに、頭の奥は妙に静かだった。薄暗く、その全容をつかめていないからか。あるいはまだ衝突した時のショックで、頭のねじが緩んだか。
くだらない冗談まで思いついて、いよいよ自分の頭に呆然とする。
なぜこんな自分が生きているのか。思わず問いかける。寒がりで毛布を体中に巻いていたからか。いつもの癖で、頭を抱えて衝突に備えたからか。手前のお菓子を山ほど入れたバッグがクッションになったからか。
考えてみようとしたが、どちらにせよその答えに意味がある用には思えなかった。
そんなことを思いつつ呼吸を整えていると、、再び耳の奥に声が飛び込んでくるのに気付いた。
「早く!早く行きましょう!」窓の外。澤田さんの向こう。少し離れた場所からだ。誰かと話しているようだ。
「誰か!誰かまだ、生きてる人は、いないの!」
はっとした。外から、バスに向かっての呼びかけ。通路から体を必死に起こしながら、声を上げようとする。
最初出そうとした大声は、のどの奥でつっかえて声にならなかった。なにか、嫌な匂いがのどに絡みついたためだ。くそ、まけるもんか。
「ぉここに、いるうぅ!」声を限りに叫んだ声は、悲鳴と変わらない。それでも届くはずだ。必死に声を上げ続ける。
「いた。いたわ、やっぱり、いた!おおい、大丈夫!」聞こえたらしい。その事実にほっとして、一気にむせた。
「早く、早く出て!急がないと、火が!」
火の手が挙がっているのか。嫌なにおいのする方へと首をのばすと、加奈が座っていたのとは反対側の窓の外で、バチバチと日のはぜる音が聞こえた。多分、ぶつかった救急車の方だ。
その事実を理解して、必死に立ち上がる。
足元がぐらりとして、全身にダメージが残っているのかと加奈は青くなった。しかし間もなく、それは車自体が傾いているせいだと理解した。段差を越えて、歩道に前輪が乗り上げているのだ。
「早く、こっちに!右の窓から出ろ!」再び上げられたその声の、尋常でない様子に現実に引き戻され、加奈は自分が窓から逃れようとした。
その前に改めて澤田の遺体をみて、咄嗟に胸にかけていたペンダントを抜き取る。ごめんね。さよなら。心の中でそう声をかけると、加奈は座席へと足をのばす。
しかし、視界の隅で新たな動きをとらえた。うめき声をあげながら、もぞもとと動くものを。
生存者か?
「誰か、生きてるの?」喉が痛い。口の中で血の味がするのを感じながら、三つ前の座席でうごめく者に目を凝らす。
返事がない。しゃべれないのか?
迷いながらもそちらに足を延ばそうとして、しかし間もなく面をあげた相手を見て、加奈は息をのんだ。
通路に這い出てきたのは、上坂だった。だがその様子はもはや常のものとは全く異なる。瞳は曇り、歯をむき出し、さきほど暴れだした下野とほとんど同じような症状。
そして何より、ガラスの破片で目玉を突き破られてなお動く、その異様な状態。
やばい。本能的にそう理解した加奈は即座に体を引いて、相手との距離をとる。そうして目を合わせないように、逃げ出そうとする。
それに反応するように、上坂のようなモノ、は通路から此方へ這いよってきた。
急いでバスから逃げないと。だが力が殆ど入らない病み上がりの体では、シートベルトをしている澤田の身体が邪魔で、なかなか通れない。
澤田の遺体に謝りつつ、押しのけ踏みつけてようやくの事で、窓枠に手がかかった。身をよじるようにしてそこから加奈は、その瞬間身体に引き戻そうとした右足に、圧力がかかってきた。
これまで味わったことのないような、異常な握力。上坂に浮かしたつま先を掴まれたのだ。
引っ張られる。割れたガラス片が散らばる窓に、血を流しながら必死でしがみつく。
駄目だ。身体から力が抜けて行くのがわかった。
指が一本ずつ、するり、するりと剥がされていく。そして身体は、バスの中へ引き戻されていく。
奈落の中へ。悪夢の中へ。地獄の中へ。
絶望に頭が真っ白になった瞬間、腕に新たな感触がきた。「か、会長!」。
「大丈夫。もうちょっとだから」
加奈の腕をつかんで、頭部から薄く血をにじませながら彼女は―――生徒会長、赤塚栄子はにっこりと笑ってみせた。
*
バスの壁をよじ登るようにしてやってきた赤塚。状況を察しているらしい彼女は、加奈と手をがっちりと絡ませる。
「大丈夫。いくよ、せえのっ!」
彼女は声と同時に思いっきり身体をそらして、一気に体重を外側にかける。
上坂とは反対側への力が一気に掛けられ、全身が引き延ばされる。
「くそっ!ああ!頑張って!」
歯をくいしばりながら、加奈は必死にこらえる。しかし、上坂の手は離れる気配を一向に見せない。
だが、つかまれた指の位置が、靴の上で少しずつずれているのを加奈は感じた。
そうしてすこしずつずれだした指先はやがて靴の間に入り込み、そのまますっぽりと靴が抜けた。
反対側の重さが消えて、加奈はそのまま引っ張り出される形になった。
「わ!」
二人して重なりあうようにして、窓の外へと放り出される。
そのまま道路に二人して倒れ込む。赤塚を下敷きにしてしまったおかげで加奈への衝撃はそれほどなかった。だが下にいる人間は。加奈が慌てて身体を起こすと、にやりと笑う赤塚の顔があった。
「やったわね」そう言って、背中をぽんぽんと叩いてくれた。彼女は無事だった。
それを見て安堵した加奈は、思わずその隣に転がる。
三呼吸ほど、二人は大きく胸を上下させながら、地べたに倒れ込んでいた。
ようやっとバスからの脱出を果たしたのだ。思わずそのまま目をつぶって居たくなる。
しかし、いつまでもこうしてはいられない。隣で立ち上がった相手に身体を揺らされ、加奈も立ち上がった。
「ど、どうもありがとうございました」
「お礼はいいわよ。当然のことを、したまでの話だし」
さらりとそう言ってのける赤塚。さすがというべきか、なんというか。
しかしふとあたりを見回すと、遠巻きながら此方を見ている生徒たちが結構いた。どうやら、生存者自体は少なくないようだ。後部座席にいた面々ということか。加奈は少しだけ胸の重しが取れた気がした。
しかし、こちらをなにか不安げに見詰めている視線に、加奈は違和感を覚えた。なんだ?もうすぐ爆発しそうだって言っているのに、なぜもっとはなれないんだ?
「会長!早く、こっちに来てください!」声に導かれて、二人はバスの反対側へ移動した。
眼の前の光景を見て、加奈は唖然とする。バスの横腹に鼻先をつけた救急車が、火を噴いていたからだ。
中にいたらしい救命士たちを、車の外に出すことには成功したらしい。だがいずれも動かぬからだとして、道路に並べられていた。
「駄目です、やっぱり。早く行きましょう」
タオルを口に巻いた女生徒が、早口に言う。
「わかった。それじゃあ、街の方へ急ごう」赤塚の提案に、加奈は思わず疑問を呈す。
「でも、そっち側だとまだトンネルは……」
そう。トンネルに入って間もなくの場所で、バスが事故にあった。そのため、学園側の出口の方が近い。
街の側へ出るには、まだ大分このトンネルの中を歩いていかなければならない。いつ爆発するともしれないのに。
だから、此方側とあちら側、二手に学生が別れていたわけか。加奈は納得した。
「急げば、まだ間に合うはずだから。此処を抜ければ、こっちの方が安全なんだ。信じて」
「……わかりました」
どちらにせよ、一度助けられた身だ。加奈は赤塚を信じることにした。
小走りに進みだした三人だったが、しかし、そこでふと気付いてしまった。澤田の遺体から抜き取ったペンダントを、落としたこと。
判断は一瞬。
「すいません、先に行っててください!」
そう理を入れると、加奈はバスによって大半が占拠されている通路を、再び小走りで抜ける。
加奈は先ほど自分が落ちたバスの横に舞い戻る。
あった。即座にそれをポケットに入れると、踵を返そうとした。
「なにしてるの!はやくこっちに……」
バスの向こう側からの声。しかし、その声は救急車の上げた轟音でかき消された。
炎が燃え広がり、トンネルはあっと言う間に高温の入れ物になる。一気に肌が焼けるような感覚。
さらには救急車の火が、バスへと燃え移ったのだ。
そうして、眼の前の光景に加奈は唖然とした。
道路の中央が、燃えるバスと救急車によって遮られる形となっていた。
*
生存者が、炎の壁で分断されつつあった。
どうするべきか、加奈は迷った。まだバスの後部にまで炎は伝っていない。ならば、いまならまだ反対側へと回れるか!?
「あなたたちは学園に!行って!急ぎなさい!」そんな混乱した頭に先回りするように、赤塚からの声が上がってきた。目を凝らすと、彼女の姿が見えた。
「会長は、会長達は!?」
声を限りに叫ぶと、喉の奥に違和感。熱でやられるかもしれない、と慌てて口元を袖で覆いながら、身をかがめる。
「私たちは……小屋に行くわ。小屋!」
揺らめく炎の向こうでそう言うと、赤塚は、倒れこんでいる少女の肩を背負う。先ほどの爆発でやられたのか。もう一人の生徒が舞い戻り、二人がかりでその女生徒を立ち上がらせる。
小屋?茶谷は困惑する。このあたりに、そもそも建物などがあっただろうか?
「先生か、小林さんに言えば、わかるわ!お願い!」
赤塚はそう叫ぶと、そのまま背中を向けてトンネルをゆっくりと走り出した。あれでは、街までたどり着くのも大変だろう。だが、小屋とはどこのことだ?
「急いで、逃げましょう!爆発するかもしれないわ!」
肩を掴まれて、加奈もはっとする。そうだ、まだ終わりじゃない。バスの燃料タンクは、まだ爆発していない。加奈は駆けだした。
此方側の生徒達は、ほとんどがすでに逃げ出していた。出口から此方に大声を挙げる生徒の元へ、全力で駆け抜ける。駆ける。
そうしてトンネルの外の明かりが見えてきたとき、向こうで悲鳴を上げる少女達の声が聞こえた。
もうすこし、がんばれ。そう声を挙げる少女が顔をこわばらせた瞬間、思わず背後を振り返ってしまった。
遠目にも分かった。バスの燃料タンクがある後部が、大きく爆ぜたことが。
*
咄嗟に飛びのいたのがよかったのか。爆圧に押しのけられるようにして、加奈はトンネルの外へと吹き飛ばされていた。爆風が、身体を横凪に通り過ぎる。
生きている。冷たい地面に体にたまった熱が吸い取られるような気分になりながら、仰向けに寝っ転がる。間一髪。奇跡というほかないだろう。思わず笑い出したい気分になりながら、加奈は周りを窺う。
他の少女たちも青ざめた顔をしながら、トンネルの中を窺っていた。
誰も口を聞こうとしなかった。咳をしながら、その奥を見つめようとする。消火設備はないのだろうか。いや、こんな古いトンネルに期待は出来ない。
もうもうと煙がたちこめ、汚れた空気が排出されていく中。何か見えるはずもない。しかし女生徒の一人が声を挙げた。
「嘘でしょ」
そこには、炎で赤く燃えるトンネルの内部から、こちらに向かうものがいたからだ。
生きているのか。だが、駆け寄るものはいない。皆が信じられない思いだから、ということもある。だが、それよりも生きているはずがない、という確信の方が強かったからだ。
そしてそれは、正しかった。
それは、生きていなかった。
悲鳴があがる。皆は再び、駆けだした。少女達と、死者達との追いかけっこが、始まったのだった。
*
「つまり、201バスと同じように、下野先生がアレに発症し、バスはトンネル内で事故に遭った、と」
そういうことかしら、と霧生は問うた。
保健室から三つ隣の三年生の教室に、十人程の人数が集まっていた。
脱出してきた少女が感染していないであろうことを告げて、保健室に運びこんだ。保険委員でもある草薙英里の手当を受けながら、事情を話すと倒れ込むように眠り込んだ。
その時に草薙が聞き取った話をまとめてもらい、今改めて現在学園をとりまとめているメンバーが話し込んでいるところだ。
「それじゃあ、他にも生きてる人達はいるってことね」
うん、と草薙はうなずく。
「ただ、逃げ出した人はばらばらになったみたい。あの、食堂のおばさん達が、感染したところを迂回して通ろうとした途中で、一人が発症したようです。そのせいで……」
他の皆の消息は不明。正門の方は近づいてくる相手がいないか、人数を増やしてもらっているが、今のところ収穫はない。
「先生たちとすれ違わなかったの?」杉村が問うた。
「ええと、彼女は川岸に一旦降りたみたいで、そのときに何か音を聞いたかもしれない、とか言ってた」
山の間を通る川までは、此処から一キロと離れていない。トンネルからここまでの距離を考えれば、のどが渇くのも無理はないだろう。ニアミスしたわけか。
とにもかくにも、無事生き残っている人間がいてよかったということだ―――と、簡単には口に出せない。なぜなら彼女の話が本当だとすれば、新しい問題が自分たちの前に現れている事を見とめなければならないからだ。
「それで、ここからが相談なんだけどーーーどうするべきだと思う」
杉村が、眉値を寄せながら一同の顔を見回した。
言わんとしていることを察して、皆が一瞬黙り込んだ。
「どうすべき、とは?」
「皆がただ逃げ出したってだけなら、まだいいのよ。ただ問題は、会長が行ったっていう小屋の話」
「ああ、そういえば。小林に聞けって行ったんだわさね?」
皆の視線が日和良に集まる。
「知ってるわ。トンネルの近く、山の中腹に小屋が一つあるのよ」
「そんなの、あったの?」
「普通は知らないでしょうね。私も、この辺りの昔の地図をみてもしかしたらって思って調べたのよ。そしたら、廃屋が一軒あったわけ」
「まさか、そこが噂の……」
ま、そういうことよ。胸を張る日和良に、杉村が、理解できないといった表情でかぶりを振る。
「とにかく、そんなわけで会長もその場所を知ってたわけよ。まさかそれがこんなことになるとは思っていなかったけど」
「それで?ええと、何が問題になってくるの?」
杉村は一瞬逡巡するように視線を泳がせてから告げる。
「この話、一応さっき哀川先生にも伝えたわ」
皆黙り込んだまま、その先を促す。杉村はおどけるように、肩をすくめて続けた。
「……他の先生たちが帰ってくるのを待ってろってさ」
あらかじめ皆が予想したレベルの話だった。哀川が教師として頼りにならないのは、今に始まった話ではない。ため息とともに胸にたまったものを吐き出すと、もう一度杉村は話し出した。
「それで、皆の意見を聞いてみたい」
杉村も迷っているのだ、ということを も理解した。
しばらく集まった生徒たちはお互いの顔をうかがっていた。不敵な笑みを浮かべる一人を除いて。
「決まっているでしょう。私たちは、動くべきじゃないわ」
*
「私たちにできることは、現状ないでしょう。違う?助ける余裕も、外部との連絡方法も。それに助けを呼ぶにしても、反対側に、行った人の方が割合としては多かったんでしょう。それなら、こちらから動く必要はないんじゃないかしら」
霧生の意見はもっともだった。助けを求めているのは、こちらとて同じだ。一度危険こそ去ったが、現状動くような余裕がないのはこちらも同じなことに違いはない。
彼女の言葉は概ね皆の内心と重なっていたことに違いはない。ただし、思わぬ方向に話が広がった。
「それよりも、先生たちが気になるわね」
「というと?」
「トンネルが通行止めなんでしょう。事故で。その後先生達がどう判断するか、が問題じゃない?」
「……まさか山を越えようとするってこと?」
杉村の指摘に対して、霧生はうなずいた。
「十分にあり得るでしょう。何も山を越える必要はないわ。携帯電話が届く範囲にまで、山を登ろうとするんじゃないかしら。ゾンビだらけとも知らずに。私たちは、そちらを心配するべきじゃないかしら」
杉村が途端に顔をこわばらせる。まじめな杉村のことだ、すぐにでも先生に言いつけに行きたいんだろう。
「ていうかさ」と、雨宮が切り出した。「そもそも、私らが悩むべき問題じゃないでしょこれ。私らがすべきなのは、先生たちに意見を聞きに行くこと。……おかしいって、今私ら」
そう。雨宮の行っていることは至極全うだった。自分たちの立場でどうするか、なにをすべきかなどと話し合うのは違うはずだ。
杉村は皆に視線を送りながらも、伏せられた顔に次第に萎んでいく。
「でも、その……私も、その……」
彼女だって、その判断が当然であることは分かっていたのだろう。それでも、自分の胸の内に留めておくにはその決定は重かったのだ。だからこそ、皆に聞いてもらいたかった。聞いてもらって、何か答えを得ようとしたのだ。
「……」
大人にすべて任せて、自分たちは従えばいい。それが今の私たちには、簡単に受け入れられない。
そうだ。それが正しいんだろう。
これまでなら、きっとそうだったろう。
「行くわ、私」
日和良が行った言葉に、一同がざわめいた。
「行くって……あんた」鳴海が、問う。
「助けに行ってくるわ」
*
はっきりと宣言した日和良に対して、皆の視線は冷ややかだった。
「あなた……正気なの?」
ふふん、と髪を書き上げながら日和良は不敵に言い放つ。
「これでも、山を走り抜けて学校を逃げようとした大馬鹿モノよ。アウトドアの経験だって多い。体力に衰えもないわ」それに、と周囲の人間を見渡す。
「私は、さっき一人取り残されたところを大勢の人間に助けてもらった。だから、私の命も人を救うために使いたい」
少しだけトーンを下げた、真面目な口ぶり。今度は揶揄するような声は上がらなかった。
「でも、あなたは……」
「大丈夫。私は、自分にしかできないことをしたいの。それが礼儀だと思うから。義務とかじゃなくって。本当よ」
無茶だ、と雨宮が呻く。
「確かに、あんたなら山を歩くことはできるだろうさ。でも、山の中にはどれだけ感染者がいるかわかんないんだよ。自殺行為だ、とは言わないけど。……死ぬかもしれない」
「ゾンビだらけの山をお散歩か。とんだハイキングになりそうね」
霧生が腕を組みながら続ける。その声音にはどこか面白がるような節さえある。
「止めるんなら今のうちよ。はっきり言って、私たち素人が行ったところで、出来ることはないもの。下山するのを手伝うって言っても、自分の身も守れないようじゃあ……」
「いや、武器ならあるぜ」
そこで話の途中から部屋に入ってきた響が、そう言った。
彼女は肩に下げてきたボストンバッグを中央の机に投げ出す。訝しがりながらも、皆の視線は響が開けて行く鞄の中身に釘づけだった。
そうしてその正体が分かりだした時、皆が息をのんだ。彼女が掲げたそれは、遠くにいる相手を倒すための武器。
「それってボウガンって奴じゃないの!?」
皆を代表して問いかける日和良に、響は得意げな顔でボウガンを掲げる。
「学長室にあったんだよ。ほら、あの学長の部屋ってやたらと鹿やらなんやらの獲物の角だか首だかを飾ってただろ。んで、ひょっとしたらと思ったら、案の定金庫の中に幾つか武器を残していやがった」
「金庫って、それならいったい……」
響が鞄からバールを取り出したのをみて、一同は苦笑した。
一人杉村だけは顔をゆがめながらも、しかし興味を隠せないようだった。「使えるの?」
響はこくりと頷いた。
「さっき砂野に見てもらった。多分いけるって。矢は、今のところ二十本ほど。それから、こっちは……」
響が取り出したものをみて、今度こそ一同が仰天した。
「そんなものまで……
今度はより一層、一同の声が高くなる。
「橘の奴には、泥棒の才能があるな」ばんばん、と機嫌よさそうに響はそれをはたく。
「耳当てがあったのと、アラスカあたりで狩猟している写真もアルバムにあってさ。だから、これもどこかに保存してあるんじゃないか、だとよ。部屋中引っぺがしてみたら、隠し戸を発見だ」
そんな解説を加えるが、殆ど誰も聞いていないように思えた。
それくらい、皆の眼はそれにくぎづけだった。
銃。
現在思いつく限りでは、もっとも人の手で扱える遠距離武器だ。
勿論、銃の所持が基本的に禁止されている日本においては普段は目にすることもないような道具だが、その殺傷能力は映画やドラマで皆周知している。
そんなものを所持しているのは、隠してあったことからも不当だとわかる。
だがここに至り、ルールなどない現在、心強い味方を手に入れたことは確かだった。
「助けに行くってんなら、どっちか持っていけばいい。少なくとも今よりは闘える。違うか?」
響が口角を釣り上げるのにまけないように、日和良も不敵な笑みを浮かべる。
「盛り上がっているところに悪いけれど―――」
「武器よりも、必要なモノがあるんじゃなくて?」
*
体育館へと早足で入り込んだ日和良を見て、皆がぎょっとしていた。先ほどの騒動の顛末がどうなったのかは、まだ殆どの人が知らない。彼女が何をしようとしているのか、日和良が舞台上に上がるまで、多くの学生がかたずをのんで見守っていた。
「皆さんに、お話があります」
建物内の全員に聞こえるような、通る声で日和良は話し出した。
「大事な話です。先ほど学園にやってきた一年生、茶谷さんの話から、もう一台の病院へ向かったバスが事故にあったことがわかりました」
館内が一気にざわめいた。
「お静かに!」日和良が壇を叩きながらそう声を挙げて、場を鎮める。
「幸いにも、一部の生徒は自力で脱出しました。しかし、事故の原因ともなった感染者たちに彼らは追われて、山の奥にある一軒家に取り残されてしまっています。彼女たちはけが人を連れてるから、街まで逃げることができません。私はこれから、彼女たちのところへ行こうと思います!」
日和良が一気にそう言い放つと、場内は再び混乱のるつぼと化した。
「お、おい。おまえたち、なにをはなしてるんだ!」
さすがにこれだけ騒げば、目も覚めるらしい。哀川は青い顔で、人並みをかき分けてくる。
「行ったはずだぞ!か、勝手なことを、するんじゃない!」
つかみかからんばかりの勢いで、口泡を飛ばす。しかしその手が日和良に届く前に、彼の肩がつかまれた。
「ええ、くそ、はな、せ……」振りかえり相手の顔を見て、声がしぼんでいく。
「……」
見下ろすようにして哀川を見つめる浜形を前にして、哀川は萎縮してしまう。体格差は一目瞭然だった。
肩に食い込んだ指は、一層深く骨の間に入り込み、哀川の表情が苦痛に歪む。
浜形に視線で礼を送ると、日和良は再び館内の皆に告げる。
「見ての通り、これは完全に私の意志よ。先生に決められた事じゃないわ」
先ほどよりも砕けた口調、柔らかい言葉で日和良は話す。館内に再び静寂が戻った。
「もしかしたら私たちがわざわざ行かなくっても、助けがきてるかもしれない。私たちの方が危険にさらされるだけかもしれない。たとえ彼らと合流できても……みんなが無事に戻れるかは、怪しいでしょう」
これだけ大勢の前で演説をぶつなんて、日和良にしても初めてのことだ。けど、その時は素直な気持ち、素直な言葉をみんなに伝えられていると、そういう手ごたえがあった。壇上から見下ろす皆の顔に、そう思わせるものがあった。
「けど、私は彼女たちのところに行くわ。そうすべきだと思うから。そうしないと、もっと多くが失われてしまうと、思うから」
日和良は反応を窺うように、一旦言葉を斬る。
「これはあくまで自由意志よ。そのうえで、もしも、私と同じように思い、行動を共にし、自分の身を危険にさらせるのなら……手を貸してください。お願い」
日和良が壇上で頭を下げる。体育館は一瞬静けさにつつまり、それから再び各々が勝手にしゃべりだす。
頭の上で素通りしていく声を聞きながら、日和良はその姿勢のまま目を閉じる。
*
わかっているでしょう。霧生は日和良を突き飛ばすように言ってのけた。
「たった一人では、誰も助けることはできないわ」
黙り込んだのを肯定と受け取ったのか、彼女はそのまま続ける。
「武器を持っていても駄目。その場所から下山するのだって、貴方一人の手を増やしたところで大差ないわ」
だから、やめておきなさい。と。
皆霧生と同じ目をしていた。何かを憐れむように。何かを恐れるように。
だから、日和良は言ってのけたのだ。手の空いている人間に頼んで、協力してもらう、と。
そうだ。だから私は此処にいる。
顔を伏せていてもわかった。舞台の下からは、冷たい視線が降りかかる。雨のように突き刺さり、雪のように重なり積もる。
彼女たちにしてみれば、当然だろう。たとえどんなきれいごとを言ったところで、危険なことに変わりはない。それにただ危険、というだけではない。先生に命じられたわけでもなく、ろくにはなしたこともない問題児が、いきなり協力を得ようというのだ。そんな相手に話して信頼が置けるか?
だが、それでも。人は、人を助けたいと思っているはずだ。恐怖に抗う力も、持っているはずだ。
だから、私は信じる。日和良は必死に頭を下げながら、そのときを待つ。
「行きます」
だが、再び館内を静けさに覆った清涼な声は、意外な声音をしていた。
日和良はゆっくりと、面を上げる。
館内の視線が、一点に集められたその先にいたのは、誰あらん。
橘夕だった。
*
再び突き合わせることになった意外な顔。
生死を共にしながら、行動の基準が読めなかった相手。
正直な話、こんな無茶な行動に乗ってくるような相手だとは日和良も思ってはいなかった。
どちらかというと、霧生や杉村と考えを同じくする相手だと、日和良は思っていたのだ。
そんな彼女の突然の出現に、日和良は混乱した。
「あなた……」
「勘違いしないでください」
「どっちにしても、街まで下りるんなら、私も行きますよ。この調子じゃあ、通信だけで話が通るかどうかわからない」
橘の言葉は冷静そのものだった。それは、館内にいる全員に語りかけるような口調だった。
「別に、それでもいいでしょう?同じ目的、同じ理由、同じ理想。やるべきこととか、失われるモノとか関係ありません。自分がすべきことをする。それだけでしょう」
日和良はその言葉にはっとする。そうだ。自分は、考え過ぎていたかもしれない。
人を救いたいとか、誰かのために人は動けるのかとか、命をかけるとか。
でも、結局のところ人が動く理由なんて根っこは一つじゃない。
自分が正しいと思ったことを、やるかどうかだ。
「……そうね。その通りよ。橘さん。一緒に、来て頂戴」
橘の言葉に、日和良はほころびそうになる顔を必死にこらえながら、頷いた。
彼女の真意は日和良にはわからなかった。
しかし先ほどまでの白けきった空気とは別の、何か感情を揺さぶる様な流れが訪れつつあるのが、日和良にも分かった。
「あ、アタシも、いきます!」
その空気に呼応するように、もう一つの声が上がる。
中央にいた一人が、立ち上がる。長身に浅黒い肌をした少女だった。
「その……た、体力には自身があるんで、頑張ります!」
よく通る声。他の人に袖をひっぱられながらも、彼女は此方をはっきりと見返してきていた。
「私も、お願いするわ」
今度は、体育館の隅にいた少女も、声をあげた。
「知り合いを助けられるかもしれないんでしょ。行くわ」
涼しげな目元をした一重の少女が、簡潔にそう言い放つ。
改めて、二人の顔を日和良は見返す。
二人とも、ほとんど見知らぬ相手だった。すれ違ったり、顔をみたことはあるだろう。
だが彼女たちが何者か、日和良は知らない。
けれども、今この時、自分達の言葉が届いたことだけは確かだった。
そして、橘夕。よくわからない転校生。だが、きっと彼女となら大丈夫。そう思えた。
胸の奥が熱くなるのを感じながら、日和良は三人を交互に見て頷いた。
「三人とも……ありがとう」
かくして、ここに急ごしらえの救助隊が結成される運びとなった。
だが。われ知らず、天井の窓を日和良は仰いでいた。
傾き始めた太陽は、空高くにただ無言でそこに佇んでいた。
一万PV突破しました。ありがとうございます。
いや、コメントに困る作品だとおもいますが、感想もどしどし受け付けておりますので、よろしくお願いいたします。
まあ状況に区切りがつけにくい話がしばらく続きますが。