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Journals of the Dead  作者: 数奇者星
第一部 学園監獄編
18/33

第三話 鐘がために誰がなく(4)

ミカエル寮のロビー。

誰もが疲れ果てていた。考えることに。立ち上がることに。想像することに。

座り込んで、ただただ虚空を見つめる少女たち。

「ーーーみんな。私たちは、どうすべきだと思う」

ーーーけれども、本当はみんな分かっていた。誰かが口火を切るべきだと。

「先生は、とにかく建物の中にいろって・・・・・・」

「そうすれば、誰かが止めてくれると思う?」

意味のない会話。わかり果てていた答え。そんな応酬が続き、彼女は決定的な一言を下す。

「この人里離れた場所で。警察がやってきて。すべてを解決してくれると思うの?」

霧生詠。その口火を切った彼女の演説は続く。

これまで何があったか。大人たちは何をしたか。自分たちに一体何ができるのか。

いつの間にか皆が霧生の話に聞き入っていた。

だんだんと部屋の空気が、変わっているのにクリスは気づいた。

熱。うすら寒い空間に、人が生きている熱が取り戻されていた。

いや、それはあるいは一つの篝火のように、あるいは炎と化してーーー

「ーーー私たちを救う人間がいるとすれば、それはーーー」

一つの、うねりを起こそうとしていた。



礼拝堂を取り囲んでいた死者の群。聖なる鐘の音につられてやってきていた彼らは、生者の匂いを見事に嗅ぎとっていた。

窓と裏口。奴らは一度に複数の方向からなだれ込んできた。

まるで計ったかのような攻め手。それをみとめて、絵美の脳が一瞬フリーズする。どうすればいい。

しかし思いっきり手を引っ張られて、現実に立ち戻る。

「急げ!上だ!」

そう言うと、橘は思いっきりランプや燭台を窓から入ってきた感染者達に投げ込む。「こっちだ!」

声を飛ばしつつ、相手の鼻先をかすめるようにして、階段のある戸の対角線に逃げ込む。注意をひきつけてくれているのだ。

「今のうちに」

日和良に肩を借りながら、絵美も上に急ぐ。しかし戸に入るところで、のろのろと入り口からはいってきた集団に、追いつかれた。

「……!?」

長いすの上で高低差を使って立ち回っていた橘が、一気呵成に駆け込んできた。

先頭の真美に、槍を突き出す。突き刺し、押し倒し払いのけようとするが、刃先を握り込まれた。橘はあわてて両手に力を込めるが、相手は血が吹き出すのもお構いなくがっちりホールドしていた。

「ーーー」人の声とも思えない声。獣の方向のようなそれと共に、信じられない膂力が加えられ、橘の体が一瞬ぐらつく。絵美は血の気が引いた。組まれたら終わりだ。

だが橘はとっさに手を離して、相手の拘束から逃れる。そうして背中から階段に飛び込んできた。

扉を締めて、懲罰室から持ってきた錠前をかける。「モップを貸して!」階段の上から日和良が手にしていたモップを投げ渡すと、ドアにつっかえ棒としてひっかけた。

ドアがどんどんと叩かれる。なんとか、これで時間は稼げるはずだ。



呼吸も荒く二階部屋にたどり着いた三人は、部屋に入るなりへたり込みそうになる。

「まだ、よ!」

玉の汗を拭いながら、日和良が先ほど空にしておいたワイン棚を戸口に押しつける。橘と絵美も手伝い、これでようやく、唯一の出入り口は閉じられたことになる。

それは同時に、脱出方法も失われたことを意味しているのだが。

三人は棚が動かないように、背中で扉を押さえつけるように並んだ。

「こうなりゃ持久戦かしらね」日和良が軽い口調で言う。

後は屋根を挟んである鐘楼が見える窓からでるだけ。自力での脱出方法は、完全に失われた。

「・・・・・・ここが最終防衛線です」

そうだ。もう、ここまでだ。そんな諦観にもにた思いを抱きながら二人をみると、不思議と乾いた笑いを発していた。それをみて、自分も思わず口元がゆるむ。

死を前にして、判断が鈍っているのか。

扉の向こうから近づいてくる死者の声を聞きながら、少しだけ絵美は目をつぶった。

「連中の勢いが、思った以上ですね」橘が言った。

「まるで、示し合わせたみたいだった」日和良がつぶやく。「知恵があるってことかしら」

そうだ。あの時殆ど同時に、挟み込むようにして窓と裏口を連中は突き破ってきた。ただ幸いだったのは、入り口に対して同時に体を寄せあったため、互いが邪魔になって入れなかったことだろう。そうでもなければ、今頃は。

「どっちにせよ、腹をすかせている相手なのは違いありませんよ」

橘が簡潔に答えた。捕食者と餌の関係である以上は、話し合う余地などない。

絵美は必死になって体を持ち上げる。そうして三分の二ほど登ったところで、ドアが壊される音。そして、大勢のうめき声の合奏が聞こえた。

階段の下まで奴らは来ている。


首をだらしなく垂らしながら、窓の外を見つめる。

「みんな、どうしてるんだろう」

「せいぜい、お互いに連絡を取り合ってどうすべきか悩んでいるくらいでしょうね。職員棟がパニック担っている以上、そっちで手一杯でしょう。下手をすれば……」

そこまで言って、橘は口をつぐんだ。これ以上気が重くなることを言っても益がないことを彼女も理解しているのだろう。


「ねえ。やっぱり、もう一度鐘をならしてみない?」

日和良の提案は、今度は苦笑を持って受け入れられた。

「……今更ですけどね。いい忘れていましたけど、スイッチはもうたたき壊してしまいました。どうしても、鐘の止めかたがわからなかったので」

「……ははっ。てことは、直にならさなきゃだめか」日和良が渇いた笑い声をあげる。

しかしその声は、近づいてくるうなり声にかき消された。

三人の顔がこわばる。息を詰めて、背後二気配を集中させる。

そうして永遠にも思える長い数秒の沈黙の後、背後から殴りつけられ留ような衝撃が、ドア越しに伝わってきた。

「……!!!」

ドアが悲鳴を上げる。大勢の感染者のうなり声が、いっそうの重さが、そのまま体にのしかかってくるようだ。

だめだ、だめだ、泣くな私。この二人に、迷惑をこれ以上かけたらいけない。

ガリガリとひっかく音。恐怖に震えるのを隠そうとして、絵美は必死に呼吸を整える。唇がふるえ、手の先が冷たくなる。視線はじっと、窓の外屋根の向こうにある鐘に注がれている。

くそ、あんなものが。あんなものがあるから。

だがやがて、衝撃は一旦止まった。うなり声。板一枚を挟んだ死の囁きに、絵美は今度こそ恐怖で息が止まる。神様。神様。

「……ゲームのルールは一つよ。助けが来るのが先か、連中に食われるのが先か。ここまで来たんだから、どうよ、賭けてみない」かすかに息を乱しながら、日和良が言った。

背中の重圧に歯を食いしばりながら、ニヤリと不敵に笑ってみせる。

彼女は、まだあきらめていない。

「毒を食らわば、ですか。まったく」

橘も苦笑しながら、それにこたえる。

「どっちにしても、ここからみんなあっちに行くしかないんだから。いけるとこまで、ね」

学園中に鳴り響く鐘ーーーそれは、この二階部屋から屋根を挟んだ向こうにあった。鐘楼がそのまま屋根の一角と合体したような形となっているのだ。普段は下から梯子をかけて出入りされているのだが、梯子はどこにあるともしれない。

そのため、そこに行くには、三角屋根をわたっていく必要があった。距離は五メートルほど。

滑り落ちる危険を乗り越えたどりついても、そこには鐘以外何もない。

もしも感染者たちが来たら。考えただけでも怖気がはしる。

「いいでしょう。乗りますよ。せいぜいリターンに期待します」

「ありがとう。あとで好きなところにキスしてあげるわよ」

そりゃいい、と言って橘は日和良にポケットティッシュを投げてよこす。

「本気で鳴らすつもりなら、耳栓をしたほうがいいですよ。湿らせて、使ってください」

うなずきながら、日和良がティッシュを抜き取り、絵美と向き合った。

「絵美。いいわね」

「今さらだよ。私たちは、友達でしょ」

そう言って、できる限りいつものように笑う。そうすると、日和良も優しげな顔でうなずいてくれた。

「それじゃあ・・・・・・悪いけど、行くわよ。3、2、1・・・・・・ゴー!」

バットを手に、日和良が飛び出した。



日和良が窓から体を抜けださせた。屋根をわたって、鐘を鳴らすために。

だがその動きに呼応するように、背中の圧力が増す。一人分の重しが取れたのを知ったように、食人鬼たちはその勢いを増す。思わず一瞬息を止まる。隣にいる橘も、苦しそうな顔をする。

だが。絵美は息を吐ききり、もう一度背筋に前精力を込める。まだ、こんなところで終わってたまるか。

まだ、希望がある内は。

しかしそんな決意などお構いなしに、感染者たちは手を伸ばす。

部屋と階段を隔てる板をたたき割られる。

ドアの向こうから血の伝う、こわばって腕が伸ばされて、絵美は悲鳴を上げた。すぐとなり、先ほどまで日和良がいた場所を、その手がまさぐる。何かをつかもうと、宙を掻く。」

恐怖で体が震える。目頭が熱くなる。だめだ、私。泣くな。泣くな。


そのとき、頭に響く轟音がきこえてきた。

日和良が鐘を鳴らしたのだ。

鐘が鳴る。鳴る。鳴る。

乱暴に、粗雑に、普段より秩序立っていない、うるさいだけの音。

だがそれは、生きている人間が出している音だ。

届け。みんなに、届け。絵美は祈る。全身を岩にして、決して扉を動かさないようにしながら、

感染者も、動きを止めていた。何か戸惑っているように。

そうして何十回もならした後に、一瞬沈黙が部屋に満ちる。


これで、みんなは気づいたはずだ。鐘がなったのだから。

だが、そこからはどうだ?この状況、全体がどうなっているのかもろくにわからず、統制もとれていない状況で、なにができるというのだ。


絵美は思わず、その首を動かした。そうして板の割れ目、棚の間から覗く向こう側を、覗く。

「見るな!」橘が叫ぶ。

目があった。死者の目。何を見ているのか、見当もつかない。だが無造作に開かれたその口が、真っ赤に染まっていることだけは、はっきりしていた。そしてその牙が自分の方向を向いていることにも。

真美だった相手が、その顔面から突っ込んできた。扉はますます傷口を広げ、そこから凶暴な咢がつきだされる形となった。

「くそ、行け!さっさと、行け!」

橘に蹴りだされて、二階の屋根を絵美は転がる。痛みに顔をしかめるが、橘のその目を見て、絵美も覚悟を決めた。足を引きずりながら、窓から身を乗り出す。

「絵美!早く!」屋根の中腹には、すでに日和良がいた。こちらに迎えに来てくれたらしい。

「くそ、手遅れだ!」

橘が窓から飛び出してきた。すでに扉は開かれ、何体もが上ってきていた。

三人は屋根に一瞬立ち尽くす。

「やるだけ、やったわよね」いよいよ鐘楼に追いつめられる形となるわけだ。

「どうかな。連中と本気でやりあってから、それは言いましょう」

相手は、五人ほど。ただの相手なら、この二人でやりようもあるかもしれない。

だが痛みを知らず、噛まれたら終わり。そんな連中と組みあって無事に済む確率はーーー


「待って!あれ・・・・・・」

そのとき、雑木林の向こうから聞こえてきた音。

それは、車のクラクションの音だった。


学園と礼拝堂を隔てるような林のせいで、向こうは見えない。

だが、その木々の隙間から、藍色の何かが見えた。それは近づき、やがてその姿を現した。

理事長のワゴン車だった。

「まったく・・・・・・遅いのよ、バカ」日和良がつぶやく。窓から顔を出している少女の顔は、すぐにわかった。

学園のなかで、帽子を一日中かぶっているような奴は、一人しか知らない。

「おーい!」音を鳴らしながら、大森響が窓から顔を出した。

ゆらゆらと歩く感染者たちの間をすり抜け、礼拝堂の周りにまで来ていた。そうして鐘楼の下に、車体を横付けさせる。

「こっちだ。上に、飛び降りろ!」

ワゴンの上には、マットが何段も積み重ねられていた。現状を何かしら把握していたということだろうか。

それにしたって、無茶な話だといった。改めて高さをみて、絵美は目がくらみそうになる。

二階といっても、礼拝堂は天井が高くとられているから、その高さは校舎の四階にも相当する。落ちればただでは済まない。

「私を信じろ!その高さなら、何とか行ける!てか食われるよりましだろ!」

「ごもっとも、ホント、持つべき物は友達ね。橘さん、先にいける!?」

日和良が叫ぶと、橘は以外にもあっさり頷いた。

「ではお先に」素っ気なく答えると、屋根から飛び降りた。膝を曲げ、足をついたマットの上を半回転するようにして、衝撃を殺す。見事な着地だった。さすがというところだ。

「次は絵美」絵美は橘が真っ先に飛んだ意味を理解した。そういう意味か。彼女なら、何とか絵美も受け止めてくれるだろう。

「よし、いいぞ転校生!」

すでに窓に感染者が手をかけていた。やばい。

だが即座に日和良が、絵美と位置を変わった。

彼女は屋根の上に手を突きながら、そこを支点に相手を蹴りあげた。バランスを崩して、そのまま真美だった相手は、三階から地面にたたきつけられた。

後頭部からおち、首があらぬ方向に折れ曲がっている。さすがにそれ以上動く気配はないようだ。

絵美は我知らず、唾を飲み込んでいた。遺体の凄惨な状況だけでない。日和良の見たこともない、複雑な表情にだ。


「もう少し、建物の中につけてくれ。・・・・・・そう、そこ。よし、絵美さん、どうぞ!」

橘の声で、絵美の意識が戻る。絵美も必死に屋根を移動する。

「おい、急げ。来てるぞ」

下にも感染者たちが集まりだしていた。急がないと。


絵美は呼吸を一つ土手、飛び降りる。一瞬の浮遊感。それからの衝撃。車体が重さでぼこん、という音を立てる。だがマットのおかげで、衝撃自体はほとんどなかった。そうして転がるのを、橘が車体の横からキャッチしてくれた。全身が痛むが、動けないほどではない。

「よし、絵美!ナイス、よくやった。……がんばったな」

うん、とうなずいて絵美は顔を緩ませる。響が来てくれて、本当にうれしかったのだ。

そのまま邪魔にならないように、車の後部座席に滑り込む。

「あと一人、急げ!」

しかし窓のうえ、屋根の上では日和良がもう一度けりを放った瞬間、ついに相手に捕まれた。

指が靴にくい込む。振り払おうとするが、しかし相手はその靴を思いっきり引っ張ってきた。

「ひよちゃん!」

「こなくそおおお!」

掴まれたまま、日和良はそのままこちらに飛び降りてきた。

「バックしろ!」

橘の声が飛ぶ。タイヤがうねりを上げる。

そうして間一発で、日和良の体はマットに沈んだ。



危なかった。あとすこしずれていたら、間違いなく地面にそのままたたきつけられていただろう。

「ひよちゃん!」

「木中さんは、中に!小林さん、こっちだ、大丈夫だな」

橘に抱えられる様にして、日和が後部座席に入れられる。着地態勢をうまくとれなかったのか、左腕を抑えながら、苦痛に顔をゆがませていた。

「わざわざマットを用意しとくなんて・・・・・・響にしては気が利くじゃない」

だが飛び出た軽口はいつも通りだ。その様子に、絵美と響は少しだけほっとする。

「礼なら別の奴に言っとけよ。おまえの大嫌いな相手に」

日和良が顔をひきつらせる。となるとおそらくは……。それをミラー越しに満足げに見つめた響は、ギアを思いっきり入れた。

「そんじゃドライブだ。さっさと離れるぞ」

車がうねりをあげて、感染者たちの間をするすると抜けていく。


「よし、抜けたぜ。このまま、学園の外まで……」

しかし後部座席の窓から、突如手が差し込まれた。

「きゃあ!」

悲鳴が上がり、ハンドルが乱れる。一瞬で絵美には見当がついた。さっき一緒に落ちてきたやつだ。車体に張り付いたのか。

「しっかりつかまっていろよ!」響が叫ぶ。何をする気なのか、スピードを上げたのだ。

車はそれに従って、その勢いのまま壁面へとぶつかりそうになる。

しかし響のハンドルさばきは見事だった。壁にぶつかる直前に横づけにして、感染者の体を壁にぶつけた。そのまま車体がごとこすれさせて、死体を振り払うことに成功する。

「……やべ」

だがやがて車が止まってしまった。

どうやら、車の大事なところまで壊してしまったらしい。

「……なんとまあ」

みんな、一気に脱力していた。がっくりしていた。

「こりゃ、免停ですむかねえ」

「もともと免許ないんだから、心配しなくていいんじゃない」

そんな軽口をお互いにたたき、日和良と響は渇いた笑い声をたてた。

サイドミラーを絵美は見た。

感染者たちは、いつの間にかこちらを見つめていた。

再びのそりと、おっくうそうに近づいてくる。


「っつーことで、ここが終点だな。あとの帰り道は・・・・・・」

「徒歩ってことね!」

四人は一斉にドアを開けて、飛び出した。

死者たちが迫りくる中を。



しかし一瞬の風切り音。

瞬間、こちらを追いすがっていた感染者の一人は、糸が切れたマリオネットのようにぐにゃりと膝を曲げながら倒れ込んだ。

目の前で起きた出来事を脳が理解するより先に、車体に張り付き体の半分が削られた感染者が、突然這う動きを止めた。

どちらも共通点は、頭をどこかでみたような、矢が貫通していたところだった。

「おーい!無事かあ!」

声がしたほうを向いた。

そこには、クリスティーナ・稲葉や砂野一世をはじめとした、女生徒たちの集団があった。



「だいじょぶか?はよ、こっち来て」

角材をもったクリスが、こちらに手を伸ばす。

「みんな……助けに、きてくれたの?」

「うん。遅なって、ごめんな」クリスがこちらの体を起こしながら、目を伏せた。

「どうしたらええんか、わからんくて。鐘が鳴ったときはほんまにみんなパニクって・・・・・・」

「ううん、ありがとう。来てくれなかったら、私たちは……」

寮からではこちらで何が起こっているのかもほとんどわからなかっただろう。

それでもわざわざ来てくれたのだ。思わず、絵美はクリスの体にしがみつくよう抱きしめる。

「まあ、こっちは武器もようけ合ったしな。とくに」

実際、砂野の腕は神がかっていた。

腰から矢を引き抜き、つがえ、構え、弦が限界までのばされ、そして、放たれる。

ねらい違わず、まるでそこにあったかのように頭を打ち抜き、一人、二人と、倒れていく。

まるで機械のように、淀み亡く、途切れなく。

マフラーで隠れた口元からは、何も聞こえない。

だがアーチェリーの天才の面目躍如にふさわしい腕前だった。

「それに、みんなをまとめたのはうちとちゃうしな。お礼やったら……」

「ああ、小林さんに、橘さんに、木中さん。無事でよかったわ」

そういってようやく現れたのは、霧生読だった。

「こっちのメンバーをまとめてくれたんが、霧生さんやねん」

「状況が状況だから。仕方なく、よ」

霧生は肩をすくめる。その事実に、橘以外の三人は少し驚いていた。

彼女と面識はあるが、あまり話したことはない。それになにより、彼女が他人のために動くというのがイメージしづらかったのだ。

「どっちにしても、あなたたちが無事でなによりよ」

そういってほほえむ姿は、間違いなく美しい。彼女に、何か生気があふれているような気がした。

「なんにしても、お礼くらいは言わせて。ありがとう、本当に」日和良が、頭を下げた。

「でも」不意に橘が言った。「助けにきただけじゃ、ないんですね?」



「ええ、そうよ。私たち自身の手で、身の安全を守らなければならない。そういうことで、意見がまとまったのよ」

こちらの意図を見透かしたかのような瞳。

「そういうことや」

クリスはそれ以上のことを言おうとはしなかった。日和良と響は、戸惑ったように彼女たちの顔を見つめる。

彼女たちの言葉と、向こうで感染者たちを囲んでいる少女たちの姿をみて、彼女たちが何をしているのかを絵美は改めて理解した。


積極的な殺戮。


ついさきほど大人たちに否定されていた選択肢を、子供たちは選んだということになる。

「何か問題が?」

「いえ。そのほうが、選択としては正しい」

そう言って、橘は向こうを向いてしまった。そうだ、たぶんそのほうが正しい。

自分の身は自分で守る。それは当り前のことだ。

「本当に……」

思わず、絵美の口から何かがこぼれおちそうになる。

日和良も霧生も、いぶかしげにこちらをみつめる。

「あ、いや、どうも、本当に、ありがとう」

霧生はにっこりと微笑む。

「戦っているのは、彼女たちだから。お礼は、彼女たちに」

霧生は今なお礼拝堂から這い出た感染者に棒をふるっている少女たちのほうに視線を向ける。

何か言いようのない不安が胸の中に沸き上がるのを感じながら、同じように絵美はその光景を見つめる。


少女たちが殺戮に酔いしれ、真っ赤に染まっていく姿を。



いざ感染者の掃討には、十分もかからなかった。


いかに凶暴といっても、所詮はバラバラに襲ってくるだけ。

石を投げつけ、足元を角材ですくい、背中を押さえて鈍器で頭を打ちすえる。

霧生の的確な指示と、叫びながら感染者をうち据える少女達。統制のとれた動きの前に、食人鬼立ち放すすべもない。

所詮は多勢に無勢だったのだ。


だだ、心の奥底で声がするのも絵美は感じていた。

だが、これで良かったのだろうか。そんな問いが、今更のように絵美の胸の中に沸き上がる。容赦なく撃ち殺し、たたき殺し、そうして自分たちの身を守る。それは本来の生き物が持つべきルール。課せられた宿命。

あれは。この今の状況は。

彼女たちがふるっているのは、日和良が言っていた「勇気」なのだろうか。


感染者たちの手は虚空をつかむしかできず、口は泥の中に沈む。

亡者たちはそのままなすすべもなく崩れ落ちていった。


あっけない。あっけなさすぎるほどに、事態は収束に向かっているといってもよかった。

「そうだ、先生たちは?職員室の方は・・・・・・」

「副会長が行ったわ。浜形とか、生徒の方はすぐにでて大丈夫やったらしい。あとは、まあ・・・・・・これから」

クリスティーナがそこまで答えたところで、女生徒の一人の悲鳴が青空に響いた。



「おい、こいつまだ生きてるぞ!」

立木が、立ち上がろうとしていた。顔面に矢を突き立て、顔を陥没させて、目玉を飛び出させながら。

砂野が腰に差し込んでいた矢をつがえると、二呼吸おいてから矢を放った。額を打ち抜かれた立木は、今度こそいっさいの動きを止めて、前のめりに倒れ込んだ。


誰もなにもいわなかった。沈黙はそのまま一月の冷たく清浄な風の中に霧散していった。

それが当たり前のように。

けれども、先ほどまでの興奮はなかった。ただ、死すべきものが死んだだけ。誰もがその事実を、冷えた頭で享受していた。何の違和感もなく、なんの感慨もなく。

それに気づいて、絵美は身震いした。


そうして絵美は、振り返る。鈍色の空の下で、そこだけ鮮やかに飛び散った赤い色。


警備員の、臼井さん。亘さん。栗原さん。立木先生。佐志場先生。用務員の冨野さん。保険医の真実先生。学校ですれ違うことしかしてこなかった、女生徒達。友達になれたかもしれない彼女たち。

つい昨日まで、きっと、当り前のように過ごしていた人たち。


それを殺めた。その事実と目の前の光景がつながった瞬間に、一瞬胃の中から暑いものがせり上がってくる感覚を絵美は覚えた。だがいまそれをする事は許されない。秩序が失われたこの世界、狂気に染まったこの場所で、それだけが守るべきルールだった。

正気に戻ることは許されない。


だから絵美は、生きている人間を見つめる。彼女たちの在り方を。


青ざめた顔で俯いている日和良。そんな彼女をどこか値踏みしているようにみている霧生。車の前でヘたりこんでいる響。冷たい視線を死者たちに向けている橘。空を仰ぎ、何かを聞き取ろうとしているクリス。果断ない視線を動かなくなった使者たちに向ける砂野。それから手の中に鈍器と棒をもった、大勢の女生徒たち。


私たちに見えている景色は同じものだろうか。私たちがしてしまったことは、いったいなんだったのか。

それは、正しかったのだろうか。

死者と生者。先生たちと、生徒たち。私たちを分かったのは、いったい何だったのか。なにが、それを決めたのか。

一瞬の思考。ささやかな韜晦とうかい


混濁した思考は一月の冬空に見える晴れ間のように一瞬だけ絵美の中に浮かび上がり、消えていった。


「こちら、鳳凛学園の……」

放送が聞こえてきた。生きている、人間の声が。

まだ無事だった人がいたということだ。橘がほっと息をついたのを絵美は見た。

放送は、グラウンドに集まるように言っていた。無表情の声で、告げていた。

行きましょう。誰かが言った。みんななにも答えようとしなかった。ただ、何かを堪えるように唇をむすびながら、歩き出す。

そうだ。歩こう。みんな立ち上がり、面をあげて、歩きだした。

絵美はもう、なにも答えることも動き出すこともなくなった亡骸たちに一瞥をくれると、彼らと礼拝堂に背を向けて、グラウンドへと急いだ。




第三話 了

これでとりあえず一区切りというところです。

最初の波が、という意味で。ちょっとまあゾンビものとしては、珍しい感じの流れじゃないかなあと思いますが、お楽しみいただけたら幸いです。

ただこれも序盤の話なんで、またこれから先の流れを見て、また印象が変わるかもしれませんが。


いろいろと疑問や違和感は、次回以降に持ち越しで。同時進行でキャラが多いと、時系列をちょっといじらないと辛くて。


ので、次回「ハイキング・デッド」お楽しみに。

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