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Journals of the Dead  作者: 数奇者星
第一部 学園監獄編
11/33

第二話 攻撃的な死と再生(3)

広場での混乱から逃げ出した生徒たちは、そこから手近な建物に逃げ込んだ。

結果として彼らは、東校舎、西校舎、それから教務棟。およそ三つの建物に別れることとなった。

学園は元々平らな土地に建てられたのではない。それぞれの建物が高低差も含めて、やや離れて建てられた。校舎間の移動は一苦労だ。渡り廊下こそ作られているが、雨の日などは押し合いへしあい不快な思いをする生徒の跡がたたない。

それくらいこの学園というのは不便で融通が利かないということであり―――


つまり現状は、建物ごとに人々が分断しているのだ。


そこまで考えて、その中の一つ―――東校舎に逃げ込んだ哀川勇太郎は、大きく息を吸い込んだ。

一体、どうしたものか。何が起こっている。どうすりゃいいんだ。

幾つもの問いが雨の日のように心の水面を揺らし、消えていく。

だがそこから何かを考えようとすると、頭の中で何かもやがかかっているように、つかみどころがなくなって、答えに至るまでに消えてしまう。

自分は何かを忘れているんじゃないか。

そんな気がしながらも、それが何なのかわからない。自分の爪を噛みながら、必死に思考を巡らす。

「うるさい!静かにしろ!」

哀川は玄関口で騒ぎたてる少女たちにそう怒鳴り、思考を落ち着けようとする。


そうして静まり返る建物の中で、少女たちが自分に向ける視線にようやく気付いた。

そうだ。俺は、今この生徒たちの面倒を見なければいけないのだ。よりにもよって、まともな大人が俺一人しかいないのだから。


混乱が起きた時、哀川は出来るだけ人がいる方へと逃げ出していた。しかし考えなしに陥った人間たちのすること。現場から一番近いというだけで皆が此処へ駈け込んでいた。

思わず哀川は玄関口の向こうを見やる。一応防火壁は閉めてあるから玄関から侵入されることはないだろう。

柿谷は、教務棟の方へ警察の連絡のために走って行ってしまっていた。

そうして此処に居るのは、自分を除けば恐怖におびえているだけの子供ばかりだ。

皆息も荒く、眼には涙が浮かんでいる。嗚咽のような声もすでに聞こえている。

くそ、どうすべきなんだ。こういう時は。

教職者として自覚の欠けた大人。それが哀川勇太郎だった。




そんな哀川の内心の混乱などに構わず誰ともなく呟く。

「なんだったの、一体」

それは全員が思っている言葉で、誰も答えられない言葉だった。

「あれ、先生だったよね。先生が、襲ってきたんだよね」

「嘘、でも普通じゃなかった。あんなの……」

再び喧騒が戻ってくる。皆取り乱し、混乱している。泣きたいのはこっちだよ、ちくしょう。


警備の連中は、一体何をしているのか。混乱している脳味噌をかきむしりたい欲求に駆られながら、哀川は必死に深呼吸する。

だが哀川はそこで、誰も守衛たちに状況を伝えていないのではないか、という可能性に思い至った。錯乱し、襲いかかってくるあの状態の人間が、噛みついてくるということを。

そうだ、あの時みんな逃げ出した。それから、入れ違いになってやってきたんじゃないか、彼らは。

では、彼らはどうしたのか?立木を殴り倒し、拘束することが出来たのか?ただことではないあの状態で、あれだけの狂ったような相手を、殆ど昼寝しているだけのあの役立たずの中年どもに、取り押さえることが出来たのか。

いや、それよりもたかだか一人が暴れていただけなのに、なぜ誰も「もう安全だ」と呼びに来ないのか。


混乱する思考の中で、哀川は最悪の事態の想像が、自分の中で膨らんでくるのを感じた。

「と、とにかくお前たちはここにいるんだ。決して、玄関口を開けるなよ!いいな!」

そう言いつけられ呆気にとられている生徒を置いて、、哀川は急いで廊下をかけて行く。

そうして北側にあるそして渡り廊下に出た。あたりに人の気配はない。自分の足が震えているのを感じながら、哀川はそこから広場の様子が見える位置まで歩く。


廊下も中腹に至った場所。そこから見えた光景は果たして、想像を超えていた惨状を呈していた。


広場には果たして、血まみれの人体が幾つも重なり合っていた。だがそれはどちらも死んでいるというわけではない。

人が、人を食っている。腕の肉にかぶりつく立木。血液をだらしながら、だくだくと血液を吐き出す警備員。のしかかられてうなじを噛み破られながら、痙攣する男。

そんな地獄絵図でしか見たことのない凄惨な光景だった。

鬼。地獄にしかいない鬼の姿を、哀川の眼は確かに捉えていた。


そしてその鬼が、此方に顔を向けた。


「―――!!!」

声にならない声を吐き出しながら、彼は教務棟へ向かった。

まずは、安全を確保すべきだ。―――自分自身の。



渡り廊下から出て、そのまま走り去って行った哀川を、茫然と杉村明里すぎむらあかりは見ていた。

置いて行かれた。その事実を、一体何名の人間が自覚していたのかはわからない。だが少なくとも、明里は哀川が殆ど何の指示も出さず、この場を修めることもせずに逃げ出したことは、そういうことだとみていた。

卑怯な男。どなり散らしたい欲求が湧きあがりながらも、生来の生真面目さがそれを許さなかった。そんなことをしている場合ではないのだ、と。

「ドアを、ドアを閉めなさい!」

思わずそう近くに居た子に命令する。少女も慌てて指示に従い、ドアを施錠する。この寒さだ、窓は一応全部閉めてある。

周りを見れば、バスから降りてきた一年生が殆どだ。そのいずれもが体を縮こまらせて、その眼に恐怖を浮かべている。誰もが助けを求めるように、周りの人間と身を寄せ合っている。

杉村は息を大きく吸って、声を張り上げた。


「みんな落ち着いて!一旦、状況を整理しましょう。バスに乗っていた人は、何があったのかをはなしてちょうだい。いいわね!」


そうして何人かが訥々と話しだし、ようやく杉村以下学園にもともといた生徒たちも、その経緯を把握したのだった。

「その……おかしくなった食堂のおばさんたちに襲われて、立木先生、も?」

はい、と佐藤と名乗った生徒は頷いた。

「おかしいんです。その、腕をかまれたっていっても、血は止まっていたし、最初は大丈夫そうだったんです。なのに、段々すごく苦しそうになって……」

突然吐血しだして、もがきだしたのだという。それを必死に押さえようとした他の教師達を振り回すようにして、錯乱したのだという。

バスが蛇行し、門を押し退けて学内に入ってきたのもその時の騒動が原因だったらしい。

「それで、学園についたら脈拍が止まった?」

はい、と自信なさげに答える少女を見た後に、明里は他の面々の顔を見渡す。

皆同じようにどこか不安げではあるが、小さく頷きを返していた。

「信じられないかもしれませんけど、その、万美先生が言ってました、ホントに……」

「……なるほど」

大勢の人間が同時に見間違い、勘違いするというのは考えられない。ましてや万美は保険医だ。誤診で人が死んだなどというわけがない。

万美。死んだ、と彼女たちが言っているが、まだ明里には現実感がなかった。人が倒れたり血を出しているのこそ見えたものの、彼女の位置からは丁度斜めの車体が壁になっていて、あまりその惨状は見えなかった。

だがそのおかげで、まだ比較的自分は冷静なのかもしれない。

そんな風に考えを巡らせながらも、明里の頭はまだ答えを導き出せずにいた。

即ち、現状は一体何なのか、という問いに対しての答えだ。


「あの!」

何人か廊下の隅で固まっていた少女たちが、ひそひそ話を止めて手を挙げた。皆の注意が集まり、少女は居心地が悪そうに声のトーンを下げて話した。

「あの……あれって、ニュースでやってた―――」

それは、明瞭に意識の中で結び付く、現状を説明する言葉の一つだった。

「突然、人が、人を襲うようになる、例の病気……じゃないかって」



「あれが、例の病気だっていうの!?」

理事長は髪をかきむしりながら、柿谷にそう詰め寄っていた。

女のヒステリーは手に負えない。年をとればとるほどに。哀川はそんな新しい事実を胸に刻みながら、必死に心臓の鼓動を落ち着けていた。

渡り廊下を全力疾走で走り、教務棟へと駆けこんだ哀川は、事態の説明を求める教職員達に囲まれながら、職員室の扉を開けた。

しかし心休まる暇はなかった。中では先ほどまで生徒たちが上げていた悲鳴と同じトーンで理事長が柿谷相手にわめきちらしていた。

「そうとしか説明できないんじゃないでしょうか」

職員室に集まった教師たちは騒然としている。柿谷と哀川以外の教師にしてみれば、まさに突然の出来事なのだから当然だろう。

そうだ。感染病。突発性の、錯乱を引き起こすという例のあれ。

なぜそれに思い至らなかったのか。哀川は神経質そうに頭をかきながら、そう思った。

「哀川先生。ご無事でしたか」教頭が隙を見て、そう言った。注目が自分に集まる。

「ちょうどよかったわ。あなたも、立木先生の錯乱を見たんでしょう。」

「か、彼の言うとおりだと思います。私も、今、そう思いました。あれは、その……普通じゃない」

「しかし、感染は完全に封じ込めたと政府が」

出たよ、「テレビが新聞が」間抜けめ。目の前で何が起こっているのか、見えなかったのかよ。

「人間があんな風に人を襲うなんて、それ以外に考えられませんよ」

「どちらにせよ、彼らには話が通じるような知性はないみたいですしね」なんでも警備員が声をかけていたことを、教頭が小声で解説してくれた。

「ほかに何か情報は?」

「腕力が普通じゃありませんよ。さっきも見たでしょう。警備の人が二人が仮でも取り押さえられなかった。あの病気は……感染者は、危険です」

「どうすべき、だと?」柿谷のその声音から何かを感じ取ったらしい理事長が、問い直す。

「我々全員で、打って出るべきではないでしょうか」

職員室に居る人間が息をのんだ。つまり、感染者に対して武力行使で何とかしようということだ。

だが実際、警察が来るまで、一時間はかかるのだ。それまで全員で隠れるというのは、果たして可能だろうか。

「そんな……自分たちで……」教頭は絶句している。他の教師もだ。

「相手は人を殺しているんです。自分たちの身を守るために、これは正常な権利ですよ」

柿谷は理事長に詰め寄る。あれだけ異常な事態を目の当たりにしてきたのだ。当然といえば当然だ。

「理事長!!!」


だが、正しいことが常に為されるとは限らない。


「彼らは、その、例の病気の、患者なのよね」

理事長が、誰ともなく呟く。

「でも、それなら……彼らは、その、病人、だということですね」

ああ。そうだ。自分たちは、こういう風にしかできない

哀川は俯いて泥で汚れた自分のつま先を見つめていた。



「感染病って……感染病って、何よ」

「いえ、なにかよくわからないけど、なにかそういうのがひっそりはやってるとかで……やばい、みたいな」

「まさか。ありえない。あんなやばい病気が有るんなら、ぜったいもうニュースになってるはずでしょ。あんなの、テレビとか新聞でも聞いたことないわよ」

「本当に、どうにもならないから、伏せられていたんじゃない?」

感染病。そのキーワードをもとに、にわかに話声が上がり始めた。少女たちの間でもその意見は物議をかもしたが、それに対してはっきりと肯定できる人間も否定できる人間もいなかった。

「とにかく、落ち着きましょう。答えを教えてくれる人がいない問題は、今は置いておいて。必要なのは、今どうすべきか、ということだけじゃないですか」

実際、杉村の記憶の限りでも、去年の暮れぐらいから何度か感染病の話はテレビで出ていた。

だが最近は特に何も聞かなかったりしたはずだと思う。杉村が学園にくる前に見たテレビでは芸能人の不倫だとかお泊りデート、それからDV事件や火事のニュースなどしか記憶にない。


「でも、もしも感染が本当だったら……」


最悪、の声音を以て巡らされようとした帰結は、悲鳴にかき消された。

ガラスが割れる鈍い音。続いて、それに驚いた声が上がる。

いや、違う。廊下のガラスのうちの一つが割られて、中に何かが入り込んでいた。

再び悲鳴が上がり、少女たちが右往左往する。体をぶつけられるその中で、明里はその正体をしっかりと見た。

立木だ。いや、あるいは立木だったものだ。


右腕からの傷以外には、外傷らしい外傷は見あたらない。いや、左ひじから先が、力なく揺れている。折れているのかもしれない。あとは胸元に吐来だしたらしい血痕の後が見える。

そうして何よりも特徴的な、生き物としての気配を感じさせない眼。それがはっきりと玄関にたむろっている女生徒たちを向いていた。


突如校舎の中に侵入してきたその感染者を前にして、生徒たちは浮足立っていた。

誰だよ、校舎の中に居れば安全だなんて思ったやつは。錯乱している当人から眼を放したまま、周囲に警戒もしようとしなかった奴は。

「上よ!上!二階に上がって、防火壁を閉じるのよ!」

明里があげた声に従って、人の流れが階段の方へ向かいだす。自分もその流れに乗ろうとしたが、明里は足を止めてしまった。廊下を此方へ向かってくる立木の前に、少女が一人はいつくばっているのが見えたからだ。


「手を貸してあげて!」

杉村の声とは裏腹に、皆目を逸らして階段の方へ向かっていた。

くそ。杉村は駆け寄る。

「早く!あなたも、急いで!がんばって!」

ふるえる女性との肩をつかみながら、必死に立ち上がらせようとする。

だめだ、重い。目に涙を浮かべた少女はひしりとこちらの腕をつかんで、離さない。

急がないと。視線を後ろにやる。

よろよろと普段の半歩程度の歩幅で、ゆっくりと歩いてきた立木だが、その速度が上がってきた。のろのろと歩く二人に、狙いを定めたかのように。

その血まみれの顔を見てへたり込みそうになる足を必死に動かしながら、明里は必死に階段を目指す。

すでに一階には自分たちだけだ。少女の爪が痛いくらいに腕に突き刺さるのを感じながら、明里は声を挙げる。

「誰か!誰……」

杉村が仰ぎ見た階段の踊り場の直ぐ眼の前に、巨大な影が飛んだ。

浜形路子。階段を飛び降りて来た彼女は、小柄な少女を軽々と抱え上げた。

浜形は杉村をみてコクリと頷き、お姫様だっこしたまま階段を駆け上がった。

そうして二人は二階へと逃げ込み、閉じられかけていた防火壁の向こうへたどり着くことができた。

「閉めますよ!」

鉄製のドアが閉じられ、階段が完全に見えなくなった。

静まり返った廊下で、皆が耳を澄ます。階段を上る足音に誰もが息を殺していた。

高まる緊張感。上ってくるのか。いや、鉄の壁を破ることはさすがにできないだろう。だが、いや、どうなるのか。


「こちら鳳凛学園理事長です。非常放送をお伝えします。皆さん、落ち着いて聞いてください」


しかしその時、不意に教室に備えられているスピーカーから声が流れ出した。



「現在、学校にて非常事態が起きました。現在、錯乱した立木先生ほかが、学内を徘徊しています。学生のみなさんは建物の中に入り、けして外には出ないように!繰り返します」

理事長ほか職員のほとんどは、したり顔で頷いている。


「とにかく、みなさん落ち着いて。けして今いる安全な場所を動かないでください。彼らは錯乱しているだけです。消して手を出さないでください!決して、手を出さないように」


錯乱。ただそれだけで片づけられれば、どんなにいいか。

だがそれ以前に、血まみれの職員二人を見ている身の上としては、それが希望的観測でしかないことは容易にわかることだった。あれは、そんなもので片づけられるような状態ではない。


「まずいですよね」

柿谷が呟いた。だが、哀川はその顔をまともに見れなかった。

彼に同意することで陥る状況、責任、行動に何一つとして賛同する勇気がなかったからだ。

その様子にしびれを切らしたのか、柿谷は放送を終えた理事長に、再び詰め寄った。

「このまま本当に待っているだけでいいんですか?せめて生徒たちだけでも、」

「いけません。もしも錯乱している先生方を傷つけたら、どうするんですか」

「理事長!しかし、すでにここから見える限りでも六人はやられてるんですよ」

「だめよ!決して、だめ。彼らは、病気なのよ」

「病気ですって!理事長も、みたでしょう。首を半分なくしたまま……。そんな相手なんですよ!」

教師の必死の訴えに、しかし頑として理事長は首を縦には振らない。

「どっちにせよ、彼らに対し手出しは許しません。病院と警察には、先ほど連絡しました。大丈夫です。このまま、待ちましょう」


「しかし……このままじゃあ、生徒たちも危険かもしれません」

「え、ええ。そうです。東校舎の方では、まだまだ大勢の生徒が助けを待って……」

「なんですって?そういえば、貴方さっき東校舎にいたって言っていましたね」

まずい。哀川はしどろもどろになりながら取り繕うとしたが、どだい無理な話だった。

「……東校舎の方へ、行ってきます」

柿谷がそう言って立ち上がろうとする。ぎろりと此方を睨みつけながら。くそ、なんで俺ばっかりこんな目に。

「それは、まずいかもしれません……」

しかし、職員室から出ようとしたところで、廊下の窓の外から広場を見ていた一人―――菜丹丘がそう呟いた。

「……どういう意味です」柿谷が立ち止まり尋ねた。

「……建物から、出ない方がいいってことですよ」

教員たちは窓に駆け寄り、その言葉の意味を知った。



放送を聴いた東校舎の二階にいる生徒達は、ため息を漏らした。放送では少なくとも、具体的な解決策が何一つとして提示されていないのに気づいていたからだ。

決して手を出さずに、穴熊を決め込め。

それはつまり、自分たちは何もしないということを暗に示していることに他ならない。

だが、現状建物の中も完全に安全とは言えない。それを思い出した明里は、真っ先にもうひとつある階段を塞がないといけないことを思い出した。

「それなら、もうしめてきました。三階の階段と、奥の方の一階の階段の防火壁が閉まっているんで、入りこまれることはないと思います」

橘夕たちばなゆうだった。彼女も、東校舎にいたらしい。

彼女は杉村が指示を飛ばす前に、すでに二つある階段の防火壁をそれぞれ閉じてくれたのだという。

「一階まで下りたの?そんな、危険なこと……」

「開けたままにする方が危険です」

そう言い返されて、それ以上の答えを思いつかなかった杉村は言葉を失った。

「明里!」

廊下の奥から、聞きなれた声が飛んできた。


「聡子。どうしたの?」鳴海聡子なるみさとこ。理科室にいたわけか。

「……ちょっと来てほしいのさ。あー、みんなは二階に残って、奴らが来ないか見張ってて」

そう言って、まだ使える方の三階への階段へ向かう。明里は自分以外に何人かをひきつれて、三階に上った。その中に橘もいたのだが、彼女は三階へ上ると理科室とは反対の方向へ行こうとした。

「どこに行くつもり?」

「家庭科室に」

一体何を、という問いかけを察して橘は答えた。

「料理でもしてきます」

橘はそう言って走って行ってしまった。明里はぽかんとしたまま、「廊下を走るな」という注意をすべきかぼんやりと考えてそれを見ていた。


理科室は、三階の一番奥にあった。校舎の突き当りであり、その窓からは、明里にはよく見えなかったバスの向こう側―――つまり、立木の凶行の現場が、はっきりと見て取れた。

「悲鳴が上がって、何があったのかは一通り見てたんだが。……今、大分まずいことになっているかもしれない」

聡子が眼鏡を押さえながら、呻いた。

明里も促されるままに、恐る恐る窓からその現場を見下ろした。


上から見ると、はっきりと分った。広場に止められたバス。その回りに重なっている遺体。

血だらけの体。千切れた足。ねじ切られた手首。もぎとれそうな首。


窓の外の光景を見せられて、明里が目を逸らすのも、無理はなかった。

「聡子……」こんなものを見せて、何が言いたいのか。

「いいから。よく見て」

眼鏡の向こうからの鋭い視線に押されて、再び明里は窓の外に視線を落とす。


「嘘でしょ……」

「そんな……」

一緒に上ってきていた少女たちが、唖然としていた。

それは、信じたくない光景だった。


錯乱した立木達に、喰い殺された警備員たち―――彼らが、ゆっくりと、その体を起こしていったのだから。


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