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Journals of the Dead  作者: 数奇者星
第一部 学園監獄編
10/33

第二話 攻撃的な死と再生(2)

登場人物が突然増えてすいません。教師陣についてですが、お気づきの方とは思いますが名前が全員五十音順のaiで母音を統一しています。下記にも特徴を参照しておくので、参考になればと思います。あと全員男です。


哀川 卑屈。観察者。

柿谷 空手。さわやか。

立木 ごつい体育教師。

佐志場 無口。ひょろい。


上坂 新任教師。たよりない

下野 科学教師。やや短気。

信じられない光景を目の当たりにして、やや離れたバスの車内でも悲鳴は挙がっていた。

「嘘!ウソでしょ!」「何なの一体!」

ヒステリックな金切り声が四方から聞こえる中、根元碧ねもとみどりはもみ合いになっている二人に向ける視線を逸らさない。

遠目からみてもはっきりと、押し倒され血を吹き出している下野の姿を捉えられていた。

「噛みついてる」

理解不能、の響きを持って誰ともなく唱えられたその言葉は、車内を一層の恐慌に駆り立てた。

上坂が必死に背中からオバさん―――隅野という名だと、車内の誰かが言った―――を引き剥がそうとする。だが隅野は尋常ではない勢いを以て下野に絡みつき、鮮血を顔に浴びながらも離れない。駆け寄った佐志場の力も借りて、ようやく下野の体が自由になった。

しかし隅野は暴れるのをやめない。はがいじめにされたまま必死に体をよじり、口を開けて血をまき散らせる。上坂も佐志場も何か話しかけるようにしていたが、とうとう佐志場が力負けして振りほどかれた。

信じられない。仮にも男二人につかまって、まだあれだけ動けるのか。

惨劇は続く。今度は地べたに尻もちついていた佐志場に向かって隅野は飛びかかっていた。

慌てて後ずさるが、一歩遅かった。立ち上がりざまに足首をつかまれ、そのまま佐志場は背中から地べたに打ち付けられていた。その太ももに隅野はまきつきながら、噛みつく。

佐志場が苦悶の声を挙げる。上坂は顔を青ざめさせながら、声を荒げる。他の教師は何をしているのか。その視線を辿れば、大破した車の横に皆がいた。しかしその内の一人、立木の顔もまた苦痛に歪んでいるを見て、碧は息をのんだ。

彼もまた、噛まれていた。



くそったれ。哀川は今日何度目かという悪態をつきながら、必死になって頭を働かせている。

これは夢か。だが、それにしてはリアルすぎるし、痛すぎる。

そう思うのも無理からぬことだ。ついさっきまで物言わぬ死体だったはずの横江が、立木の腕に噛みついているのだから。これをどう理解しろというのか。

だが少なくとも、立木が自分の腕をつかんでいる以上は、立木が自由にならないと自分はここから逃げ出すこともできないのは確かだった。だが、腕にかみついている横江はというと、すっぽんのように立木の腕に歯を突き刺したままだ。引き剥がせない。

「えええい!」

とうとう柿谷がしびれを切らして、横江の頭めがけて拳を放った。顔面を打ちすえるが、しかしそれでも離そうとしない。

一体何が彼女をここまで暴力に駆り立てているのか、分からない。だが、彼女が正気でないのは確かだった。痛みをまるで感じていないかのようにとろんとした目つきのまま、柿谷の拳を受けている。

三度、四度と繰り返し拳をぶつけてて、ようやく立木の腕から口が離れた。

「うがあああああ!」

立木が唸り声をあげながら、上腕部を抑える。かまれた場所はシャツが裂け、生々しい傷痕が風にさらされていた。「ちくしょう、くそ!」立木の太い腕でなければ、噛み千切られていたのではと思わせるような深い傷だった。


その傷を作った張本人は、あーあー、と言葉にならない声を挙げながら、必死に此方をつかもうとしてくる。だがシートベルトに固定されているため、車の外にいる自分たちまで届かない。

その様を立木は呻きながら、憎悪を込めて睨みつける。


「柿谷先生!助けてください!」


そこでようやく哀川の耳は、助けを求める声を捉えた。

叫び声の元は、上坂だった。どうやらあっちもまだ襲われているらしい。

「い、今はとにかくここを離れましょう。立木先生は、先にバスで手当てを」

柿谷にそう言われて、哀川と立木は頷く。だが、あっちはどうする。視線でそう問いかけると、柿谷は大きく息を吸った。

「……僕がひきつけますから、その隙に佐志場さんをバスにつれてってください」

そう言って柿谷は走りだし、肩からぶつかって隅野を弾き飛ばした。

組み合うよりは、あっちの方が早い。哀川は慌てて佐志場に駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

「か、肩を貸してください。なんとか、大丈夫です」

足をかまれているが、佐志場の意識ははっきりしていた。

「こ、上坂先生達も、急いでバスに!」

上坂にそう声をかけると、あちらも慌てて下野に肩を貸して、立ち上がらせる。下野はひゅーひゅーと、死の気配を感じさせる声を挙げている。相当まずいかもしれない。

哀川もまた佐志場に肩を貸して、バスに向かって急いで歩きだした。くそ、重い。

「急ぎましょう」

柿谷が反対側からも肩を貸してくれた。背後を見ると、押し倒されたらしい隅野が立ち上がろうとしているところだった。だが、この距離なら何とか逃げ切れる。

そうしてほうほうのていで、三人はようやくバスに乗り込んだ。

錯乱したばあさんどもとは、十分な距離があった。

もう一つのバスに、二人の教師が乗り込んだのを見ながら、哀川は心の中で呟く。

とにかく、もうこれで安全だ。安全なはずだ。

痛みに呻く立木と佐志場を横目に、哀川はひそかにため息をついたのだった。



「早く、早く出して!」

おびただしい血液を流しながら、下野が上坂に抱えられて乗り込んできた。

座席二つ分を使って寝かせるようにしながら、上坂は必死に叫び声を上げる。

「いったい、何があったの!?」

「俺が知るわけないでしょう!向こうに聞いてください!」

早瀬の問いに、悲鳴のように上坂は答えた。林の方からは、上坂と下野を追いかけるように隅野はこちらに歩いてくる。死んだような無表情を張り付けたまま。

事故車の窓からは、もう一人も、這い出てきていた。

「くそ、血が止まらない……病院、早く救急車を」

備え付けてあった毛布で傷口を押さえつけ、上坂は下野の血を必死に止めようとする。瞬く間に毛布は真っ赤に染まっていく。

「は、早く出さないと!あいつらがくる!」上坂は叫び声をあげる。

前の車が真っ直ぐ走り出した。

運転手も慌ててバスを走らせ始めた。

しかし、上坂はまた声を挙げる。

「まて!学園へいっても、この傷は深すぎる!ちゃんとした設備がないと」

「これだけの傷じゃあ、病院へ行っても間に合いません。早く、学園へ!」早瀬が反論する。彼女の修道服も真っ赤に染まっていた。

「下野先生を見捨てるんですか!」

「血が、血が止まらない!」

先ほどまでの明るい喧噪が嘘のように、車内は混乱で満たされていた。

早瀬と上坂が叫び声を上げるなかで、皆も動揺している。

そんな収拾のつかない空気を、一人の声が切り裂いた。

「先生!聞いてください!」

車の後方からの声。学生の一人から発せられた声によってだ。

「落ち着いてください。事情はわかりませんが、ここが危険なのは確かです。はやく、移動しましょう」

ややウェーブがかかった髪に、堀の深い顔立ち。彼女は、確か。

「しかし、どちらに」

助けを求めるような声で上坂は、そう問いかける。

「今のところ下野先生が一番重症に見えます。私たちは急いできた道を引き返して、病院へ向かいましょう!」

「しかし、それでも間に合うかどうかは」

「ですから、前のバスには学園に言って救急車を呼んでもらうんです。道すがらで救急車に出会えれば、助かる確率が上がるはずです」

上坂と早瀬は一瞬彼女を驚いたような顔で見つめたが、直ぐに運転手の方へ向き直る。

二人とも、認めていた。それは確かに最悪に思える現状においての、最前に思える一手だと。

「運転手さん、前のバスに伝えてください」

「前にも、怪我人がいましたが……」

「こっちは死にかけてるんです。早く!」

実際そうだろう。血を流していたのは佐志場と立木だったが、二人とも自力で歩いていた。

喉元から出血している下野はおそらく瀕死の重体だろう。


「わかりました!向こうも、従ってくれるみたいです。急ぎますよ」

それからバスは再び唸り声をあげて、動き出す。大きくUターンして、これまで来た道を。

「また来てるわ!」悲鳴が再び上がる。碧が再びバスの外を見たときには、すでにその異形がはっきりと見て取れる近さにまで来ていた。体は傾き、全身から血を流している。身体を傾けたまま此方に歩き、

血みどろの顔で歩いてくるその姿を見て、根元は改めて口元を修めた。

幸いにも隅野ともう一人は、通り過ぎていくバスに追いすがる様な事はせずに、ただただ意思の見えない瞳で此方を見つめるだけだった。

ここにきてようやく、錯乱し襲い来る二人から逃げ出すことに成功したのだった。


「助かった……」

上坂が地面にへたり込みながら、そうつぶやく。皆が同じ思いだった。

車内に、弛緩した空気が流れる。


だが揺れるバスの車内の中を、先ほど声を挙げた少女が颯爽と歩いていく。

「みんな。もう大丈夫。落ち着いたら、するべきことを考えて頂戴。―――誰か、救急箱を持っている人は?」

腕まくりしながら、少女は声を張り上げる。その姿を見て、声を聞いて、少女たちは背筋が伸びる想いをしていた。少なくとも碧には、そう見えた。

彼女は、赤塚英子。鳳凛の生徒会長だった。



杉村明里にとっては、その日は少しばかり浮き足立っている自分を自覚していた。

校内は学生がいないため、閑散としている。風は相変わらず冷たく、天気も鈍色だ。

だが彼女は鼻歌交じりに花壇まで歩いていた。

「いた。松浪さん。おはよう」

「ああ、杉ちゃん。お散歩?」

花壇には果たしていつものように、松浪曜子が座っていた。

「ええと、まあね」本当な彼女と話したいことがあったからだが、思わず明里はそう答えていた。

「あ、何か私に用事?食堂まで行く?」

「食堂はね、今はちょっと……」

そう言って苦笑する明里に、松浪は怪訝な顔を見せる。

「ああ、ええと、それよりも転校生のことは、もう知ってるわよね」

「あ、うん。杉ちゃんが昨日案内してあげてた子でしょ。知ってる」

やはり狭い世界の話だ。変わった出来事があれば、すぐに学園中に伝わっている。それが面白くもあり、息苦しくもある。

 杉村は自分が昨日から感じた橘夕についての印象を踏まえたうえで、何かあったら力になってあげてほしい旨を松浪に伝えた。

「ふふ、わかったよ・ほんと、世話やきだよね杉ちゃんは」

「あら、ほとんど荒れ果ててた花壇を、わざわざ一人で面倒を見てあげている人に言われたくはないわよ」

お互いにそう言って笑いあう。

同じクラスで模範的な優等生同士、二人はウマがあった。

しかしその親密さには幾ばくか、秘密という要素が含まれているのは、当人だけが知っている秘密だ。


「そういえばさ、杉ちゃんどうするの。柿谷先生とは」

突然その秘密について切り出されて、杉村の胸はドキリとした。

「どうって……そりゃ、まあ、仲良くはするけれど」髪をいじりながら、そんな答えを絞り出す。

「ふうん……でも、本当にそれだけ?」

「……意地悪は言わないでよ」

顔を背けながらそうした態度に松波は破顔する。

普段おっとりしている彼女だが、困ったことにこと恋愛の話になると俄然鼻息を荒くしてくる。最初に彼女が柿谷に向ける熱い視線に気づいたのも、彼女だった。そのおかげで、明里は内心を打ち明ける相手ができたのだから、文句は言えないが。

「ていうか、告白とか……そういうのは、まだ全然考えてないから」

「ええ、駄目だよー。柿谷先生人気あるんだし、他の人も」

「でも、迷惑になったら……」

もじもじしながら、明里は呟く。

「いいじゃない。学園生活を、このまま何もなく済ませるの?」

「……釣り合わないって、やっぱりさ」

「ふふ、私はいいと思うけどなあ」

何か自愛の目で明里を見つめてきていた。

「杉ちゃんてさ。しっかりしているようだけど、頑張りすぎちゃうところあるじゃない。だから、ああいう風に包容力のある男の人の方が、杉ちゃんには合っていると思うよ」

「そ、そうかな」

彼女の言うとおりだった。実際柿谷のしっかりしているところに惹かれているのだと、自覚はあった。しかしだからと言って、恋仲になるとかそういったことになると、やはりついつい躊躇ってしまうのも確かだった。

「あー、もう、やっぱり、松浪さんには敵わないわね」

明里が逃げ出したのを、松浪は笑いながら見送る。

「気が変わったら、教えてねー。約束だよー」

笑いながら耳を押さえて、その場を後にする。

何とも煮え切らない態度の明里を、曜子はなんだかんだ言ってけしかけようとする。そのおかげでクリスマスにはちょっといい思いもしたのだがしかし、なかなか「生徒と教師」からは踏み出すことができない。

正直なことを言えば、松浪の元にもそのことを相談しようと思ったのだが、いざとなると羞恥心が勝って何も言えなかった。こればかりは、彼女を信用していないわけではなく、自分自身の中でどうにもならない問題だった。

「あーあ、ホントに……」

嫌になる、とまでは明里は言わなかった。恥ずかしいし胸が苦しいのは本当だが、しかしうれしいのも本当だからだった。胸の高鳴りを改めて意識した明里の足は、自然と校門の方へ向いた。

時刻をみると、もう十一時を回っている。本当ならば、すでに来ているはずだが、何かトラブルがあったのだろうか。


と、そこで門の向こうから此方にバスが向かって来ているのが見えた。

柿谷は乗っているだろうか。思わず、顔がほころびそうになる。しかし、明里は違和感を覚えた。

早すぎるのではないか。バスは一向に止まる気配を見せない。しかも一台だけだ。

轟音ともとれる音を立てながら、バスは校門へ向かってくる。


普段はおっとりと立ち上がり、守衛も門を開く守衛も、その勢いを見て顔色が変わっている。


「離れろ!」

建物内にいた守衛の一人が叫んでいた。あわてて左右の守衛が飛びのいた門に、バスは容赦なくつっこんできた。

そうして鉄製の門と、衝突する。

バスが開きかけた門を押しのけるようにして、学園内へと突入してきた。

門がひしゃげ、車内からも悲鳴が聞こえた。

バスが衝撃をこらえるように蛇行して走っていく。


バスに何があった、いや、何が起こっている。


ただならぬ気配を感じながら、杉村はバスを追って広場へと急いだ。


あああああ。もはや形を成さない叫びが哀川の内心でうごめく中で、手足を振り回しているしている立木の体を、哀川は必死に押さえつけていた。

どうしてこうなった。つい先ほどまでぴんぴんして、さんざん隅野達への悪罵を衝いていたかと思えば、突然立木は黙り込んだ。そうしてそのまま突然吐血し、バスの座席で暴れ出したのだ。

青筋を立てながら体を振り回し、そのまま運転席にまで突然つっこんでいった。

錯乱しているような状態の立木に、車内の全員の顔が青ざめていた。

「早く、中に入れてください!早く!」

柿谷の指示の通りに、バスは門を跳ね飛ばして、保健室に出来る限り近づいた、中央広場で止められた。

無茶な運転だった。しかし、今は一刻も早く立木をこのバスから降ろさなければならない。

哀川と柿谷は二人で慌てて立木の両肩をつかんで、タラップを降りた。騒ぎを聞きつけた人間たちが、バスの周囲に集まりだしていた。

「どうしたんですか、その傷は!」

理事長もやってきていた。だが、今は婆さんの相手をしている場合じゃない。

「先生!万美先生!」

白衣をひるがえしながら、保険医も駆け付けてくれていた。

「怪我をしているんです、立木先生が、早く!」

すでに、先ほどのように暴れまわる気配はない。立木の紺色のスーツは、真っ赤に染まっている。青ざめた顔でだらりと口を半開きにしたまま、ふらふらと歩いている。

それをみて万美もキッと口を結んだ。

「一体、何があったの!?」

「わ、わかりません!突然、山中で人がかみついてきて……」

「人が、何?何があったの?」

柿谷はパニックになりながらも、万美に事情を説明しようとする

「わかりません!その、食堂のおばさんたちが、急におそってきて、噛まれたら、こんな風に」

「噛まれたら?この腕の傷は、人間に噛まれたせいだって?」

柿谷の動揺したらしく、万美は顔を見ていく。

「とにかく、病院と警察に連絡を……早く、急いで!」

理事長が指示を飛ばすと、何人かが職員室へと走って行った。

「傷は……ここだけ?ここだけなの?」

「はい。それだけです」

困惑する万美。やはりこれは普通ではない事態なのだ。おびえたような表情の哀川が言葉を探しているうちに、立木は突然がくりと倒れこみそうになる。

暴れなくなって、力を抜いていた柿谷と哀川は、立木が地面に無造作に倒れ込むのを止めれなかった。

息をのむような音とともに連れ添っていた学生たちは後ずさる。

「立木先生?先生!」

声をかけながら、哀川が痙攣するその体に触れる。

だがそれすらも勢いをなくし、とうとう立木は完全に動きを止めた。


皆が息をのむ中で、万美が駆け寄り脈を見た。

「死んでる……」

唖然とした表情で首を巡らせる。まるでどれかひとつにその答えが書いてあるように。しかし周囲の人間たちの顔に浮かんでいたのは恐怖だけだ。理解不能の出来事に対する、恐怖。それは自分が浮かべているものとそのまま同じものだった。

「死んだって……でも、さっきまで」

信じられない。殴り合ったわけでも、頭をぶつけたわけでもない。

腕をかまれただけだ。頭のおかしい年寄りどもに。

それがいったいどうすれば、死ぬことにつながるというのか。

呻く教師人を前に、保険医は首を振った。

「脈がもうないのよ……とにかく、一旦保健室まで佐志場先生を連れて行きましょう。それから、ほかに怪我をしている人は?その血は?」努めて冷静な面持ちで、指示を出していく。

その場にいた生徒に声をかけて、動揺を治めていく。

「とにかく、落ち着いて。大丈夫だから。私たちは……」


そこから彼女がどんな力強い言葉を言って皆を冷静にさせて、安心させてくれようとしたのか、誰も知らない。

周りの人間がみたのは、ただ次の瞬間脈がないはずの人間の腕が伸びて、彼女ののど首をつかんだ光景だった。



杉村がバスを追って広場に近づいた時、悲鳴が聞こえてきた。

「なにがあったの!?」

「わからない、いきなり、暴れ出して・・・・・・死んだはずなのに!」

半狂乱になった状態で少女が言い放ち、そのまま杉村の腕を振り切って逃げて行った。


「みんな、建物のなかに!早く、扉を閉めなさい、早く!」

警備員さんがうろたえている少女たちをせき立てる。その熱気に押されて、少女たちは悲鳴を上げながら近くの建物へと入ろうとする。


守衛がようやく追いついてきた。


暴れる男を取り押さえる。そうした訓練を受けてきた警備員たちだ。

だが、警備員も戸惑いを隠せない。相手は見知らぬ侵入者ではない。見知った相手だからだ。


そうした戸惑いを衝くようにして、立木だったものは警備員に飛びかかった。


「副会長も!早く!」

誰かに掴まれる様にして、杉村は西校舎へとかけて行った。



松波曜子は、轟音を聞いた。

校門の方だ。何の音だろう。杉村が向かっていったことに、何かいやな予感を感じた曜子は、土を払いながら、校門が見える広場の方へ歩いていった。


そうして彼女は見た。惨劇が起こるのを。

悲鳴と怒号の中で、曜子は動けなかった。なにが起こってたのか?


突然、立木先生が万美先生に襲いかかったのが発端だった。そして首筋が噛み千切られるまでは、あっと言う間だった。万美は首筋からおびただしい血液を噴水のように飛び散らせながら、何かを言うように口をパクパクとさせたあと、首筋を押えながら地面に倒れ込んだ。

それをさしたる感動もなさそうに、立木は見つめていた。

くちゃり。くちゃりと。音を立てながら、その顎が上下していた。

それは何かを言おうとしたわけではない。


食っている。


誰かがそうつぶやいた。事態に頭が追いついた誰かが、そこでようやく悲鳴を上げた。


上げられて悲鳴は、女生徒達の声によって一瞬でかき消された。

それからはうるさい奴だとばかりにおっくうそうに体の向きを変えた。

その視線の先には、少女が一人。つい先ほどまで立木に付き添っていた女生徒だった。

彼女は逃げようとしたが、背中を向けた途端にのしかかられて動けなくなった。彼女は水の中をもがくようにして両手をかき乱したが、やがて首筋から噴き出る血がその勢いをなくしたころに、動かなくなった。

広場のブロックに赤い染みが広がっていく。


さらなる悲鳴が広場から上がり、皆が一斉に逃げ出していく。

バスの中からも、窓から転がり落ちるように女生徒が逃げ出して行く。

逃げまどうどの顔にも、恐怖と混乱が浮かんでいた。


「建物の中へ!急いで!」

誰かが上げた声を聞いた。

そうだ、私もここから逃げ出さないと。

けれども曜子の足は、まるで張り付いたように、そこから動こうとはしなかった。

そして曜子の心もまた、まるで考えることを拒否しているかのようにそれを眺めていた。


そうして私はここに居る。血だらけで真っ赤に染まった、この広場に。


「大丈夫か!君、おい!」

守衛が駆けつけてきた。三人は驚きを露わにして、そしてまもなく恐怖を覚えたらしい。

壮年の男はどこか怯えた様な目つきをしながら、茫然と立ちつくす曜子の肩をつかんでいた。

「君、早く!避難して、避難!」

男の声が、どこか遠くに聞こえる。彼は必死に自分を動かそうと、背中から押しのけた。

「チーフ!来てください!」

「ええい、くそ!」

壮年の男は苦々しげな表情で、呼ばれた方へとかけて行った。おそらく、そちらをかたずけられると踏んだのだろう。

「なんてこった」

誰かがそうつぶやいていた。


いつの間にか、遺体はもう一つ増えていた。守衛の一人だろう。

立木にのしかかられている。

そしてその顔が、頬の肉が、噛み千切られているのを曜子は見た。


「先生、先生!落ち着いて、落ち着いて下さい!」

守衛たちは立木を囲みながら、必死に声をかける。

だが、立木は何も答えようとはしない。


後ろに廻れ!といって中年男に怒鳴り、じりじりと警棒を片手ににじり寄る。

「どうすんですか。どうすりゃいいんですか!」角刈りと中年の守衛が声を荒げる。

「とにかく、動きだ。動きを封じるんだ!」

だめ、噛みつかれる。言葉はのどの奥で何かにつっかえたように出てこなかった。

中年の守衛はそのまま駆け寄り、そのまま一瞬の隙を見て背後から羽交い締めにする。だめだ!

果たして予想を裏切ることなく、守衛は首に掛けた腕の肉を噛み千切られていた。

耳をつんざく悲鳴。


曜子は、男性がこんな声を上げるのを、初めてきいた。

喉の奥を絞り過ぎて、つぶれてしまったような声。


角刈り男が悪態をつきながら、中年から立木を必死に引きはがそうとする。

だが、立木は信じられない膂力で、二人同時に振り払う。

そうして倒れ込んだ角刈りの前に来ると、多い被さった。


「おい!しっかりしろ、二人とも!」

壮年の警備員も、立ち上がろうとした。

だが、それは足首をつかまれて阻止された。もう一人。バスからいつの間にか這い出ていた佐志場が、口を開けて守衛にかぶりついて、彼は再び倒れ込む羽目になった。


再び、悲鳴が上がる。苦痛に悶え、恐怖におびえる声が。


曜子はその光景を、まるで別世界の出来事のように茫然と見ていた。

脳が眼の前の出来事を理解するのを拒否していたのだ。


曜子はただ、見ていた。

彼らが此方ににじり寄ってくるのを。


ただ、見ていた。

大分混乱してきましたが、次の話で事態の捕捉や状況をまとめますので、しばしご辛抱を。

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