終焉
人間は様々な物に恐怖を覚えてきた。
夜の闇。深い森。未知なる生き物の声。醜悪な暴力。見知った隣人。
だがそれらの根底に流れているのは死への恐怖だ。
痛みも、未知との出会いも、喪失も、いずれも死が横たわるゆえの恐怖だ。
あらゆる生物は生まれ落ちた瞬間から生を享受すべく、受け継がれた本能に従って全力を尽くす。
そしてやがて至る死をできうる限り回避すべく、生きる。
人は生きるために、生きる。
生きることは喜びだ、いや苦痛だ、と言葉遊びするものがいる。きれいはきたない、きたないはきれい。
くだらない。生きることは、そうしたすべての感情や感傷を得るための前提条件でしかない。
生きているという状態がなければ、すべては無価値だ。
怒りも悲しみも喜びも愛もなにもかも、等価に過ぎない。
本当に恐ろしいのは、失われること。何もかもなくなってしまうことなのだ。
だからこそ生には価値があり、そして死はそれ以上に恐ろしい。
すべてをゴミ袋の中の出来事のように包みこみ、無に還す。
どこか底のしれない穴の底へ。闇の中へ、消しさっていく。
地獄という場所さえ、あるいは恐怖の裏返しかもしれない。
だが果たして、先人たちは私たちのように死をおそれただろうか。
四肢を生きたままばらばらにされる。
胴体を引き裂かれながら、臓物が掻きだされる。
断末魔の声を上げる舌はもぎ取られ、目玉は指をさしこまれ潰される。
齧りつかれ首筋から噴き出た血は、周囲を赤く染める。
苦悶の表情に塗りつぶされた顔は、耳を削がれ鼻をもがれ上唇を剥がされる。
やがて残るのは、何の表情も残さない薄皮一枚の骸骨だけだ。
それが、私たちの死だった。
原形を失った肉片となり、食われる。
蹂躙され、惨殺され、食われる。
生きたまま。激痛に叫びながら。苦しみにもだえながら、
死に至る。
だが真に怖れるべくは、そうならなければ、もう一つの死が提示されていることだ。
噴き出す鮮血をシャワーのように浴びながら、首筋にむしゃぶりつく
服の上から突き立てられた乱杭歯は、ぽろぽろとこぼれおちながら身体の肉を噛み千切る。
引き裂いた腹からもぎとった食道を、無表情のまま租借する。
頭に鉈を突き刺しながら、人の手を口に運ぶことに腐心する。
指は口の中に運ばれるたび、一本ずつ消えていく。
回転させられながら齧られる腕は、すでにこびりつく程度の肉しか残っていない骨と化す。
他者の死を食らい、貪り、彷徨い続ける。
私たちが真に怖れるべきは、奴らの餌食になることではない。
奴らの仲間になることだ。
それは人が作りだした地獄よりも、醜悪な現実。
耳元で、ぴちゃぴちゃと音がすることに気付く。ゆっくりと、頭を動かす。
私の瞳は、それを写す。
下半身を失い、臓器をさらけ出しながら、血まみれの床を這う姿が。
焼け爛れた顔が、此方を見つめる。
白く濁った、虚無的な瞳。
その中には、怯え戸惑う、私の顔があった。
20XX年、冬。
終わらない死が、そこにあった。
―――及川芹乃
自分の好きなホラー映画や小説、ドラマなどをごちゃまぜにしてみました。
特殊な構成になっていますが、お楽しみいただけると幸いです。ご意見のほど、よろしくお願いいたします。
お気に召してくださった方は、これから末長いお付き合いとなると思うのでよろしくお願いします。