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夜会の日がやってまいりました。わたくしたちを振り回してきたこの茶番劇が、今日最高潮を迎えるのでございます。
婚約辞退の場で、わたくしはアルフォンス殿下の隣にいなければなりません。その場面を盛り上げるためにも、入念に着飾るようにとカーリー殿下から指示がございました。
正直、もうあの姫君に協力する気持ちは、わたくしにはございません。勝手に言っていろという気分です。しかしわたくしのせいで話が拗れ、メルジールと揉め事になるのは困ります。
アルフォンス殿下がおっしゃっていた仕返しは、どうなったでしょうか。
王宮の一室をお借りして、支度をいたします。手伝ってくれる母や侍女たちも、今日は気合が入っているようです。
運ばれてきたのは、新しいドレス。薄い紫に銀を散らせた、着るのがもったいないような美しいドレスです。いつの間に作ったのでしょうか。
支度を終えて待っておりますと、アルフォンス殿下がお見えになりました。黒の礼装で、上着には鮮やかな緑の布が裏打ちされております。
殿下はわたくしをじっと見ると、機嫌よく頷かれました。
「うん、すごくよく似合っている」
「ありがとうございます。殿下もお似合いですね」
何かおかしかったでしょうか。殿下が残念そうな笑みを浮かべる傍で、母が額に手を当てております。
アルフォンス殿下にエスコートされて、会場へ入ります。打合せ通りの行動です。
少し離れたところから、カーリー殿下がわたくしどもを見ておられるのに気づきました。いつもはたくさん飾りのついたお召し物ですのに、きょうはいたってシンプルなドレスです。
(虐げられて質素なドレスしか着るものがない、わたしってば超絶かわいそうすぎる!)
そんなご自分を、演出していらっしゃるのかもしれません。とても悲しそうなお顔ですのに、ワクワクが抑えられないのでしょう。目がらんらんと輝いています。この夜会は、婚約破棄騒動のクライマックスですものね。
カーリー殿下は時々、ちらちらと周囲をうかがっておられるようです。本当のお相手である、帝国の皇子殿下を探していらっしゃるのかもしれません。わたくしもさりげなく周囲を見渡しましたが、あまりに人が多くて探すのは早々に諦めました。
ここは城で最も格式が高い広間。集まったブールの貴族たちは、すでに酒を飲んで陽気に騒いでおります。いつものことですので、ブール人は誰も気にしておりません。
立会人としてやってきたメルジールの役人は、カーリー殿下の隣で眉をひそめておりました。きっと庶民の宴会のような騒ぎなど、メルジールの宮廷では考えられないことなのでしょうね。
カーリー殿下も、嫌そうに顔をしかめていらっしゃいます。こちらは、記念すべき婚約破棄騒動が、下世話な騒音に邪魔されるのではないかとご心配なのでしょう。
それにしても、姫君の婚約式なのです。国王夫妻は無理としても、もっと格の高い立会人が来るものではないでしょうか。
本当の婚約をするわけではないのだから、と言えばそれまでのことでございます。しかし、どうしてもこの間のアルフォンス殿下のお話を思い出してしまいます。こういうところにブールを軽んじる姿勢が表れているように思うのは、わたくしの考えすぎでしょうか。
ファンファーレが鳴り響き、女王ご夫妻が入場されます。皆がかしこまってお迎えする中、お二人は上段の席につかれました。いよいよ夜会の始まりです。
女王陛下が立ち上がり、お言葉を述べられます。わたくしは、ごくりと唾をのみました。
「皆も知っての通り、この度アルフォンス王子の婚約が決まった。メルジール王国のカーリー王女殿下が相手である」
「女王陛下、お待ちください」
脚本通りにアルフォンス殿下が声を上げ、広間の中央に進み出られました。腕を組んでいるわたくしも、当然ながら一緒です。
アルフォンス殿下は、大げさすぎるほどに恭しい一礼をされました。
「申し訳ございませんが、私はこの婚約を辞退させていただきたいと思います」
「はて、それがどういう意味か分かっているのだろうな、アルフォンス。理由を述べよ」
カーリー殿下は、きっとこの場面を何一つ逃さずに記憶に残したいのでしょう。いつの間にか立ち合いの役人とともに、観衆の最前列まで出てきておられました。アルフォンス殿下は、わたくしを連れてカーリー殿下と対峙します。
脚本では、ここでアルフォンス殿下が悪役令嬢、つまりわたくしへの真実の愛を語り、女王陛下に愚かさを叱責されます。そして、婚約はなかったものとされるのです。
「第一に」
アルフォンス殿下が、良く響く声で語り始めました。
「カーリー王女殿下は、ブールが全くお気に召さないご様子だ」
うん?といったふうに、カーリー殿下が首を傾げておられます。まだ事態が呑み込めないといったように、キョトンとした目がアルフォンス殿下を見つめます。
「ブールは厳しい環境の中、女王陛下以下の民が一丸となって、懸命に生きている国です。城が貧相であっても、食事が貧しくても、助け合い前に進もうとする民を、私は誇りに思う。しかし王女殿下は違うようだ」
「え、あの」
「城で豪華な部屋を欲しがる妃。民が必死に働いて得た食料を無駄にする妃。そしてそれを当然の特権だと思う妃。私はそういう伴侶は持ちたくない。多くの国民も、それに賛同してくれるでしょう」
アルフォンス殿下が、広間を見渡します。集まった貴族たちから、賛意を示す拍手が起こりました。カーリー殿下の振る舞いには、みんな思うところがありましたからね。
そのカーリー殿下はわなわなと震え、メルジールの役人は青い顔になっております。
「カーリー王女殿下は、我が国には合わないお方だと思います。私は真実この国を愛しています。ともにこの国を愛し、守ってくれる人を妃に迎えたい。女王陛下、どうかブールのため、民のため、この願いをお聞き届けください」
「なるほど、そなたの言うことはもっともである」
女王陛下が、涼しい顔で頷いておられます。傍らに控える王配殿下も、大剣を手に微動だにしません。きっとアルフォンス殿下の行動を、事前に知っておられたのですね。
「この婚約は、お断り申し上げよう。しかしアルフォンスよ。いくら真実であったとしても、あまりに正直すぎる物言いは無作法になることもある。心得よ」
「申し訳ございません」
アルフォンス殿下が頭を下げ、女王陛下は満足そうに微笑んでおられます。その目が、殿下の隣にぼんやり立っているわたくしに向けられました。
「そなたの婚約はなくなった。だが、妃は必要である。意中の女性がいるならば、この場で妃になってもらえるか願ってみるがよい」
アルフォンス殿下が、なぜかわたくしの前に跪きました。わたくしに手を差し伸べます。
「ルー、君と一緒にこの国をよくしていきたい。どうか私の手を取って、一緒に生きてくれないだろうか。君がずっと好きなんだ」
わあっと歓声が上がりました。
アルフォンス殿下は何を言っていやがるのでしょうか。お姫様とは全然違う、不釣り合いな偽物令嬢のわたくしに。
殿下が緊張した表情で、わたくしを見上げておられます。今起きていることは現実なのでしょうか。わたくしは、都合の良い夢を見ているのかもしれません。
「君はいつも自分が本当の令嬢ではないというけれど、本物も偽物もない。君はたった一人しかいない、本当のルマンダだ。私はそのルマンダが好きなんだよ」
カーリー殿下が叫んでおられます。お顔がびっくりするほど真っ赤です。
「ちょっと、おかしいじゃない!どういうことなのよ!これじゃ、話が全然違うわ!」
「そうですよ!ちゃんと約束通りにやっていただかないと!」
メルジールの役人も加勢します。女王陛下は、不思議そうに首を傾げられました。いや、絶対分かってやっていますよね?
「アルフォンスは真実の愛を語り、わたくしは彼を叱責した。婚約は辞退した。予定通りではないか。いったい何が不満なのだ?」
「これでは王女殿下に非があるように思われてしまいます!ちゃんと約束通りやっていただけないのなら、優遇措置は取り消しますよ!」
「そうよ、わたくしがひどい女だと思われちゃうじゃない!」
…本当に、何を言っていやがるのでしょうか。この姫君は。もう…もう…
「もう勘弁ならねえ!ですわ!」
わたくしは、一歩前に踏み出しました。怒りでわなわなと体が震えております。
「黙って聞いてりゃ、いい気になりやがりなさって!ひどいもなにも、全部てめえのせいでございますわよ!てめえなんかがアルの隣に立つなんて、100年早い!顔を洗って出直していらっしゃいまし!このすっとこどっこい!」
わたくしは、はっと我に返りました。広間は、シーンと静まり返っています。父と母と弟が、頭を抱えているのが見えました。
…やってしまいましたわ。
口が悪くてがさつなのは、自分でも分かっていたのです。だからこそ、しとやかな令嬢のようにふるまえるよう、頑張って練習しておりましたのに。とんでもない場で、大失敗をしてしまいました。もう台無しです。
カーリー殿下を見れば、口をパクパクと開け閉めしておられます。
泣きたい気分でわたくしが逃げだそうとしたとき、弾けるような笑い声が起きました。見れば、地味な服装の青年が、手を叩いて大笑いしています。似たような青年たち数人に囲まれて、旅の一団といった様子です。
「いや、面白い見世物だったよ。勇敢なご令嬢、あなたは私が言いたかったことを、全部言ってくれた。ありがとう、胸がスカッとしたよ」
青年が大笑いしながら、わたくしどものほうへ歩いてきます。
「アルフォンス、わざわざ馬を飛ばして見に来たかいがあったよ。確かにこんな自己中心的な伴侶など、わたしも願い下げだ」
「あんた誰よ。部外者は黙ってて!」
カーリー殿下は、意外とお口が悪いようです。いえ、見た目通りのお姫様でないことは、分かっておりましたよ?
青年は笑いすぎて、息も絶え絶えです。
「部外者では、ないの、でね。そちらの国、は、あなたを、私に押し付け、ようとしていた、みたいだから…ははは」
「もしかして、帝国の第四皇子殿下!?わたくしを迎えに来てくださったのですね!」
きゃあと黄色い声が上がりそうな勢いで、カーリー殿下がうれしげに叫びました。今にも皇子殿下に飛びつきそうなのを、周りの青年たちが遠ざけます。
笑いの発作が、ようやく治まったようです。皇子殿下は涙をぬぐいながら、カーリー殿下にお答えになります。
「残念だけど、君を迎える気はないよ?」
「え?」
「私は真実の愛に目覚めたのでね。愛する人を友人に紹介したくて、ここまでやってきたのさ」
第四皇子殿下は、傍らの令嬢を抱き寄せられました。カーリー殿下のような可憐な美貌ではありませんが、しっとりと落ち着いた、知的な印象の令嬢です。
カーリー殿下の顔色が変わりました。
「そんな!あなたがわたくしと結婚するのは、運命なの!決まっていることなの!だって、『黄金色の草原』では」
皇子殿下の口元が歪みました。
「何を言っているのか、よく分からないな。ずっと昔にうちに嫁いできた王女が、君と同じ名前だった気がするけど、そのことを言っているのかい?」
「昔…?え、どういうこと?あなたこそ、何を言っているの?」
「メルジールの王女カーリーが、ナリモニアの公子と離縁してベイカの皇子と再婚した話。200年前のことなんだけど、知らないの?」
歴史を勉強した方がいいんじゃない?そうおっしゃる皇子殿下の声は、冷ややかでしかも面白がっているようでもありました。
カーリー殿下は、真っ青な顔でよろよろと後ずさります。いったい何にそんなに衝撃を受けておられるのか、お二人がなぜその話を持ち出されたのか、わたくしにはさっぱりわかりません。ほかの皆も同じで、戸惑うようにお二人を見比べています。
「でも、わたくしはカーリーで、メルジールの王女よ!漫画と同じ!ママが言ってたもの!」
「先祖の名前にあやかって、子供の名前を付ける。よくあることでしょう?カーリー王女のおかげで、メルジールは衰退から復調できたんだし。そういう立派な王女になれっていう、親心じゃないのかなあ」
「そんな、今更そんなこと」
メルジールの役人が、声を張り上げます。
「メルジールとベイカ、二国間で決めた縁組ですぞ!勝手になかったことにするなど、許されない!」
「ベイカは『結んでもいい』と答えたはずだけど。正式に縁組を結ぶなんて、そんな約束誰かした?」
そんな話を聞いていたのに、メルジールとブールの縁組の噂を聞いたと、皇子殿下はお続けになります。
「私に縁組を持ちかけているのに、おかしいじゃないか。アルフォンスには意中の令嬢がいるのを知っていたし。彼から言い寄るなんて、ありえないと思ったんだ。だから調べ始めたのさ。そしたら、面白い噂が出るわ、出るわ。メルジールの姫君、あなたは随分個性的な方のようだね」
カーリー殿下は、悔しそうに皇子殿下を睨んでおられます。
「私は両天秤にかけられるのは不愉快だ。それに、人を平然と貶める女性も好みではない。あなたの本性が知れて、本当に良かったよ」
「ふざけないでよ!」
「ふざけているのはそちらだろう。人を踏み台にした嘘ばかりの物語を、世間に広めようとして。そうそう、あんまりくだらない話だったから、ベイカの宮廷詩人に命じて、真実の物語を作らせることにしたよ」
自分の欲望のために他人を貶める姫君と、その姫君に言い寄られ苦労しながらも、初恋の女性を愛し続ける二人の貴公子の物語。
「その詩人は筆が早くてね、前半部分はもう出来上がっているんだ。吟遊詩人たちがもう歌っているかもしれないね。後半の一番盛り上がるところは、自分で見聞きして書きたいっていうから、今日は連れてきている」
ほら、と皇子殿下が指さしたのは一緒にいた青年の一団です。きっと護衛を兼ねた従者たちなのでしょう。しかしそのうちの一人は、目を輝かせ猛烈な速さで何かを書き留めています。
「あの様子だと、後半部分もすごい傑作になりそうだね。きっとメルジールの吟遊詩人たちも、気に入ると思うよ」
楽しみだねと言い捨てて、皇子殿下は女王陛下の前に進み出られました。
「ブール女王陛下に、ご挨拶を申し上げる。わが父ベイカ皇帝の名代として、ブールに通商の拡大と共同事業を申し込みたい」
わっと再び歓声が上がります。ベイカはメルジールに匹敵する大国。条件次第ではありますが、メルジールの優遇措置がなくなっても、それに代わる恩恵が得られるかもしれません。
「話はゆるりと聞かせていただきたい。まずは今日の宴を楽しまれよ。我々は貴殿を歓迎する」
女王陛下の表情も柔らかです。
メルジールの役人が、あわてて何か言い募ろうとしました。けれど王配殿下にじろりと睨まれると、血の気の引いた顔で慌てて口を噤みます。死神とあだ名される凄腕の傭兵だった王配殿下ですから、よほど胆力がなければ平常心ではいられないでしょう。
街の有志で組織された楽団、通称「宮廷楽団」が、賑やかな音楽を奏で始めました。この地方に昔から伝わる、誰もが知っている曲です。アルフォンス殿下が、わたくしの手を取りました。
「踊ろう、ルー」
偽物令嬢のわたくしは、気取った宮廷の舞踏などうまく踊れません。でも、この昔から街に伝わる踊りなら、誰よりもうまく踊る自信がございます。
飛んだり跳ねたり。楽しんで踊り始めたわたくしたちに続き、皆が踊りに加わります。第四皇子殿下も、ご令嬢とともに見様見真似で踊っておられます。喧噪の中で、いつの間にかメルジールの二人は姿を消しておりました。
この曲が終わったら、アルフォンス殿下に先ほどの答えを申し上げることにいたしましょうか。
お読みいただきありがとうございます。
誤字報告もありがとうございます!




