第2章 そして非情な宣告
俺の力、だと?
美術館のセキュリティを突破する能力ならあるが、女神様が期待してるのは、たぶんそっち方面じゃないだろうな。
「今から、あなたにチート能力を与えます! その能力は……チート能力を奪う力、名付けて『チートスティール』です!」
ミーアは、さっきまでのポンコツぶりはどこへやら、やけにキリッとした表情で高らかに宣言した。
そして、手に持っていた星屑を散りばめたような杖――あれ、いつの間に持ってたんだ?――を俺に向ける。
杖の先端に、まばゆい光が集束していく。
それはまるで、小さな星が生まれ落ちる瞬間みたいだった。
そして次の瞬間、その光が奔流となって俺の体を包み込んだ。
「うおっ!?」
思わず声が出た。
熱いとか、痛いとかじゃない。
なんだろうな、これ。
無理やり脳みそに膨大な情報を流し込まれるような、それでいて、どこか心地よい全能感が全身を駆け巡るような、不思議な感覚だ。
体が内側から作り替えられていくような、そんなイメージが頭をよぎる。
光が収まった時、俺の体には特に変化はなかった。
だが、確かに何かが変わった、という実感だけはあった。
世界の解像度が一段階上がったような、そんな感覚だ。
「ふふん! その力で、他者のチート能力を直接奪い取り、ご自身のものとして使用できます! ただし、一日にアクティブにできるのは三種類まで。一度使用した能力は、この世界の午前零時にリセットされるまで再利用できません。奪った能力のストック自体は無制限ですけどね!」
ミーアは、えっへんと胸を張って説明する。
ちょっとドヤ顔入ってるのが、なんかムカつくけど可愛い、みたいな複雑な気分だ。
(能力を奪う、ね。だが、そんなうまい話には裏があるもんだ)
一日に三種類。
午前零時にリセット。
ストックは無制限。
悪くない。
いや、使い方によってはとんでもなく強力な能力だ。
さすが「チート」を冠するだけはある。
ただ、ミーアの説明はまだ大雑把だ。
どうやって奪うのか、奪う際の条件は?
そういう肝心な部分が抜け落ちている気がする。
まあ、この女神様のことだ、おいおい説明してくれるか、あるいは俺自身が実践の中で見つけていくことになるんだろう。
今は、この力の可能性に少しだけ興奮している自分を自覚する。
「…………」
得意げな説明を終えたミーアが、急にモジモジとし始めた。
さっきまでのドヤ顔はどこへやら、視線を泳がせ、指先をいじいじしている。
なんだ、この気まずそうな雰囲気は。
「あ、あの……影時さん。大変申し上げにくいのですが……実は、その……」
「なんだよ。はっきり言え」
俺が怪訝な表情で促すと、ミーアは潤んだ瞳で俺を見上げ、そして次の瞬間、深々と頭を下げた。
その銀髪が、サラサラと床に流れ落ちそうになっている。
「あなた様は、他のチート能力者全員を元の世界にお返しするまで……こちらの世界から地球には戻れない契約になってしまっているのです!」
…………は?
今、なんつった?
俺の思考が一瞬停止する。
聞き間違いか?
いや、この女神、涙目で鼻までグスグスいわせながら、確かにそう言った。
チート能力者全員を元の世界に返すまで、俺も地球に戻れない、だと?
冗談じゃねえぞ、おい……!
さすがの俺も、一瞬眉間に深いシワが刻まれた。
なんだそりゃ。
俺はボランティアで異世界の厄介者掃除をしろってか?
それも、帰還の保証はその後、だと?
ふざけるのも大概にしろ。
だが、ここで怒鳴ったところで状況が好転するわけでもない。
俺は大きく息を吸い込み、無理やり冷静さを取り戻す。
「……つまり、能力者全員から能力を根こそぎ奪い、彼らを無力化すれば、俺は元の世界に戻れる。そういう理解でいいか?」
我ながら、よくこんな冷静な声が出たもんだ。
俺の問いに、ミーアは涙でぐしゃぐしゃの顔を上げ、コクコクと必死に頷いた。
その姿は、叱られた子犬みたいで、怒る気も少し削がれる。
怒りよりも先に、奇妙な感情が湧き上がってくる。
絶望?
いや、違う。
諦め?
それも違うな。なんだろう、これは。
ああ、そうか。
これは――挑戦だ。
俺の口元に、知らず知らずのうちに微かな笑みが浮かんでいた。
それは絶望でも、怒りでもない。
困難なパズルを前にした時のような、あるいは、絶対に不可能だと言われた金庫をこじ開ける直前のような、そんな高揚感に近い何か。
とんでもないゲームに巻き込まれたもんだぜ、まったく。
「そのチート能力者たちだが、何か情報は? 手当たり次第というわけにもいくまい」
俺は、いつもの調子を取り戻してミーアに尋ねる。
どんな仕事も、まずは情報収集からだ。
これは怪盗稼業の鉄則であり、おそらく異世界でも変わらないだろう。
俺の言葉に、さっきまで涙目だったミーアは「はい!」と急に元気を取り戻した。
シャキッと背筋を伸ばし、どこか得意げに胸を張る。
現金な女神様だ。
「そこはご安心を! わたくしの『天眼』で、彼らの能力や大まかな危険度――わたくしが勝手にランキングしちゃいましたけど――は把握しております! 基本的に、下位ランクの方から順番に攻略……いえ、説得していただく形になります。いきなり高ランクの方々は危険すぎますから!」
女神様お手製のランキング、ね。
そいつがどれだけアテになるかは未知数だが、ないよりはマシか。
(『天眼』ね。そいつの精度も気になるところだな。それに、ランキングが低いからといって油断できるとは限らない。むしろ、そういう奴ほど厄介な秘密を隠し持ってたりするもんだ)
俺の経験則が、警鐘を鳴らす。
だが、今は女神様の情報に乗っかるしかない。
ミーアがふわりと宙に浮いたまま、すっと手のひらを前にかざす。
すると、何もないはずの神殿の空間に、ホログラムみたいに光るウィンドウが浮かび上がった。
そこには、びっしりと文字が並んでいる。
どうやらこれがその能力者リストらしい。
一番下には【Dランク】と表示され、数名の名前と、それぞれの能力名らしきものが簡単な説明と共に記載されている。
ミーアが指を滑らせるように動かすと、リストがスルスルとスクロールしていく。
【Cランク】、【Bランク】、【Aランク】、そして【Sランク】。ランクが上がるにつれて、能力名も物騒なものが増えてくる。
そして、最上段。
そこには【SSランク】として、ほんの数名の名前だけが記されていた。
(DからSS……まるでゲームのボスリストだな。ご丁寧に最弱から順番に、か。悪くない。一つ一つ、確実に情報を集め、攻略法を編み出す。それが俺のやり方だ)
リストを眺める俺の口元に、自然と不敵な笑みが浮かんでくるのを自覚する。
困難な状況であればあるほど、燃えてくる。
それが俺、斧村影時という男だ。
このポンコツ女神様には、感謝した方がいいのかもしれないな。
退屈せずに済みそうだ。
俺は、いつものように、仕事に取り掛かる前の儀式を行う。
怪盗道具の一つである、指に吸い付くようなフィット感の黒いシルクの手袋を懐から取り出し、ゆっくりとはめ直す。
そして、パチン、と小気味よい音を立てて指を鳴らした。
その乾いた音は、静まり返った星空の神殿に妙に大きく響き渡った。
まるで、これから始まる新たな「ゲーム」の開始を告げるゴングのように。
「なるほど。ポンコツ女神の尻拭いと、俺自身の自由を取り戻すための大仕事、か。…………面白い」
俺はゆっくりとミーアに向き直る。
彼女の大きな青紫色の瞳が、期待と不安の入り混じったような色で俺を見つめていた。
その瞳に、挑戦的な光を宿した俺の顔が映り込んでいるのが見えた。
「女神殿。最初のターゲットの情報をもらおうか」
俺は、夜の闇に紛れて獲物を狙う時のように、静かに、だが力強く言い放った。
その言葉を聞いたミーアは、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに意味を理解したのだろう。
彼女の顔がぱあっと明るくなり、「は、はいぃ!」と緊張しつつも、どこか嬉しそうな声を上げた。
そして、彼女は再び宙のリストに指を走らせ、最初のDランク能力者の詳細情報を表示しようとする。
こうして、俺の異世界での新たな「獲物」探しのゲームが、静かに幕を開けたのだった。