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目の前には、小動物の横顔。
俺だと少しも気づかずに、違う奴を目で追っている――
遡る事、一時間前。
「涼介、あんた暇なら買い物行ってきてよ」
土曜日、リビングのソファに座ってアイスを食っていた俺に、母親から指令が下った。
「あぁ? 買い物くらい、自分で行けよ」
最後の欠片を口に放り込んで、カップをローテーブルに放り投げる。
母親はキッチンから顔だけ出して、俺と似た顔で俺と似た表情を浮かべた。
「鬱陶しいのよ、男子高生。買い物行って、夕飯まで帰るな」
「てめぇの息子だろ」
「なら、言う事聞いてさっさと出て行け」
投げ渡された買い物リストを頭で受けながら、諦めてソファから立ち上がった。
だから。
決して、そうじゃない。
別に、目的があったわけでも、理由があったわけでも。
たまたま何も考えずに歩いていたら、ここに来ただけで。
――いや、覚えてたけど。気になってたけど
でも、勝手に足が向いただけだ。
だから、俺の意思じゃない――っ
目の前には、莉子の姿。
初めて莉子にあった日に、俺たちが休んでいたファストフード横の花壇にちょこっと寄りかかっていた。
ここに来ようと思ったわけじゃない俺は、意識が浮上した時、いきなり目の前に莉子の姿があって声を出しそうなほどびっくりした。
耐えたけど。
癖のない真っ黒い髪を後ろで一つに結んでクリップで留めて。
ジーンズに、シャツとインナー。
足元はスニーカー。
外見詐欺、そう言った慶太の声が脳裏に響く。
中学生と言ってもおかしくない見た目の莉子は、横に立つ俺には気付きもせずに、さっきから通りを歩く人達をじっと眺めて楽しんでる。
制服を着ている奴が来ると、もう、楽しそうに凝視して。
指がぴくぴくしているのは、写真でも撮りたくて我慢しているんだろうか。
まぁ、いきなり撮ったらおかしな人だもんな。
俺は横のファストフードで買ったコーラを飲みながら、莉子の行動をずっと見ていた。
無表情で人波を見てると思ったら、ピクッと何かに反応して目で追う。
たまに溜息を漏らしているのは、なんなのか分からないけど……
……こいつ、俺に少しも気付かねぇ
さっきから真横に立ってるのに、まるで俺が銅像にでも見えるみたいに。
確かに制服着てねぇし、眼鏡かけてるけど。
……胸に浮かぶこのもやもやは、きっと莉子如きにシカトされてるからだ。
少し高揚してる気分なのは、きっとどう苛めてやろうかわくわくしてるからだ。
決して、嬉しいわけじゃない。
この、小動物……
一瞬、声を掛けようとしてあげた手を下ろす。
だめだ、こいつから離れないと……
少なくても、もうすぐ修平がここに来る
こんなとこ見られたら、何言われるかわかったもんじゃない……
俺は、莉子を気にしてるわけじゃないんだから。
だから、ここを離れる。
分かったか、俺!
動き出さない体に納得させるように脳内で叫ぶと同時に、少し離れたところから莉子を呼ぶ声が上がった。
とっさに、花壇の裏へと歩き出す。
「莉子さん、待たせてごめんなさい!」
それは、修平の声。
いつもより、トーンの高い。
「修平くん、走らなくて大丈夫! そんな待ってないよ」
高めの声を張り上げて、修平を呼ぶ莉子の声。
軽く走る足音がして、莉子の横に修平が立った。
そこまで見て、顔を背ける。
間に背の高い植え込みを挟んだ、花壇の表と裏。
俺に気付かない二人は、楽しそうな声で挨拶を交わす。
「私も修平くんくらい大きくなれば、バスケ諦めなかったんだけどなぁ」
心底羨ましそうな声で莉子が言うと、修平はそんなことないよと笑う。
「莉子さんはそのままが可愛いよ」
修平にしちゃ……、なんか照れる言葉を言うな。
それだけ、莉子を好きってことか。
「それ、どーいう意味?」
相変わらずの恋愛音痴な莉子は、ホンキで分かりませんって声で聞き返す。
あぁ、修平の努力も意味なし……
「だって、そうしたら俺たちライバルになるでしょう? そんな人、簡単にバスケ誘えないよ」
――あぁ、こいつも恋愛音痴だったんだっけ……
なんか聞いてて脱力するな、この天然会話。
修平。
性別違うんだから、ライバルになってもバスケ誘えるだろう。
試合は、男女混合じゃないんだからさ――
「じゃ、行こうか。修平くん」
「うん、莉子さん」
バスケの話をしていた二人は、しばらくすると目的地に向かって歩き出した。
数秒、時間差を置いて振り返る。
植え込みの向こうに、身長差が激しい二人の後姿。
道行く人も面白いのか、すれ違ってから振り向いて見ている。
それでも二人話す表情は楽しそうで、嬉しそうで。
会話は別として、見た目は立派に恋人同士の雰囲気だった。