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――は?
動きの止まった俺。
「目の保養?」
教授の問い。
「そう! 学ランにプラスα! しかも、不機嫌そうな顔!! 垂涎ものの光景だった!」
「プラスα?」
「眼鏡! これはもう、見とかなきゃ損って感じで」
「やっぱりそういうことかー!!」
笑い声と共に、研究室の入り口からどやどやと人が入ってきた。
「は?」
思わず、間抜けな声が出る。
莉子は俺の頭に手を乗せたまま、声のした方に顔を向けた。
「あれ、皆してどうしたの? 確か、大学の資料室に行ってたんじゃ……」
「莉子が連れてくるって言ってた高校生見るために、戻って来たに決まってるじゃない」
そう言いながら、集団から離れて気の強そうな女がこっちに歩いてきた。
莉子と同じ白衣を着て、そのポケットに両手を突っ込んでる。
「あんたがその子? 私、坂口 唯。莉子の同期よ」
「……はぁ……」
俺の口から出たのは、もう、なんていうか呆気にとられたとしか言えない声。
その女……えーと、坂口? は、ニヤリと笑って俺を見上げた。
「莉子が男連れてくるって言うから、騙されてんじゃないかって思ったけど……。いー感じに、手なづけてんじゃないの」
手なづけ……?
はたと、自分の格好を振り返る。
身体を屈めて、莉子に頭を撫でられています……
「……」
とりあえず笑顔を貼り付けたまま、上体を戻してみました。
莉子は不思議そうな表情を浮かべながら、届かなくなった俺の頭から手を外した。
その視線をばんばん感じながら、内心苦い気分になる。
手なづけられたいんじゃなくて、こいつを手なづけたいんだけど。
薄く笑みを浮かべて、坂口を見る。
「宮下 涼介です。別に俺、手なづけられてるわけじゃ……」
「ね、可愛いでしょっ!」
俺の声を遮ったのは、莉子の嬉々とした声。
……可愛い……?
口元を軽く上げたまま莉子に視線を移すと、声と同じくらい嬉々とした表情で両手を握って力説始めました。
「昨日は怖いな~って確かに思ってたんだけど! 私を怖がらせたからって、わざわざ謝りに来てくれたんだよ!」
オイ、なんだその曲解はっ!?
「え、莉子?」
思わず口走った声に、莉子がむんっと俺の目の前に人差し指を立てる。
それにびくっとしながら瞬きを繰り返すと、莉子は上目遣いに俺を睨む。
「私の名前は?」
はっきり言って上目遣いの表情の方に意識がいってて、莉子に言われた事を理解するのに数秒掛かりました。
……莉子マジック……
くそ、小動物の癖に人間を翻弄しやがって。
小さく息を吐いて落ち着いてから、口を開く。
「……莉子さん」
俺の言葉に満足そうに頷く莉子さん。
それを見て、坂口が思いっきり噴出した。
「ぎゃはははははっ」
女とは思えない、笑い声で。
「ちょっと、唯! なんで笑うのよ!」
一応、馬鹿にされているのは分かるのか。
「涼介くんが可哀想でしょ!?」
……そっちかよ。そっちの方が、可哀想だよ俺。
知らず肩を落とした俺の事を、坂口も笑ってるけどその後ろのほうで慶太たちも笑ってるのが見えて、余計がっくり。
坂口はひとしきり笑った後、苦しそうにお腹を押さえながら莉子の頭をがつっと掴んで後ろに追いやった。
「何すんのよ、唯っ」
非難がましいその声に、あんたこそ何言ってんのよ、と聞こえないように呟きながら手のひらを振って慶太達の方に追い払うと俺の肩を掴んで押してくる。
「え?」
いつの間にか椅子に座っていた教授の横に立たされるような形で、窓際に押しやられていた。
坂口は教授の机に身体をもたせ掛けると、腕組みしながら俺を見上げる。
「こらこら、坂口くん。この机は、君の椅子じゃないぞー」
ずっと成り行きを傍観していただろう教授は、咎める様な言葉を使いながらも楽しそう。
「ミヤシタリョウスケくん。君、ここに何しに来たの?」
「へ?」
もー、俺ってばさっきから単語しか口にしてない気がする。
「何って、大学の見学にですけど」
慶太達がね。っていうか、慶太がね。
俺、大学決まってるし。
「ふぅん?」
坂口はにやりと、口端を上げる。
なんとなく、本能でこの女やばいとか思ったその瞬間――
「入学が決まってる大学、わざわざ見学しに来るんだー?」
「……っ」
――爆弾は落とされた
驚いて何も言う事が出来ない俺を、にやにや顔の坂口は面白そうに見ている。
隣で教授が首を傾げた。
「なんでそんな事、知ってるの? 坂口くんは」
「それは私が、推薦入試の手伝いをしたから。人気者は大変ねぇ、あんたを見かけた学生が教えてくれたわよー。その子の出身校で有名な、宮下 涼介だって」
……有名……
何が有名かというのは、聞かなくても分かる。そんな自分が、切ない。
いや、半分は自業自得なんすけど←自棄
「へぇ、有名?」
食いつく、山口教授をつい目を細めて見下ろす。
それに気付いた教授は、くすくすと笑いながら肩を竦めた。
「なるほどねぇ、そーいう“有名”ねぇ」
坂口と同じ様に腕を組みながら、俺を見上げてくる。
――こいつら、兄妹かよっ
表情には出さず視線だけ固定して睨みつけると、坂口はにやにや笑ったまま手のひらを上に右手を俺の前に差し出した。
「……? 何?」
「口止め料」
……
「高校生から、金取るわけ?」
「あら、なんだか慣れた風ね。ただの優男じゃないってことかしら」
馬鹿にした口調に、思いっきり目を眇める。
「優男って、イマドキ言わないですよ。坂口さん」
ぴくって、眉が動いたのを見逃さない。
「別に、お金なんて欲しくないわよ。あんたの高校、来週……」
「はい、どーぞ」
見た目だけは談笑しているような俺たちの間に、慶太の手が割り込んできてぴらっと一枚坂口の手のひらに何かを載せた。
それは、来週ある予定のうちの高校の学祭のチケット。
これがないと、入れない。
「なんでそんなもの、持ってんだよ。しかも、その枚数」
差し出している右手に、一枚。
下ろしている左手に、少なくても十枚以上。
慶太はなんでもないように、爽やかに笑う。
「ふふ、元生徒会のコネ。それにお金を落としてくれる人は、たくさんいた方がいいでしょ?」
途中から小声で俺に伝えると、坂口に向き直って微笑む。
「これでしょ? お姉さん」
にこやか爽やかな慶太の笑顔に、坂口は反射的に笑い返した。
「あら、物分りのいい子がいるわねぇ。私は、リョウスケくんよりこっちの子の方が好みだわー」
うーん、なんか流石な切り替え。
慶太はにこにこ笑いながら、口端を上げた。
「もともと皆さんに配ろうと思ってたんで。それに……」
坂口の耳元に口を寄せて、にやりと笑う。
「おねーさん、俺と同じ匂いがするから。……面白そう」
慶太の言葉に一瞬表情が固まった坂口は、すぐに口端を上げた。
「同感」
二人の視線は俺に向けられる。
……黒い……、なんか笑みが黒いよこいつ等
「大丈夫よー、ちゃんと莉子を連れて行ってあげるから」
指先で学祭のチケットをひらひらさせながら、声を落とした。
「ただ、莉子を泣かせたら承知しないからね……?」
くすくす笑いの坂口に何も答えないまま見返していたら、横から腕が伸びてきた。
「おーい、慶太くんとやら。俺にもチケット頂戴」
それはこの場の空気を読むどころか、破壊している教授の声で。
慶太はその手にチケットを渡しながら、どうぞ、とにこやかに笑った。
教授はそれを受け取りながら、俺を見上げる。
「三島を泣かせたら、俺も承知しないからな?」
「教授……」
教授の言葉に一番反応したのは、坂口で。
「一応、腐っても教授だったんですね」
「だって、女子高生とお知り合いになれるチャンスなんて、なかなかないぜー?」
一瞬の沈黙の後。
「そっちの方が、教授らしい」
にやりと笑いあう、教授と坂口の姿があった。