真冬の線香花火
パチパチ、パチパチ。ザバーン。
線香花火と、波の音。
小さな火花が飛ばなくなって、火玉だけになる。やがて、火玉も静かに砂浜の中に吸い込まれていった。
「あ、落ちちゃいました……」
「わたしも」
どうやら先輩の火玉もすぐ後に落ちたらしい。
先輩は、袋から新しい線香花火を二本取り出して、一本を僕に手渡してくる。
「よし、もう一回。せっかく線香花火だけいっぱい買ってきたんだから、なくなるまで楽しもうよ」
「賛成です。せっかくなら、どっちが長いこと火玉を落とさずいられるか、対決しましょうよ」
「いいね、やろやろ! 勝った方が負けた方のお願いごとを一個だけ聞くっていうのはどう?」
「望むところです」
「決まりね! 負けないよ」
ニコニコで乗り気な先輩。
そのまま火をつけようとして、ライターを持つ自分の悴んだ手を視界に入れたのか、表情が固まる。
「ねぇ」
「なんですか」
「……寒いのってわたしだけ!?」
「いや僕もめちゃくちゃ寒いですけど」
「だよね!?」
はい、本当は今すぐダッシュで帰りたいくらい寒いです。
流石にそんなに辛辣なことは言わないけど。
年が明け、正月ムードも落ち着いた一月のなんでもない日。
極寒の浜辺で線香花火をしているこの状況の原因は全部先輩にある。
放課後、帰ろうとしていた僕は先輩に昇降口で呼び止められた。
そしてあれよあれよという間に付き合わされ、この真冬に線香花火なんかを売っていた奇特な雑貨店に寄り、わざわざ電車に乗って浜辺までやってきたのだ。
どうして真冬に線香花火なのか、どうして浜辺なのか、聞いても先輩はお得意のニコニコ笑顔を見せるだけで何にも教えてくれない。
ただやりたくなっただけ、とはぐらかされる。
まぁ、先輩の思考の突拍子のなさと異常な行動力は今に始まったことじゃない。
入学してから約二年、それにずっと振り回されてきたのだ。
正直、僕は先輩と出かける時間が嫌いじゃない。
先輩の話を聞くのが嫌いじゃない。
先輩が、嫌いじゃない。
先輩はもうすぐ卒業だ。
有名な大学の推薦が決まっており、自分の好きなことが学べるのが楽しみだと言っていた。僕も最近、模試でその大学を志望してみたことは秘密だ。
「あーあ、こんなに寒いなら、せめてこんな吹きっさらしのところでやらなければよかったな」
「先輩が連れてきたんですよ? ってか、なんでよりにもよって浜辺なんですか」
「仕方ないじゃん。君と二人っきりになりたかったんだから」
……ん?
それって、その意味って。
「じゃなくて! 花火オッケーな場所がここくらいしか思いつかなかったの! もう詮索しないで!」
流石にそれは無理があります、先輩。
「ほら、やるよっ。火つけるから」
言いたいことは一旦飲み込んだ。
さっさとやってこの寒さから退散しよう。
線香花火の先をライターにかざし、二人同時に火をつける。
パチパチと小さく軽い音を立てて、控えめな火花が散る。火花の周りだけ、ほんの少し暖かい。
火花が出なくなってからが勝負だ。わずかな振動も命取りになるかもしれない。
右手に全神経を集中させ、息を詰める。
「頑張れっ、頑張れわたしの花火っ」
「火玉にエール送ってる人初めて見ました」
「えー? いいじゃん応援したって」
「別にダメとは言ってませんけど」
「もう、また生意気なこという」
先輩と話しているといつもこうだ。つい生意気なことを言ってしまう。
でもこの軽口の言い合いをする時間が僕のお気に入りなのだ。
「でもね、わたし、応援って本当に力になると思うんだ」
先輩は自分の火玉を見つめながら、そっと告げた。
「応援って、誰かを純粋に想うことじゃない? 誰かを応援する気持ち、誰かのために何かしたいって気持ち、それはとても大切なことだと思うの。人のことをそれだけ思えるのって素敵でしょ? 人から応援されたら、誰でもその気持ちが絶対胸に留まって、何か大きな力が出せるはず。だから、わたしは応援するのもされるのも大好きなの」
「……そうですね」
こういうところだ。先輩は言葉や行動ひとつひとつに、あったかい意味を見出しながら生きている。
自分の考えをしっかり持つのは、案外簡単なことではない。さらに、自分の思いを素直に言葉にすることは、意外と恥ずかしいと思う。
素敵なことを見つけて素敵だと言える、そんな先輩が、僕を惹きつけて離さないのだ。
「「あっ」」
僕も先輩も、つい話に夢中になって線香花火をおろそかにしていた。
二つの火玉は同時にボト、と落っこちた。
「引き分けか……どうしよう」
「お互いがお互いに願いごとを言えばいいんじゃないですか」
「うーん、なんかいまいち勝負した感無くなっちゃうけど、まあいいか。じゃ、君の願いごとから、どうぞ?」
「はい」
一回、二回、大きく深呼吸。
先輩の目を見て、はっきりと口にする。
「来年の今日も、一緒にここで線香花火がしたいです」
一瞬、キョトンとする先輩。
「え? それって……」
「はい。先輩、卒業しても僕と一緒にいてください」
「……え、と、その」
先輩の顔が赤く染まっていく。
あれ、僕何か変なこと言ったっけ、と自分の発言を振り返り、慌てて弁明。
「いや、あのっ! 深い意味はなくて! 卒業後もたまに一緒に出かけたりしたいってことです! 僕のことも本当にたまに気にかけてくれたら嬉しいなってだけで……!」
あれ?
言えば言うほど逆効果な気がする。
あわあわしている僕の横で、先輩は落ち着きを取り戻してしたり顔で頷く。
「なるほどねー。つまり君は、わたしがいなくなっちゃうのが寂しいんだ? ふーんなるほどねー」
「うっ」
「ふふっ、分かった。いいよ」
僕の顔を覗き込んで、先輩はニコニコと笑む。
「お願いごと、いいよ。わたしが大学生になっても、もちろん君のこと忘れたりしないから。こまめに連絡するし、二人でどこか出かけよ。それで、また来年、ここで線香花火しようね」
「……ありがとうございます」
熱が集まって、顔周りだけ寒さが気にならない。
実は、高校生と大学生ではやっぱり距離ができそうで、憂いていたところだった。
でも今、心にあったかい炎が宿ったような気がした。
照れと緩んだ口元を隠すように軽く頬を叩いて、先輩に向き直る。
「先輩の願いごとも聞かせてくださいよ」
「うん、そうだね」
先輩は悴んだ両手に息を吹きかけて手のひらを合わせた。
「ねえ、見て。わたしの手、冷たそうでしょ」
「? ……はい」
「わたし、冷え性なの。寒いの苦手なの。だから、
——来年の冬は、わたしのこと暖めて」
両手を重ね、お願いのポーズをしてはにかんだ先輩。
期待せずにはいられなかった。
「無理ですね」
「えっ」
「来年の冬、は、無理です」
僕は先輩の手を取った。
小さくてすべすべで、冷えきっている左手を。
「今から暖めちゃうので」
「もう! ……ありがと」
来年こそは、ここで伝えさせてください。
先輩のことが好きです、と。