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日本語族のディアスポラ

 1.出アフリカと「Zランド」


 現生人類は、30万年前にアフリカ大陸の大地溝帯で発生し、そこからユーラシア大陸へと拡散した由である。その際、アフリカ大陸をエジプトまで北上し、シナイ半島経由でレバント地方へ移動。あるいは「アフリカの角」の付近から紅海を渡り、アラビア半島へと移動した。そしてアナトリア(トルコ)、地中海東部、メソポタミア(イラク)、ペルシャ(イラン)などへと拡散した。

 弥生時代に、水田耕作の稲と共に九州に入り、琉球諸島や日本列島に広まった言葉を「日琉祖語」とした場合、その誕生地は不明であるが、これを便宜的に「Zランド」とすれば、日本語民族の祖先はアフリカで生まれ、Zランドで日本語を話す様になった。そしてZランドから日本列島に至る長い道のりの途中、様々な地域に滞在し、都市文明を築いた事となる。その形跡が、インダス河流域、また地中海東部のクレタ島やキプロスから、日本語を記す文字の形で発見されているのである。 

 インダス河流域、クレタ島、キプロスを日本語民族の3大拠点とすれば、この3つの拠点から出発した日本語グループがそれぞれ渡来した可能性がある。渡来した時代にずれが生じ、2波か3波に分かれたに違いない。そこで縄文・弥生の時代転換や古墳時代の幕開けに関し、この様な波と対応させて考えれば、古代史が更に解明されるだろう。


(注)インド・ヨーロッパ語族の祖語の場合、誕生の地(Zランド)は、黒海とカスピ海に挟まれた地域の北部と推測されている。


 2. 高い移動能力


 紀元前2000年頃、インド・ヨーロッパ語族のアーリア人は原住地の黒海北方から移動・拡散を開始し、このうち東方に向かった一部が前1500年頃、インダス河流域まで到達した由。

 中国と西域を結ぶ楼蘭で発見された女性のミイラ「楼蘭の美女」は、炭素14による年代測定の結果、紀元前1800年前後の古代人と推定されており、当時から東西を結ぶルートが存在した可能性があろう。なお「シルクロード」は、漢の武帝が、張騫を大月氏に送った紀元前130年頃に成立し、紀元1世紀には、ローマから中国に至る東西交易が盛んだった由。

 時代は下るが、マルコ・ポーロが、ヴェネチアから大都(元の都。今の北京)まで4年(1271年~1275年)、帰路にやはり4年(1291年~1295年)かけて旅している。


 3. 日本語民族の離散と糾合


 クレタ島、キプロス、インダス河流域、それぞれの地の古代遺跡から発見される未解読文字につき、何れも日本語として解読可能と判明したので、日本語民族は、日本語の成立した「Zランド」から、時代と共に分散し、いくつかの地域に分かれて文明を発達させた。そして中長期的に、日本列島に五月雨式に到達し、再会・糾合したものと推定される。それぞれのグループが、次々と日本列島を目指した背景には、先達の日本語グループが到達し、他民族の支配や干渉を受けず、安住している、との噂があったのだろう。


 4. 漢語= 中国語等、近隣の言語と共有する単語


(1)特にキプロスの古代文字に関し、日本語に解読可能な原典に「漢語」が頻繁に登場するが、外国語由来として排除せず、むしろ古代の日本語で活用していた理由を探るべきだろう。

 例えば青銅のボウル(KO Zf2。ハニア博物館)には「アラコク」と書かれており「アラシヤ国」と解釈出来るが、紀元前2000年頃、キプロスに近い地中海沿岸の都市ウガリットの言葉で「国」は、ローマ字表記なら ktの文字列で、KOTH と発音された。(出典:ChatGPT)アラシヤでは「こく」だったと推定される。

 線文字Bの解読に貢献したチャドウィックによれば、線文字Bの古代ギリシャ語では、奴隷をDO-E-RO(男性形)、DO-E-RA(女性形)と呼んだ由。これが日本語の「奴隷」に繋がったのだろう。因みに中国語 (ピンイン)で奴隷は、NULI。


(2)古代の日本語の成立したZランドを中国大陸、あるいはその周辺に設定すれば、日本語に沢山の「漢語」が混じる事につき、次の明快な説明が成立する。


「日本語民族の先祖がZランドで居住していた時代、隣接地域に中国語民族が居住していた。そして交流・交易や婚姻を通じ、言葉の貸し借りが行われ、多数の中国語の単語が日本語に取り込まれ、また逆に、多数の日本語の単語が中国語に取り込まれた。

 かくて日本語と中国語は、多くの単語を共有し、また相互に類似する単語を持つ様になったが、日本人は、日本語が中国語に取り込まれたケースを含め、全て中国語から取り入れた『漢語』と錯覚するのだろう」


(ア)2021年11月、ドイツのマックス・プランク人類史科学研究所を中心とする中国、日本、韓国、ロシア、NZ、米国を含む国際チームが、言語学、考古学、遺伝学の3分野から検証した結果、日本語を含むトランスユーラシア言語(アルタイ語族)のルーツは、中国東北地方の遼河の上流地域で、内モンゴル自治区に住む、キビ・アワ栽培の農耕民だったとする論文をネイチャーに発表した。これは、まさにZランドの候補地だろう。


(イ)「四川省」の語源は、同地域の4つの川(SÌCHUĀN)とされ、日本語なら「四泉」。古代から、この地域ではこの4つの川が最大のassetやresourceであり、中国語で「資産」を意味する、ZICHANの語を産んだ可能性がある。

 然るにインダスの印章には、短い縦棒4本が3列に整然と並ぶ記号があり、「しさん」と読み「資産」と解釈される。インダスの印章は、日本語として解読可能であり「資産」も古い日本語。語源として「四川」が浮上する。

 更に想像力を働かせれば、長江文明の三星堆遺跡(四川省)から、両目の突き出た青銅の面が出土するが、「めでたい」のルーツと推測する事もできよう。(クレタ聖刻文字で「めでたい」を表現する際、目の出たネコ等を登場させるのと同じ手法である)ついては四川省も、Zランドの候補地か。


(ウ)12支の漢字に関し、最古の記録は、殷朝時代の甲骨文字(紀元前1400-前1050年頃)であり、卜占の結果を記録する際、日付の記録に10干12支が使われた。然るに12支の漢字のルーツは、基本的に日本語と見られるので、日本語を使うシャーマンがいた可能性があろう。仮に殷墟がZランドでなくても、魏志倭人伝によれば、倭国では亀の甲羅で卜占が行われた由であり、殷朝の頃から、日本語民族と中国語民族との間に交流があったと推測される。


(3)日本語とヘブライ語の間にも(「はっけよい」等)多数の共通語が見られる事も、同様に説明可能である。つまり地中海東部の青銅器文明が、同時に崩壊する紀元前1200年頃、元々「海の民」の一部だった日本語民族が「ペリシテ人」として、レバント地方に居住する様になり、ユダヤ人の隣人となった。そして相互の交流や交易、また婚姻関係を通じて、言葉の貸し借りが頻発し、日本語とヘブライ語の間で、多数の単語が共有されたのだろう。


 5.DNA


「日本人と、日本語として解読可能な古代文字の出土する地域(クレタ島、キプロス、インダス河流域など)に居住していた古代人(X)のDNAを比較した場合、類似性はあるのか?」との問題提起があり得るだろうが、取敢えずの応答振りは、次のラインだろう。


(1)一般論


 DNAと言語は、異なるものである。仮に日本人と、古代人(X)のDNAが一致しないからと言って、古代人(X)が、日本語を使わなかった、との証明にはならない。例えば英語の場合、世界的な共通語の地位を得ているので、多種多様なDNAを持つ人間が、5大陸で活用している。また、仮に地理的に離れた古代人のDNAが一致したとしても、同じ言語を話していたと結論付ける事は、やはり出来ないだろう。古代から、国際結婚もあっただろう。従ってDNAは、言語の一致を判定する指標としては、不確定要素が多いため、明らかに不十分であり、これに依存する事はできない。

 さらに言えば、古代人の場合、わずかにしか得られないDNAサンプルを調べ、その結果をもって、当時の古代人に関し、一般論を述べる事は出来ないだろう。


(2)Y ハプログループ


(ア)父方から遡る、父系遺伝の指標となるYハプログループに関し、日本人と地中海東部の古代人を比較しても、今のところ、注目すべき類似性があるとの研究結果は出ていないが、Yハプログループは、戦争や征服などで簡単にすり替わってしまうので、不安定足り得るだろう。


(イ) インダス文字の日本語解読を踏まえ、Y染色体DNAのネット情報によれば、ミノア人と見られるY染色体の Gや J系統は、ハラッパやモヘンジョ・ダロと関係が深く、パキスタンとインドに跨るプンジャブ地方に集積が見られる。


 Y染色体の系統 ・・・・・・ C系統  G系統  J系統  O系統


 プンジャブ地方 (パ)   2.08%  8.33%  27.08%  -


 プンジャブ地方(印)    3.58%   3.57%  21.43%  -


 南インド(ドラヴィダ系)  1.7%    2.3%  19.7%  13.6%


 従って「インダス文明を築いたグループが、気候変動に伴い地中海のクレタ島に移動した」とのシナリオは、DNAのY染色体の系統で見る限り、あり得ると見られるが、他方、アレクサンダーの東方遠征をきっかけにヘレニズムの世界となり、ギリシャ系移民からプンジャブ地方へ、GやJ系統が伝わったのかも知れない。


(3)ミトコンドリアDNA


 母方から遡る、母系遺伝の指標となるミトコンドリアDNAを研究すると、日本人が、古代にアフリカ大陸から南インド経由で、東南アジアなどを通過し、日本列島に至った事が窺われる由である。



(参考) 古代の日本語文明関連の年表


 紀元前3000年~ 前宮殿時代。(前2600年~1900年 インダス文明の最盛期)


 前1900年~ クレタ島の旧宮殿時代。(前1800年  線文字Aの使用が始まる)


 前1700~   新宮殿時代。

 前1600年  テラ/サントリ-ニ島で火山の大爆発。


 前1450~   最終宮殿時代(ミケーネ時代)。 線文字AからBへ移行。

           クノッソス以外の宮殿が破壊される。


 前1400~1050年  殷代後期。最古の漢字が使用される。(日本語族が12支の漢字の考案に寄与)


 前1350年   クノッソスの宮殿が最終的に破壊される。(再建されず)

 前1300年   ミケーネ文明の最盛期。(インダス文明、もはや存続せず)


 前1200年   地中海東部の青銅器文明の同時崩壊。(トロイ戦争)


 前492-449年   ペルシャ戦争。

 前334-前323年  マケドニアの大王アレクサンドロスによる東方遠征。

(彼の死後⇒ ヘレニズム時代へ)


 前57年     新羅の成立。


 前30年     クレオパトラの死。(ヘレニズム時代の終焉→ ローマによる支配)


 西暦8年-23年  中国の「新」王朝。(貨幣が弥生時代の遺跡から出土)


 37年   後漢の成立。

 57年   倭の奴国王、後漢の光武帝より「漢倭奴国王」の金印を賜る。


 2世紀後半 倭国大乱の時代。

 239年   邪馬台国の女王卑弥呼、魏の都に使いを送る。


 346年   百済の近肖古王、即位。(中央集権的国家の成立)


 350年頃  古墳時代の幕開け。


 384年   百済に仏教伝来。


 593年   聖徳太子、摂政となる。(飛鳥時代へ)


 663年   百済、滅亡。


 710年   平城に遷都。(奈良時代へ) 

 794年   京都に遷都。(平安時代へ)


 935年   新羅の滅亡。

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