母の仮面を被った日
4/30追記:手直しするのを忘れていた部分があったので、そこだけ訂正しました。
「…………ん……」
やがて、俺の意識は燃え盛る研究所から、清潔な白い部屋へと戻ってきた。
「……お目覚めかしら、ルアちゃん」
天井の優しげな照明を見つめていた俺を、薄桃色の髪と紫水晶のような色の眼を持ち、頭から羊のような角を生やす、白衣を着た女性が見下ろしている。
母さんの友人で、このユートピア直轄国でも有数の心理魔術師、ムリアーデさんだ。
ベッドから起き上がりながら、俺はディスプレイで再生されている映像を確認する。
さっきまで見ていた夢と寸分変わらない、俺の目を通して見た母さんの最期だ。
「……最悪の夢だったけど、おかげで何があったのか少しは思い出せたよ」
先程まで、俺はムリアーデさんの心理魔術により、過去の記憶を記録映像に変える作業を行っていた。
この人は俗に『サキュバス』といわれる睡魔の出自であり、特に心に関する魔術において右に出る者はいない。
ムリアーデさんの持つ技術と魔術を用いれば、あのとき何があったかをもう少し思い出せそうだと思って、この人の施術を受けていた。
「……もう一回見せてもらっていい?」
「ええ、どうぞ」
映った映像を戻しながら、母さんがあいつと鍔迫り合いになっている光景を見直す。
あのときはあまりのことに頭から飛んでいたけど、母さんはあの男の胸元から、大きな宝石が付いた奇怪なアクセサリーをもぎ取って、それを放り投げようとしていた。
赤銅でできたごつい左手が、真っ黒な球体のクリスタルを掴んでいるという不気味なアクセサリーは、見覚えのあるものだった。
「スーサイド・ジェム……」
魔王が自らの隠密に持たせた魔導器で、持ち主かその主人が魔力を注ぎ込むと爆発するという、いわば自爆用の道具だ。
末期の魔王軍ではこれが大量生産され、隠密が自決するためではなく、一兵士が勇者連合軍の兵を道連れにする自爆攻撃へと転用された。
そのような忌むべき用途へ使われたことから、魔王軍の魔導器の中では特に厳重に保管されている。
「……こんなもの、ただのチンピラが持ってていいもんじゃないわ。あの事件、絶対裏にもっとヤバい連中が潜んでいるはずよ」
俺の隣で様子を見ていたエリカが、懸念されていたことを指摘する。
魔王が発明した魔導器の多くは、その危険性と魔王への憎しみから、ほぼ全てが国際機関『勇者連合』の管理下にある。
こんなものを持ち出せるような人間は、それこそ勇者連合の中でも限られている。
「今一番ありうる説は、前から母さんに恨みを持っていた連中が、あいつにあの魔導器を持たせてけしかけた……ってところか」
もしあの魔力炉が爆発に巻き込まれていたら、研究所があるランブ・ニム城を中心とした一帯が壊滅するほどの大惨事となっていたかもしれない。
にもかかわらず、そんな未曾有のテロはすぐに矮小化され、すぐにその恐怖は忘れ去られていった。
更に、前々から母さんを憎んでいた多くの新聞社が、あいつをけしかけたと思われる過激派『オデット』の「ルナは魔王軍の残党が送り込んだスパイで、この国の勇者レグナスを誑かして勇者連合の崩壊を目論んでいた」という声明文を熱烈に報道した。
結果『ルナは裏で魔王軍の残党を手引きしていて、その被害者だった犯人……アロウズという名前らしい……に復讐された』というすじがきが出来上がってしまった。
そして、この国の住人達、特に前々から母さんを憎んでいた連中は、足並み揃えて母さんの屍に鞭打ち始めた。
ルナ・ムーンライトは民を脅かす魔王軍の総本山だったのだ、あの毒婦は殺されて当然だったのだ……と。
「……恐らくそうでしょうね。ただ、それは声明文を発表したオデットじゃないわ。あいつらは『救星団』の一派ではあるけれど、あくまで小規模なチンピラ集団だから」
ちなみに『救星団』というのは、かなり昔からローラシア大陸を中心に活動するイカれた集団なのだが、その話については割愛する。
そして、母さんの戦友だったこの国の勇者アレックス・レグナスさんは、以前より勇者パーティを憎んでいた派閥の扇動により『魔王軍のスパイをパーティに招き入れた不届き者』というレッテルを貼られ、連日勇者を辞めさせることを求める暴動が続いた。
そして彼は、事実上ありもしない責任を取らされる形で、勇者の称号を剥奪された。
奴らはかねてより母さんと同等に憎んでいたレグナスさんを、これ幸いと引き摺り下ろすことしか考えていなかった。
そして、奴らは前勇者パーティを憎む者の代表として、あのボンクラ……カーン・カラヤンを新たな勇者として祀りあげた。
結果、この国がどんなことになっているのかは、日々飛び交うニュースを眺めていれば自ずとわかるだろう。
「……あいつら、この国に……それに母さんやレグナスさんにも甘やかされまくってきたから、自分らが何やってんのか全然わかってないんだ。いっそ、あのとき全員ぶっ殺してやればよかったのに……!」
たぶん今の俺の表情は、母さんなら絶対しないような悪魔のような形相だろう。
俺は母さんに似ているとよく言われてたけど、こんな憎悪に染まった顔をした男が似ているはずがない。
そんな様子を見かねたのか、ムリアーデさんに声をかけられた。
「……ルア、もう一度訊くわよ。今も、ルナを貶めた奴らを殺したい?」
そんなのわざわざ確認するまでもない。
父親がいない俺にとって、母さんは唯一の肉親だった。
そんな母さんを、大勢の人間が『毒婦』と罵り、墓石に唾を吐いた。
「当然だ。今の勇者カーンをはじめ、母さんをあれだけ悪し様に罵って、カーン共をありがたがってる奴らだぜ。……でも」
母さんの命を救うこともできなかった、無力な掌が映る。
「俺には、そんなことを成し遂げられる力なんてない……」
エリカはため息をつくと、おもむろにスツールから立ち上がった。
「それじゃあルア、もしそれができるだけの力があったら、実行する?」
顔を上げると、エリカとムリアーデさんは意味深な笑みを浮かべている。
「……というと?」
「あたしとムリアーデさんからとっておきの作戦があるんだけど、いい?」
エリカとムリアーデさんは、二人で考えたという二つの作戦を説明する。
一つ目はともかく、二つ目の作戦を聞いていくうちに、俺は二人の正気を疑った。
「……それ、マジで言ってんのか?」
「もちろんよ。ああいう連中には、少し回りくどいやり方が効果的なのよ」
「ええ! 昔からルアは女の子の格好が似合ってたけど、今も絶対似合うと思うのよね〜」
つまり、エリカとムリアーデさんが提案したのは、俺が母さんそっくりに女装することだった。
母さんとそっくりなエルフがいたら、母さんを憎んでいた奴らは驚かざるを得ない。
そして、そんな俺を恐れて何らかの動きを見せたところを、もう一つの作戦で一網打尽にするというものだ。
「よせよせ! 成人する前の見た目もガキだったときならまだしも、今の俺が女装したって痛いだけだ。大体、俺は絶対母さんには似てないし、不審者として処理されて終わりだぜ!」
そういえば、よくムリアーデさんとエリカは面白半分で俺に女装させてたっけ……。
一度母さんに見つかって、ムリアーデさんが「ルアが嫌がることをしちゃだめでしょ!」って大目玉を食らってたな。
「いーや! 絶対おばさんみたいになる! 今のルアならできるはず!」
「ルアちゃん、騙されたと思って、一回……ね」
でもこの二人に強く押されると、つい断れなくなっちまうんだよな……。
俺は少し考えて、上手くこの作戦を撤回させるための方便を使う。
「……わかった、わかった。一回だけならいい。もしそれでだめだと思ったら、この作戦は中止にしてくれよ」
それは、俺が女装しても不気味なだけだし、ましてや母さんに似るなんて絶対ありえないと考えたからだ。
「よっしゃ! それじゃ早速準備するわね」
そのまま俺は個室まで引っ張られていき、鏡台の前に座らされる。
エリカは化粧用品を並べると、あのころと同じ様子で顔に手を加えていく。
そして、エリカの手が止まった段階で、俺は目を開けた。
「……え、この顔……」
一瞬、鏡に映っていたのが俺だということがわからなかった。
その容貌は、まさに亡き母そのものだったからだ。
金色の絹を思わせるサラサラとした金髪をかき分けて、エルフ特有の笹穂耳が生える。
アーモンド状の両眼はオニクスのような黒で、長い睫毛が伸びている。
柔らかみを帯びた頬は薄桃色に染まり、薄紅色の唇が驚きに開かれている。
「どう? やっぱりルアはおばさんとそっくりなのよ」
エリカは俺の両肩に手を添えてそう言った。
驚きで固まったままの俺を、エリカはムリアーデさんのところまで引っ張っていく。
「ルアちゃん……これでもまだルナに似てないなんて言える?」
いつの間にか、俺の眼からは涙がこぼれていた。
俺は出自のせいで、母さんの子であることを隠して暮らさざるを得なかった。
母さんにとって俺は望まぬ子で、今もお荷物なんじゃないかと思ったことも何度かある。
でも、この母さんにそっくりな顔が、俺が母さんの子である証だと訴えているような気がしたからだ。
「ほらほら、泣かないでルア。せっかくのメイクが台無しになっちゃうでしょ」
なんとか涙を止めてから、俺はムリアーデさんとエリカに決意を伝える。
あんな遺言を残した母さんが見たら「復讐なんて止めなさい!」って叱られるだろう。
それでも、俺はこれ以外に解決方法が思いつかない。
「……俺、奴らに復讐するよ。母さんの仮面を被って」
その後、俺は自らの希望で、母さんの出身校である『バラウール魔法学園』に入学することになるのだが、それはまた別の話。