月の魔女
桜が散り始めた月末の午後、俺は5組の教室で講義を受けていた。
今の科目は、魔法に関する体系を学ぶ『魔法学』の時間だ。
「……というわけで、生物には『サーキット』という、自身のエーテルを身体中に張り巡らせるための器官が存在します。そして、その器官は我々が用いる魔法以外にも、龍の飛行やブレスに用いられたり、ユニコーンの解毒、フェニックスの治癒能力と、様々な生物が行使する力の源となっていますよね? そのような魔法的な力を持つ生き物が増えたことは『エーテル・スイッチ』と名付けられました」
エリカの説明がひと段落ついたところで、俺は手を挙げる。
「グリペン先生、発言の許可をいただけますか?」
「はい、モルグルさん」
「『エーテル・スイッチ』を引き起こしたサーキットの発展は、それぞれの生物で別々に発展してきた……と考えられてきました。しかし、様々な生物のサーキットを構築する遺伝子を調査した結果、様々な生物のサーキットを構築する遺伝子は、スライム、植物、キノコなどの菌類に至るまで共通しています。このことから、現在の生き物は原始的な祖先の段階で、既にサーキットのようなエーテルを司る器官を持っていたと考えられています。その遺伝子は『エーテル・ジーン』と名付けられました。……ですよね?」
この話を要約すると「全ての生き物の祖先には、もともとエーテルを司る遺伝子が備わっていて、それが魔法的な力を持つ生き物が出てきた要因だ」ということになる。
「すごいわ、モルグルさん! 最新の学説じゃない! 自分で調べたの?」
「はい。気になったので事前に調べさせてもらいました」
ただ、これは母さんがランブ・ニム研究所で発見したことをそのまま紹介してるだけだ。
母さんは世界中の魔法研究に関する論文を読みながら、自身も魔法で世界をよりよくするための研鑽を欠かさない、立派な魔術師だった。
そして、その研究を母さんの仮面を被った俺の口から発表することに意味がある。
授業を終えた夕方、廊下を歩いていると、別のクラスの同級生がヒソヒソと話しているのが聞こえてくる。
「あの女だよな? ほら、この前フェニックスを召喚したっていう……」
「うん。他にも教科書に記載された間違いを見つけたとか……」
「身体測定のときも、運動神経抜群だったみたいだね!」
「まあ、現役の冒険者らしいし、さもありなんというか……」
「魔力が98人分って言ってたそうだけど本当か?」
「でもあいつ、ルナ・ムーンライトに似てるよな?」
「まさか! ムーンライトは2年前に死んでるんだぜ」
「確かに似てるけど、それを持ち出すのはちょっと……」
桜の月も終わる頃には、既に「ルナ・ムーンライトとそっくりなエルフの女」は、第207期生の間では噂の的となっていた。
そして、それは母さんを殺して笑っている連中を誘き寄せるという、当初の目的に近づいてきている証拠でもあった。
ホームルームを終えた夕暮れ時、俺は寮で荷物を片付け終えると、転送陣がある第4防御塔の地下へ移動した。
「『ボックス・オブ・マルチディメンションズ』……起動」
手元に異空間への入り口を出現させると、そこへ手を突っ込んで必要なものを引っ張り出し、また不必要なものをしまっておく。
この亜空間に持ち物をしまう魔術は『ボックス・オブ・マルチディメンションズ』という名前がついている。
通称『アイテムボックス』として、魔王と勇者の戦いが続いていた頃から知られていた。
これを使える者は限られるが、これにより軍隊や冒険者の兵站に大きな改革がもたらされ、これを習得した魔術師は様々な場面で重宝されてきた。
ただ、現在は魔導器の発展により、これと同様の効果を持つ収納用の魔導器も開発され、積載量の低い簡易版であれば一般にも普及している。
こんな高度な魔術でも、誰でも使えるようにしちまうんだから、魔法の進歩ってのはすごいもんだ。
「『クイック・エクイプ』……登録番号6、装着」
そして、この『ボックス・オブ・マルチディメンションズ』を応用して作られた便利な魔術を用いて、バラウール学園の女子制服から専用の衣装に着替える。
俺の服装は一瞬にして、不気味な黒いローブとフード付きマントを纏った、いかにも怪しげな魔術師の衣装へと変わった。
『異界の勇者』が普及させた魔術の一つに『クイック・エクイプ』というものがある。
これは、異空間に持ち物をしまう『アイテムボックス』を応用したもので、アイテムボックスにしまった衣服、または武装をあらかじめ登録しておくことによって、一瞬のうちに登録しておいたものに着替えるというものだ。
俺も冒険者の頃から重宝していて、状況に合わせて服装や装備を切り替えるために使っていた。
この前、更衣室へと入らずに体操服に着替えたトリックもこれだ。
準備が完了してから、俺は転送陣を使って『旗艦』へと移動する。
迷路のような内部をくぐり抜け、ようやく艦内のシアタールームまでたどり着いた。
「悪い、遅くなった」
舞台裏では、既にエリカとムリアーデさんが準備を終えていた。
「心配ないわ。まだ開始まで余裕あるし」
「それよりルアちゃん、走ってきたでしょ。マントがちょっとズレてるわよ。あと汗を拭いておいた方がいいわ」
そう言いながら、ムリアーデさんはマントの位置を直して、更にハンカチで顔を拭いてくれる。
「あっ、すいません……」
「あと、お化粧も直しておきましょうね」
エリカにも、手早く化粧を施されてしまう。
こうして世話を焼かれるなんて、本当にガキの頃から進歩してないな……。
この復讐計画は、母さんそっくりな俺がバラウール魔法学園で注目を浴びることで、母さんを憎む集団を誘き寄せる誘蛾灯となるまでが第1段階となる。
そして、放っておけずに手を出してきた連中を一網打尽にするのが第2段階だ。
今回、この2年間で集めた協力者の皆さんの前で、俺達の決意表明をライブで行うことになっている。
「それじゃ、行ってきます」
やがて準備が整ったところで、スポットライトが照らす舞台へと上がる。
これから俺達が行うのは、ドラグニルさんのような母さんの復讐に賛同して集まった皆さんへの演説だ。
ただし、ドラグニルさんのような信頼できる人物を除いて、一般からの協力者はリモートでの出席となる。
配信開始の時刻になり、ドラグニルさんなどの数名しか座っていない客席に、他の協力者の姿が映される。
宙に浮かぶモニターに、種族も年齢も様々な顔が表示されていく。
壇上で、俺はローブの裾をつまんで一礼をする。
「この劇場へご来場の皆様、ごきげんよう。私が、皆様をここにお呼びした『月の魔女』です」
俺の顔は、今被っている『ミラージュ・マント』により、認識阻害の魔術で隠されている。
このフードの周囲を覆う術式により、このマントが覆う人物への認識を歪め、マントの中の姿はぼんやりとしか認識できない。
本当はこの母さんそっくりの顔を見せたいところだが、今はまだそういうわけにはいかない。
それを行うのは、このライブを終えるときだ。
「まずは、ルナ・ムーンライト暗殺への復讐に賛同いただき、心の底より感謝を申し上げます。おそらくこのライブをご視聴の皆様におかれましては、きっと勇者カーン・カラヤンやその派閥のような、この国の人々に悪意を抱く者達の被害を受けた方も多いことでしょう」
俺の演説を、協力者の皆さんは静かに聞いている。
「私はそのような者共を……『バリダオ』と呼んでいます」
俺が発した『バリダオ』という言葉に、客席にいた何人かがざわついた。
バリダオとは、母さんが描いた絵本『まほうつかいマウラのたび』に登場する悪の怪物だ。
アッシュ王国を脅かす悪魔の総大将で、非常に自己中心的で短慮、なおかつ残虐な性格を持っている。
そして、アッシュ王国の民はもちろん、同胞の悪魔ですら利用するものとしか思っておらず、思い通りにならないと食い殺してしまう。
この自己中の極みのような化け物は、カーンやアロウズのような、母さんの仇に例えるには相応しい。
「ユートピア直轄国の成り立ち……もとは魔王の国であること、魔王が多くの国を侵略してきたことを考えれば、この国を恨む人々がいることには一定の理解を示します。……しかし、反ユートピア活動の末に『バリダオ』と化した者共は、そんな大義の裏に浅ましい私利私欲を覆い隠した、他には見られない卑怯者ばかりです」
一呼吸置いてから、バリダオに対する分析を述べる。
「『バリダオ』になる人間は、大きく4つに分けられます。上の世代から魔王への憎悪を教えられて育った結果、生まれてもいない時代の憎しみをぶつけ続ける者。元魔王の国の生まれという原罪を抱き、その罪から逃れようと隣人を害し続ける者。歪んだプライドを肥大化させ、社会を憎み続けた結果、この国に仇なす存在となった者。そして、ただ単に楽して金儲けがしたいだけのクズ……」
俺の怨嗟を込めた解説に、モニターの向こうで数人が頷いた。
「ただ、後ろの2つは特に反ユートピア思想を持っているわけではない者も多いはずです。……そのような者はきっと、もし魔王の国に生まれていたら、熱烈な魔王崇拝者になっていたことでしょう……」
このちょっとした愚痴は、カーンみたいな奴らを散々見てきて学んだことでもある。
「……さて、そろそろ本題に入らせてもらいます。事前に説明をさせていただいていると思いますが、今回皆様にお話しすることは、この『月の魔女』による皆さんの復讐代行と、その見返りについてです」
ここに集まった本題に入ったことで、客席から色めきたった声が上がる。
『何が必要なんですか!? お金が必要ならいくらでも工面しますから!』
「お待ちください! 事前に説明されている通り、私達はカーン・カラヤンとそちら側の派閥……『バリダオ』に恨みを持つという共通点を持っています。そんな皆様から、資金をいただくつもりはありません」
資金というのなら、既にドラグニルさんという最高のパトロンがついているしな。
「協力者の皆様には、ルナを殺した犯人であるアロウズ・ジョーガルドをはじめ、『バリダオ』を構成する人物の私刑配信の視聴……場合によってはこの劇場での直接の観賞、及び自身の復讐対象となる人物への、直接手を下す機会の提供とをお約束します。……ただし、この『月の魔女』への協力をお願いするにあたって、皆様には3つの約束事をしていただきます」
『約束事ってなんだ!?』
『何でもする! 俺達の復讐を成し遂げてくれるなら!』
カーン側への憎悪に燃える声を聞きながら、条件を告げていく。
「一つ目。私達からの指示に従って、各々にできる範囲のことで協力してください。皆さんへの連絡は、ある方が作った連絡用のアプリケーション『リング』を通じて送付させていただきます」
この条件には、ほぼ全員が好意的な反応を返した。
ちなみに『リング』はドラグニルさんと他数名の協力者の手で作られた通信システムで、以前からドラグニルさんに貸し与えられている『リングギリアス』を使用している。
「二つ目。私達の具体的な動向に関しては、協力者の皆さんに教えることはできません。万が一にもこちらの動向を悟られないための配慮です。皆さんに教えられることは、私刑配信の告知と、直接手を下す方へのお呼び出しのみです」
ここまではわかりやすいとして、それよりも次に話すことの方が大事だ。
「三つ目。……もし協力者の皆さんがバリダオの派閥に特定され、身柄を拘束された場合、私達はその方を助けることはありません。『リング』を含む私達との関係を示す証拠は、全てこちらの手で隠滅させていただきます」
あえて冷たい宣言を行うことで、俺たちへの協力は危険が伴うものであることを強調する。
「前勇者パーティへの執拗な攻撃……いえ、それ以前からずっと、バリダオは自分達の邪魔になるもの、気に食わないものを潰してきました。恫喝、直接的な暴力、悪評を広める、当人の周囲に被害を与えるなど……。今後、皆さんがバリダオに目をつけられて、そのような目に遭わされないという保証はないということは、肝に銘じておいてください」
客席の数名と、モニターの向こうの皆さんには、心当たりのある人もいるようだった。
「30分だけ、時間を作ります。ここで手を引くのであれば、それでもかまいません。このライブからログアウトして、そのまま日常へと戻ってください。ですがもし、それらを承知の上でついて来てくださる方がいらっしゃれば……共に復讐を成し遂げましょう!」
静まり返った劇場の中で、一人、また一人とモニターが消えていく。
最初は数人程度だったそれは、徐々に消える頻度を増していき、モニターでいっぱいに彩られていた劇場はまばらになっていく。
30分たった頃、劇場にはドラグニルさんを含む数名と、半数近くのモニターが残っていた。
「……決まりですね。それでは、ここに残ってくださった皆さんには、私達の復讐計画にご協力いただきます。まずは−−」
『……月の魔女様、よろしいでしょうか?』
その中から、一人の男性が顔を表示した。
灰色の毛並みを持つ人狼で、見た目からして中年のようだ。
『……私は、ヤント市在住のマックスと申します。2年前の反レグナスデモの中で、暴動に参加した知人を諌めたという理由で、妻子を目の前で惨殺されました。子供達は私達夫婦の目の前で鉈でめった斬りにされ、妻は何人もの男に陵辱された末に井戸に落とされ、そこにダイナマイトを……!』
モニターに映るマックスさんは、そのまま俯いて咽び泣いている。
「……マックスさん。ご家族を目の前で殺された悲しみ、察するに余りあります。危険を承知の上でついて来てくださった貴方のためにも、私も素顔を明かしましょう」
そのモニターを見つめながら、俺はフードを脱ぐ。
俺の顔を知っていた客席の数人を除いて、モニターの向こうの皆さんは、母さんとそっくりな俺に驚愕の表情を浮かべていた。
「この顔をご覧いただければ、私が『バリダオ』への復讐を推し進める理由はお分かりいただけるでしょう。さあ、正義を掲げて人々を足蹴にする化け物に、私達の手で罰を与えましょう!」
かくして『月の魔女』とその協力者達による、盛大な復讐劇の幕が上がった。