墓の前で
なんとか逃げおおせた後、俺は真っ暗な森の中をフラフラと歩き続けていた。
「くそ……あともうちょっとで、あのボンクラの喉に届くところだったのに……」
今、俺はバスケットボール大の卵に戻ったグレンを抱えている。
全身に魔術により重傷を負っていたグレンは、あの後力尽きて灰になった。
フェニックスについては、よく「死んだ後、灰となって中から蘇る」という言い伝えがあるが、正確には当たり前のように生き返るわけじゃない。
フェニックスは寿命以外の外的要因によって死にそうになったとき、羽に秘められた治癒の力をフル稼働させ、自らの肉体を卵の状態にまで戻す。
完全に死んでいない限りは、こうして卵に戻って復活することができるということだ。
ただし、あくまでこれは最終手段だ。
この力を用いて復活したフェニックスは、それまでの記憶も同様にリセットされてしまい、蘇る前のことはほぼ覚えていない。
この時点で、今まで一緒に暮らしてきたグレンはもう戻ってこない。
「ごめんな……俺の、俺のせいだよな……」
グレンと共に墜落した先は、タゥルイシル森林の『通り道の泉』という遺跡だった。
この相当古い遺跡は、はっきりとした由来はわかっていないものの、世界各地の様々な国に点在する。
この遺跡はそれぞれを中継地点とした転移と、大規模な召喚の儀式にも使われてきた。
かつて『異界の勇者』が召喚されたことでも有名だが、一説には『名もなき魔王』もこれを用いて何者かに召喚されたのではないか……という珍説も根強い。
そして、この遺跡の裏側には、ひっそりと母さんの墓が建っている。
大理石でできた1メートル四方の墓石の前で、俺は両膝をついたまま突っ伏した。
母さんが殺された上に汚名を着せられ、犯人は巨悪を倒した英雄として持て囃され、それらと同様の思想を持つ集団は革命同然の形でこの国を牛耳る立場となった。
「母さん……俺……ちくしょう…………」
あまりに無念すぎて、母さんの墓を直視できない。
きっと、今の俺の顔はグシャグシャになっていることだろう。
「ルアちゃん……貴方、自分が何をしたかわかってるの?」
声に振り向くと、墓地の入り口の側に大小二つの人影が立っていた。
勇者パーティメンバー……正確には元勇者パーティメンバーのムリアーデさんと、象人のリチャードさんだ。
特にリチャードさんは、象人の中でも特に頑健な、3メートル以上の体躯ですぐにわかった。
「二人とも……レグナスさんが失脚してから、どこに行ってたんだよ……」
レグナスさんが勇者の座から引き摺り下ろされ、カーンが勇者の座におさまった後、元勇者パーティのメンバーはほとんどが行方をくらましている。
レグナスさん本人と、東国のハルヤさんを除いては。
「ごめんなさい。でも私達も指をくわえて見ているだけじゃなかったのよ」
「黙って見てるだけじゃなかったなら何してたんだよ! カーン側の派閥が好き放題に暴れて、破壊と略奪の限りを尽くすのを止めもせずに! 母さんの死を嘲笑って、死後も際限なく貶め続ける奴らに……」
叫んでいる最中、リチャードさんに胸ぐらをつかまれる。
「いい加減にしろ、ルア! ルナ殿が死んで悲しいのはお前だけではないのだぞ!」
その表情は苦渋に歪んでいて、小さな眼は潤んでいるようにも見えた。
そうだ。リチャードさんは俺よりもずっと昔から母さんの戦友で、母さんのことを姉のように慕っていたんだよな……。
ムリアーデさんがため息をつきながら、今までのことを話し出す。
「……ハルヤがカーン率いる新しい勇者パーティに加わったのは知っているわよね?」
確かにハルヤさんは、レグナスさんの失脚に伴って、カーン側にへりくだって軍門に降っている。
カーンに足蹴にされても平気そうだったのが、恥ずかしくないのかと言いたかった。
「私も最初は目を疑ったわ。でも、すぐにハルヤから連絡が来た。『俺はカーンの懐に飛び込んで、失脚に値するスキャンダルを探す。新聞が味方でもどうしようもないほどの』って」
……だったら最初から、そう説明してくれりゃよかったのに……。
「そもそもだ。ハルヤは不器用で愛想も悪いが、レグナスが負けたというぐらいで寝返るような卑怯者ではない。何より奴が最たるレグナスの戦友であることは周知の事実だろう」
「あと、コスモスも各国を巡って、味方になってくれそうな面々と交渉して回っているわ。カーン側がやりたい放題した末にこの国が潰れたら、困る人もいっぱいいるもの」
コスモスさんも、カーンが勇者になってから行方をくらませていた。
俺の見てない場所で、みんな母さんのために……。
「それよりルア、あんたのおかげで国内は大騒ぎよ。元勇者パーティの魔術師だったおばさんに続いて、更に勇者になったばかりのあの男まで襲われたんだから当然だけれども……」
いつの間にか、親友のエリカが遺跡の柱に腰掛けていて、ウィズボードに映ったニュースサイトのページを見せる。
「見てちょうだい。もう『勇者カラヤン暗殺未遂、犯人はシン魔王軍か!?』っていう記事が出て、レグナスさんの支持者全員をシン魔王軍として取り締まるべきって論調も出てきてるわ」
ああ……。
ある程度そうなるとは思っていたけれど、新聞もカーン支持者も本当に恥知らずだ。
「……よく自分らのことを棚に上げて言えるよな。母さんを殺したことを正当化して、挙句レグナスさんにも言いがかりをつけて失脚に追い込んでおいて……」
「そういう問題じゃないでしょう? ルアちゃん、貴方が手を出した時点で既に、カーン側は反対者を排除する大義名分ができてしまったのよ。……ちょっと考えたらわかるでしょう?」
ムリアーデさんの表情は、俺への呆れが込められていた。
「理由はどうあれ、暴力……というか殺害という方法に訴えた以上、その時点で本人のみならず、同様の立場にある者全員の心象を悪くするのよ。もしそれを理解せずに実行したのならただの馬鹿だし、理解した上で実行したのなら真正の自己中よ」
そうだ。
俺は奴らへの憎しみで頭がいっぱいで、他のことなんて考える余裕はなかった。
「……まあ、そもそも先にルナ殿を……いや、それ以前から散々この国の人々に、更に我らに害をなしてきたのは奴らだといえば否定できんがな」
リチャードさんは満月を見上げながら、長い鼻を鳴らしてため息をついた。
「……じゃあさ、一体どうすればよかったんだよ。母さんはあれだけこの国の人々のために頑張ってきたのに、ありもしない悪行で毒婦と貶められて、新聞とカーンのせいで世界中から罵られ続けてるってのに……」
グレンの卵を抱えたまま俯く俺の肩を、エリカが叩いた。
「おばさんの墓をよく見てみなさいよ」
エリカに言われるがまま、俺は顔を上げて母さんの墓を見る。
そこには、小さな石碑程度の墓があるだけだ。
「おばさんへの疑惑が正しいかは置いといて、国中……あるいは世界中から憎まれた奴の墓ってのは普通、あちこち落書きされたり傷つけられたり、糞尿まみれにされたりしてるものよ。でも、おばさんの墓は傷ひとつついてない。むしろ……」
そこまで言われて、ようやく気がついた。
母さんの墓は、誰かがピカピカに磨いていた。
それに、献花代には今も多くの花が添えられ、いくつものお供物が置かれている。
「ま、あたしもちょっと周りを掃除させてもらってたんだけどね」
「エリカだけじゃないわ。ルナに助けられた人は、国内外にたくさんいる。そんな人々が少しずつ、少しずつお参りに掃除に献花と……自分なりにできることをしているわ。お墓のことだけじゃなくてルナの名誉回復に必要なこともね」
リチャードさんは照れた表情をしていて、ムリアーデさんは自分の顔を指差しながらニコニコしている。
「でもこれでわかったでしょ? おばさんが世界中から憎まれて、『毒婦』と罵られているなんて、大間違いよ」
そっか……。
俺、本当に馬鹿だよな……。
母さんを愛してくれている人が大勢いるのに、全然気づかずに誰彼かまわず憎んで……。
「うっ……うううぅぅぅ……………………」
いつの間にか、俺の両眼からは涙が溢れだす。
母さんが死んだときから、俺の涙はとっくに枯れたのだと思っていた。
涙を流している暇があったら、それは全部報復に向けろって。
そんな俺を、エリカが抱き止めた。
「今だけ、たっぷりと泣きなさい。で、涙も枯れたら……今夜とは別の形でできることをしましょう……」
親友の胸を借りながら、俺は母さんのことを思い浮かべる。
絵本作家としても有名だった母さんは、絵本を通じて子供達に大事なことを伝えたいとよく話していた。
そんな母さんの思いはきっと、この国の人々には届かなかったんだろう。
カーンを殺そうとしたこともそうだけど、今から俺がやろうとしていることは、そんな母さんが見たら絶対に止める行為だ。
それでも、俺は復讐を諦められない。
やがて、涙も枯れた頃、俺はエリカとムリアーデさんに連れられて、母さんが殺されたときの記憶を呼び起こしてもらうことになった。
前回のタイトルから前編という文章を削除して、こちらのタイトルを「墓の前で」にしました。