ほうれんそう
「いっ痛ぁぁぁ」 朝、目を覚ました瞬間、いままで経験したことのない激しい腹痛に襲われた。ベッドから起き上がろうとしても、お腹が痛すぎて起き上がれない。食べ過ぎのせいかな。でも昨日の夜は、ほうれんそうの野菜炒めとご飯を食べただけだから食べ過ぎというわけでも無さそうだ。食中毒かもしれないとも考えたが、ちゃんと火を通して料理した。生物も食べていない。食べ物関連の痛みではないようだ。まさか……。
私は、寝巻きをめくってお腹を見た。すると、へそから芽のような何かが生えていた。
お腹をかかえながら、私は病院へ向かった。今日は、日曜ということもあって、人が多い。受付をして、雑誌棚から適当に雑誌を選んで、待合室に座った。雑誌には、「来世で人になる方法」や、「楽しい昆虫ライフ」といった特集が組まれていた。「来世で人になる方法」は、是非読んでみたい内容だったが、今はそんなことよりもお腹が痛すぎて、雑誌をとじた。周りの患者も待合室のソファの上でお腹をかかえながら寝転んだり、床に小さく屈んでお腹をおさえていたりした。
「1502番の青木様!1番診察室へお入りください。」看護師が、私の名前を呼んだ。「はぁい。」私は、待合室を出た。
診察室へ入ると、長い髭の老医者が少し緊張した面持ちで座っていた。
「心の準備は、よろしいですか?」医者がこちらをじっと見つめた。
「はい。」私も見つめ返した。診察室に重たい空気が流れる。
「お腹を見せてください。」
「はい…。」私は、上着をめくってお腹を医者に見せた。
「これは……。エンジェル!エンジェル!」お腹を見た医者は、若い女性看護師を呼んだ。「はぁい!ゴッド!今行きまーす!」
「エンジェル!これは、あれだよね?」 医者がゴクリと唾を飲み込んだ。 「はい。あれですね。ゴッド。」看護師も頷く。
医者と看護師は、こっちを向いて言った。
「これは…ほうれんそうです!」と。
その瞬間、いっきに目の前が真っ暗になった。ほうれんそうだって?私が?ほうれんそう?
医者は汗をかきながら、「すみませんね。運命を変えることはできないんです。あなたは、これから1週間以内にほうれんそうに生まれ変わります。一応痛み止めは出しとくんで。お大事に。」と言った。 信じられない…。
「いやいや!ちょっと待ってくださいよ!どうしても人になりたいんです!会いたい人がいるんです!お願いしますよ!どうしても、夫と娘に!」
医者は苦笑いして、「これは決まりなんです。この世界が始まってからの。お腹から、人間の手が出てくればあなたは、人になれます。しかし、あなたのお腹からは、ほうれんそうの芽が生えている。神である私でも、この決まりに逆らうことはできません。」
「そんな…。あなた、神様なのに冷たいんですね!見損ないました!」私は、顔を真っ赤にして反論した。
「あなたね、自分がほうれんそうになる運命だからって、そう神様に反論していいものではないんですよ。今日は、患者さんが多いんです。忙しいんで、さっさと帰ってください。」
医者は、こちらを見ずに言った。「いいえ!人にしてもらえるまで、ここを動きませんから!」私は、椅子に深く座り込んだ。「はぁ。エンジェル…これどうするよ。」 「仕方ないですね。あっ!こういうのは、どうでしょう?」看護師が、医者に何やら耳打ちしている。医者は、ニヤリと笑った。
「青木さん。あなたに一つだけ、権利を与えます。」
医者がにんまりして言った。「あなたは、残念ながらほうれんそうにしかなることはできないのですが、あなたを最初に食べた人間の体をあなたの魂が乗っ取ることができるようにします。その人間の体を乗っ取ったあなたは、その人間として生きるのです。そうすれば、あなたの会いたい人に会えると思いますよ。ただし、副作用が強烈ですよ。」
「あっありがとうございます…。」私は、涙を浮かべて喜んだ。やっぱり、神様って優しい。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
意識が飛んだ。ほうれんそうの野菜炒めを口に入れた瞬間。光が見えて、目の前に神様と天使?俺、死んだのか?
「ねえ。パパ?どうして泣いてるの?」里奈が心配そうにこちらを見ている。
「いや、なんでもないよ。ほうれんそう美味しいね。」
「うん!」
『里奈の死んだ母親』は、『里奈の父親』として生きることになった。
今朝、腹痛で起き上がれなかったときに思いつきました。