三国志別伝~果てなき東国からの親書と虞翻の計略 前編
東呉の孫権が治める都 建業より 南に数百キロ。
その地の名は、交州 交阯。
今の広州~北越・・・ つまり中国の南東部の最果てから、ベトナム北部にかけての 広大な地域である。
その地において、目に見えて それと分かる大きな館の主、士燮 (ししょう) こそ、この地を数十年にわたって治める 領袖であった。
彼は、後漢帝国、あるいは魏や東呉、蜀といった中央や地方政権から、独立した形で 政権を築いており、その支配領域は、華南・紅河デルタ・現在のタインホア省に及んでいる。
とはいっても、士燮が、後漢帝国と 全く関係を持っていないわけではない。
光和7年(184年)には、交州刺史の賈琮の推挙により、彼は、漢の交阯太守に任じられているし、建安5年(200年)には、荊州の劉表が、呉巨を蒼梧太守として 勝手に任命したことに対抗するため、中央の曹操と通じた。
そうすることで、綏南中郎将の地位を得て 交州七郡を監督する権限を 後漢帝国より授かることにより、蒼梧の呉巨を抑え、劉表に対抗したのだ。
ちなみに、呉巨の向かった蒼梧は、広東省の隣、現在の梧州市のあたりで、交州七郡の1つにあたる。
また、かの赤壁の戦い後、東呉の孫権が力を増してきた建安15年(210年)には、その配下の歩騭に対し、長男を人質として差し出すことで、半ばその支配下へと入り、その難を避けた。
とはいえ、後漢・・・ すなわち 曹操の魏に対する朝貢は 維持し続けたのだから、士燮のバランス感覚は、卓越していたと 言えるだろう。
しかし、その士燮の交州支配も、蜀の丞相・諸葛亮の南征・・・ 孟獲の 七縦七擒で有名な あの戦い・・・ 侵攻の後、南中が蜀の支配下に はいったころから、小さな揺らぎが いくつも見られるようになった。
東呉の孫権の圧力が 強まったのである。
呉から南へ数百キロ進むと、交阯や北越に たどり着くのと同様に、蜀からも 陸続きで 交阯にたどり着くことが出来る。
孫権は、諸葛亮・・・ 蜀の影響力が、半独立状態とはいえ 自らの勢力圏と見なしている交州の士燮政権に及ぶことを 恐れたのである。
そう、彼は、その地域の直接支配に乗り出そうと考え始めていたのだ。
そんな士燮の館の一番豪華な部屋。 士燮の目の前で細いキツネ目の男が盃を傾ける。
「いかがです? 瘴癘の地と言われる南方に下ってこられたのですから、お体を崩されるようなことは ございませぬか?」
士燮は、目の前に座る その男に話しかけた。
男の名は、虞翻。字は、仲翔。
交州の光孝寺で、数百人の門下生を相手に 学問を教える学者であり、医師であり、政治家。
東呉の孫権 直属の家臣である、
彼は、この交州の地で、『易』『老子』『論語』『国語』に注釈を加え、それぞれ広く世に教えた。
その学問は、1800年経った現在でも伝わっており、前漢今文学の『孟氏易』、八卦と十干・五行・方位を組み合わせた『象数易』をまとめたその著書『易注』は、一時散逸したものの、その断片が唐の李鼎祚『周易集解』に収録されている。
「いえいえ、(呉のある)揚州も、こちら交州も、気候は大きく変わるものではありませんから。 それに、ここの人々は、純朴で良い人が多い。 ストレスも感じませんね。」
赤ら顔の虞翻は、そう答えると、大きく開いた窓から 外を眺めた。
「そうですな。 こちらでは、神仙談義をする者は、居りませぬからな。」
ニヤリと笑った士燮は、自身の白いひげを右手で触れながら、軽く言い放つ。
「ははは。 ご存じでしたか。」
少し苦笑いをするように 頬を緩めると、虞翻は その視線を士燮の方へと戻した。
というのは、なにも虞翻は、わざわざ交州の地まで 学問を教えに来たのでは ないからであった。
どういう理由で、このような南の果てと言うべき地へ彼が、やって来たのか。
難しいわけなどは 無い。
呉の君主 孫権の勘気に触れたためである。
それは、6か月前のことであった。
酒席に置いて、呉の重臣で綏遠将軍 由拳侯・張昭と、主である孫権が、神仙について 机をはさみ議論していた時のこと。
たまたま通りがかった 酔っ払いの虞翻が、この話題に食いついのだ。
「死すべき定めの限りある時間を過ごす人の身でありながら、神仙へと昇華する話を語っておられますのかな? 不老不死の神仙など いるはずがないでしょう。 それとも、おふたりは、死人の世界に足を踏み入れておられるのか? いや、確かに、張昭どのは、棺桶に1歩足を踏み入れてござる。 間もなく神仙となること間違いない。 つつしんでお祝い申し上げまする。 ははは。」
老将軍 張昭は、孫権の兄・孫策が、その死後の孫家を支えるため、弟のために、配置したいわば東呉の柱石である。
自身と 老臣 張昭への 無礼千万な言動に激怒した孫権は、この男を追放し 交州に左遷することを決断したのであった。
「わたしなどは、神仙の世界など考える余裕もございません。 人の世だけで精一杯ですな。」
士燮が、呟くように漏らすと、今度は、虞翻のほうが ニヤリと笑う。
「その人の世は、お困りごとが多いでしょうな。 つまらぬ干渉も 増えたでしょう。」
「私ども 交州のものたちは、東呉の主のために より多くの汗をかく必要に迫られておりますから・・・。 少々の困りごとならば、仕方ありませんな。」
そう、先ほど述べたように、孫権は、半ば独立した士燮の政権を 自領に完全に取り込もうと考え、すでに動き始めている。
その干渉・・・ 要求は、以前であったならば、少々の賄賂を送れば 現地の役人によって、ごまかしが きいていたものの、今では、孫権による 直接の命令があるため、昔のような ごまかしが、通用する部分が どんどんと小さくなってきているのだ。
「まぁ、さしずめ、私は、そのつまらぬ干渉を行う者の 尖兵といった所でしょうか。」
虞翻は、神仙話で、孫権の怒りを買い 交州に流された事実をすり替え、笑いながら 士燮に言う。
「くわばら くわばら・・・ 私は、恐ろしい方を 館にお招きしてしまったようです。」
ちっとも、恐れ入らず 白ひげを しごきながら 盃を飲み干す士燮。
「いかがです? 今度は、士燮どのに、わが館に足を運びいただければ、良いお話が 出来るかもしれません。」
そう話をするうちに、士燮は、虞翻に招かれ、その館へと向かうことになったのであった。
数日前に、こちらに流されてきたばかりだというのに、虞翻の館は、いつの間にか交州の家具から、呉の都である建業のものへと模様替えがされていた。
「ほう。呉の机の、細工は見事なものですな。」
士燮は、奏案と呼ばれる 美しい細工の施された 文書机を撫でる。
「真ん中に、割れた後が、見えますでしょう。」
なるほど、その小さな机は、虞翻が指し示す真ん中の辺りで 金の細工によって 継ぎがされている。
「あぁ、この金で継いである部分ですな。 1度、真っ二つに割れたものを、それと分からぬよう見事な細工でつなげておられる。 これは、素晴らしい。」
「これこそが、かの赤壁の戦いの際、呉の主・孫権候が、曹操との戦いの軍議で、一刀両断したあの机でございます。」
「おぉ、なんとっ。 本当でございまするか?」
「ふっ。 嘘です。」
「はっ?」
このような場で、そのような つまらぬ嘘を吐く・・・。
虞翻は、いったい 何を考えているのであろうか。
士燮は、彼の考えが見えず、その顔をじっとみつめた。
「ただし、そのように言われてしまうと、この小さな机が、歴史上の価値のあるモノにしか見えなくなる。 なかなか疑うことは難しいものです。 人は、見たいものを 見たいように 見ますからな。」
そう言って、虞翻が、パンパンと手を叩くと、盆を持った女が1人。
彼女は、盆の上に乗った 果実の酒をなみなみと注いだ盃を 士燮と、虞翻の前に トントンと置いた。
女は、そのまま虞翻の後ろへと控える。
「この者、我が女でございましてな。」
盃に口をつけると、なめらかになった 虞翻の口唇が動き始める。
虞翻が 我が女と呼ぶ者は、おおよそ漢や魏や呉の生まれとは見えない。
顔には小さな入れ墨が施され、腕には、朱や丹を塗りこめているのが見える。
「これは・・・。」
士燮は、返す言葉を 持たなかった。
「驚かれましたかな?」
虞翻が、楽しそうに 盃を傾ける。
「この女は、厳虎殿のもとに仕えていましてな。 その厳虎殿が、孫策様の攻撃を受け、余杭の許昭の下に落ち延びる際に、私に 託されましたのじゃ。」
厳虎・・・ 揚州呉郡烏程県・・・ 会稽の南付近に地盤を築き、孫策の征伐を受けるまでは、王朗と競って勢力を誇った 山越の族長である。
※厳虎は、呉書「朱治伝」において「山賊厳白虎」と記される。
呉越同舟という言葉もあるが、呉と山越は、仇どうし。
朱治伝の視点をかりるならば、孫呉勢力の南端を荒らす
山越の族長など、山賊の頭でしか なかったのだろう。
(そういえば、虞翻殿は、会稽の王朗に 仕えていたのであったな。)
士燮は、心の中で 独りごちた。
「彼女は、太陽を神として祈り、骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占うシャーマンなのですよ。日に祈る巫女というわけですな。」
士燮は、彼女によって盃に注がれる酒の匂い・・・ いや、彼女の体から感じられる かぐわしい匂いに 酔いそうになりながら、虞翻の言葉にうなずいた。
書いていると、7000字を超えていることに気づきました。少し長いため、前編後編に分けたいと思います。後編は、日曜日の朝くらいまでには、仕上げたいなと考えています。