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昭和30年、開拓村の春夏秋冬  其処はうっそうとした手つかずの雑木林に囲まれていた。改訂・増補版

作者: 懐旧庵・瞳孔児

昭和30年、開拓村の春夏秋冬  其処はうっそうとした手つかずの雑木林に囲まれていた。




昭和30年、それはまだ戦後という雰囲気が各所に残っていたそんな時代だった。










其処は、、都から遠く離れたへき地の県の開拓村だった、


そして、開拓村のはずれに、少年だった、私の家はあった、


その県の県庁所在地から単線の軽便鉄道に2時間も乗ってついた無人の駅からさらに歩いて1時間の


ところに私の生家はあった。




私の家はそこから先はもううっそうたる雑木林で、


つまり私の家までが、どうにか開墾された畑地になっていて


その辺りはもう家はなくて、


その畑が終わるところが私の一軒家だった。


すぐ裏からそこはまだ人の手が入っていない雑木林が延々と続いて


それは遠い河岸段丘の城跡まで続いている。


雑木林、、、と、書いてみたのだが、、


じつは皆さんが想像するであろうようなそんなこぎれいな


今どきのそこらの森林公園のようなそんな手入れされたものではない、


むしろ、、原生林といったほうがより実態に近いだろう。


私の家はといえば、いかにも開拓村らしい?


トタン屋根の板壁の農家でして、


大きな柴小屋と家畜小屋が付属していました。


そしてすぐ裏がもう、うっそうたる、やぶのような雑木林ですから


風吹く日などはすぐ裏に生えているクルミの巨木から、山クルミの木の実がトタン屋根に落ちてきてうるさいこと、。




そんな私の少年時代は、まさにこの森(雑木林)が


唯一の、そしてうってつけの遊び場でした。


我が家の裏からすぐもうけもの道がうねうねと


森の中に続く。


それはまさに異界へのゲートのようでした。


一歩この道を入るとそこはもう別世界、


緑の茂る魔境のよう。


その葉陰からちらと見える妖しい影?


そして叢には毒々しいキノコがちらりと見えていたりして、


見上げると樹幹のわずかな隙間からは赤い青い小鳥がさーっと飛び交っている。


まったく、ひとけはありません。


ガサガサと藪が揺れます。見ると


コジュケイ?か山鳥がサーット駆け抜けてゆきます。


遠くには狐穴も見えます。




そんな雑木林は食材の宝庫でもありました。


春は山菜、タラの芽。フキ。ゼンマイ。など


野生の山椒のわか芽も香ばしい香りでいっぱいでした。


篠竹のタケノコもまあ珍味でしょうね。


それから当時私たち少年たちが呼んでいた「シイカンボ」というのは


酸味がきつくてそのまま生食するんですがおいしいおやつでした。


(シイカンボ、、スイバですね。)




山ブドウはすっぱすぎて駄目。




サルナシはまあ食べられますが。




また


あしなが蜂の巣も叢にはあります。


蜂を追い払って巣をとれば、そこには蜂の子がたくさん。


それはおやつとなるのです。




クヌギには、その樹液を求めてカブトムシそして大スズメバチも来ます。そして森の紫の妖精、オオムラサキも飛んできます。






クヌギの木はまさに森のレストランですね。


松の大木の木陰のウロには、フクロウが潜んでいますし、


草むらをささっと走り抜けるのは小綬鶏の夫婦ですね。


林のはずれには野生化した大きな、桑の木もあります。


秋には桑の実がたわわに実ります。






口を紫に染めて夢中で食べたものでした。


当時お菓子なんて買える時代ではありませんでしたから。


こうした山野の木の実などがお菓子だったのですよ


サワサワと、木の間を縫って吹いてくるそよ風。




なんかいいにおいを運んできます。


奥に入ってゆくとやがてぽっかり空いた空き地に出ますが


そこに名も知れぬ、蜜花が大輪の花をさかせているのです。


私だけの秘密の花園、


あのいいにおいはこの花だったのですね。


花びらをそっととって花芯を吸うと口いっぱいに甘い蜜の香りが広がりました。飽きず、摘んでは吸ったものでした。




さて雑木林の宝物フルーツってなんだと思いますか?






それはアケビです。


雑木林には必ずアケビのつるが絡まってますね。


秋になると、紫の大きな実が実ります。


実が自然と口を開けると食べごろ、


分厚い果皮をめくって中の白いジェル状の果肉を食べます。






ほんのりと甘くて上品な味です。




ヤマノイモ(自然薯)も秋に取れますが


これは相当深く根を張るので子供ではうまくとりきれません。


で、零余子をとって食べるのです。






これはあぶって食べるとホックリしておいしいです。




雑木林の白い妖精、それが山百合です。


真っ白な大きな花が咲いています。






きれいでしたね。


蛇いちごも真っ赤な身をつけてますが




私は食べません。毒はないですが、、おいしくないからです。


美味しいのはキイチゴです。


雑木林の切れ目の日当たりの良いところにそれはあります、




粒粒のキイチゴの実は甘酸っぱくて自然の味そのものでした。


その近くを悠然と青大将が這っていきました。


長さ2メートルもあろうかという大きな蛇、でも無毒です。




マムシはまあるくなってとぐろを巻いて威嚇してきます。


怖いです、夏休みなど子供がしばしば「ドサッカブ」で、踏んずけてかまれたりします、


マムシには子供心にも気を付けていましたね。




叢の日当たりの良いところには、野蒜はとってそのままかじるか味噌をつけて食べます。


ラッキョウの野生種ですね。




この地方では、


雑木林の中には諸所に、小さな高さ背丈ぐらいの小古墳も散見されます。この辺一帯は5~6世紀ころの群集小古墳が170基くらいあったところだったのです。


江戸から以降の開墾によってだいぶ取り壊されて昭和30年代には


畑に変わってしまったものが多かったようですがそれでも未開墾の雑木林の中にはまだ相当数のこっていました。


墓室がむき出しになったものや盗掘❓されたようなものがほとんどでして


ぽっかり空いた墓室をのぞき込んでみても、その当時、副葬品は皆無でしたけれどね。人骨も、もちろんありませんよ。




そのとき、


突然、山鳩がぽうぽうと遠くで鳴いていたりして、


はっと正気にもどされます。


人に会うことなどあり得ませんがそれでも、ごく、


たまーに、漆掻きのおじいさんが山刀を腰に差しておくからぬっと出てくることもあります。




あるいは猟季の冬場は鉄砲撃ちの人に会うこともあります。


雉を腰にぶら下げた猟師が、


「おい小僧、危ないから山に入るなよ。それ玉に当たっても知らないぞ」


なんてよく怒られたものでしたね。


さすがに、里山ですから、イノシシやクマは見たことはありませんでしたが。


山鳥やキジはたくさんいました。


猟師はそれを狙るのです


キジ鍋はおいしいですものね。




また雑木林は、そこで薪拾いをしたり柴を刈ったりという燃料の宝庫?でもありました。


放課後には背負いかごを背負って薪拾いも子供の日課でしたね。


当時ガスも水道もあるはずがありません。


煮炊きは竃と、水は井戸しかありません。




さて、


そんな森の中にはいったいいつ頃からあるのか山道の奥の大きな空き地に


真っ白い洋風の大きな建物がひっそりと建っているのです。


こんな田舎の開拓地には


全く不似合いの、、不釣り合いの洋館です。




その当時すでにそこは空き家(廃墟)でして、村の少年はそこを


「避病院」と呼んでいました。


いまならそこがどういう施設か、ちゃんとわかりますが当時無知な少年だった私たちにわかろうはずもありません。ただ全くこんな僻地の田舎に似合わない立派な病院であり。


無人ですからその敷地に入ると、白壁に囲まれたまさに病院です。




室内はがらんとして、何もありませんが、廊下には琺瑯の洗面器と茶色いクレゾールの瓶が転がっていましたね。その瓶のふたをとるとあの独特の病院臭?クレゾール臭が鼻を突きました。これは昔のいわゆる隔離病舎でして明治のころから各地に作られたものです。


伝染病の隔離に使われましたが、昭和に入ると用済みになり


ほとんど廃屋となったのですね。




ここはすっかり放置されて、無人で草に埋もれた、雑木林の中の廃墟、でもきれいに?遺っていてまだ使えそうでしたよ。


少年の格好の探検場所のひとつでした。




通いなれた山道の傍には、季節ごとに、キイチゴや蛇イチゴが実り、道端の草陰には竜の玉が


紫の小さなボールをたわわに実らせていました。


かあかあというけたたましい鳴き声に思わず見上げるとひときわ高い松の木の樹上に


枯れ枝を集めて作った大きな山ガラスの巣が、、。




そうして私だけの秘密のけもの道をたどると、


その先には大きな秋茱萸の木があって晩秋には霜降り模様の実をたわわに実らせるでした。


その実は渋くってすっぱい、まさに野性的な味わいでしたね。


おいしい?というのではないですが、私はその渋く、すっぱい味が大好きで


盛んにほおばったものです。ああもう一度味わってみたいなあ、




けものみちから外れて分け入るとそこにはマサキやアオキの低灌木があって


その密生した枝をかき分けると、メジロやシジュウカラの巣がひっそりと隠れてあったりしました。


その小さな卵を盗んで、そのまま、生卵をごくり、野生児ですよね。




秋になると、山栗や、山柿が野生のままで雑木林の中で実るのです。


それは村童の格好のおやつでした。


当時、今のようなお菓子があるはずもなく、まして人里離れた開墾地ですから。


こんな野生の実りが最高のおやつだったんですよね。


山栗は生で丸かじり、山柿も皮のまま丸かじりです。




あるいは、村の大人は、メジロ籠をもって季節になると鳥もち棒で


目白採りですね。


メジロ籠に差した鳥もち棒、その籠をそれらしい林の中の枝につっておきますと、


縄張りを侵された野生のメジロが籠を威嚇しにやってきます。


そして鳥もち棒に止まった瞬間もうひっついて動けなくなってしまうのです。我が家でもそうした目白を飼育していましたね、


ハコベとか果実類(柿、)などがエサです。




まあ今現在は禁止猟法ですが、当時はまだ許されてたんですね。




そのほか、森の切れ目には、その空間にカスミ網が張ってあったりします、これは鳥屋師がヒワをとるために張ったものでして、


渡り鳥の季節になると、いっぱい引っかかっていたのを見ましたね。とったヒワを籠に詰め込んで売りさばく、それが彼らの生業です。


あるいは狐ワナなども森の中にはあるのでまあ確かに踏んづければ危険極まりないことは確かでしたね。


幸い私はふんずけたことはありませんが。




少年ができるのは当時「ブッチメ」と呼んでいた小鳥ワナの仕掛けです、


これは雑木林の中の低木をたわめて、それを麻縄で縛りそこに小枝で適当な「ベロ」というものをかませて


小鳥が泊まれるように仕組む。そこに小鳥の好きそうな木の実を


提げておく、


すると小鳥が飛んできてその木の実をついばもうとして「ベロ」に、とまると、たちまち仕掛けが外れて小鳥は首を挟まれて即死してしまう、


という仕掛け罠です。


これは当時の少年がみんなやってました。


小鳥は持ち帰って焼いて食べます。


といっても小鳥ですから食べる部位はほとんどなくて


ももだけを焼いて食べるのです。


いわゆるスズメ焼き(もも焼き)ですね。




それからいわゆる「パチンコ」もよく作ってはやりました。


二股の小枝を見つけてそれを肥後守で削り、ゴム輪を取り付けて


小石をビューンと飛ばして、獲物(主としてスズメなどの小鳥)を狙う。


これは少年ならだれでもやってました。




村には名人の少年もいてそういう少年は百発百中でした。


あの名人少年、今も生きてるんだろうか?


それから大人たちはまあ本格的は猟銃での猟ですがそこまでいかなくてもたいていは空気銃というのがあって


これは空気の圧力で小さな鉛球を飛ばすのですが、スズメとか山鳩くらいはこれで捕れますので重宝でしたね。








さて先ほど、私の家が村はずれの最後の家、と書きましたが


じつはこの雑木林の中の山道をずっと入ったところに、私にとっては謎の家があったんです。開墾地以前から、なんか、ずっと昔から住んでいたような、おそらく江戸時代から住んでいたのでしょうか?


杉の巨木に囲まれた一軒のわらぶき農家、そこはぽっかりと森が開けていて少しばかりの畑もあり、


庭先には釣瓶井戸もありましたね。


少年たちはそこで黙って勝手に水を飲んだりしました。


その当時には、


気難しいおじいさんが住んでたらしいのですが、ほとんど見たこともなくて、


井戸は割と浅井戸でして、のぞき見ると水面は手が届くほど近くでした。


もっとよーく見ると、水の中には、小魚が泳いでいました。


自然に小魚が井戸にわくはずがないのでおじいさんが放流?したものでしょう?




さらにその山道をたどると、猟師たちが試し打ちに使ったという目印の大きな白い幹の木があります。


この木の幹に試し打ちしたのだそうです。


幹をよく見ると、こぶのようなものがいくつも凸凹とついています。それは銃弾が食い込んだ後樹木の自然修副作用で、盛り上がってできたものです。


ためしにそのこぶを、肥後守(小刀)でほじくってみると、小さな鉛の銃弾が出てくるのです。


肥後守?


そうです昭和30年代に生きていた少年ならだれでも知っていた。こがたな、です、金属の胴が付いていて折り畳み式で田舎の少年の必須アイテムでした。当時の少年の唯一の遊び場である、


川に行っても、森に行っても必需品です。


遊び場と言ったら川か森です。ゲームセンターもないし、


デパートもありません。家には三級式のラジオのみです、


一般村民の家にはテレビもありません。村長さんの家にかろうじてテレビがあるくらいです。




したがって少年たちの遊び場は山と川です。


今でいえば、、日々アウトドアでの遊びが当たり前だったのです。


ですからこういう小刀は必須アイテムなのです。


さて先ほどの目印の白い木の近くには


そこには


乾燥蔵?の廃墟もありました。


母に聞いたところによると、戦前に、そこで煙草?だか茶葉だか?を乾燥したのだそうですが


今はだれも使うこともなくなり、廃墟になったそうです。


ここでよく休憩したものです。




森の中にはひときわ大きな樹木があって、あれは楢の木か?


それを少年たちは物見やぐらに使っていました。


登りやすいように枝を切りそうして樹上には木の棒を渡して、まあ


今の言葉でいえば、、ツリーハウスを作る。


晴れた日はそこに上り、ひがな一日、遠くを見渡したり昼寝したりしたものです。


見渡すと遠くの雑木林のはずれの河岸段丘には戦国期の砦跡も見えます。


ツリーハウスを降りて山道を


たどるとその先には戦国時代の山城、、というかまあ、砦ですね、


その城跡も河岸段丘に沿ってあります。小さな砦跡ですが


空掘りや土塁、虎口なども良好に残っています。


大きさはせいぜい、方20メートルくらいです、。


ここは二つの小河川が合流するところでして三角形の天然の要害です。2方は河岸であり、絶壁です。


三角錐の底辺に当たる部分のみを土塁とから堀で防備すれば素晴らしい?砦ができるのですね。






そこからちょっと引き返して別の河岸段丘のほうに行くと、


そこはなだらかな鍋底状の緩い斜面になっていて


枯れ葉散りしくころになると、枯れ葉滑りができるのです。


自作のリンゴ箱に竹のスキーをつけた「そり箱」で滑り降りる、




そのだいご味は忘れられません。


雪降る日のあくる日には、雪滑りもできます。




ただ


雑木林はそのままで異界への入り口でもありますから、


母は行かないようにしばしば注意していましたが


私は、その教えも聞かずよく行ったものです。


森はコワイからむやみにゆかないように、


母はこういって諭しました。




「いいかい、ちょっと前なんだけどさ、避病院がまだやってたころ、


その患者さんが抜けだして森に入って行方不明になってさあ。


みんな、村人も出て捜したんだけど、三日後にあの沢筋の大きなブナの木で首つって死んでたんだよ。






さて雑木林は昼間はいいのですが夜は怖いので決していきません、行くはずもありませんよね。

遠くにきつね火が見えたりすることもあります。


ある日のことです。私達が雑木林に入ったとき、その山道沿いに

干し魚が点々と散らばっているのです。ずっと数百メートルにもわたって、

中には木の枝に魚が引っ掛けてあるのもありました。

一体何事があったのでしょうか?


やがてどこかから聞きつけた大人たちが魚を拾いに集まってきました。

私の母に聞いたところによると真相はこうです。


何でも行商のさかな売りのおじいさんが夕方この山道を通りかかったところ、

道沿いに何人もの客がいて魚を売ってくれ売ってくれというわけでおお売れに売れたのだそうです。

ところがそれは実はきつねに化かされていたのだそうです。

きつねに騙されて魚を全部そこらじゅうに、ばらまかされたのだそうです。


おじいさんはそのままいくえ不明になってしまったそうです。


この話は子供心にも林の神秘性を思い知らされました。

で、昼間以外は決して行かないのです。

昼間は安全な楽しいワンダーランドですから。


でも、雑木林のあまりにも奥へ入ってはいけません。

そこには自殺者の首吊り死体がくぬぎの枝にぶら下がっているからです。




でもおかげさまで私は怖い目にも合わず、神隠しにも合わず、


雑木林には良い思い出しかありませんがね。


守られていた?のかもしれませんね?




思い出せばキリもない、、




いくらでも出て尽きることもない、




遠い




遠い




もうどこにもないような




私のふるさと、




そして少年時代の思い出の数々、、。






私の心の奥底にだけ今も生きてる故郷、

今はもう完全に消滅したふるさと、

いくら探してみても、

何処を探してみても、、、

もう何処にも、存在しないあの思い出の雑木林、





はるかな




あまりにも




はるかな




遠い




思い出、




二度と戻すこともできない




消え去った思い出、









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