剛腕の乙女……
クレメンティーネ視点になります。
……糞がっ!
地獄の道化師団の一柱である、【 剛腕 】クレメンティーネの頭の中は怒り一色にに塗り潰されていた。
糞っ!糞っ!糞、糞糞っ!!……チクショ……ゥ……ヒック……
頭の中は怒り狂い、そして自分の上席であるフェルナンダに対する憎悪で一杯であった。
あの【 狂乱 】フェルナンダの前に、負ける筈も無い筈の拳一つの殴り合いで打ち負けた。
剛腕の二つ名を持つ自分がである。
……気付くとほろりと目尻から涙が流れていた。
『……ぁほ、くほぉん……なぁ……が……』
悔しのあまり、吠えた……が、喉も潰れているのか、口から出るのは意味不明な呻き声だけだった。
口の中で、舌に当たる物が無い。顎を割られ、歯も砕かれた。呼吸が苦しい……鼻は潰れ、頬骨もへこんでいるのだろう。
左右の目の焦点もさっきから合わない。恐らくは眼窩も砕かれているのだろうか?
……あ、あたしの顔……ぐちやぐちゃになっちまったよぉ……グスッ……
其の性格自体は決して女らしくは無い粗暴なクレメンティーネであったが、やはり其の本性は女であった。
自分の顔は整っている、自分はかなり可愛い!と内心自信もあった。
其れが無残にも殴り潰された事は、彼女にとって自らが思っていた以上に大きな衝撃であった。
フェルナンダの拳はクレメンティーネの自信と誇り、そして魔人としての矜持を全てを奪い去っていたのだった。
……グスッ……魔力も練れねぇの……かょ……?
仮にもクレメンティーネは『地獄の道化師団』に於ける序列が一桁台であり、一廉の魔人である。
自己治癒程度は、普通に無意識で行える。……そう、行える筈であった。
然し、体内で魔力を練ろうとしても、何故か霧散してしまい、全く魔法が行使出来ずにいた。
『……クレメンティーネ。また運が良ければ会えるかも知れないわね。』
不意に、そんな高飛車な声が頭の上の方から届く。
……フ、フェルナンダ……か?
手足も圧し折られているらしく、満足に動かせ無い身体に鞭打ち、必死で其方へと顔を向けるが……
『けど、魔法回路が完全に壊れてるから直ぐに死んじゃうかもね。じゃあ、クレメンティーネ……く、くくっ……きゃははぁ!!』
湧き上がった、けたたましい笑い声と共に思いっ切り頭を蹴り飛ばされ、蹴られた痛みの次には身体にふわりとした浮遊感が襲って来た。
……お、落ちてる?
ど、どこに……まさか……ち、地下水道か……ぁ……
……フ、フェルナンダ……ぜ、絶対に、あたしは……お前を……倒す……い、いや……殺すぅ……ぅ……
そしてクレメンティーネの意識は暗転した。
………
……ぁ?
あ、あたし……い、生きてるのか?
気付くと、明かりも無い真っ暗な地下水道の流れをぷかぷかと漂っていた。
……ま、魔力を……集め……
懸命に体内に残された魔力を掻き集め、生命維持と破損の修復に回そうとするが、魔力どころか身体すら碌に言う事を聞かない。
……がふっ?……ゲホっ!?……ゲホ、ゲホ?!
かと思えば波を被って水を不用意に飲んでしまい、気管に入った水程度で激しくむせ混む始末だ。
……こ、怖い……ま、真っ暗……だ……怖いよぉ……何もみ、見えない……
平素であれば、暗闇など苦にもならない筈であるのに、魔力を碌に操れず、魔眼も使えない今のクレメンティーネは其の外見相応に暗闇に怯え始めていた。
………
暫く、川を漂っていると、巨大な鼠が暗闇の中、蟲を咥えぎらぎらと目を光らせ走って行った。
……ひぃ?
十全の体調であれば腕一本どころか、小指一本でも倒せる筈の溝鼠や竈馬の僅かな動きにすら思わず悲鳴が込み上げる。
……あ、あたしって、こんなに弱かった……の……か?
傍若無人な存在である魔人。其の中でも一握り存在である筈の【 剛腕 】の二つ名を持つ自分が、闇や蟲程度を子供の様にびくびくと怯えているのだ。
余りの心の弱さに情けなくなり、更にぐすぐすと涙ぐんでいた。
ー ぞわっ……
そんな時だった。
水の流れを伝って、何者かが此方へ迫り来る気配を感じ取り背筋に悪寒が疾る。
……な、何だ……ょぉ………?
予期せぬ出来事に、身体はがたがたと震え始めていたクレメンティーネであったが……
次の瞬間には水中から突き上げられ、宙を舞っていた。
……がふっ?!
魔力を碌に練る事も出来ない今のクレメンティーネに魔法障壁などは既に無い。
あっさりと吹き飛ばされたクレメンティーネの視界一杯には、何者かの巨大な顎門が開かれていた。
……あ、あぁ……お、お前が……あたしの……死……なのか?
微塵も身動きが取れない程に弱ったクレメンティーネに取っては、其の大顎は死刑台にしか見えなかった……
◇◆◇◆◇
あたしは、成されるがままにごろんと地面へと投げ出された。
……い、痛い。
どうやら、あたしを喰ったのは巨山椒魚であったようだが、其の巨体は何者かに一刀の元に斬り伏せられていた。
然し、半ば胃液で溶けかけていたあたしには既に指一本動かす気力も無くなっていた。
『……こんな小さい女の子を、こんなになるまで暴行した上で、地下水道に棄てるなんて……』
ぼぉっと身動きすら出来ずに呆けていると、そんな優しげな声と共に、人間らしき女があたしの髪を優しく撫でて来た。
目が霞んでいて顔はよく分からないが……酷い事はされない様なので、少し安心し再びあたしは意識を手放した。
………
な、何だろう……?
少し身体が楽になった様な感じがする。
霞む目を微かに開けると、黒髪の男二人があたしに魔法を掛けていた。
魔人にも黒髪は数少ないが、人間では中々珍しいらしい。
もしや魔人なのだろうか……?
………
「……どうするよ?……置いて行くか。」
『……ちょっと!こんな小さい娘を?其れは酷過ぎるわ!!』
……何やら、あたしの髪を撫でてくれた女と男が言い争いをしている。
……はぁ……どうやら、あたしはまた捨てられる様だ。
まぁ……もう、どうでも良い。
こんな身体と……顔でなんかで生きていても……意味などない。
どうぞ、勝手に捨ててくれ……
などと思っていると、いきなり身体にふわりとした浮遊感が伝わって来る。
……また、水道へ捨てられたのか?!
思わずびくりと身体を震わせたが……落下感はいつまで待っても訪れない。
恐る恐る目を開けると……何故か宙を飛ぶ板の上に寝かせており、其のまま運ばれている様だ。
便利な魔法だな……初めて見た。
浮遊の一種なんだろうか?
さっきの回復魔法の効果なのか、体調は幾分楽になった……が、体内の魔力は練り上げるどころか、むしろ減る一方であり疲労感と怠惰感が物凄い……
あたしは意識を再び手放した。
………
うつらうつらとしていると、何か三人がひそひそと話をしていた。
聞いた事も無い太古の軍人達の話の様だが……
はっきり言って、回りくどい話だ。
布陣?陣形?三つの利?知ったことか!
戦いなど、蹂躙するの一言に尽き……
はっ……?何を言ってんだ?あたしは……
こんな身体だと……小鬼どころか、犬にも勝てないじゃないか……よぉ……
………
……はぁ……三人は飯の時間の様だ。
鼻は潰されてるからか、臭いは全く分からない。
相変わらず考える事は出来るが、身体を動かす気力も湧かない……
女があたしの口に麦粥らしきものを流し込んでくれたが……血の味しかしねぇ……
全然、食欲も湧かない。
………
……はぁ……あたし、このまま死ぬのか?
【 剛腕 】とか呼ばれて良い気になって、好き勝手に生きてきたあたしがか?
気に食わない奴は殴り伏せてきた。
好きな時に寝て、好きな時に暴れて、好きな時に喰った。
そんな報いなのか……な?
考える事しか出来ないから、色々と思うが……
情け無い事に、思い付くのは泣き言ばっかりだ。
はぁ……情けねぇなぁ……
………
ん……口に何か押し付けられた。
薬?丸い小さい粒みたいな奴だ。
はぁ……ごめんだけど、呑み込む気力もねぇ。
あれ……なんか不思議な匂い……がする?
思わず少しだけ目を開けると、黒髪の目元がしゅっとした男が凄く近くにいて、どきりとした。
うわっ……
服が殆ど溶けてるから、素肌のあちこちが丸見えなのが少し恥ずかしい。
……あ、あれ?
裸を見られて恥ずかしいとか思った事、いままであったか?
よく分からずに内心首を傾げていると、お腹の辺りをいきなり触られた。
ひゃっ?!
男にそんな所を触れた事なんか無かったから、思わず悲鳴を上げそうになった。
正直言って、怖い……
……まだ、そんな事をシタ事無いんだから……せめて痛く無い様優しくにして欲しい。
だって、鉄塊や進撃の奴が人間の女を襲ってる姿を見た事はあったが、あれは酷かった……
あたしの腕より太い『アレ』を女へ突っ込んでる行為を見た時は、本気で吐き気を催す程の物凄い衝撃だった。
女があまりの苦痛から白目を剥いて失神する姿を見て、あたしはこの先ずっとシタいなんて少しも思わなかった。
魅惑の奴は、にやにや悪趣味に笑って見ていたが、あたしは絶対に御免だ。
けど、動けないもんな……ぁ、あっ?!
男の手の平が、あたしのお腹を撫で回したのだ。
お腹の辺りが何だか暖かいけど、くすぐったいのと恥ずかしいのが合わさって頭の中がぐるぐるする。
……あ!?
イ、イヤ……だ。
男の手が臍より下の方に下りてきた。
怖い……ど、ど、どうしよう……?!
身体が動かせない分、男の手の平を敏感に感じてしまう。
ひぁ……
あ、あれ?ど、どうしてだろう?胸がどきどきしてる?
ひゃっ?
か、身体が熱い……?!
何?何なんだよ?!
あたし……おかしくなったのか!?
ぬるっ……
唇に先程の薬とは違う感触があり、柔らかい何かが口内へと侵入してきた。
……?……!?ん……?!
其れが、男の唇と舌だと理解した時には身体が火照り、何か粒みたいなのが押し込まれて来たけど、頭は真っ白になっていて何も分からない。
更に男のもう一方の手が、胸元へと添えられた。
ひいぃ?!
お、犯されちゃう……よぉ……
ふっと……鉄塊の奴の股間から生えた凶器が頭を過りぶるりと恐怖する。
けれど、胸はどくどくと高鳴り身体はどんどん火照っていく。
あたし……壊れちゃっちゃったのか……なぁ……
◇◆◇◆◇
「ふむ……どうにも此の娘、気脈が無理矢理乱されておるな。」
丹気を左右の手の平から流し込んでみたが、全く気が流れぬ。
此れでは魔法を練るどころか、身体すら碌にに動かせぬであろう。
膻中穴にも下丹田の方にもかなり大きい鼎炉の形跡があるが、鼎炉も気脈も壊されておる故に全く丹氣が練れて居らぬ。
此処までやった上で、捨てるとは……非道にも程があるわ。
さて果て、此れでは直ぐに完治とはいかぬな。
最低限の丹氣を練れる様に、仮の鼎炉を作るしか無かろう。慣れるまでは動悸や身体の火照りが感じられるじゃろうが……ま、致し方無いの。
「はっ!門神来臨守護 急急如律令……」
………
『……あ、あっ?!』
こ、声が出る。手も足も動かせる。
凄い!凄い!!凄い!!!
何が何だか良く分からないけど、此の男の人凄いよ!
「ふむ……丹田に仮の鼎炉を置いたに過ぎぬ故にな、呉々も無理はしてはならぬぞ?
ゆっくりと其の身体に炉を慣らしていき、徐々に全身へと気を巡らす様に治療する故にな。」
そう言って優しげな視線を向ける切れ長の黒い瞳が、あたしの心を激しく貫いた。
……あ、あたし、どうしたんだろう?
凄く胸がどきどきしてる。
もっとこの人に、あの暖かい手で触って欲しい……
も、もう身体が火照って仕方ないよぉ……
もしかして……こ、此れが恋なのか……な?
………
剛腕のクレメンティーネ。
魔人として此の世に生を受け、初めての恋心であった。
然し、其の胸の高鳴りは香炉により焚かれた媚薬と新たに体内へと置かれた鼎炉の所為だと、突っ込みを入れる人間など其処には誰も居なかったのであった。
次回からヤスケ視点に戻ります。