01_古き春の序章
Introduction
恋愛感情はこの世で最も摩訶不思議で、美しく、一方で恐ろしく、甘くもあり苦くもあるものであり、誰もが生きていれば一度以上はそんな異常状態に悩まされるはずだ。したがって、それはある種の精神的な病であると定義することも可能だろう。気づけば特定の異性及び同性に対して変な感情を抱き、不意にその人間のことを目で追ってしまったり、その人と同じ物を買ってしまったり、ちょっと近づいてみたり、携帯電話で連絡を取ってみたり、直接お話ししてみたり、一緒に何処か遠くの場所に行きたいと思ったりと、一度その病気を患ってしまえば、二度と引き返すことができなくなる精神状態になってしまい、自分が何をしたいのか時々見失ったりもする。その際、人によって多種多様な対応があり、病状があり、方法が存在するのだ。人々はそれを思春期特有の症候群などと表現することがあるが、しかしながら老若男女問わずして、恋愛という病気は誰でも、どんな状況でも罹ってしまうために、その言い方は正しくないのかもしれない。
――嗚呼、どうして恋なんて病気があるのだろうか。
そんな風に、何気ない日常の中を生きる彼:谷崎佐は考えていた。
15人の女子のことを思い出しながら。感傷に浸りながら、感慨深げな顔をしながら。
恋することが得意な彼だからこそ紡ぐことができた、正真正銘の恋愛物語が終ぞ語られる。
「好き」
01_古き春の序章
この物語を自分自身で振り返ることは、もう二度とないのかもしれない。
高校を卒業しても、大学を卒業しても、出世しても、そして死ぬ間際になっても――
あの人のことを想うことも勿論のこと、きっとないだろう。
谷崎佐という自分自身が生涯にわたって、今日まで体験してきた贅沢な物語を、あるいは地獄や悪夢のような物語を、決して省みたり、顧みたりすることはないだろう。
春、夏、秋、冬――そして終わりを迎えたこの物語にも、いよいよ終止符が打たれることになる。
他人によってではなく、自分によって、語るという手段によって終わらせる。
まあそうは言っても、結局俺自身は紛れもなく普遍的な一介の男子高校生だ。
だからこれは現代社会にありふれているような青春のストーリーラインに過ぎず、またこの物語自体が評価にすら値しないのかもしれない。
でもまあ、それでいいんだ。
別に小説で出版して、印税収入を得て稼ぎたいという訳ではない。
かと言って誰かを楽しませたり、面白がってもらったりしたいのでもない。
ただ単純に俺は俺の人生を、あたかもノスタルジックに語ることによって、自分の成長過程を観察して、喜びたいだけだ。
要するに若気の至りというやつだ。
他の誰でもない自身が体験してきた出来事や事件を、ありのままに書き記したり、想像したりすることで、時に感傷に浸りながらも、生きてきたことを実感しようとしているだけだ。
そうやって誰しもが、やがて大人になっていく。
自分が自分であるということ(自己同一性)が明確に存在していることを理解して。
それこそが『人生』ってやつの正体だということを、俺はこの三年間で学んだ。
彼女たちに、様々な人々に、出逢って、色々あって――
俺は終に勉強することができた。
谷崎佐が誰であり、何であり、何処にいて、何をして、一体何なのか。
それを紐解いていくところから、全ての物語は始まって、やがて終わる。
それがたとえ光であろうが闇であろうが、白であろうが黒であろうが、表であろうが裏であろうが――真実であろうが虚偽であろうが。
自分は自分であって、どうしようもなく自分でしかないと、痛感する。
馬鹿みたいに得意な恋愛譚を通して。