第二章 新たなる地へ−3−
移転暦二十五年一月
最初に被害を受けたのはイージス護衛艦『すずや』であった。『すずや』は対艦ミサイルが命中し、火災を起こしていた敵駆逐艦の放った魚雷に被雷したのである。その後、汎用護衛艦『みやびかぜ』が対艦ミサイルによって機関を破壊され、漂流していた敵軽巡洋艦の放った十五cm砲弾が艦尾に命中した。これにより、『すずや』は艦首に大穴が開いて停止する。『みやびかぜ』は推進軸が破壊され、漂流することとなる。
その後、立て続けに『ひゅうが』に敵重巡洋艦の放った二十cm砲弾が命中、飛行甲板中央部に大穴が開き、機関も損害を受けたために停止する。そして『すずや』と同じ運命を辿ったのが『はまかぜ』と『しおかぜ』であった。両艦とも左舷前部に魚雷が命中し、その衝撃で機関が停止する。『いせ』は敵戦艦の三十cm砲の至近弾四発を受け、艦体のあちこちに小破口が開いていた。無傷なのはイージス護衛艦『ふるたか』と汎用護衛艦『さわかぜ』のみであった。
このときには敵戦艦一隻には四発の対艦ミサイルが命中し、大火災を起こしており、もう一隻には三発が命中していたが、主砲による攻撃を継続していた。四隻の重巡洋艦のうち二隻の姿は海上になかった。しかし、損傷を受けた敵艦で攻撃可能な艦は使用可能な武器で海上に漂う第五艦隊艦艇を攻撃していた。この戦いに終止符を打ったのは第五艦隊でも敵艦隊でもなかった。それは南南西の空から現れた。
戦場に現れた第一独立艦隊『扶桑』の所属機であるF−7戦闘攻撃機十二機がそれであった。攻撃隊隊長である村田重治中佐は編隊の六機に敵艦への攻撃を命じる。F−7戦闘攻撃機の放った二十式空対艦ミサイルにより、敵艦の中で『ふるたか』および『さわかぜ』と戦闘中であった二隻の重巡洋艦を撃沈し、発砲を続けていた戦艦を沈没確実なまでに至らしめる。それによって戦場では戦闘が終わり、海上に漂う将兵の救出に当たることになった。
これは第一独立艦隊司令官山口多門中将が艦載機の航続距離ぎりぎりで発進させたものであった。今も第一独立艦隊は三十ノットの艦隊速度でこちらに向かっていたのである。むろん、リンク21システムは秋津島統合防衛軍所属艦艇のほとんどに装備されているから、第五艦隊と敵艦隊の交戦は知っていたのであろう。もっとも、この時は山口よりも塚原中将の方が山口に艦載機を出すよう言ってきたということはあまり知られていない話である。
この戦闘において第五艦隊は八隻のうち四隻が大破、一隻が中破、一隻が小破という損害を被り、二百五十三人の戦死者を出した。その後、全艦艇が無事にロリアムンディに帰還を果たすが、『ひゅうが』と『みやびかぜ』および『はまかぜ』と『しおかぜ』は損傷がひどく、修理よりも新造の方が安くなると判断され、廃艦が決定する。『すずや』と『いせ』も修理に半年以上要することが判明し、ここに第五艦隊は壊滅したといってよかった。
一方、プロイデン側は戦艦二隻、重巡洋艦二隻、軽巡洋艦四隻、駆逐艦八隻が沈没、将兵一万五千人のうち、戦死者一万三千人強、救助されたのはわずかに二千人弱、艦艇二十六隻中、稼動艦はわずかに四隻であった。稼動不能艦を撃沈処分し、ロリアムンディに連行後、事情聴取となった。
統合幕僚本部は呉の第三艦隊全部隊のロリアムンディ進出を決め、第五艦隊は呉に移動し、部隊の再編を図ることとした。この後、第五艦隊は「しゅんよう」型護衛空母(二万五千トン)『うんよう』を要してロリアムンディに再配属されるのは一年後のことであった。第三艦隊の編成は次のようになっていた。護衛空母『しゅんよう』、イージス護衛艦『たかお』『きぬがさ』、汎用護衛艦『はるゆき』『やまゆき』『みねゆき』『まつゆき』である。
「しゅんよう」型航空母艦は秋津島統合防衛軍が装備している「長門」型や「扶桑」型、「赤城」型、「飛龍」型、本国海軍の「きい」型の攻撃空母とは異なり、護衛空母ともいうべき艦であった。要目は次のようになっていた。
排水量 二万五千トン
全長 二百二十m
全幅 三十m
飛行甲板長 二百二十m
飛行甲板幅 四十五m
吃水 八m
機関 AJPオールギヤードタービン
出力 十五万馬力
最大速力 三十ノット
艦載機 三十二機(FG−7攻撃機十二機、E−3A早期警戒管制機二機、AM3対潜哨戒機十二機、SH−60Jヘリコプター六機)
である。
攻撃空母に比べてずんぐりとした艦形をしているといえた。この護衛空母装備という考えは移転前からあった。その頃はイギリス海軍の装備していた、垂直離着陸機ハリアーを搭載する小型空母が考えられていた。しかし、移転後は潜水艦を装備する国がなく、その必要性はないかに思われていた。ではあるが、プロイデンが潜水艦を装備し、かつ、船が撃沈されるに及んだことが発端となった。さらに、旧聯合艦隊の一部が出現して航空母艦が六隻も現れ、それらのジェット化が終わり、いくつかの戦闘結果を検証した結果、出た答えがヘリコプター護衛艦は水上打撃艦艇には無力であるということであった。
ヘリコプターはその利便性は高いが、敵水上艦艇および航空機の攻撃に対しては無力であるという事実であった。つまり、明確に自機への攻撃意思を持つ航空機、プラットフォームである母艦に対する攻撃に対してはなんらその機能を発揮し得ないことが明らかとなったのである。ただし、これが味方航空機の援護下であればその機能は発揮できるということであった。
基本的には改装前の航空母艦『飛龍』をモデルとして考えられたという。これは「きい」型原子力空母が『赤城』型の船体を参考としたのと同じであった。現代日本において航空母艦の建造経験はなく、ただ、情報としてデータを持っているに過ぎない。これまでの改装とは異なり、ゼロからの建造は「きい」型が初めてなのである。それがため、過去の、しかも目の前にある艦をベースとして考えられたのであろうと思われた。
その心臓部には現『赤城』に搭載されているものと同じものが採用されていた。ボイラー:AJP罐・重油焚×十六基、主機:AJPオールギヤードタービンである。主任務が護衛であるため、工業力のそれほど発展していない場所にも進出する可能性が高く、燃料補給などを容易にするためであった。現在では友好国はほぼ石油による電力エネルギー供給が進んでおり、重油であれば、ガスよりも入手が容易であると考えられたからであった。また、運用実績が豊富であったことも原因のひとつであろう。むろん、ガスタービン機関も考えられたようであるが、蒸気カタパルト装備などの面からも蒸気タービンが採用されたようである。
主任務の護衛、という観点からも搭載する艦載機にも特徴があったといえる。F−7戦闘攻撃機においてはなんら変わらないが、AM3対潜哨戒機は新たに開発されたものであった。機体のベースはE−3A早期警戒管制機のものと同じであるが、搭載電子機器はP−3Dに準じている。ただし、攻撃用兵装は一/三であった。当然ではあるが、搭載機は任務において変更されることが前提であることはいうまでもない。