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第二章 新たなる地へ−1−

移転暦二十四年十二月


 第五艦隊の全艦艇をもって十隻に及ぶ船舶を護衛して無事にストックハーツ港に送り届け、全艦ストックフルム海軍基地の日本軍用桟橋に係留されていた。今回護衛してきた船舶は二十万トン級タンカー二隻を含め、合計五十万トンに達していたため、第五艦隊全艦による任務であった。もっとも理由はそれだけではなく、さる国の王族を乗せた客船が含まれていたからでもあった。

 明日には秋津島統合防衛軍海軍第一独立艦隊がこの地に姿を見せることとなる。かの艦隊はアロリア共和国およびユラリア共和国への表敬訪問を終え、明日このストックフルム海軍基地に到着する予定であった。秋津島統合防衛軍第一独立艦隊の編成はというと、

第一航空戦隊空母『扶桑』『山城』

第一戦隊戦艦『伊勢』『日向』

第四戦隊重巡『愛宕』『鳥海』

第二十駆逐隊軽巡『吹雪』『白雪』『初雪』『叢雲』『磯波』『浦波』

第二水雷戦隊軽巡『神通』『嵐』『雪風』『天津風』『時津風』『秋雲』『磯風』

のようになっていた。

 第一独立艦隊にはこの時二人の指揮官がいた。一人は原子力空母『山城』に将旗を掲げている塚原二四三中将であり、もう一人は、原子力空母『扶桑』に将旗を掲げる山口多門中将であった。塚原中将には艦隊の指揮権はなく、表敬訪問先での名目上の艦隊指揮官であり、山口中将は洋上における艦隊の指揮官であった。

 その日起こった事件は日本にとっては避けたいと思っていた出来事のまえふりともいうべきものであったといえる。ストックフルム沖三百二十kmの海域で第一独立艦隊は出迎えに出ていたスウェーダン東部艦隊と合流を果たす。本来は先に入港していた第五艦隊が出迎えの予定であったが、スウェーダン東部海軍司令部より、出迎えは我々がする、との通達で第五艦隊司令官飯島少将が折れたためである。事件が起こったのは合流を果たしてすぐであった。

 この時の第一独立艦隊は『扶桑』を前に『山城』はその後方、『伊勢』は『扶桑』の右舷、『日向』は『山城』の左舷、『愛宕』は『扶桑』の前、『鳥海』は『山城』の後方、『吹雪』『白雪』『初雪』は『伊勢』の右舷、『叢雲』『磯波』『浦波』は『日向』の左舷、『神通』は最前部を行き、『嵐』『雪風』『天津風』『時津風』『秋雲』『磯風』は等間隔でその周囲を囲むという輪形陣であった。『扶桑』『山城』『伊勢』『日向』以外は現代日本の護衛艦であり、すべてが対潜装備を有していた。さらに、上空には四機のヘリコプター(『愛宕』『鳥海』からSH−60J各一機、『扶桑』『山城』からSH−62J各一機)が対潜哨戒についていた。

 事前の報告では出迎えのスウェーダン海軍東部艦隊は戦艦二隻および重巡洋艦二隻、軽巡洋艦二隻が単縦進で第一独立艦隊の正面から左舷を反抗して後方に抜け、その後一斉回頭し、第一独立艦隊の右舷を同航することになっていたのである。が、先頭をいく戦艦『キールフルム』が第一独立艦隊の左舷に舵を切ったとき、『神通』が動いた。だが遅かった。『キールフルム』の左舷に突如として潜水艦の艦橋が現れたかと思うとそのまま金属の擦れる音を発しながら激突し、潜水艦の艦橋は『キールフルム』の左舷後部にめり込み、『キールフルム』はそのまま潜水艦を引きずってやがて停止した。

 『キールフルム』は衝突した瞬間は右舷に傾いたが、すぐに元に戻る。三万五千トンという質量がそうさせたといえる。『神通』と『愛宕』が『キールフルム』に接近し、それぞれ主砲を潜水艦に向ける。潜水艦は一度艦橋より前部を大きく沈み込ませたが、再び金属の擦れる音を発して『キールフルム』から離れて浮上する。どうやら一度バラストタンクに注水し、後進をかけたようである。

 その潜水艦の艦形は昭和の海軍軍人なら誰もが知る潜水艦に似ていた。そう、ドイツ海軍潜水艦であるUボートに似ていたのである。しかし、その大きさはUボートに比べるとかなり巨大であった。一番近くにいる『神通』は全長百五十一mの長さがあるが、ほぼ同じ大きさに見えるのである。その潜水艦の艦橋より前にはかなり大きい破口が見えていた。『キールフルム』の方にも破口があるようだが、水面下のためその大きさは判らない。

 何故こんなことが起きたのか、ということはストックフルム海軍基地での調査により判明することとなる。この潜水艦、γ−500はプロイデンの新型潜水艦として建造された。要目は次の通りであった。全長百四十五m、全幅十四m、喫水八m、基準排水量五千四百トン、水中七千トン、主機関ウォルター機関、出力一万八千馬力、水上最大速力二十四ノット、水中十二ノット、水上航続力十二ノットで八千海里、水中航続力六ノットで千海里、安全深度百四十m、乗員二百名というものであった(艦内に存在していた仕様書による)。

 問題の事故発生時の状況であるが、事故当日、γ−500は西中海縦断航海に出ており、途中、航法装置の故障およびソナーの故障によって迷走、艦長の判断によって潜望鏡深度まで浮上しようとしたが、操舵員の未熟さにより、海面まで浮上し、その後の事故になった、ということになる。

 さて、ウォルター機関であるが、これは過酸化水素を用いた機関であり、移転前の旧ドイツ第三帝国で開発されたものとほぼ同じであった。これは過酸化水素の燃焼に酸素を必要としない、一種のスターリング(非大気依存型)エンジンである。艦形がここまで大型化した理由の一つは、大馬力ウォルター機関の搭載にあったという。なお、艦内にあったデータには現在の主力であるγー300型の仕様も書かれていた。全長百m、全幅十一m、喫水七m、基準排水量二千百トン、水中二千八百トン、主機関ウォルター機関、出力八千馬力、水上最大速力二十ノット、水中十ノット、水上航続力十二ノットで四千海里、水中航続力六ノットで五百海里、安全深度百四十m、乗員百名というものであった。

 そして、なぜ現代日本の有するソナー類がここまで接近を許したのか、という疑問であるが、実はこのスウェーダン沖海域はなぜか潜水艦探知を困難にしていたのである。これの主な原因は海水の温度差によるものや塩分濃度の差による境界層ができていたためであろうと推定されていた。これは移転による作用として考えられ、その後同様のデータが得られていた。移転後数ヶ月から数年ほどはこの現象が続くことが確認されている。

 後の話しではあるが、このγ−500型を基にした潜水艦はスウェーダン海軍主力潜水艦SA2型(全長百m、全幅十m、喫水七.五m、基準排水量二千トン、水中二千六百トン、主機関ディーゼル機関、出力八千馬力、水上最大速力二十ノット、水中十ノット、水上航続力十二ノットで六千海里、水中航続力六ノットで二百海里、安全深度百六十m、乗員百名)の元となる。むろん、一部に日本の技術が導入されていることはいうまでもない。もっとも、日本側は新造潜水艦の提供を申し出ていたが、スウェーダン側は固辞し、自国開発の途をを選んでいた。


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