第六章 中央亜細亜-3-
移転暦二六年二月
西中海南岸について触れてみよう。この地域には現在確認されているのは二国のみ、すなわちシムル国とスウェーダン王国のみであった。
シムル国は現在確認されている限りにおいてはもっとも巨大な領土を持つ国である。ロリア帝国やユロリア帝国の方が領土は大きいかもしれないが、交易のある地域という意味ではもっとも大きい。しかし、かの国は一枚岩ではなかった。当初、日本が接触した当時は国土の二/三を支配していたと思われるが、現在ではそれが半分にまで減少していた。
もともと、かの国は東部が豊饒で西部はそうではなかったとされる。ために、西部はどちらかといえば工業地帯と言えるようであった。しかし、国政の過失からか西部が反乱を起こしてしまったのである。それは日本の豊かな工業力を知ってからのようであった。その後、東部にも限定的であるが、日本を参考にした最新の工場などが建設され、武器なども優れたものが輸入されて行くようになった。それを知った西部の工場主や軍が反発、暴動が起きたとされ、それが反乱になっていったとされる。
当初は武器の性能の差で圧倒的な強さを誇っていた東部地域であったが、戦闘で入手した日本の武器(主に自動小銃など小火器)を模造し、それがいきわたりはじめると西部側が優勢になっていた。
当初、日本は西方の盗賊制圧のためとということで武器援助を認めていたのであるが、詳細な情報が入るにつれて(西部側の人間とも接触していた)現在ではシムルに対する武器援助は中止され、日用品や工作機械のみの輸出になっていた。しかし、いくつかの企業の違反によってそれが犯され、武器に繋がる製品が輸出されていたため、内乱はより高度な武器を用いてのものに成り代わっている。
日本政府としては、双方に働きかけて内乱終結の道を探っているところであった。ではあるが、スウェーダン王国の出現により、状況が変わってきていた。かの国が日本と接触するまでの間、西部側の勢力に武器輸出を行い、代価として資源の輸入など行っていたのである。現在では武器輸出が禁止されているが、違反者も後を絶たないという。そのため、内乱は終わる様子を見せなくなっている。
日本が懸念しているのはこういった密貿易がおおっぴらに行われることであった。対プロイデン戦で戦った西方四国ではスウェーダン王国製の武器も登場している。同様のことはシリーヤ民国においても起きているのが現状であった。いずれはプロイデン国やオーロラリア国、フレンス皇国製の武器が出回る可能性もあった。彼らにしてみれば、それなりの代価を得られるなら輸出することもありえたからである。むろん、政府としては彼らにはそれなりの規制をかけるようにしているが、いずれも戦争や内乱終結で武器が有り余っている状況では外貨獲得の手段とされることは明白であった。
こういったことがこの地で日本が、移転前のアメリカがそうであったように、世界の警察たる道を歩むきっかけたりえたのかもしれない。現在、これらの任務には海上保安庁が就いているが、今後の情勢においては軍が引き継ぐこともありえた。
他方、スウェーダン王国についてみると、移転後二年になるが、未だ復興の途中であったといえる。石油は入手できたことにより、そのスピードが早まっているが、十分ではないといえた。日本プロイデン戦争の終結により、西中海が安定したことにより、今後はさらに早まると考えられたが、かの国の本当の願いはインペルエンリア戦争の終結であろうと思われた。なぜなら、現在かかっている費用で倍の石油が入手できるからである。そのためには黒海の安定化がなされなければならない。
結局のところ、インペルという国の出現が、否、インペルで石油が産出されたことにより、黒海航路の重要性が飛躍的に増したということになる。それはインペルの隣国であるシリーヤ民国にも言えることであった。
かの国とインペルの間には峻険な山脈があり、陸路での多量交易をほぼ不可能にしていたといえる。日本やスウェーダン王国との交易は陸路や海路を使って可能であったが、どうしても西中海沿岸部に限られてくる。黒海側には人口密度の高い集落が集中していることからも黒海の安定化が望まれていたといえるだろう。
黒海北岸に存在するリトロリア共和国は日本と交易のある国では二ヶ国目の産油国であるが、油質が重く、精製に時間がかかるが、重油という利用に限れば有用であった。そのため、今は無理でも将来的にはプロイデンを含めて西中海北岸諸国への輸出が可能であった。これは復興のためには明るい材料であるといえるだろう。