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第六章 中央亜細亜-2-

移転暦二六年二月


 日本プロイデン戦争は日本側(日本およびユラリア共和国)対プロイデンの戦争であった。それ以外の日本の友好国は軍を派遣していない。スウェーダン王国およびロリアル共和国は参戦していたといえるかもしれないが、特に戦闘には加わってはいない。


 一方、インペルエンリア戦争はといえば、東南亜細亜および南太平洋の多くの国が軍を派遣していたといえる。もっとも、直接戦闘に加わっていたわけではなく、輸送船などの護衛についていたといえるだろう。ゴリアス国、マレーリア国、パリエル国、イエツ国、エリプト連合共和国、オーロラリア国、フレンス皇国などがそうである。これらの国はまがりなりにも海軍を有していたからである。


 それはなぜかといえば、石油であったといえる。いずこの国においても石油は必要であったのだ。ましてや、原油の積出港はインペル海であり、戦闘海域であった。当初、秋津島統合防衛軍派遣艦隊がこれに当たる予定であったが、開戦劈頭の亜細亜連盟会議においてフレンス皇国が議題として提出するや即日可決され、護衛艦艇派遣が実施されることとなったのである。


 特にフレンス皇国やオーロラリア国は先の戦争において疲弊した国土復興に邁進しており、そのためには石油はどうしても必要であり、安定供給されねばならなかったといえるだろう。もっともかの二国は先の戦争を引き起こしたとして未だ海軍艦艇保有数には制限が課せられているため、制限された艦艇派遣でしかなかった。


 このとき、大艦隊を所有運用できていたのは日本とインペル国およびスウェーダン王国だけであり、それに対戦国であるエンリア帝国とプロイデンだけであったといえる。それ以外は現時点では外洋航海可能な経験を少し有する国、沿岸警備の経験しかない国に分かれていた。フレンス皇国やオーロラリア国は大艦隊を運用できる経験を持ってはいたが、先に挙げた理由で四〇隻ほどの外洋航海可能な艦艇を有するに留まっていた。


 東南亜細亜圏ではシムルやシナーイ王国、タイブル王国、カンベジア民国、ニューロギニア、イースロギニア、サウロギニア、ナミル共和国などの国々は近隣に秋津島が存在するため、それぞれ沿岸警備部隊が主流であり、外洋航海可能な艦も経験も少なく、艦艇を派遣することができなかった。しかし、それぞれの国において可能な限りの援助はしようとしていた。


 東亜細亜圏では今回の日本プロイデン戦争地域が近いことから遠いインペル海への艦艇派遣は協議されたが見送られた。とはいっても、リウル王国やロザリア共和国は沿岸警備を主任務とする部隊しか装備しておらず、たとえ部隊派遣が決定されたとしても不可能であっただろう。アロリア共和国やユラリア共和国に至ってはまとまった艦艇が装備されておらず、これまた不可能であった。唯一、ロリアル共和国は可能であったが、西中海での活動のために部隊派遣は見送られた。スェーダン王国に至ってはプロイデンと交戦中であったため、部隊派遣は不可能であったとされる。もっとも、対潜水艦装備の不備およびその経験のないことから部隊派遣は不可能だとされていた。


 このように、今ではインペル国の石油は日本の友好国すべてに大なり小なりの影響を与えていたといえる。樺太島の石油は国内消費で一杯であったし、秋津島の石油は近隣のシナーイ王国、タイブル王国、カンベジア民国、ニューロギニア、イースロギニア、サウロギニア、ナミル共和国への輸出が優先され、その他、アロリア共和国やユラリア共和国への供給で余裕はなかったとされる。


 そんな中、ついにインペル国以外の派遣艦隊に相次いで被害がでることとなった。撃沈されたのはエリプト連合共和国海軍空母『アブドゥーラ』(旧秋津島統合防衛軍空母『瑞鳳』)およびパリエル国海軍空母『パリストール』(旧秋津島統合防衛軍空母『日進』)であった。両艦とも戦闘海域のインペル海を抜けてインデル海に入って緊張を解いた瞬間に被害にあったもので、『アブドゥーラ』は片舷に魚雷四本命中したため、『パリストール』は同様に三本命中して沈んだのである。このとき攻撃した潜水艦は双方とも失探し、撃沈には至っていない。


 両国ともエンリア帝国に対して宣戦布告をしたものの、軍派遣は見送られた。装備艦艇は日本から購入した艦もあり、十分対戦能力有してはいたが、乗員にその経験がなく、被害が増えることを恐れたインペル側が拒否したためである。もっとも、両国ともにその後にインデル海において一隻ずつ潜水艦を撃破(浮上したところに攻撃を加えて沈没に至らせた)しており、大々的に公表している。


 インペルエンリア戦争は当初インペル海での制海権の確保争いから始まったのであるが、開戦後二ヶ月を経てインペルが制海権を確保しつつあった。まだ、完全なる物ではなかったが、水上艦艇ではインペルが押しており、黒海への進出も可能なほどになっていた。しかし、インペルの被害も大きなものがあり、空母二隻および戦艦二隻を含む二〇隻の消失艦を出していた。その半数は潜水艦であったとされる。


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