第六章 中央亜細亜-1-
移転暦二六年二月
対プロイデン戦争が終結したことで日本は一息ついていたといえる。インペルエンリア戦争は始まってはいたが、日本は関与していない。なぜなら直接の損害を被っていないからである。また、インペル側が参戦をやんわりと断ってきていることもあり、積極的参戦には動いていない。というよりもそんな余裕がなかったといえるだろう。
この当時の亜細亜連盟加盟国について述べるとするなら、順調な発展を見せていたといえる。中でも、ロリアル共和国、マレーリア国、サウロギニア、パリエル国、イエツ国はかなりの発展を見せており、そのスピードは驚異ともいえる。
この世界で日本にもっとも近い国といえば、半島にあるリウル王国である。かの国は工業レベルは1950年代初期の日本と同レベルとそれほど上がってはいないが、農業技術が向上し、農業生産量は飛躍的に向上していた。しかし、友好的ではあるが、日本の技術をそれほど導入しようとはしておらず、日本の企業も進出していない。例外は農業関係であった。
常備軍においては陸上兵力五個師団一〇万人(すべて歩兵師団)、海上兵力三個艦隊四〇隻、航空兵力三個航空隊六〇機(すべてレシプロ機)と少ない。亜細亜連盟加入まではロザリア共和国やロリアル共和国とは敵対関係にあったため、陸上兵力は倍の一〇個師団あったが、現在は削減されていた。
ロザリア共和国は移転前の中国北東部、もっと言えば旧満州に当たる国であったといえる。もっとも西南部は海に面してはいない。この国においても工業レベルはリウル王国同様であり、それほど上がってはいない。技術導入にもそれほど積極的な姿勢は見られていない。やはり農業技術が向上し、日本への輸出が増大している。技術導入もそれほど進んではいないが、武器においては積極的に導入している。
常備軍においては陸上兵力二〇個師団(機械化歩兵師団)五個機甲師団で総兵力五〇万人、海上兵力一個艦隊三〇隻、航空兵力二五〇機(一部ジェット機装備)であった。陸上兵力のうち二/三が北部ロリア帝国国境沿いに配備されている。日本の武器導入までは五〇個師団一〇〇万人(すべて歩兵師団)であったが、戦力は逆に増強されているといえるだろう。
ロリアル共和国は東亜細亜ではもっとも進んだ国であるといえる。黄海と西中海北岸に面した国であり、三方を海に囲まれた国である。そのため漁業が盛んであり、日本の技術導入による交通手段の整備により、内陸部でも鮮魚が食されるようになっていた。工業レベルは1960年代初期の日本と同レベルまで向上している。日本の技術導入にも積極的であり、日本企業の進出も多い。西中海北岸の国に対する現地生産商品の輸出にも力を入れている。
特筆すべきなのは、西中海と黄海を繋ぐシムリアル海峡に面した一部地域を日本に租借させていることである。面積で言えば、東北地方ほどもある広大な地域をほぼ無償に近い額で貸しているのである。もっとも、それが日本にとって負担であると言えた(その中には軍の派遣が盛り込まれていた)が、対プロイデン戦争においては有利にはたらいといえるだろう。西中海がほぼ安定化された今では海路および空路とも西中海航路の重要な中継地となっている。
常備軍においては陸上兵力一五個師団(機械化歩兵師団)三個機甲師団で総兵力二〇万人、海上兵力四個艦隊八〇隻、航空兵力二〇〇機(一部ジェット機装備)であった。陸上兵力のうち半数がが北部国境沿いに配備されている。ここはロザリア共和国とアロリア共和国、ロリア帝国に接してしているからであった。このロリアル共和国海上兵力は実は対プロイデン戦争に参戦していた。戦争末期にロリアムンディからウランバート間の護衛任務についていたのである。もちろんロリアル共和国艦隊だけでであった。交戦することはなかったが、彼らは艦艇護衛の何たるかを知る良い機会であっただろう。
このロリアムンディには日本の多くの企業が進出し、西中海北岸の各国に対する中継地ともなっており、既に一〇〇万人近い日本人が移住していた。移転前で言えば、イギリスの統治時代の香港と言った様子であるといえる。異なるのは多種多様な企業の工場が進出していることであり、生産の拠点ともなっていることであろう。もっとも、ここで生産された製品が日本に輸出されることはなく、そのすべてが西中海北岸の各国に輸出されていることである。西中海がほぼ安定化したことで今後さらに発展していく地域だといる。
西中海海路はウランバートまでは変わらないが、ここから北岸ルートと南岸ルートに分かれる。北岸ルートはプロイデンを経て西方四国に至るルートであり、南岸ルートはスウェーダン王国を経てシリーヤ民国に至るルートである。インペルエンリア戦争勃発後は特にこの南岸ルートが重要視されるようになっていた。というのは、今のところシリーヤ民国でしか産出しないレアメタルがあったからである。
シリーヤ民国は黒海の東岸にあり、日本、とりわけ秋津島自冶領との友好度は高く、工業レベルは1940年代初期の日本と同レベルであるが、その上昇スピードはかなり早いといえる。元をただせばエンリア帝国に植民地化されていた地域であり、搾取されていたため、工業力はほぼないに等しかったが、同国東部では開発が進み、西中海側の半島には大規模な港湾施設も建設されていた。
常備軍おいては陸上兵力五個師団一〇万人で、うち四個師団は西部のエンリア帝国との国境線となるインペル海に繋がる海峡に配備されている。未だ機械化されていない歩兵師団ではあるが、水際戦に備えている。
ちなみに、西中海側半島は平均三〇メートルの高さを持つ断崖絶壁であり、渡河は不可能であるが、インペル海側半島は五メートルの高さしかないために渡河が可能であった。もっとも、西中海側半島の反対側はプロイデンより開放されたリトロリア共和国であったため、侵略攻撃はないと判断され、今のところ軍は配備されていない。
西中海に繋がるこの海峡は幅八〇~一三〇km、長さ一六〇km、深さ二三六mで、潮の流れは早く横断は容易ではないとされる。一方、インペル海に繋がる海峡は幅五〇~一二〇km、長さ二四〇km、深さ二五二mであった。潮の流れは西中海側に比べると緩く、渡河が難しくないとされている。