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第五章 戦争が終われど-5-

移転暦二六年一月


 年が明けたこの月になって西方四国での旧プロイデン軍人の逮捕拘束はほぼ終了していた。短期間でそれを成し遂げたこと、その敬謙潔白なこと、これが後年、エーリッヒ・ゲルナー中将が英雄と称されるゆえんである。ゲルナー中将は組織としての旧プロイデン軍を撃破したが、ちりじりになった軍人に対しては逮捕拘束をそれぞれの国に任せている。また、逮捕拘束した軍人の処罰には一切口を挟むことはなかったとされる。


 最終的に彼は旧プロイデン領とされていた産油地帯に進駐し、そこに陣をひいた。なぜなら当然行動を起こすであろう、エンリア帝国からの侵攻に備えるためである。さらに、彼は大陸横断鉄道を修復し、交通路の確保にも努めていた。後にこの鉄道はリウル王国まで延長され、文字通りの西中海北岸の動脈とも言われるようになる。


 ともあれ、これで西中海北岸はほぼ平和を取り戻し、西中海は安全な海といえるようになった。もっとも、黒海に近い海域ではスウェーダン海軍による哨戒は行われている。これはエンリア帝国の潜水艦に対するものであったが、今のところ西中海への侵入は認められてはいなかった。このころには商船の独航が許可され、民間での交流も始まろうとしていた。


 最西方、黒海の西中海側半島に存在するのがリトロリア共和国であり、プロイデンから開放されたことで西中海の安全はほぼ確保されてはいたが、かの国では隣国であるエンリア帝国からの攻撃を受ける可能性がもっとも高い国でもあった。北方に油田を持つこの国では、もともと黒海側に原油の積出港があったが、現在では西中海側に原油の積出港が造られていた。これはプロイデンがエンリア帝国との有事の際に原油の供給が途絶えることを嫌ったためだと考えられている。


 この国の海上防衛に手を挙げたのがスウェーダン王国であった。未だ燃料となる石油の輸入に制限のあったかの国は指呼の距離にあったリトロリア共和国の石油に目をつけたためであろうと思われた。もっとも、この国の石油は油質が少し重く、ガソリンや航空燃料にはあまり向かないが、重油としてはそれなりの質をもっていたとされる。しかし、ガソリンや航空燃料には秋津島産やインペル産の原油を回すことで問題は解決できると考えていたようである。


 また、かの国の最大の港湾都市であるリトレアは良きにつけ悪しきにつけプロイデンにより開発されていた。その規模はウランバートを遥かに凌ぎ、ロリアムンディに近く、大小艦艇を五〇隻以上の係留が可能なもので、中には一〇万トンクラスの船の接舷できる桟橋も幾つかあったとされる。そのため、戦後この都市の発展する一つの要因であった。


 ともあれ、対プロイデン戦争は終結した。日本政府や統合幕僚会議で想定していた終戦の形態とは異なるが、新たな友邦国も得ることができ、将来的には貿易相手国足りえる。プロイデンには賠償金など大変ではあるが、同国の工業力をもって西方四国の開発援助するなどで代替できる条件もあった。もっともその陰には四人の将官の戦死、百人強の戦死者を出すという犠牲もあったのである。


 また、黒海東岸のシリーヤ民国とも西中海を利用しての交易が可能となった。これまでは、インペルを通じての交易路しかなかったが、西中海航路を利用することにより、多量の物資の輸送が可能となったことは今後のためにも有用であろう。かの国では既にエンリア帝国勢力は一掃されていたが、西方の半島では一触触発の状況であることは変わっていない。否、黒海西岸半島に展開するエンリア帝国軍から列車砲による攻撃を受けており、戦闘状態にあった。ではあるが、東方においては戦闘から遠く、国内開発が盛んに行われていた。


 アジア連盟加盟国からは政府要人や報道関係者が入り、それらの情報は一般に流れていたのである。これほどまでに報道関係者がシリーヤ民国入りしている理由には、前年一二月に始まったインペルエンリア帝国戦争が挙げられる。だからこそ、西中海の安全化はシリーヤ民国にとっては喜ぶべきことであったのだ。唯一の交易路であったインペル経由交易路が閉鎖されていたからである。


 インペルエンリア帝国戦争には幸いなことに日本は巻き込まれていない。というよりも、日本とプロイデンが戦争状態にあったための戦争ともいえたからである。当然のことながら、プロイデンにはエンリア帝国の軍人や政府関係者が駐留していたのである。日本プロイデン戦争(日本は西中海北岸戦争と呼称)の中盤には彼等は本国へと退去しているが、彼らの口から情報として日本の戦力などについて知らされていたのであろうか、日本との衝突は避けているところもあったとされる。


 プロイデンは戦争終了後に新体制に移行することが決まっていた。一年後の選挙まで暫定処置としてヨアヒム・シュレーヘン元国会議長が首相となり、エルヴィン・フォン・ロンデル大将が国防大臣に、そしてエーリッヒ・ゲルナー中将が実務部隊最高司令官としてその任についた。もっとも西方四国やユラリア共和国から大幅な軍縮が要求されたため、実質的にはロンデル大将が実務部隊の指揮をとり、ゲルナー中将はリトロリアに在って軍を率いていた。最終的には陸軍は一五個師団、空軍では航空機三〇〇機(爆撃機は所有不可)海軍は水上艦艇のみ二〇万トンまでとされた。陸空はその装備の七割が北部へ二割がリトロリアの油田地帯防衛のために駐留するものとされた。


 西方四国への賠償としてプロイデンはその工業技術力を充てることになった。後年、プロイデン以西と以東ではその趣が異なる技術が発達することとなる。プロイデンより西は芸術的ともいえるものが、東には機能的なものである。むろん、サイズなどの規格は日本が中心となって定めたものではあったが、完成品においてはまったく異なるものであったといえる。


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