第五章 戦争が終われど−2−
移転暦二五年九月
首都ベルランでは独裁者ガンダーが「鷲の城」と称される官邸において戦争の指揮をとっていた。ガンダーはこの年五十八歳、これまで独裁者としてすべてのことを成していた。これまではすべてがうまく行っていた。エンリア帝国との戦争のみ勝利を得ることは叶わなかったが、それでもほぼ勝利に近い条約を結ぶことに成功していた。
今度も簡単に勝利を得るつもりであった。また、自信もあったのである。ところが、緒戦において自国の技術を上回る武器による攻撃を受け、南部陸軍司令部や西部陸軍司令部が壊滅し、西部の大工業地帯すらその機能を失っていた。今では北部の工業地帯においてのみ、全軍の武器弾薬を生産しなければならなくなった。さらに、探知距離二百五十kmを誇る新鋭レーダー施設も破壊され、ベルランより二百五十km以南が対空監視の限界点となっていた。
当初得ていた情報では、日本はこんな技術を持つ国ではないはずであった。今になって思うことはすべての情報が自分に報告されていなかった、ということに気づいていた。もっとも、いまさら情報を得たところで遅いということも気づいていた。航空機が発進できる軍艦、音速を超える戦闘機、ミサイルすら攻撃できるミサイルを持っていることなど二ヶ月前まで自分に報告されてはいなかったのである。オートジャイロを装備した艦艇、我方の戦車砲にすら劣る口径の艦砲、重巡洋艦艦隊が中心であり、三万トン級の戦艦二隻しか持たない、その程度の情報しか入っていなかった。
だが、今テレビから流れるそれは我軍の技術を上回るものばかりである。しかも、南部沿岸部を占領した日本軍が毎日のように行っている戦況報告のような会見を最初に見たときには驚いたものである。それは実際の戦況と大きくズレることはなく知らされていた。これでは国民に対する情報操作は何もできないことを意味する。そもそも今の時代において公共放送をコントロールすることは不可能であった。
かって、自分が用いた方法を今日本は利用している。そう考えざるを得ない。空軍総長のエルメス・ギーリング大将や海軍総長のカール・フォン・ハウンゼン大将、親衛隊長官グスタフ・ランドルフ大将などに処罰を与えてはいたが、今となっては遅すぎたのである。陸軍参謀総長エルネスト・バイエレン大将の言うベルラン南部のライエル河での防衛など不可能であることも判っていた。しかし、彼にはある秘密兵器があった。
机の上の青い電話に手を伸ばした。それはスレーヘンにある彼の兵器研究所への直通電話だった。この研究所の存在を知るのは将官クラスだけであり、その研究内容を知っているのは陸軍総参謀長と親衛隊G師団長カール・ゲーラン中将しかいない。電話に出た相手にただ一言、「鷲の爪」は準備できているか、と確認する。返答を聞いてから電話を切る。もうひとつの電話を取取ると、短く、ゲーランを呼べ、とだけ言った。
二十分後、現れたカール・ゲーラン中将にハノバーとアーヘンへの「鷲の爪」による攻撃を命じた。G師団は通常の師団とは異なり、少数ではあるが、航空部隊をも持つ師団であった。総兵力二万人、通常の師団の倍の規模であり、隷下に航空機部隊一個飛行隊二十四機を持ち、さらに小規模ではあるが河川部隊をも持つ部隊であった。主力たる地上部隊はすべてが機械化されていた。
ガンダー総統の命を受けたゲーラン中将は隷下の航空隊に出撃を命じた。親衛隊G師団に属する航空隊は最新鋭機のDr454爆撃機であった。四発の大型爆撃機であり、プロイデンでは未だ三十機しか生産されておらず、プロイデン最大の航空機でもあった。それがG師団には六機配備されていたのである。要目は、全長 三十四m、全幅 三六m、全高 九m、自重 三万七五〇〇kg、全備 五万kg、最大速度 九百km、巡航速度 八百km、上昇限度 一万四千m、航続距離 六二〇〇km、エンジン ユンバースユノJ50−4ターボファン×四基、推力 五〇〇〇kg×四、武装 二〇mm機銃×四、爆弾最大 一万kgというものであった。
六機のDr454爆撃機はハノバー北方のノイエハノバーとトリコデール北西にあるランズベリク、ハイデルベリク北のノイエハイデルベリクにそれぞれ二機ずつ向かった。これは後に判ることであるが、ガンダーはハノバーとトリコデールには軍はなく、さらに北に進んでいると考えていたようである。これはテレビによる情報公開を欺瞞と考えたがゆえのものであった。実際のところは部隊は司令部を置いた両都市からは動いていなかった。
ノイエハノバーとノイエハイデルベリクは旧市街であるハノバーおよびハイデルベリクの刷新のために整備された都市であり、一時的なものである。計画的に区画整理された機能的な街並みを誇る。旧市街で雑多な作りに比べれば格段の違いがあった。これはガンダーのある計画、自らに馴染まない市民たちの移動による従順化を狙ったものである。最終的には南部の諸都市をこの方法で従順化する予定であった。
元々南部諸都市はプロイデン王国の流れを汲む、騎士道の意識の強い地域であり、ガンダー総統の政策には反対するものが多かった。ガンダーが独裁者となってからはおとなしくなっているが、議会が開かれていたころは反対意見が多かった。そのため、ガンダーは見せしめとして多数の人間を処刑していたのである。
後世においては残されていた資料により、残虐な独裁者という面のみ強調されているが、移転前までは強引な政策を用いた、敗戦国プロイデンを立て直した政治家、という評価も存在する。それが変わったのは移転後のことあり、周辺国の政情がそうさせた、といえるだろう。本人は民族主義者であることを自覚していなかったようであるが、被支配国国民を重労働や人体実験による五百万人虐殺という事実は残り、戦後、その事実を知らされた大多数のプロイデン国民は彼を悪魔、と称することが多い。