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第五章 戦争が終われど−1−

移転暦二五年九月


 当初、どの国でも反プロイデン戦に立ち上がる気配はなかったが、独立遊撃艦隊および独立機動艦隊がかの国の港湾沖に姿を見せることにより、反応があった。もっとも早く動いたのがリトロリア共和国で八月三十日のことであった。


 かの国はプロイデンから最も離れた国であったが、本国の目を盗んで親衛隊が暴挙を振舞っていた国であったのだ。同国は西中海と黒海を隔てるように突出している半島の東部にあり、エンリア帝国とも距離が近い地域にあったのだ。また、多くの国民が陸上部隊の兵士としてプロイデン本国に徴用されていたのである。


 その次に立ち上がったのが、プロイデンの西方隣国であるトルメロリアであった。親衛隊本部による暴政により、多くの簒奪に苦しんでいる国であり、その国民の多くは黒海北部のプロイデン支配下の油田地帯にでの強制労働のために徴用されていたのである。これら二国はプロイデンが現れた初期に侵略を受けていたからこそ、抵抗運動が最も強かった国であったという。


 これら二国が立ち上がることにより、残るアルバロリア、トリコロリアも立ち上がることとなった。秋津島統合防衛軍主席参謀大井保中佐はこれら四国にそれぞれ陸戦隊一個大隊ずつ派遣、反プロイデン勢力との接触と、共同作戦に付くことを命じていた。


 これらの国において最初に行われたのは当然のごとく、国内からのプロイデン軍の排除にあったことはいうまでもないことであろう。それと連動しての独立機動艦隊の艦載機による援護は万段なく行われている。その結果として二ヵ月後には沿岸部より八百km内陸の大陸横断鉄道(プロイデン側呼称)までを開放することに成功していた。


 さて、プロイデン本国ではどうなっていたかといえば、地上戦は八月二十日にハノバーで始まっていた。当初、市街戦であったため、これらの部隊の矢面に立ったのは秋津島統合防衛軍の第50師団および第51師団であった。敵歩兵部隊との戦いは二十五日まで続いたが、エルヴィン・フォン・ロンデル大将指揮下の二個機甲部隊が、郊外の平原に陣を敷く敵軍機甲部隊の東側からの側面攻撃によって機甲部隊と歩兵部隊の分断に成功すると状勢は変わった。


 この月に入って西方四国の反プロイデン武装勢力が立ち上がったことからさらに状勢は変わることとなった。歩兵部隊に対する情報工作、これらは西方四国の反プロイデンおよび祖国解放軍に集結せよ、という声明を歩兵部隊に流すことにより、歩兵部隊をプロイデン正規軍から切り離すことにあった。主に新聞(秋津島統合防衛軍陸戦隊指揮官と握手をする各地の軍人を移した写真入り)であり、戦いにおいて捕獲された兵への情報伝達と開放にあったのだった。


 その後、エルヴィン・フォン・ロンデル大将指揮下の二個機甲部隊および一個歩兵部隊は補給を受けつつ、ハノバーから西方に向かい、ハイデルベリクを北から望む形で部隊を展開することとなる。ハノバーを制圧した第50師団は同市に司令部を置き、北からの襲撃に備え、ハノバー西方のトリコデールを制圧した第51師団も同市に司令部を置き、やはり北からの襲撃に備えた。


 第52師団はアーレンに展開し、反プロイデン軍として再編された一個師団(後にゲルナー軍団と称される)と共同戦線を張り、西のハイデルベリクから攻撃に備えていた。進撃してきたプロイデン軍との戦闘になったのは八月二十五日であったが、初撃において歩兵部隊を迎え撃っていた。ここでも歩兵部隊に対する情報工作が行われ、同時に行われた電撃戦により、プロイデン機甲部隊との分断に成功していた。その後はプロイデン軍は動くことなく、にらみ合いが続いていたのである。


 九月二〇日には反プロイデン声明を発した西方四国の代表者がニュレンベリクに集まり、反ゲンディス党、反ガンダー勢力代表のヨアヒム・シュレーヘンと会談をもっている。もっとも、西方四国の代表者がニュレンベリク入りしたのはそれぞれ徴用されていた軍人たちの説得にあったようで、会談は内容のあるものではなかったといわれる。


 このとき、当地にいたプロイデン軍部隊から離れ、投降していた西方四国の軍人は約四万人、うち、リトロリア共和国軍は約三万人、アルバロリア共和国軍約五千人、トリコロリア共和国軍約五千人であったが、彼らは祖国へ帰ることとなった。しかし、未だリトロリア共和国軍二万人、アルバロリア共和国軍約一万人、トリコロリア共和国軍約一万人がプロイデン国内で軍務についているという。


 九月二五日、エルヴィン・フォン・ロンデル大将指揮下の三個師団はハイデルベリク北方の陣をアーレンから移動してきたエーリッヒ・ゲルナー少将指揮部隊に引き継ぐと北に向けて進軍を開始する。大陸横断鉄道奪還のためであった。


 ちなみに、プロイデンは東西約千二百km、南北約二千kmのほぼ四角形の形をしたような広さを持つ。元からあったとされるギロリア共和国は東西約四千km、南北約二千二百kmのほぼ長方形をした国であったといわれ、その西の沿岸部を中心にプロイデンが現れれたものであったようだ。首都ベルランは沿岸から千百km離れたほぼ中央に位置する。陸軍国家らしく縦横無尽に鉄道網が築かれ、軍の移動も補給物資の補給もすべてが鉄道を利用して行われていたのである。


久しぶりの更新になります。資料がなくなったので行き詰りましたが、おかしくない程度にできたかなと思います。その間、別の話を書いていました。機会があればアップした伊と思います。

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