第四章 戦いに意義はあるのか−3−
移転暦二五年七月
七月五日
対プロイデン戦争終結に向けた作戦が発動された。作戦名「転武」である。作戦期間は四ヶ月が予定されていた。作戦の骨子は次のようになっていた。
1.独立艦隊によるプロイデン本国港湾施設撃破作戦(一部実施済)
2.αポイントの航空勢力撃滅作戦
3.航空攻撃によるプロイデン本国軍施設の撃破作戦(軍需工場含)
4.東部要衝ハンブレングへの上陸作戦
5.首都ベルランへの航空攻撃
となっていた。
それに投入される秋津島統合防衛軍戦力は次のようになっていた。
攻撃部隊
○独立遊撃艦隊(司令官塚原二四三中将)
統合防衛軍旗艦『大和』
第二戦隊戦艦『金剛』『比叡』
第八戦隊重巡『利根』『筑摩』
第四水雷戦隊軽巡『由良』『朝雲』『峯雲』『夏雲』『朝潮』『荒潮』『浜潮』
○第一機動艦隊(司令官山口多門中将)
第一航空戦隊原子力空母『扶桑』『山城』
第四戦隊重巡『愛宕』『鳥海』
第二水雷戦隊軽巡『神通』『嵐』『雪風』『天津風』『時津風』『秋雲』『磯風』
第二十駆逐隊『吹雪』『白雪』『初雪』『叢雲』『磯波』『浦波』
○第二機動艦隊(司令官草鹿龍之介中将)
第二航空戦隊原子力空母『長門』『陸奥』
第五戦隊重巡『妙高』『羽黒』
第三水雷戦隊軽巡『川内』『舞風』『浦風』『初風』『浜風』『谷風』『萩風』
第二十四駆逐隊『敷波』『綾波』『朝霧』『夕霧』『白雲』『天霧』
○独立補給艦隊
第十二水雷戦隊軽巡『北上』(104きりさめ)『秋月』(105いなづま)、『冬月』(106さみだれ)、『夏月』(107いかづち)、『初月』(108あけぼの)、『新月』(109ありあけ)『夕風』(156せとぎり)『三日月』(155はまぎり)
タンカー四隻
補給艦四隻
攻略部隊
○臨編第161軍(軍司令官土橋勇逸中将)
第50師団(師団長岡崎清三郎中将)
第51師団(師団長原田義和中将)
○基地航空隊
五十一航空艦隊
第五一一および第五一二飛行隊(F−6戦闘機二十四機)
第五二一および第五二二飛行隊(F−7戦闘攻撃機二十四機)
第五三一および五三二飛行隊(P4A対潜哨戒機八機)
第五四一および五四三飛行隊(E-MRJ70AWACS四機)
第五五一飛行隊(MRJ70JE電子作戦機一機)
第五六一飛行隊(RF2戦術偵察機一機)
第五七一飛行隊(C−3輸送機二個飛行隊四機)
攻撃および攻略部隊総指揮官は塚原二四三中将が努めるが、基地航空隊は派遣軍司令官の指揮下に置かれ、急遽、秋津島から派遣された源田実大佐が指揮を執り今城健一中佐が飛行長としてその下につくこととなった。揚陸艦『鳳翔』や攻略部隊の乗る輸送艦は遅れて出撃するため、その護衛には第三艦隊があたることとなっていた。
七月三日には秋津島統合防衛軍からの派遣部隊はすべてウランバートに集結していた。むろん、港湾施設は未だ完成していないため、ほとんどの艦は沖合いに停泊することとなった。桟橋に接岸しているのは第三艦隊を除けば一部の軽巡洋艦だけである。第161軍は既に集結していたため問題はなかったが、航空隊の集結には問題があった。大型機の数機は露天駐機になったのである。急遽、簡易格納庫が建築されているが、大型機ゆえにまだ完成していなかったのである。
秋津島統合防衛軍が戦艦『大和』を旗艦として艦隊に加えたのにはそれなりの理由があったといえる。プロイデンで最大の艦艇は三万八千トンの戦艦であったのである。つまり、こちらにはこれだけの戦艦を造る技術と工業力があることを強調し、戦争の早期終結を図るためであったといえるだろう。今回の作戦では戦後のことも考えた戦争終結が考えられていた。戦力をすりつぶさせての戦争終結は、北のユロリア帝国との紛争が発生している以上好ましくはない。
統合幕僚本部としてはフレンス皇国戦のような戦争終結が望ましいと考えていたのかもしれない。奢り、といえばそうであるが、少なくとも戦後に憂いを残すような戦争終結を日本は望んでいなかったようである。自国が支配しての終結など考えていないというだけ、まだ日本は健全であったと思われる。
久しぶりの更新になります。引越しによってデータが失われたのがつらいです。ゆっくり更新していきます。なお、前作も加筆訂正していきます。