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第四章 戦いに意義はあるのか−2−

移転暦二五年六月


六月二四日西中海


 後に第二次西中海海戦と呼ばれる戦いにおいて、第二独立艦隊の戦艦対戦艦の戦いは二隻の戦艦をもって敵戦艦一二隻を撃破したという点において圧勝といえた。第二独立艦隊司令官草鹿龍之介中将の取ったアウトレンジ戦法には理由があった。このころの秋津島統合防衛軍が有する戦艦七隻すべてが艦尾にVLS(垂直ミサイル発射基)を有していた。つまり、敵艦の砲弾には打たれ弱いのである。VLSは六十四×四、合計二五六セルもあり、ここに砲弾が命中した場合の被害は甚大なものであろうと考えられたからである。


 さて、対艦ミサイル攻撃において敵艦隊の大型艦はすべて撃破され(撃沈三隻、大破九隻)、稼動艦は駆逐艦六隻のみ、という戦果を挙げ、被害は軽微であった。その後丸一日をかけて敵兵の救護に当て、第二航空戦隊原子力空母『長門』『陸奥』、第五戦隊重巡『妙高』『羽黒』、第三水雷戦隊軽巡『川内』『舞風』『浦風』『初風』『浜風』『谷風』『萩風』はウランバートに向かった。しかし、その中には戦艦『榛名』『霧島』軽巡『敷波』『綾波』『朝霧』『夕霧』『白雲』『天霧』の姿はなかった。彼らは戦闘が終了すると随伴のタンカーおよび補給艦から補給を済ませるとさらに西進していたのである。


 ウランバートに帰港した第二独立艦隊の機動部隊群に遅れること四日、目的を達成した戦艦部隊は帰港した。その目的とはプロイデン国最大の軍港であるキームへの攻撃にあった。二十二式巡航ミサイルによる攻撃により、キームの軍港としての機能は壊滅したといえる。発射された二十二式巡航ミサイルは合計一二発、そのうちの一発は中部海軍司令部を壊滅させ、残る一一発は八箇所の大型ドックおよび三箇所の軍需工廠を完膚なきまでに破壊している。これは出撃直前に派遣軍司令官である上田中将より許可を得た塚原中将と大井大佐による追加作戦であり、攻撃部隊に損傷がなければ実行する、という条件が付いていた。


 六月も終わろうかというその日、二五〇機に及ぶ航空機が接近するのを第五四一飛行隊二番機のE-MRJ70AWACS、<カラス二番>が捉えたのは太陽が中天を過ぎようとしている時間であった。そのうちの一五〇機はこれまでとは異なった方向、西南方向から接近しており、残る一〇〇機はこれまでと同様の西方面から接近していたのである。これを迎撃せんと発進したのは第十航空団(在ロリアムンディ)隷下の第一一一飛行隊および第一一三飛行隊(F−2戦闘機二十四機)、秋津島統合防衛軍第五十一航空艦隊隷下の第五二一および第五二二飛行隊(F−7戦闘攻撃機二十四機)であった。


 敵の意図は明らかであったといえる。一団はこれまで通りにユラリア共和国へのミサイル攻撃、もう一団はキームを壊滅させた派遣艦隊への攻撃であると考えられた。<カラス二番>は西南方面から接近する敵編隊に第五二一および第五二二飛行隊を、西方面から接近する敵編隊には第一一一飛行隊および第一一三飛行隊を割り当てていた。


 この時まで日本側がつかんでいた情報ではαポイントに配備されている航空機は二種類あり、一つは単発低翼の戦闘機、Md284ジェット戦闘機であり、もう一つは双発ジェットの中型爆撃機、Dr151であることが判っていた。Mdメーデラー284ジェット戦闘機は移転前の中国が採用していた殲撃8II(J−8II/F−8II)に似ている機体であり、Drドールエ151はアメリカ軍で採用されていたC−9輸送機と似たような機体であった。


 この二群の敵編隊は迎撃に上がった部隊との距離が一二〇kmになったところで次々とミサイルを発射し、翼を翻して行く。合計二五〇発のミサイルが目標と思われる港湾およびユラリア港周辺に向かうのが<カラス二番>から報告される。さらにレーダー波なし、との報告が遅れてもたらされる。この時には<カラス二番>は引き上げてゆく編隊とは逆に接近する二〇機の編隊を捉えていた。その編隊は迎撃部隊とは一〇〇kmの距離を保ちつつ、旋回を続けているのを確認していた。


 迎撃に上がったF−2戦闘機およびF−7戦闘攻撃機は二五〇発のミサイルに向けて対応せざるを得なくなる。F−2戦闘機は各機四発を、F−7戦闘攻撃機は各機六発の十式対空ミサイルを発射する。F−2戦闘機およびF−7戦闘攻撃機は二十式空対空ミサイルおよび十式対空ミサイルとの組み合わせでは複数目標同時攻撃能力を有する。F−2戦闘機は八目標同時追尾してそのうちの四目標を、F−7戦闘攻撃機は一〇目標同時追尾してそのうちの六目標を同時攻撃できる火器管制装置を持っていた。


 発射された対空ミサイルが全基命中したとしてもF−2戦闘機部隊は四発を、F−7戦闘攻撃機部隊は六発を撃ち漏らすことになる。それ程のミサイルの数であった。しかも、対空ミサイルが命中する直前にミサイルは針路変更をやってのけていた。その結果、打ち漏らしたミサイルの数は双方とも一五発、計三〇発を数えたのである。後の調査によれば、その大型ミサイルは多段式ミサイルであること、無線誘導が可能なことが判明する。ともあれ、迎撃部隊が撃ち漏らしたミサイルを撃破したのは港に停泊中の第五戦隊重巡『妙高』(イージス護衛艦)の十九式対空ミサイルであった。


 この時αポイントの陸軍部隊にも移動が始まっていたのであるが、急遽、中止され、元の位置に引き返している。ここに至って塚原中将は再び上田中将に面会を求めた。このままでは敵の多数のミサイル攻撃に対応できなくなる可能性があること、たとえαポイントを壊滅させたとしても対プロイデン交渉は始まらない、そう主張し、第二独立艦隊によるプロイデン本国中枢部への攻撃作戦の許可を強く求めた。


 プロイデンの軍事力および工業力では五百機の航空機をもってミサイル攻撃は可能であろうし、そんな多数のミサイル攻撃にはウランバート派遣軍では対応が難しい、というのがその理由であった。αポイントを壊滅してもまた何処かに基地を作られれば同じことの繰り返しであり、この戦争は長期化する可能性が高い、とも言ったのである。さらに、北部戦線(ユロリア帝国方面軍)が東進する可能性もあり、同規模の複数の基地からの攻撃には対応できないことも強く強調している。


 これに対して上田中将は統幕と計るから待て、と言った。が、作戦準備だけはしておくように、と塚原に言ったのである。上田自身もこのままでは進展はない、と考えていたのかもしれない。むろん、彼の中で幾つかの考えがあっただろうが、もっとも可能性のある作戦として大井保大佐によって以前提出された作戦こそが有用であろう、と判断していた可能性がある。


諸般の理由で引っ越すことになりました。体調は少しましと言ったところでしょうか。ダンボール三箱分の架空戦記小説を処分しました。もっとも、目を悪くしたので読めないのですが。古本屋の親父さんがいうには架空戦記ものには値が付かないと言われました。次までかなり間が空くかもしれません。行き詰ってるのも事実ですが昔のファイルを穿り返しては改稿などしています発表できればいいかなと思っています。

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