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第三章 再び戦いへ−5−

に移転暦二五年六月


<海軍次官近藤信竹中将および航空集団司令官南雲忠一中将、重巡艦隊司令官阿部弘毅中将、水雷部隊司令官栗田健男中将、戦死。海軍作戦本部長宇垣纏中将、重傷>の報は秋津島統合防衛軍司令部および本国に衝撃を走らせるせることとなった。今次戦争における初めての犠牲者が将官の犠牲であり、秋津島統合防衛軍ではこの地に現れて以来、初の将官戦死の出来事であった。


 この報を聞くなり、秋津島統合防衛軍総司令官山本五十六大将は数分間瞑目した後、自ら指揮を取るためにウランバートに向かう、と言い出したが、他の将官、特に第六艦隊司令官の小松輝久中将の猛反対により、自重することとなった。代わって機動艦隊群司令官の塚原二四三中将を新たなる指揮官に任命し、ウランバートに向かわせた。塚原中将ならば艦隊および航空ともに指揮を執れる経験があったからである。


 太平洋戦争後よく言われていたのが、南雲忠一中将ではなく塚原二四三中将が機動艦隊の指揮官であったなら戦局も代わっていただろう、というのがあった。それ程に航空における何たるかを熟知していたとされる。年功序列のためだとも言われるが、それとともに日中戦争での負傷により、洋上勤務は不可能であると判断されていたともいわれる。


 ともあれ、翌一五日には塚原中将は副官を伴い、民間機によりロリアムンディへと向かった。当地からは第二独立艦隊全艦艇をもってウランバート入りすることの了承を山本大将から受けていた。この第二独立艦隊のウランバート入りと時を同じくして秋津島統合防衛軍主席参謀大井保大佐もウランバート入りすることとなっていた。彼はようやく、インペル海における開戦時の作戦立案およびシリーヤ民国への武力援助立案作業を終えていたのである。


 ウランバートでの海軍次官近藤信竹中将および航空集団司令官南雲忠一中将、重巡艦隊司令官阿部弘毅中将、水雷部隊司令官栗田健男中将の戦死、海軍作戦本部長宇垣纏中将負傷事件の詳細は十八日には秋津島統合防衛軍司令部および本国統合幕僚本部に報告された。南雲中将とともに現地入りしていた秋津島統合防衛軍司令部参謀今城健一中佐、16軍司令官土橋勇逸陸軍中将とともに現地入りしていた土田巌中佐の両参謀によるものであった。


 それによれば、モンゴレイド諸島に潜入したプロイデン軍特殊部隊による地対艦および地対地ミサイルによる攻撃であり、迎撃の間に合わなかった一発のミサイルが不幸にして彼らのいたビルを直撃したのだということであった。発射されたミサイルは合計八発であり、それらのミサイルは第三艦隊の撃破および港湾の破壊を狙ったものと考えられた。第三艦隊のイージス護衛艦『たかお』がかろうじて対応し、八発のうち五発には対空ミサイルによる撃破に成功、残る二発は個艦防衛用のバルカン砲により撃破されたが、残る一発は撃ち漏らしたというものであった。


 モンゴレイド諸島には合わせて一個連隊のユラリア共和国陸軍兵が派遣されたが、敵兵の抵抗が強く、敵兵を捕虜とすることは適わず、全滅させるのに二個中隊を失うという被害を出したという。その後の調査で防水布が多量に見つかったことから、潜水艦による海中からの侵攻であることが判明し、今後の対潜水艦作戦の重要性を改めて報告されていた。


 現地入りした塚原中将は大井大佐を伴って派遣軍総司令官上田昌良陸軍中将に面会し、今後の作戦の一部変更を求めた。もともとが今次戦争は防衛戦争として位置付けられていたのであるが、第二独立艦隊によるプロイデン本国軍施設への侵攻作戦の許可を求めたのである。本国軍司令部を壊滅させることにより、ユラリア共和国への侵攻を頓挫させ、日本の要求を受け入れさせ、早期の戦争終結を計る、という作戦であった。


 これに対して上田中将は戦争の早期終結という根拠に疑問を投げかけたのである。かってのナチス第三帝国がそうであったように、国家指導者たる独裁者による反撃が戦争の長期化を生むのではないか、ということである。今度は大井大佐が反論した。遺憾ではあるがそのときには独裁者への攻撃をも考慮するべきである、というのである。かってのナチス第三帝国でも独裁者の死後に戦争は終結していることを例に挙げ、プロイデン自身の手による政治システムの変換を図るが、それにはかって連合国がそうしたように指導する必要も生じる。何よりも独裁者をそのままにしての戦争終結は過去の日本と韓国や北朝鮮のような後顧に憂いを残すことにもなりかねない。


 さらに、北西のユロリア帝国が存在する限り、戦力の東への集中はないと考えられる。また、西のエンリア帝国なる国もプロイデンとは何らかの条約を結んでいるようであるが、プロイデン国が弱体化したと知れば彼らが東進する可能性もある。いずれにしても対プロイデン戦終結後も考慮する必要がある。放っておけば西中海北岸西部はかっての中東のように紛争地域となってしまうだろう。少なくともプロイデン国はインペル国やフレンス皇国には及ばないものの高い工業力を有していることから、将来的に日本の貿易相手国たる国になりえる。上田中将は統幕と図る必要がある、として明言は避けたが、作戦立案書は受け取った。


 実は塚原中将はもうひとつの作戦についても許可を求めていた。それは二〇〇海里領海の潜水艦狩りであった。この海域内における問答無用の潜水艦狩りこそプロイデン国の戦術を頓挫させ、プロイデン国を敗戦に誘った作戦であった。後の調査では、この時点でプロイデン国が動員していた潜水艦の総数は一五〇隻を数えていたが、戦後の調査では一五隻(稼動潜水艦のみ)までになっていたことが判明する。この潜水艦狩りについては上田中将は即答し、以後、第三艦隊を中心に続けられることとなる。


 偵察衛星による情報において、プロイデン国第一の海軍基地であるキームから戦艦を含む多くの艦艇が消えていることが判ったのは六月二〇日のことであった。戦艦一二隻、重巡洋艦六隻、軽巡洋艦六隻、駆逐艦三六隻がキーム港から消えているのが判ったのである。これはプロイデン国海軍水上艦戦力のほぼ三/五に相当するものと考えられた。その艦隊の目的がユラリア共和国軍港攻撃にあるのか進出してきていた第二独立艦隊攻撃にあるのかは定かではないが、少なくとも東進してくるのは間違いがないと判断されていた。その翌日、第二独立艦隊に出撃命令が下った。敵艦隊の洋上での捕捉撃破作戦である。


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