プロローグ
序に代えて
この新しい地球での日本の戦いは大別して二つに分けることができる。一つは前作でも述べたとおり、東アジアや東南アジアおよび南太平洋を主とする戦争であった。幸いにしてこれらの地域では戦後は友好国として共に発展することができそうであった。もう一つは西中海北西および西方での戦いである。これら地域は(正確にはプロイデン国およびエンリア帝国)未だ戦争状態には至らず、また、日本の勢力圏外でもあった。というよりも、日本がこの方面に手を出さなかった、あるいは出せなかった、といえるだろう。ただ、後世においては軽視していた、とする研究家も多くいるのは事実である。
この西中海は移転前の地球にはなかった海であり、内海といえるものである。移転前の地中海が最も近いが、広さは西中海の方がはるかに広い。補給地がなければとてもではないが乗り出すことはできないだろうと思われる。シムリアル海峡北部のロリアムンディがあるとはいえ、西中海中央部まではとてもではないが進出することが不可能であっただろうと思われる。それでも日本がこの地域を軽視していたと言われるのは、プロイデンが出現した折、すぐに手を打たなかった、ただそれだけの理由である。
南太平洋のフレンス皇国やインデル海のオーロラリア国およびインペル国における対応を見ての意見が多い。つまりこれらの国々に対しては出現時および出現してあまり時間の経過しないうちに対応しているからであろう。もっとも、これら地域では日本は中継地を必要としない戦闘が可能であったことを考慮しても、西中海方面を軽視していたという意見が多い。
その理由として挙げられるのはインペル国との接触の際にイエーク王国およびイエツ王国に侵略した、ということである。両国に対しての政治的接触はなく、軍事的に進出したというその一点のみを理由に挙げ、なぜ西中海においても同様のことを成さなかったのかということである。
その逆に純軍事的に不可能であった、とする意見もまた多い。その理由として挙げられるのが秋津島統合防衛軍という一方面軍である。この秋津島統合防衛軍は一方面軍でありながら十六万人にも及ぶ勢力を持っていた。その当時の全日本軍の一/四にも及ぶ。海軍艦艇でいえば、百五十隻という強大な勢力を持っていた。それに対して、西中海方面軍は僅かに三十隻弱、しかも大型艦はなく、不可能であるというものである。
何故こういったことが言われるか、という理由は数年前に集結した地球統合戦争に関わることであるからだろう。この二次に亘る地球統合戦争は別の話となるため詳しくは述べないが、西中海北西部の一部地域の軍が連合軍に反旗を翻したことが起因とされる。彼らネオ・ゲンディス党はその思想から幾度となく紛争を起こしていたが、最終的にはほぼ地球全域を敵に回すこととなったのである。
いずれにしても、日本に過去の昭和の軍人たちが現れなければ今の日本は無く、今の地球連邦政府は樹立されることは無かった、ということにおいてはいずれの研究家の意見も一致するところであろう。ただ、現在入手できる資料において日本は最善を尽くした、といえるのは誰もが認めるところであるが、対プロイデン戦の戦後処理に問題があった、とする意見が多いのも事実であった。
これは日本軍上層部(政治家も含む)と秋津島統合防衛軍(自冶州政治家を含む)との認識の違いによるものであることは後世の研究家の間では一致していることである。
最後に、極力データを元にまとめたつもりであるが、一部私見が入っていることもあるかもしれない、とだけは言っておきたい。
なんとか時間ができたので続編をアップします。よろしければ読んでやってください。更新は間延びすると思いますが、最後まで続けるつもりですのでよろしくお願いします。