02 彼と彼女の出会い
遅くてすいません
泥酔した彼女と、それを介抱する友人達を遠目に見ながら、考える。
彼女と、初めて出会ったのは、いつだったろうか。
出会った時の状況は、明確に覚えている。が、日付の記憶が曖昧。
春先だったか、秋だったか。本当にいつだろう…
はぁ、年は取りたくないなぁ…
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彼女とであった日は、消化のために取った平日の有給。
でも、そんな日でも僕は会社へ。
もちろん、「忘れ物を取りに行った」だけの、自発的な出社です。
稀によくあるいつものことだけど。
…ふふふ、いと悲しき社畜の生態かな。
堂々と会社へ入り、PCの電源をポチッと。
PCステータスは「休み(有給)」のまま。
しかし、社内メッセは「ログイン中」
ソフトを立ち上げ、次のミーティングに使う資料作成と、
普段通り、内線で各部署への根回し。
みなさんは、
「ああ、また(休日出勤)か。お疲れさん」と空気を読んで、
応対はするけど、“僕がいない”ふりをしてくれている。
喫緊でやるべきことを終えて、
一息つき時計を見たら、昼過ぎだった。
いつもの勤務状況と変わらないね。
そのあとは適当に昼食を取り、ボーっとしながらスケジュールチェックと
いつもできていなかった残務処理をして、定時で帰宅。
僕は、ほぼ定時で帰ったことがないので
ちょっと清々しい気分になって、会社を出たのを覚えている。
だけど、そんな浮かれた気分は、
17時頃の帰宅ラッシュに揉まれて、即沈んだ。
…混雑具合が、普段の終電近くとほとんど変わらないじゃないか。
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ガタゴトと電車に揺られ、乗換駅まであと一駅。
過積載な電車が駅に止まるたび、開いたドアから雪崩の様に人をはいた後、
出した人数より多い人を、また車内へ詰め込む。
その人波の中で、私は無心になる。
なぜなら、今乗っているような満員電車で、
一番怖いのは、痴漢だ。冤罪も含め。
自分が痴漢の加害者にならないように、
どれだけ美しく魅力的な女性がぴったり体を押し付つけても、
心は、無心に。両腕は、頭上に。
上に手を上げれば何かしらつかむものがあるから、
体勢の安定と、冤罪対策の一石二鳥。
しかし、男の僕でも男から痴漢を受けたことがあるぐらいだから、
痴漢にとって相手は誰でもいいのだろうか…
…こほん、痴漢については置いておいて。
その時、彼女と出会ったのだ。
記憶と骨身に残る衝撃と共に。
その時は、駅に止まり人が吐き出された後、
開いたドアから反対側にある、ドア前のつり革が開いたので、
ささっと近づき、足の間にカバンを挟み、閉まったドアに背を向け、
つり革を両手でギュッと握りしめた。
これから来る、怒涛のごとく流れ込む人を待ち構えた。
しかし。
次の瞬間、僕を襲ったのは、押しつぶすような人の波ではなく。
長く美しい黒髪を棚引かせ、
流れるような動作で繰り出された、
あばら骨をきしませる体当たりだった。
「ひゃっ」
小型犬の泣き声みたいな声が聞こえ、
僕の眼前に飛び込んできたのは、スーツを着た女性。
詳細はよくわからないが、彼女はつまずいたのか、
イラついた乗客に後ろから押されたのか。
ちらりと見えた彼女の顔には必死な表情浮かんでいた。
僕もひどく慌てた顔をしていたと思う。
咄嗟に出来た事が、倒れこむ彼女を抱きとめるのではなく、
つり革につかまった両腕で顔をブロックするように覆っただけなのだから。
結果、頭を抱えた彼女は、そのまま僕にぶつかる。
僕は強制的に息を吐かされくぐもった声がでる。
そして、文字通り息もつかせず後続の人がそのまま押し寄せ、
僕と彼女はつぶされる。
僕は、突然の体当たりを受けた衝撃と満員電車の圧迫感で息がうまく出来ない。
めっちゃくるしい。今は浅い呼吸を繰り返しているが、徐々に呼吸が荒くなる。
しかし、こんな女性と密着した状態で、
「はぁはぁ」なんてやらかしたら、絶対に勘違いされる。
よし、ここは落ち着いて、ゆっくりと深呼吸をしよう。
カラオケで鍛えた腹式呼吸も合わせれば、きっとこの状況は解決できるはずだ。
自分を信じろ!できる!
薄く口から息を吸い、お腹を膨らませるように空気を送り込む。
と、僕がお腹を膨らませたため、お腹と彼女の身体の密着度が上がった。
…あ、この子、いい香りする。そして、なかなかの胸がおおk…
はっ!いかん!!煩悩が!
うおー…やばい。一回意識したら、すっごいドキドキする。
ふぅー…落ち着け。
これは、呼吸が乱れているから、心拍数が上がっているんだ。
とにかく落ち着け。彼女を意識するな。
特に下半身に血液が行かないように制御しなければ。
と、心とは裏腹に、僕は肘の間から彼女をチラ見してしまう。
彼女はバッグを肩にかけ、両手で顔を覆ったままつぶされている。
なので、顔というか表情は、よく見えない。
が、
…お、この子、きちんと似合うスーツ選んで着てるな。
スラッとしたラインの、パンツスーツ。いいねー
スーツの生地と色から察するに、リクルート中か、新人社員さんかな。
いやー、この子はスタイルもいいし、こういった雰囲気のスーツが…
って、ちっがーう!!
煩悩を捨てよ!!無心になれ!!
僕はギュッと目をつぶり、また静かに深呼吸を始めた。
やっといつもの無心に戻れた頃、無事乗り換え駅へ到着した。
彼女と僕は人波に揉まれながら、車外へと吐き出された。
周りの人達よりひとつ頭小さかった彼女は、すぐに人混みへと消えた。
あまり体験できる事ではないが、
お互い楽しい状況ではないから、勤めて忘れるべきだろう。
…忘れられればいいけど。
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電車も乗り換え、田舎を走るローカル線に電車に揺られている。
電車もうは終点駅の近く。車両はガラガラだ。
僕が降りる駅は終点なので、もう少しかかる。
座席に座り、ポータブルプレイヤーで音楽を聴きつつ、
時間つぶしもかねて、手帳を眺めている。
最近ベッドタウンなり始めた駅へ止まった時、
近くに座っていた人が降りる。
僕はなぜか気になり、ふっと顔を上げる。
…あれ?さっきの体当たりしてきた女の人?
見覚えのある髪型と、パンツスーツ。
バッグもキーホルダーとかも合わせて記憶にあるものだった。
女性を降ろした電車は、ドアを閉め走り出す。
ドアから降りた後姿を思い出し思う。
ただ、よく似ている人だろう。
あの髪型もパンツスーツも、よくあるものだし、バッグもキーホルダーも量産品だ。
変な感繰りはしないに限る。
それに、体当たりを受けたからといって、何だというのだ。
心に浮かんだ何かの淡い気持ちがさっと消える。
別に今までどおりでいい。変な変化はいらない。
人並みに生活できて、無理がない程度で。
そして、手の届く範囲で、親と妹が幸せなら、それでいい。
普通でいい。それだけが僕の欲しいもの。
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以来幾度か電車内で体当たりの人を見かけた。
体当たり受けた時は、彼女はリクルート中だったようだ。
たまたま見つけたときは、私服姿だった。
彼女だと気がついたのは、あのキーホルダーのついたバッグ持った女性を見つけ、
よくよくみるとその人はあの時と同じ髪型でパンツルックだったからだ。
付箋の沢山ついた参考書をにらめっこしていたり、
終電近くに友人達とお泊り会の会話をしていたり、
何度か泥酔して友人に介抱されたりしていたので、おそらく大学生だろう。
日常を生き生きと楽しむ、彼女はとても楽しそうで美しかった。
彼女を見るたびに何か心に浮かんでくるものがあった。
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泥酔した彼女と、介抱する友人達を遠目に見ながら、
若いっていいなぁー、なんて考えていると、
泥酔している彼女と目が合った。
絶対に僕を見ているわけではない。
でも、彼女は僕を見ながら、凄く楽しそうに笑ったのだ。
その笑顔を見た瞬間、
僕の胸は、ギュッと締め付けられるよう苦しくなり、
同時に心は急激に冷たくさめてしまった。
冷静に考えれば彼女を見かけるたびに盗み見て。
これではただの気持ち悪いストーカー男だ。
それに、僕みたいなうだつの上がらない男より、彼女にはもっといい男が現れる。
心に浮かびそうになるものを、もう二度と出て来ない様に、深く沈める。
もう完全に忘れる。そう決めた。
意識せず日常に忙殺されれば、こんな事も考えない。
僕が欲しいのは、羨まれる様な幸福ではなく、ごく普通の幸せでいい。
すっと前に自分で決めた事なのに、揺らいでしまった。
彼女達から視線をはずす。
電車の座席に座ったまま、小さくため息をつく。
揺れに身を任せ、ゆっくりと目を閉じる。
このまま僕は家に帰り、また、朝起きて仕事に向かう。
このまま、日常に戻るだけ。ただ、それだけ。
それだけなのに、
幾度も繰り返してきた別れとは違う、
暗く悲しい喪失感を感じるのはなぜだろう。
誤字・脱字を教えていただけるとうれしいです。